スサノヲは、いつの間にかそうなったのか分からないのですが、タルキに結ばれていたご自分の髪の毛を、怒り心頭に達していたのでしょうが、一本一本解きます。時間は相当かかったはずです。その間に、オホクニとスセリヒメとは、手に手を取ったのじゃありません、オホクニが背負って黄泉比良坂を越え顕国<ウツシクニ>に来ております。その時、ようやくスサノヲは比良坂まで二人を追いかけて到着します。でも、スサノヲは黄泉の国の人です。二度と再びこの坂を越えることはできません。悔しくてなりませんがどうすることもできません。まして、娘「須世理毘売」もオホクニと一緒です。
ここで又、一つ分からないことが????此の時、どうして、黄泉の国の住民であるはずのスセリヒメがこの坂を越えられることができたのでしょうか、オホクニは顕国の人ですから、当然、あの「イザナギ」と同じように黄泉の国から立ち返れるのですが。そこで、私のその理由を???
黄泉の国に居て、再び、黄泉比良坂を越えられるのは、かって、「イザナギ」が「イザナミ」から逃げ帰ったよう時のようにその例は無きにしも非ずなのですが、それ以後、再び、「ヨミガエル」ことが出来たのは、このオホクニとスセリヒメの二人だけです。このように黄泉の国から比良坂を越えて顕国に戻ることは至難の業なのです。だとすれば、当然に黄泉の国で生まれ育った「スセリヒメ」は、決して、此の比良坂は越えることはできません。そこで、オホクニは考えたのでしょうか、自分と一身同体になっておれば、スセリヒメだって、案外簡単に越えられるのではないかと。それで、手に手をではなく、やむなく「セスリヒメ」を背中に背負って駆け抜けたのです。すると、易々と難なくこの坂を越えることが出来たのです。???。案ずるより生むが易しです。顕国に来ることができます。そこでやれやれとオホクニはセスりヒメを脊中から降ろします。『肩の荷が下りる』という言葉は此の時から使われ始めます。
その毘売を顕国の土地に降ろしたその時にスサノヲは比良坂の向こう側に到着します。それを
”遥望”
と、たったの2文字を使って書き表し、<ハロバロニ ミサケテ>と読ましております。坂の上まで上がって、向こう側に逃げ込んだ二人の楽しそうな様子を見られたのでしょうか。でも、スサノヲはその坂は越えることはできません。あきらめざるを得ません。すると、オホクニに対する怒りが不思議ですが何処かえ消え去り、「どうか娘をそちらの国で安らかに暮らしてくれ」という父親としての娘に対する思いに駆られたのでしょうか高らかに叫びかけます。