「清明」を「あきらけくこそ」と読むのだと書いたのですが、早速、例のお小言です。
「なにゅう いよんなら、そげえなよみかたを しょうるもんは ひとりも おりゃあへんど。」
と。手厳しくお叱りです。それに付いて次のような説明がありましたので書いておきます。
彼は云います。あの「万葉集代匠記」で契沖は、「清明己曾」を<スミアカクコソ>と。また、武田祐吉は<キヨクアカリコソ>、小学館の万葉集①では<サヤケカリコソ>と、更に、他に<サヤニテリコソ><キヨクテリコソ><キヨクアカカリコソ>など、此の字は大変多くの読み方があるのだと教えていただきました。
日本語と云うのは本当に面白いものではありませんか。そうお思いになられませんか????
しかし、今、問題にしているのは古事記にある
“汝心之清明何以知”です。
ここでは、やはり宣長の、「阿加伎<アカキ>と訓べし」と、これしか他の読み方はないという説が一番いいように私は思うのですが???
それにしても、今国会で問題になっている豊洲や森友学園の問題を、一刻も速く、「清明」にしてもらいたいものですね。この場合はどの読み方が一番適切でしょうかね???「あっさりと清く何事も明らかに」してほしいと言う願いを込めて
”キヨクアカカリ”
と、読むのが、私は一番いいのではと思うのですが、皆さんはどうお思いですか????