吉備の歴史的美女と云えば「兄媛」と「黒日売」が第1と第2に上がります。さて、次の三人目ですが、長らくお待たせしましやが、ようやく、お話することができる運びと相成りました。
その第3の吉備の美女は、この雄略天皇と係ってきます。これまでにお話したように雄略天皇は、強くその皇位を厚く望まれ、多くの関係する人達が、その犠牲になったのですが、御馬皇子を最後に、ようやく、雄略天皇の思惑どうりに天皇の地位につくことができたのです。
早速、皇后を決め、更に、三人の妃も決められます。この三人の妃の内の一人に、
“吉備上道臣之妻稚媛"
がいます。
この女性は吉備窪屋臣之娘”です。窪屋とは、現在の山手地方から加茂地方にかけて、当時の備中の中心地を支配していた豪族の娘だったのです。
その人が480年代の日本を代表する美女だったのです。黒日売の流れをくむ人に違いないと思います。
その「稚媛」が、縁あって、吉備上道臣田狭の妻になります。それが、どうしてか、雄略天皇の妃になられるのです。少々長くはなりますがその辺りのお話をしてみたいと思います。