眉輪王は、安康天皇に、讒言により父を殺され、その上、母をも取られその妃にされます。ある時、その母の膝でお酒を飲んで寝てしまわれます。それを見た眉輪王は堪忍袋の緒を切らし、母の膝の上で熟睡しまった天皇を刺殺します。
眉輪王が七歳の時の出来事です。 その話は、直ちに、雄略天皇の耳に入ります。すると、天皇は、直ちに、武装して、家来を引き連れ、先ず、向ったのが自分の兄(同母)である八釣白彦皇子に問いただします。
「あなたが眉輪王をそそのかして安康天皇を殺させたのではないか」
と。その今にも刀で斬りかかろうとする姿を見て、恐れをなして、何も言わないでその場に座っておりました。その兄をその場で切り殺してしまわれます。
昨日も書きましたが、雄略は允恭天皇の第五子です。八釣白彦皇子は同母の第三子の兄なのです。それを、問答無用とばかりに一刀の元に切り殺しております。普通に考えれば、自分は弟です、どうして兄を手に掛けられるでしょうか。殺せるはずがありません。それが平然と行われているのです。まさに「大悪」そのものではないのでしょうか。
なお、彼の事を書紀には
”長而伉健過人”(ひととなりて たけくましますこと ひとにすぐれたり)
と書かれてあります。伉健とは、「おごり高ぶった行い」を云うのだそうです。これに<タケクマシマス>とブビがふってあります。兄を殺すことなで平気でやるような人だったのでしょうね。仏教も儒教もまだ日本には伝わってない長幼の序など道徳のない強の者が勝つ暗黒の時代のお話ですから。(四七〇年頃のお話で、ちなみに、仏教の日本伝来は五五二年だそうだす)