<ワカタケル>雄略天皇についてですが、「大悪天皇」という別名が付いている程の残虐性のある天皇だと一般には云われています。そんなに「わる」の天皇かどうか、まず、古事記を読んでみました。
その古事記に書かれている事を書いてみます
1雄略天皇の大后「若日下部王、倭へお移り住まわれる。
ある時、天皇は その皇后『若日下部王<ワカクサカベ ノオウ>』が、まだ、河内の日下にお住まいになっておられたので、そこをお訪ねになります。途中、山の上から、辺りを見渡されます。すると、河内の国の方に大きな家があり、その屋根に、堅魚木が飾ってあるの見られて、
「あの家の者は自分の家を大君の家のように思って、堅魚木を屋根に乗せている。ふらちな家だ。すぐ焼き払ってしまえ」
と、申されます。
それを聞いた、その屋の主人はすぐさま天皇の元に飛んでまいり
「賤しい者ですがら、それ相当な考え方しかできず。なんにも分からずあのような物を造ってしまいました。申し訳ございません」
とお詫びして、沢山の貢物をしたのでした。それでようやく天皇の怒りも収まます。そして、その者は、大后にも白い犬を献上します。
大后「若日下部王」は、天皇が自分が住んでいる河内に通って来る時、そのようなことがあったことを知り、それから以後は皇后「若日下部王」が天皇がお住まいの倭へ移つり住まわれたのだそうです。