このように、古事記の雄略天皇は、彼に関わる女性との御歌のやり取りがその中心になっておるようです。何回も言いますように、その大悪振りを書いてある文章はどこにも見当たりません。
そこで、古事記の彼の紹介で、一番最後になるのですが、雄略天皇が袁杼日売<オドヒメ>に対して歌った御歌を書いて、終わりたいと思います。
“美那曾曾久<ミナソソク> 游美能袁登売<オミノオトメ>本陀理登良須母<ホダリトラスモ>本陀理斗理<ホダリトイ>加多久斗良勢<カタクトラセ>斯多賀多久<シタガタク>夜賀多久斗良勢<ヤガタクトラセ>本陀理斗良須古<ホダリトラスコ>”
とありますが、これだけを見ますと、此の歌で天皇は何を歌っているのか、皆目、見当だに立ちません。
「水そそく 臣の嬢子 秀取らすも 秀取り 堅く取らせ 下堅く 弥堅く取らせ 秀取らす子」というのがその解釈らしいのです(福永武彦訳による)
なお、游美能袁登売<オミノオトメ>ですが、本居宣長は「游<オ>」は大の意で、それに対して「袁<オ>」は小の意だとしております。だから、この意味を「臣の嬢子<オトメ>」だと説明しております。「<たる>」はお酒を盃に入れる器のことです。「加多久」は「堅く」で、「しっかりと」という意味です。
要するに、「私にお酒を注ごうとする立派な家のお嬢ちゃんよ、しっかりと杯を持て、こぼないように注いでくださいね、あなたは美しいから」と歌った歌ではないかと思っております。決していやしくない、人を敬うような優しい心の現れている歌なのです。
此の歌を「宇岐歌」だと書いてありますが、「宇岐」とは何でしょうか。宣長は「浮」ではないかとしております。私も、水に浮かぶようなやや冗談半分に、ほんの軽い気持ちで歌ったような歌という意味ではないかと解釈しておりますが。
これで、古事記の雄略天皇は終わり、明日からは、「日本書紀の雄略天皇」について説明していきたいと思います。その中に、第3の吉備の美女と関連するものがあります。大変面白い物語が展開されます。ご期待ください。