円大臣の家を取り囲んだ雄略に向って言います。
「例えこの身は殺されましょうとも、命令を聞くわけにはまいりません。古人は、匹夫(物事の道理の分からない男)ですら、その志(思っていること)を奪うことは難しい。況や尊者をや、と言っております。私はその言葉どうりの男です。どうか尊者であらせられる貴方様ならお分かりだと思います。どうぞ、私の娘子「韓媛」と私の領地を全部差し上げますから、このお二人をお許しください」
と頼みます。
敢て、日本書紀の筆者は、此の逸話の一文を挿入することによって、その索莫とした暗黒の無道徳の時代においても、なお、このような心豊かな人としての道を重んずる臣がいたのだということを、きっと、後世の人々に伝えたかったのではにかと思うのですが???
でも、その結果は「大悪天皇」で、言わずもがなです。その館に火を放ち、坂合皇子、眉輪王、円大臣等其家にいた人々は燔死<ヤケシヌ>してしまいます。その時、「焼き殺された坂合皇子や眉輪王等の死体は、どれがどれか分からないように、そこら辺りに散乱していた」と、記されておりますから、相当激しい荒々しい雄略天皇側からの猛攻があったのではないかと想像されます。それも又、此の天皇の悪名を高めた一因になっていたのです。もう一度書きますが、この雄略天皇は允恭天皇の第五番目の皇子です。