『いじめで遊ぶ子どもたち』(村山士郎著)を読んで
◎大津の自殺事件
発行日より早く、著者から本が届いた。作文教育の先達であり、「子どもの心の声を聞け」といじめ問題等を深く研究されてきた村山氏からであった。受け取ってすぐに読ませていただいた。
それは、大津の自殺事件を契機に、いじめ問題が大きな社会問題にはなったが、報道の真実性にも疑問を感じたし、論議されてきた中味にも腑に落ちないものをずっと感じてきたからだ。
もっと本当のことを知りたい。自殺に追い込まれた少年の悲痛な叫び、そして加害少年たちは何をしたのか、なぜそういう行動をしたのか(いや、追い込まれたと私は考えているが)、その背景の真実を知りたい。そこからしか解決の道は見えてこないじゃないか。なのに真実が隠蔽されて喉元過ぎれば消えていく。これだから繰り返されるのだと怒っていた。それに、解決は警察に?学校は無力なのか?ともどかしかった。
一つ一つ納得しながら「そうですよね」「そうなんですよ」と問題を整理しながら読ませていただいた。
村山氏は1985年の青森の中学生の自殺事件の時、現地に赴き、仏壇の下の引き出しに入れられた遺書をわが目で読み、母親からわが耳と心で聴き、そこから教育学者として発信し続けてこられた。
話は少しそれるが、先日亡くなった流通ジャーナリスト金子哲雄の『僕の死に方』という本を読んだ。「死を生きた」という壮絶な本だが、それにもまして、庶民の暮らしの最先端、スーパーに直接足を運びわが目で見た事実から暮らしに向け発信し、経済の本質をみてきた。その哲学がまたスゴイ。
そうなのです。子どもの中で起きている問題は、子どもの中に入って本当の声をつかみ、彼らを追い込んだ背景にメスを入れないでは本物の解決にはならないのだ。だから、隠蔽することが最も罪なのだ。
◎病理的いじめの背景
村山氏は、大津の事件の加害者たちの行動には「サディスティックな病理」がひそんでいると分析する。「万引きとかお金の要求で蟻地獄のように追い詰めて、さらに体の自由を奪って暴力をふるい、それを携帯動画で撮り抵抗する意志を奪っている」。これを見て「やったー撮れたー」とはしゃいでいた少年たち。さらには「辱めを与え、人間性を踏みにじるさまざまないじめ行為」を繰り返してきたのだ。
そして、最後には「いじめを執拗に繰り返しながら自殺に追い込もうとする意図が見えている」。それをゲーム感覚でやる病理的な言動――いったい何が彼らをそうさせるのか。
氏は、その背景をこう分析している。
①学力競争に組み込まれ、時間的にも精神的にも圧迫、そこからくるイラダチやムカツキ、不安感や抑圧感
②家庭でも学校でも「よい子」であることを求められ、抵抗すると「見放される」という不安感
③消費生活の中での欲望の肥大化。欲望が満たされないとすぐにイラだちムカつく
④テレビゲーム、携帯に振り回され、「睡眠時間が削られ、体に疲労が蓄積」し、そこからくる「いらいら」
⑤格差社会の進行が、子どもの生活に影響。家庭の経済的・文化的環境悪化が安定、安心を脅かしている。社会に夢や希望が持てなくなっているのだ
「こうした不安感や抑圧感を他者を攻撃することに向けているのがいじめ現象」なのだと分析している。ならば、いじめ現象だけの問題ではないじゃないかと問題提起している。
◎いじめ解決のために
そして、終章で、いじめ解決のために社会は何を、学校は何をどうしていけばいいのかが提起されている。
いじめの早期発見のために、教師と子どもの信頼関係をどう築くのか、とりわけ「子ども理解のカンファレンス」の必要性を問うている。
子どもが胸の内と事実を綴る作文教育の大切さも強調されている。
さらには、いじめ論議に、子ども自らが参加し、父母も参加する視点が大切だと。そして、子ども自身がいじめ解決の主体者になっていく取り組みを励ましていこうと結ばれている。
私自身が経験してきたいじめ解決のすじ道と重なり、納得しながら読ませていただいた。
(とさ・いくこ 和歌山大学講師・大阪大学講師)