雄略天皇は市辺押磐皇子が次の天皇になるかもしれないと心配してその暗殺を考えます。その計略を書紀には
”陽斯挍猟”
と、たった4文字を使って説明しているのです。
<イツワリテ ミカリセムト チギリ>
と読ませております。驚いたことに、この「陽」に<イツワリテ>とルビが附ってあります。辞書によりますと「陽狂=きちがいのふりをする」や「陽言=いつわっていいふらす」「陽眠=ねたふりをする」「陽死=死んだまねをする」等の言葉があり、いずれも、「いつわり」を意味しています。
この偽りを意味する「陽」には、あの太陽の陽から想像する思いとは、随分とイメージの違った使い方をしているのです。目からうろこでした。
それにしても、漢字のもつその不思議さと言ってもいいかも知れませんが、その奥が大変深い事が分かり、益々漢字が好きになり、昔の中国人の感覚的知覚能力の素晴らしさに驚かさせられますよね。現代の中国人にはまねできないような人のあり様を幾通りにも考え、夫々を多方面から考察していくという、ヨーロッパ式の合理的一元的な物の考え方でなく、ものすごく幅の広い多元的であるという言葉では表せないような物の見方によって、主義ではなく、経験的実践的でもない、神秘的だとしか言い表せないような物の考え方によって、物事の真髄までを見極め考察していたのではないかと思われるのですが、どうでしょうかね。
こんなこと書いている私って、狂っている80老人でしょうかね。可笑しいのでしょうか。誰かコメントをしてください。お待ちしております。