まいど、日本機関紙出版です。

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『ここまでできる! ホームヘルプサービス』、校了しました!

2010年03月18日 | ただ今、編集作業中の本

 介護の現場で今、必要な本です。本日、校了しました。

 制限だらけの介護保険サービスの現状に対して、こう考えれば、こうすればもっと利用者の気持ちに沿ったヘルプサービスが提供できることを、現場のヘルパーさんの目線で明快に解説しました。現場で直面するさまざまな実例について、大阪社保協の介護保険専門家がアドバイスします!

 すでに大阪社保協にはうれしいことに、多くの予約がきているそうです。今月末には出来する予定です! 初版部数3000部で、ドーンといきます。

クリックで拡大できます。

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「なぜミケは山に登るのか」~『山登りねこ、ミケ』紹介記事

2010年03月17日 | 書評・紹介記事

『信濃毎日新聞』(3月14日)に『山登りねこ、ミケ』(岡田裕著)を紹介いただきました。ありがとうございます。


『信濃毎日新聞』(2010年3月14日)より

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読み書きはいつから? 子どもの育ちには順序がある~子どものまなざし 32

2010年03月16日 | 土佐いく子の教育つれづれ

 「もうすぐ幼稚園に行くので、字を教えようと思っています。どんなふうに教えたらいいでしょうか」と尋ねられて、年齢を聞くと3歳になったばかりだというのです。

■文字獲得の前提
 焦らなくてもいいのです。文字獲得の前提となるさまざまな土台になる力が育っていない段階で、文字を教えこむなどするとかえって障害にすらなりかねません。
 土台になる大切なことは、どんなことでしょうか。

 まず一つ目は、話しことばが豊かに育つこと。4歳頃に話しことばが一応でき上がるといわれています。5歳半頃になると、自分のしたこと、見たことなどがある程度、筋道立てて相手に話せるようになっていきます。この育ちを待たずして、いかに文字を読むか書くかなどは、問答無用というところでしょう。

 話しことばが豊かになるためには、ごく日常の生活の中でいろいろな体験をして、それをことばにすることが大切です。ことばになるためには、よい聴き手が必要です。たどたどしくしゃべる子どもの目をしっかり見て、ふんふんとうなずきながら聴き、共感してやりたいです。

 同時に、自分を絵で表現したり、身ぶり手ぶりで自分の想いを表現するという活動がとても大切なのです。絵にお話がいっぱいあると一層うれしいです。丸が3つあるだけでも、子どもはそこにたくさんの話を詰め込んでいます。たくさんおもちゃを買うよりも、白い紙とパスや鉛筆を与えたいものです。

 二つ目は、文字の形が描けるようになるには「形を描く力の発達」が必要なのです。

 ぐるぐるのなぐり描きから始まり、3歳では丸が描けるようになり、横線と縦線を十字にしたような形が描けるようになっていきます。4歳頃になると四角い形が描け、5歳にもなると三角も描けるようになります。

 いろいろな形や線が描けるようになって初めて、文字という形が書けるようになるのです。だからと言って、三角や四角を描く練習をさせるのではありません。

 身体を動かす運動や折り紙、ハサミを使う活動や粘土遊び、あやとりなど手をしっかり使う活動を十分にすることで、形を描く力が育っていきます。

 三つ目には、文字に対する興味や関心が出てくるということが大切です。
 親子で読み聞かせを楽しんでいると、自然にことばを覚えたり、「この字何?」と興味を持ち始めます。ただし、本の読み聞かせを、文字を覚えるためや知識を与えるためにするのは本末転倒で、かえって読書嫌いにさせます。本は楽しいと感じれば、結果として、文字への関心が生まれてくるのです。

 身近にある文字が読めるようになることで、新しい世界と出会ったり、まわりのできごとに意味づけができるようになっていきます。これが文字を覚えるおもしろさと意欲になっていくのです。
 私なども働きながらの子育てで、子どもより帰りが遅いことも多いので、よくお手紙を書いていました。

「めだかのあかちゃんがうまれて、うれしいなあ。えさをわすれないであげるんだよ」

 文字が生きて働くという体験が大切です。折り紙が大好きだった次男は、新しい折り紙が次々したくて、説明の文字を何度も聞いては挑戦。いつのまにか文字を覚えました。

 だから私は、無理矢理教え込むのではなく、興味を持って聞いてきたら自然に教えてあげればいいと思っています。

 そして、読めたらすぐ書かそうなどと、これまた焦らなくていいのです。文字を学ぶ土台がつくられていったら、書くことは、小学校に入学したら急速に覚えることができるので心配はいりません。

 反対に今気がかりなのは、文字の読み書きはできるのに、話が聞けない、自分のしたことや思いがことばで表現できない、絵が描けない、全身運動や手の機能が育っていないという子どもたちです。子どもの育ちには順序があるのです。そこを無視した悪しき「早期教育」に落ち込まないよう心したいですね。

(とさ・いくこ 中泉尾小学校教育専門員・大阪大学講師)

*参考文献『小学校までにつけておきたい力と学童期への見通し』丸山美和子著

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ミケ本を全国区に!

