余り急ぐこともないので、この時、船上でお生まれになった大田姫皇女の姫「大伯皇女<オオクノヒメミコ>のその後に付いて歴史書の伝える事を書いてみます。
その当時の天皇の相続に関する因襲として、出来るだけ血筋の濃い方が、継承に当たって、より正当性が高いとされていたすです。その為に近親結婚が多く見られたのだそうです。(これは日本だけに見られたものではないのだそうです、エジプトなどでも見られたと言う。。この時の天皇は女帝「斎明天皇」です。その皇子に「中大兄」と「大海人」の兄弟がいました。その「中大兄」の娘に「大田皇女」と「鵜野皇女」がいましたが、この二人とも「大海人」の妻となったのです。今ではとても考えられない皇族の婚姻制度です。
少々複雑になるのですが、661年1月6日には「大田皇女」に「大伯皇女」が、吉備の国「大伯海」の船上で、お生まれになります。その翌年662年には、今度は、「鵜野皇女」に「草壁皇子」が、さらに663年には、今度は、「大田皇女」に「大伯皇女」の弟「大津皇子」がお生まれになります。なお、此の時「中大兄」にも「大友皇子」が織られたのです。
以後、話がこんがらがってきますので、先ずこれだけ頭に入れておいてください。これから以後、何やかやと利害がからんできて、見醜い近親相剋の争いが展開されるのです。十分に、ご存じだとは思いますが、私の頭の整理の関係で、そこら辺りの物語を、少々、書いてまいりますのでよかったらお読みください。