林羅山の息子である林鵞峯(春斉)により編纂された「日本王代一覧」(慶安年間)という本によると、この雄略天皇に付いて次のように記されております。
「天皇生ツキアラクシテ人ヲ殺スコトヲ好ム。罪ナクシテ死スル者多シ。人皆議リテ大悪天皇ト申ス。」
また、水戸光圀の著書「大日本史」の中では
「天皇、初め心を以て師となし、好みて軽々しく人を殺し、史部身狭村主青<フヒトベムサノスグリアオ>等を嬖幸<ヘイコウ>す。天下謗りて、大悪天皇と曰へり。」
とあります。前にも書いたのですが。光圀は、天皇のその大悪を深くは追求せず、例えば、市辺皇子の殺害についても、簡単に、“十月、市辺押磐皇子・御馬皇子を殺す”と書いているだけで、例の<陽ーイツワリテ>等の言葉は省いています。やや同情的に客観的にその歴史を紹介しているだけです。
なお、嬖幸<ヘイコウ>と云う言葉ですが、「身分の低い者が、主君などに、特に、かわいがられる」という意味です。要するに、えこ贔屓が激しいという意味です。こんな天皇であったことには間違いありません。