私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

我が町吉備津

2015-10-09 11:56:40 | 日記

 吉備の中心地です。「吉備の中山」「細谷川」「有木」の歌枕あり、栄西禅師、藤井高尚の生誕地でもあります。また、平家物語で有名な「妹尾兼康」「大納言藤原成親」など、高松水攻めの「木下秀長」「加藤清正」「黒田官兵衛」「蜂須賀小六」など、幕末の医学者「緒方洪庵」、現代の「犬養木堂」等の人々も此の地にその名をとどめております。

 こんな地方の片田舎の小さなん町に、名所や超有名人が名お連ねている場所は、日本全国どこを探してもありませんよ。


葛城山の雄略天皇

2015-10-09 10:00:54 | 日記

 又一時<マタアルトキ>、亦一時<マタアルリトキ>、同じ<マタ>でも、「又」・「亦」と違う字を使って天皇の行状が書かれております。その違いはないと思いますが、どうしてこの二つを使い分けしたのかは分からないのだそうです。

 兎に角、猪に追い掛けられ榛の木に駆け登ったあの葛城山に、再び、登っております。その時、向いの山にも、やはり、天皇の一行と、全く、同じいでたちをした一行が登っています。それを見た天皇は御付きの人に尋ねられます。

“於茲倭国除吾亦無王<コノヤマトノクニニ アレヲオキテ マタ キミハナキヲ>。今誰人如此而行<イマ ダレゾ カクテユクト>”
 (この大和の国には、自分の他には君(王)はいないはずだ。でも、向うの山に行列を作って自分と同じ格好をして行く人達は誰だね)

 すると、今度は向こうから、今自分が言った通り言葉が帰ってきます。それを聞いた天皇は怒って、矢をつがへます。百官の人達も夫々に矢をつがrます。するとどうでしょう、向うの人達も、全く、同じことをします。そこで不思議がられた天皇は向うの山の人に聞きます。
 「お互いに、自分の名を名乗ってから、それから矢をいようではないか」と。
 すると、向いの人が
 「私から名乗ります。私は一言主大神なり」
 と。それを聞いた天皇は、かしこみて(”惶畏”)、自分の剣や弓矢を全部はずし、来ている衣服の脱いで差し出します。