【帝塚山大学市民講座で、関根俊一教授が力説】
奈良国立博物館で開催中の第64回正倉院展(12日まで)も会期半ばを過ぎたが、今年も宝物の輝きを一目見ようという多くの観客でにぎわっている。宝物は戦乱や火災、盗難などに遭うことなく1250年余にわたって守られてきた。まさに〝奇跡の正倉院〟といわれる所以だが、関根俊一・帝塚山大学教授は3日開かれた市民大学講座で「北倉に収納されていた聖武天皇のご遺愛品こそ、正倉院の宝物を守った原動力といえる」と力説した。奈良国立博物館勤務当時に長く正倉院展に携わってきた経験から来る〝確信〟だろう。
正倉院はもともと東大寺に付属していたが、明治時代に入って国の管理下に置かれ、現在は宮内庁が管理している。正倉は向かって右側から北倉、中倉、南倉が並ぶ。創建時代については諸説あったが、ヒノキの年輪年代測定から中倉に741年伐採の材木が使われていることが判明、大仏開眼会の752年から759年ごろまでに創建され当初から現在と同じ形だったことが分かった。
(左から「螺鈿紫檀琵琶」「瑠璃坏」「木画紫檀双六局」)
現存する宝物数は2011年現在で8935件(1910年当時4955件)。この100年間にほぼ倍僧しているが、これは新しく宝物が追加されたわけではなく、未整理だったものが整理されたことによるもの。これらの宝物は大きく分けると、聖武天皇崩御後に光明皇后が東大寺大仏に献納したもの、大仏開眼会や聖武天皇の大葬・一周忌に使われたものなど東大寺関係の宝物、東大寺造営のために置かれた役所「造東大寺司」関係の宝物の3つがある。
このうち天皇遺愛の品々は北倉に納められ、東大寺と造東大寺司関係の宝物は中倉と南倉に収蔵された。このため北倉は奈良時代から勅封(天皇の封)として管理されてきた。「天皇のご遺愛品が北倉にあったからこそ厳重な管理下に置かれ、そのことで今日まで宝物が守られてきた」。関根教授がこう主張するのもそのためだ。宝物類は現在、鉄筋コンクリート造りの東西の宝庫に収納されている。
それにしても1250年の間、「燃えず、腐らず、盗まれなかった」のはまさに奇跡としか言うしかない。1180年の平重衡の南都焼き打ちや1567年の三好・松永の合戦による大仏殿炎上時にも類焼を免れた。地震や落雷、台風などの自然災害にもほとんど遭わなかった。ただ北倉には1254年の落雷による焼損痕が残る。また盗難も皆無ではなく、過去3回盗難に遭ったという記録が残っているそうだ。
講座の後半では今年の正倉院展の見どころを、展示品1点ごとに映像とともに紹介した。今回の特徴として①聖武天皇ゆかりの北倉の宝物が多い②ガラス関係品がまとまって展示されている③螺鈿(らでん)、平脱、木画、撥鏤(ばちる)、密陀絵などの優れた技術が見られる――の3点を挙げていた。