2010年03月15日 | 編集・営業ふらふら雑記

 今日は出庫・納品・発送・注文応対の1日でした。

 「ミケ本」が昨日の『信濃毎日』に紹介されたことや、新聞広告の効果が表れてきたのか、注文の電話、FAXがいつになく多くありました。読者層がこれまでの中心であった著者&ミケの知り合い関係から、いよいよ一般読者の方たちに広がってきているように思います。まだまだ信州エリアの比重は大きいですが、なんとしても全国区の本にしていきたいと、決意新たに燃えています。(笑)そろそろここらで、新刊委託部数を半分に減らされたリベンジを果たさねば!と誓うのであります!

 どうか全国の書店のペット本ご担当者のみなさん、『山登りねこ、ミケ』をどうか置いてやってくださいませ。きっと売れます。また、全国の猫好きのみなさん、どうかこの本を読んでやってください。読むとほんわかした気持ちになりますよ。さらに、この本をお読みいただいたみなさん、どうか周囲の人たちにこの本をお薦めください。ぜひよろしくお願いします。

 ところで、電話注文された方から「三毛猫だからオスではなくてメスの間違いでしょ?」という指摘があったらしいですが、いえいえ、ミケは立派なオス猫なのです。その証拠もあり、本書で示しています。獣医さんのお墨付きです、ハイ! そうなのですね、オスの三毛猫はやはりとても珍しいのですね。

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『山登りねこ ミケ』の読後感、著者に続々届く! その12

2010年03月14日 | 岡田裕の山登りねこ、ミケ@安曇野

「ミケ本」を読まれた方から、さらに引き続き著者の岡田さんに感想が届いています。

●これからも岡田さん、さよさん、ミケが元気に登山し続けて、二冊目の本、マンガ、ドラマ、映画…楽しみにしております。(白馬村、20代男性)

●平安堂でミケの本を買って読みました。岡田さんらしくて面白かったです。(安曇野市、40代女性)

●ミケはすごいです。(高槻市、60代女性)

●この本を見ると癒やされます。(大町市、40代女性)

●娘や孫と回し読みしています。岡田さん御夫妻のミケ君への愛情の深さはもちろんのこと、御夫妻の仲の良さも手伝って、ほのぼのとした気持ちになりました。これからもミケ君との楽しい山登りが続いていきますように願っております。(高槻市、60代女性)

●すてきな御本をありがとうございました。
知っているはずのミケちゃんが何倍にもお利口で人間以上に人間らしく思えてきました。これから長い年月、大事に大事にしてやってください。(北安曇郡池田町、60代女性)

●気負いがなく暖かい気持ちにさせるなあと感心しました。千円なので分量はこんなもんかも分かりませんが、気持ちとしては息子さんたちとの触れ合いなどのエピソードがもっと知りたいと思いました。ぜひ、ベストセラーを!(神戸市、50代男性)

●写真を見ているとミケに一度会ってみたくなりました。家の嫁さんもネコ好きなので、お気に入りで見ています。安曇野のガイドブックで包装してあるところが岡田さんらしいですね。(長野市、40代男性)

●自信をもって人に勧められる本でした。岡田さんの、そしてミケを囲む家族の人生をある意味語っている報告書です。行間にその人柄を伝える素晴らしい本でした。カットも効いています。飾り気なしの文体も素直に心に響きます。だからこそ沢山の人にこの本が届くことを願っています。(茨木市、60代男性)

 

 

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大正区戦跡ウォーキングに参加しました。

2010年03月14日 | 行事のご案内&報告

 昨日は大正区の戦跡ウォーキングに参加。午前9時にJR大正駅に集合、『毎日新聞』にも案内記事が載っていたらしく遠方からの参加者もあって18人で出発。

 1番目のポイントは駅からすぐ近くの大正橋。川を挟んで目の前に大阪ドームが見える。大正区には第1次世界大戦で捕虜になったドイツ人たちを収容した大阪俘虜収容所があったのだが、そのドイツ人たちに因んで作られたと言われているのがこの大正橋のベートーベンの第九交響曲「歓喜の歌」の楽譜の付いた欄干だ。歩道はピアノの鍵盤、縁石がメトロノームになっている。


