ご存じ。「百人一首」にある清少納言の歌です。今、話している「孟嘗君」の故事に由来した、大納言行成との機知に富んだやり取りとして詠まれた歌です。
”夜をこめて鳥のそらねははかるともよに逢坂の関はゆるさじ”
この歌の意味は
「昔中国の斉の孟嘗君は、深夜ながら、鶏の鳴き声を立て函谷関の門を開けさせたのですが、私は逢阪の関ように、いくらあなたが「愛している」と言われても、決して、私の家の戸口は開けることはしません」
です。
平安中期の時代(1000年頃)です。清少納言は、中国の歴史書「史記」が出来て、既に、14、500年は経過していたはずですが、そこに書かれて内容を彼女たちは十分に熟知していたのです。
当時、清少納言が見た「史記」とはどのようなものだったのか、またまた私の自慢の「史記」(明治15年に出版された東京「鳳文社」の「史記評林」)をお見せします。
平安中期には、ここに見られるようなレ点も何も、まだ、付いてはなかったと思われますが、どのようにして、この漢文を、清少納言は読んだのでしょうか。なお、ここに見える函谷関の故事は詳しく明日にでも