天皇が、その老女に、「あのとき一緒に寝ておればよかったのに」と、歌います。それを聞いて老女も過去を振りあえって涙しますが、思い返したように、歌を返します。そこらあたりは、それまでに多くの人生経験を積んだ女性です。余り恨みがましくもなく、さらっとした歌にしております
“日下江の 入江の蓮 花蓮 身の盛り人・・・・”
と。
「日下江の入江に今を盛りと咲いている蓮の花。その蓮の花のような若き乙女たちを見れば、老いた自分の昔が、随分と、羨ましいことですよ」
この「羨ましいことですよ」が。古事記には“登母志岐呂加母“と書かれております。なお、「呂」は助辞です。「ともしきかも」で、「羨ましい」というぐらいの意味になります。
これ等、天皇や赤猪子の詠んだ歌は、皆、「志都歌」で、怒り猛けているような自己表現ではなく、淡々と今の自分を素直に語るような誠に静かなる歌、「志都<シズ>歌」ですと、古事記は改まって断っております。
なお、老女「赤猪子」に対して、雄略天皇は、大層な贈り物をして、“多禄給<モノサワニタマヒテ>”、日下江に帰らせています。ハッピーエンドなお話になっております。