五線譜にト音記号から始まり音符をたどると「歓喜の歌」になる

 続いて大正橋の西詰めの「大地震両川口津波記」石碑を訪ねる。戦争とは関係ないが1854年の大地震で安治川、木津川の両川口に巨大津波が押し寄せた教訓を記す場所だ。

 大正橋の反対側を渡り戻り、駅裏界隈の沖縄関係居酒屋密集地域をくぐり抜けて八坂神社の境内に到着。八坂神社は木津川に浚渫など大阪の水利確保に尽力した中村勘助が京都祇園の分霊を祭った神社で、大阪大空襲を生き残って樹齢370年の銀杏の木がある。現在はその孫に当たる若木が成長し時代の流れを感じる。


銀杏の木を通して東を向いて遙拝した

 木の裏側には戦中の紀元2600年祭を記念して建てられた巨石を丸く穿った遙拝所がある。ガイドの説明を受けていると神社の宮司さんがやってきてさらに詳しくこの神社の歴史や昨今の神社経営についても話された。なんと2000年~3000年前の大阪は今の上町台地とこの神社のある姫嶋という場所(島だった)しか無かったということらしい。それ以外は沼地か海ばかりだったそうである。なお神社の裏に1917年建てられ、これ戦災を生き延びた中村勘助の功績をたたえる彰徳碑がある。

 八坂神社の次に向かったのは「近代紡績発祥地記念碑」の建つ三軒家公園。1883年操業開始の大阪紡績(東洋紡の前身)の発祥地だ。渋沢栄一の呼びかけに華族、財界有力者、在阪綿関係業者が出資、世界最大規模の紡績工場がここに生まれた。昼夜2交代制、大阪で初めて電灯を使うなど日本の紡績を象徴する工場だった。

 しかし労働者にとっては厳しい労働環境だった。少女・年少者を問わず徹夜業を含む12時間交代制、監視付きの不衛生な寄宿舎生活、粗悪な食事と残虐な体罰と貞操を犯すこともいとわない労務管理、前借金制度による賃金の強制天引きなど。1892年の寄宿舎全焼事故では大勢の女工たちが鍵のかけられた部屋から逃げられずに犠牲になった。


当時の大阪紡績工場

 その後大阪紡績は合併を重ね巨大化、3000近い従業員数になる(女工たちがほとんどでその多くは沖縄や奄美出身者たちだった)東洋紡三軒家工場に発展、労働組合も結成される。劣悪な労働環境や寄宿舎生活、低賃金に対する怒りは強まり、提出した要求書を拒否する会社に対する怒りが爆発、ストライキ決行へと機運が高まったが、暴力団や特高に率いられた警察隊により潰されている。

 一通りの説明の後、なぜ大正区に沖縄出身者が多いのか? この疑問に対して近在の真栄田義且さん(沖縄平和観光センター)にガイドしていただき、次の場所に向かった。

 三軒家公園を出て今度は平尾亥開公園に向かい、大阪俘虜収容所跡碑について説明を聞く。1914年、第1次大戦のドイツ軍捕虜を収容するために大阪府警察部の隔離病棟だったものを転用して作られた捕虜収容所である。1917年の閉鎖まで760人が収容されていた。捕虜に対する扱いは朝夕2回の点呼以外に労働は特になく、捕虜たちは演劇、音楽、スポーツなどを楽しんで過ごしたという。解放後日本にとどまり永住したものも多く、神戸のバームクーヘンで有名なカール・ユーハイムもその一人であった。


当時の大阪俘虜収容所


黄色のフェンスから煙突に向かっての一帯が収容所だった


収容所生活の一コマ

  続いて訪れたのは南恩加島小学校の一六地蔵尊。大阪大空襲が迫った1944年9月、大阪市立南恩加島国民学校3年生の29人が徳島県美馬郡貞光町の真光寺に集団疎開、ある夜のこと、漏電による火災で16人が犠牲になった。戦後間もなく同寺内に慰霊碑が建立され、2003年1月に小学校内に作られたのがこのモニュメントだ。校門前の説明だけで休日のため中に入れないと思っていたが、ダメもとで守衛さんにお願いすると見学させてもらうことができた。


モニュメントの壁面に犠牲となった子どもたちの銅版画が埋め込んである

 大正区南端の埋立地に作られた木津川飛行場跡を訪ねるため小雨ぱらつく木津川運河を渡る。一体は中山製鋼所の巨大工場地帯になっている。私たち以外にほとんど人の姿は無い。トラックが行き交う道路端を歩いて木津川に架かる橋の入り口となる巨大ループを過ぎた辺りに記念碑がある。1929年近代大阪の玄関口として開港、東京、福岡、四国などに就航した。しかし、交通の便の悪さや航空環境の悪さからその役割は八尾空港や伊丹空港に引き継がれ1939年に閉鎖された。


現在は工場になってるが当時の格納庫をそのまま使用したと思われる

 隣の住之江区のことであるが、関連説明の中で木津川を挟んだ川縁にあった藤永田造船所についても話が及んだ。江戸時代に船大工として創業したこの造船所は1929年海軍の指定工場になり数多くの駆逐艦を建造した。その最盛期には1万6千人の労働者を抱え、その中の約半数が朝鮮人や中国からの強制連行、さらに連合国の捕虜たちであったと言われている。

