「眉輪王」や兄「七釣・坂合皇子」の次に、書紀には、雄略天皇の「市辺押磐皇子<イチヘノオシハノミコ>」殺害について書いてあります。なお、「市辺押磐皇子」とは、「安康天皇」の兄「允恭天皇」の子、従兄弟にあたるお方です。
この市辺押磐皇子について、書紀には
”穴穂天皇曾欲以市辺押磐皇子伝国而遥付嘱後事”
とあります。
「穴穂天皇の曾<イムサキ> 市辺押磐皇子をして国を伝へて 遥か後の事を付<ユダネ>嘱<ツケム>と欲<オオセシ>」。
要するに、過って、安康天皇は自分の兄、允恭天皇の子「市辺押磐皇子」に、天皇の位を託して、日本の国を委ねようと思っていたのですが、雄略天皇はそれを恨んでいたのです。このままにしておくと 市辺押磐皇子が次の天皇になり、自分が天皇にはなれないと思ったのでしょう、そこで、『邪魔者は殺せ』とばかりに、ある策略をめぐらします。