私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

スサノヲは言います。

2017-09-25 18:38:33 | 日記

 「憎々しき奴オホクニよ、お前の妻となった私の娘須世理毘売と二人で、まず、

         “宇迦野山之山本。於底津石根宮柱布刀斯理<ウカノヤマノ ヤマモトニ ソコツイハネ フトシリ>” 

 宇迦山の山元に ソコツイハネ、底深く穴を掘って、そこに 大きな宮柱を打ち立てて巨大なる神殿を建てて、そこで、出雲の国を治めなさいと言われたのです。そして、なお、スサノヲはいいます。その宮殿の大きさは

        “於高天原ヒ椽多迦斯理<タマガハラニ ヒギ タカシリ>”

 高天原に届くような高い千木を備えた立派なん宮殿を建てなさい、と。

 

   


“嫡妻に・・・・”

2017-09-24 07:22:04 | 日記

 スサノヲは なおも憎々しげに”呼謂<ヨバヒテ ノリタマはク>”のです。

     “我之女須世理毘売為嫡妻而。於宇迦山之山本。・・・・”

 と。<アガムスメ スセリヒメヲ ムカヒヒメトシテ ウカノヤマノ モトニ・・・・>この“嫡妻”ですが、これを<ムカヒヒメ>と、読ましております。日本書紀には正妃<ムカヒメ」です。正式の妻で、第一夫人を意味します。 


また、オホクニに

2017-09-23 07:45:11 | 日記

 「オホクニ」は、「意禮<オレ>」と、黄泉比良坂から憎々しげに「スサノヲ」に呼びかけますが、それ以前の名前が

                        “大穴牟遅神<オホナムヂノカミ>”

 だったのです。「刺国若比売<サスクニワカヒメ」が生んだ子供です。
 でも、その時スサノウは「オホナムチナ」に向かって、

               ”為大国主神<オホクニヌシノカミと ナリ>為宇都志国玉神而<ウツシクニタマノカミ トナリテ>”

 と、で呼びかけます。この時から、所謂、「オホナムチ」が「オホクニ」という名前に変わるのです。天照大神の弟であらせられる「スサノヲ」から授けられた貴い名前だったのです。此の時に、スサノヲは、もう一つの名前、「宇都志国玉神」も授けらます。この「宇津志<ウツシ>」は「顕」で、出雲の国を言います。その出雲の国の「魂<タマ>」となって、主となっって、その地を治めよ、と言われたのです。その「魂」に「玉」という字をあてたのです、「主」と同じ意味なのです。

             「お前を出雲の国の主神にします。」

 と言うスサノウヲの詔だったのです。

 なお、言わずもがなですが、この「大穴牟遅神」は、日本何処にでにも見られる神様ですが、私の町の吉備津神社の末社「一童社」にも、どうしてかは分からないのですが、祀られております。

                              


枕草子の「おれ」について

2017-09-21 20:03:15 | 日記

 もう一度書きます。

          “郭公、おれ、かやつよ

                       おれ鳴きてこそ、我は田植うれ” 

 とです。

 「ほととぎすよ!!!おのれが、そうだおめえが、そんなに激しく鳴くから、私たちが田植えをしなくてはならないのだ。此の憎たらしい鳥めが」

 という、ホトトギスにかこつけて当時の早乙女たちが唄ったじゃれ歌「労働歌」なのです。これを清少納言が賀茂神社に参る時に聞いて書いているのです。

 でも、その歌は、「郭公」が大好きだった清少納言にはとても聞くに堪えないような歌に思えたのです。それが「憎けれ」です。では、どうして、郭公は田植えをする女性にこのように毛嫌いされたのでしょうか。それは藤原敏行の詠んだ歌に由来されます。

                        ”いくばくの 田を作ればか 郭公 しでの田長(たおさ)を朝な朝な呼ぶ”

 です。
 田植えの時と郭公が鳴く時が一緒で、その鳴き声が、「はよういねうえねえ」と鳴いているように聞こえて、乙女たちの田植えを指揮する村長さが頻りに田植えを催促するようになるので、そのために、あの烈しい労働の田植えをしなくてはならなくなるのだ。その原因がひとえに郭公にあるのだと、憎々しく思って詠った歌です。

 その「うれ」が古事記にある「意禮」なのです。寄り道をしておりますが、よければお読みください。


「いとつろう、情けれ」。早速、「これって、おかしいよ。」との御忠告あり・・・

2017-09-21 07:56:00 | 日記

 昨日、書いた枕草子「209段」ですが、その最後に

                     “いとつろう 情けれ”

 と書いてしまいました。早速、例のお人から「情とは、なんでえな。まだ、このほかにもちごうとるところがあるんじゃが」 とご親切なるご注告をいただきました。そうです。「情」ではありません。

                    “憎けれ”

 です。要するに「郭公を悪く言う人達が憎くくて仕方無い」というのですから、情では意味が通りませんよね。

 なお、この他にも、「いかなるにかあらむ。」を「あ<る>らむ」と、また、「おれ鳴きてこそ」が「お<の>れ・・」ともご指摘いただきました。「おれ」について説明している場合なのに、こんな過ちをするなんてと、少々自己嫌悪に陥っております。この郭公を「おれ」と言わしめた原因については、今日はこの訂正文をこれだけ書くにも大変苦労しておりますので、また明日にでも。