これについて日本書紀では次のように記されております。
“天皇、心を以ちて師<サカ>しと為<シタ>まひ、誤りて人を殺したまふこと衆<オオ>し”
と書かれております、この「師」ですが、<サカシ>とルビが附ってあり、<さがし>は「危険だ。危ない。」という意味です。
この文章を「日本王代一覧」の作者である林鵞峯は
「天皇は生まれつきあらくして、人を殺すことを好む。罪なくして死する者多し」
と、書いております。しかし、水戸光圀の「大日本史」では、この「大悪天皇」について
「天皇、初め心を以て師(し)となし、好みて軽々しく人を殺し・・・天下謗りて大悪天皇と曰へり。」
と。「師」を<さかし>としてではなく、「先生」として捉えて、その歴史を読みとっております。どちらにしたって、結局は同じような取れ方をしているのですが、光圀の捉え方の方が、やや同情的に雄略を捉えているように思われるのですがどうでしょうかね??それは書紀の「誹謗<ソシリ>」という言葉から判断されたのではないかと思います