【戦前の絵葉書や髪飾り、おきあげ、演劇・映画ちらしなどを展示中】
重要伝統的建造物群保存地区の福岡県うきは市吉井町の町並みを訪ねたのを機に、その一角にある「うきは市立金子文夫資料展示館」に立ち寄った。金子文夫氏(1912~2007)は郷土史家で福岡県の考古学会の先駆者的な存在。吉井町文化財専門委員会会長も務め、地方文化功労賞を受賞している。金子氏は民俗・歴史・考古資料の有数なコレクターでもあり、同館は吉井町が寄託を受けた数十万点に及ぶ資料の保存・整理・公開の施設として設けられた。(下の写真は紙と布でできた人形の「おきあげ」)
2階の展示コーナーに上がると、入り口で博多祇園山笠の大きな人形が出迎えてくれた。今夏、博多リバレインに飾られていた桃太郎などで、タイトルは「昔話博多勢揃い」。吉井町出身の博多人形師、生野四郎さんが製作した。金子氏の河童の置物のコレクションの前には昨年の作品「大黒天・弁財天・布袋」も展示されていた。筑後吉井で博多山笠の人形をこの時期にこんなに間近で目にするとは!
展示会場では「おきあげ」などの民芸品や髪飾り、戦前・戦中・戦後の絵葉書や演劇・映画のちらしなどを展示中。「おきあげ」は羽子板の押し絵のように、お雛さまや歌舞伎などを題材に厚紙と布を貼り合わせて作った人形で、竹串を台に刺し並べて飾る。一般に「押し絵雛」といわれ、久留米など筑後地方一円で昭和の初めまで盛んに作られた。旧家の蔵などからたまに発見されるが、傷みやすいため現存数は少ないという。
様々な髪飾りやお歯黒の道具類も展示されている。簪(かんざし)ではきらびやかな〝びらびら簪〟から〝耳掻き簪〟まで。耳掻き簪は一方の先が耳掻きの形になっており、同館の金子功さんによると幕府や政府の贅沢禁止令に対抗する方便として生まれたという。お歯黒は明治維新後、日本を訪れた外国人に「世界一醜いメイク」と酷評され、政府は慌ててお歯黒禁止令を出したとか。昭和10年代の松竹少女歌劇や宝塚少女歌劇の公演のちらしなども多数展示されている。
壁面には「戦前・戦中の絵葉書に見る当時!」と銘打って古い絵葉書類がびっしり。90~100年前の「青島(チンタオ)戦跡絵葉書」や「関東大震災絵葉書」などに交じって「國民精神総動員絵はがき」や「恤兵(じゅっぺい)絵葉書」というものもあった。恤兵とは今や耳慣れない言葉だが、兵士をいたわり物品をめぐむことを意味する。展示中の資料はコレクションのごく一部という。金子氏の収集分野の広さと膨大な量にはただ圧倒されるばかりだ。