古事記にも、「スサノヲ」が高天原に来て、何も悪事を働かない証拠となる心を示すようにアマテラスが要求しますが、それを「清明」という言葉で言い表わしております。それに対して、日本書紀ではどのような言葉を使って書いているのか調べてみました。そこには
“遠自來參。不意、阿姉翻起嚴顏。于時、天照大神復問曰「若然者、將何以明爾之赤心也。」”
と出ております。
“「遠くからやってきた私は思いがけなく姉上の厳しいお顔を拝見して、大変、驚いております。」と、スアノヲは言います。それに対して、アマテラスは言います。「しからば、高天原に来ても、決して、悪事は働かにという、お前の赤心<セキシン>は何を持って証明しますか」と。”
「將何以明爾之赤心也。」です。ここに書かれている「赤心」とはどんな心でしょうか???・古事記の「清明」とどう違うのでしょうか。「赤心<セキシン>」とは、辞書によると
「まごころ。誠意。丹心。赤誠」
とあります。
記紀にあるこの二つの言葉を比べてみますと、この時の予期せぬ、姉「アマテラス」からの言葉やその厳しい顔つきから、スサノヲの驚きの心を推し量ってみますと、書紀の言葉「赤心」の方がより的確その場の雰囲気を言い表しているのではないかと、私は書紀に軍配を上げたいと思うのですが???どうでしょう。