【温州ミカンの原産地は中国・温州ではなく鹿児島説が有力とか】
無数に付けた蕾が開き始めると、その周辺は芳香に包まれる。実に甘くて上品な香り。それに誘われて何匹ものミツバチがやって来ては蜜集めに大忙し。この時期、ミカンの花はミツバチにとって大切な蜜源なのだ。その蜜がレンゲやラベンダーなどと並ぶ良質な蜂蜜になる。
漢名の「蜜柑」をそのまま音読みしてミカンとなった。その代表格は温州ミカン。中国・浙江省の地名、温州にちなむ。だが温州は茶やミカンの産地だが、温州ミカンに類似したものはないらしい。今では中国から持ち帰ったミカンの種子から〝枝変わり〟によって偶然生まれたと推定され、原産地は鹿児島の西に浮かぶ長島という説が有力になっている。長島では約80年前、樹齢300年という古木も見つかった。温州ミカンの英名も「Satsuma Mandarin(サツマ・マンダリン)」だ。
ミカンの花で思い出すのが懐かしい童謡。「♪みかんの花が 咲いている 思い出の道 丘の道~」。この「みかんの花咲く丘」は終戦直後の1946年に発表された。歌ったのは川田正子。作曲家の海沼実から急遽頼まれた加藤省吾が、故郷静岡のミカン畑を思い浮かべながら一気に書き上げた。伊東市には今その歌碑が立つ。この歌を応援歌にしているのがミカン産地・愛媛に拠点を置くJリーグ「愛媛FC」。選手入場に合わせ、そのメロディーを「オーオオーオ オーオオー」と声高らかに響かせて選手を鼓舞する。
紀伊国屋文左衛門は江戸時代の元禄期にミカン船を仕立て江戸に送って巨万の富を築いた。そのミカンは「紀州ミカン」。小粒で種があった。種がない温州ミカンは長く「タネ無し」として忌み嫌われていたという。だが、その紀州ミカンも今では和歌山でもほとんど作られていない。ミカンにまつわるエピソードをもう一つ。新幹線の車中でのこと、「経営の神様」松下幸之助が乗っているのに気づいた人がミカンを差し上げた。松下さんは快く受け取ってくれ、京都で降りる際にはわざわざ席まで来て改めてお礼を述べた。さらにホームで深々とお辞儀をして見送ってくれたそうだ。その人はその姿に感銘、涙したという。そう言えば松下さんの出身地も文左衛門と同じ紀州和歌山だった。