「またある時」<亦一時>という書き出しでその歴史が書かれております。
なお、古事記には、雄略天皇ことを「大長谷若健命」と、また、書紀には「大泊瀬幼武天皇」と書かれております。蛇足になりますが、この二つの「若健」「幼武」から鉄剣に描かれた文字“獲加多支鹵”を雄略天皇と断定したのです。
さて。亦一時です。雄略は美和河に「遊行」されます。美和河とは三輪山の裾を流れる三輪川で、初瀬川のことです。遊行とは、宣長は<アソバシツツ>と読ませており、何となく目的もなく唯その辺りをぶらりと散策したという位に解釈しているようです。
そこで大変美しい少女に出逢います。それがこの物語の始まりです。
話は違いますが、万葉集の、一番、最初に出ている歌は この雄略天皇の御歌です。
籠もよ、み籠持ち、
掘串もよ、み掘串持ち
この岡に 菜摘ます児。
家告らせ。名告らさね。
そらみつ 倭の国は
おしなべて 我こそ居れ
敷きばべて 我こそ坐せ
我こそは 告らめ
家をも 名をも
此の歌と三輪川のほとりで出会った美しい少女と何か関係がありそうですが、その辺りのことは誰も言明してはいません。よく分からないのでしょうかね???誰が教えてくださいませんか??