 さて、最後の訪問場所の日本ゼネラル・モータース跡地に向かうには再び木津川運河渡らねばならない。わずか1分ぐらいだが渡船に乗る。川の多い大阪の街ならではの景色である。渡ったその先すぐがその跡地であった。GM車の販売は大正時代から梁瀬自動車が行ってきたが、フォード社が横浜に工場を造ったことに対抗してできたのがこの「日本ゼネラル・モータース社」だった。各地での誘致合戦の中、大阪市の出した破格の好条件が決めてとなり、この地で1927年に操業を開始したが、太平洋戦争開始で操業は中止された。


この一帯にGM日本工場があった


当時の大正区地図にも記されている

 1929年には労働者の解雇を巡って39日間の歴史的長期争議がたたかわれている。『治安維持法とわたし 戦前編』(日本機関紙出版刊)の著者、桑原英武さんは当時18歳でこの争議の専属プリンター(闘争ニュースの印刷工)としてアジトを転々としたと回想している。

 以上、大正区戦跡巡りレポートでした。(おしまい)

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信州地域の書店様へ… 切なるお願いです。

2010年03月12日 | 岡田裕の山登りねこ、ミケ@安曇野

『山登りねこ、ミケ』(岡田裕・定価1000円)がこれから信州圏内のマスコミなどで紹介されていく予定です。著者在住所の近くにある平安堂あづみ野店さんでは先週と今週の売上ベストに入っています。注文案内書をFAXでお送りしましたので、ぜひとも店頭在庫よろしくお願いしま~す!

 現時点で紹介いただける、あるいは取材予定の媒体は次の通りです。

 『信濃毎日新聞』(3月14日号)、『市民タイムス』(既に取材済みで2回予定)、雑誌『パプリカ』(既に取材済み)、地域誌『安曇野通信』、『読売新聞』、ミニコミ誌『信毎タウン』、地域誌『大糸タイムス』、『長野朝日放送』、『信州日報社』など。

 ほかにも全国向けの雑誌や新聞、まんが誌などでも取材・紹介される予定です。

 こんなチラシをFAXしましたので、どうか無視して捨てないでください(笑)。紙代使わせてすみませんが、どうかよろしくお願いします。

 

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あれ? 納品先が…

2010年03月12日 | 編集・営業ふらふら雑記

 ある教育書関係の取次帳合の書店から注文があったので、すぐ近所にあるその取次の大阪支社に納品に向かった。ところが、なんと、閉鎖されているではないか! あれ? おかしいなと思いながら駐車場フェンスの鍵の部分を見ると、「こちらに移転しました」とビニールファイルに挟まれた案内書が風に吹かれてゆらゆらと揺れている。見ると移転先は港区になっている。はあ? ずいぶん遠い場所だ。納品先は某大手運送会社倉庫になっている。そういえばある情報では某大手N取次との合併話があるとかないとか言われていたが、もしかしてこれはその布石の1つか、などと勘ぐってしまう。

 ところで、この取次への納品注文は時々しかない。しかも1回の納品が1冊や2冊なのである。でも電話やFAXで注文があると「必ず搬入はいつですか?」と聞かれるので、「いついつに納品します」と答えなくてはならない。答えたら必ずその日に納品することになっている。そうしないと特にお客さんの注文品場合は、書店さんに迷惑がかかることになる。たとえ1冊の注文でもだ。うーん、港区かあ、自転車では行けないしなあ…。送料がかかるなあ、受領書の返信用切手要るしなあ、などつい考えてしまう。

 例えばある日、1冊の「ミケ本」を受注したとしよう。まあ、それ自体はありがたいことで結構なことなのだが。問題はここからだ。この取次への卸価格は700円。送料が往復で290円。つまり1冊売れれば410円の収入になるが、本を作る固定費が初版の場合は定価の約30%~35%なので、そうすると正味の利益は少なく見積もると60円しかない。ここから印税・編集・営業経費などを捻出しなければならない。重版できずに初版在庫を抱えたままになると、悲惨な結果が待っている。まあ極端な話で、実際にはもっとこうなる、ああなるという意見もあるが、出版とはそういう世界なのだ。

 えっと、何の話だったか? そうそう、その納品先移転の話だった。それにしても、いくら取扱量が少ないからと言っても、移転の連絡ぐらいしてくれればいいのに。ところで支払いは、これまでと同じように持ってきてもらえるんやろうかねえ? N教販さん。

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こんな表紙でいきます!

2010年03月12日 | ただ今、編集作業中の本

 関係各位へ。

 いろいろ思案の末、こんな感じでいきたい思います。ちょっと見にくいですが、よろしくお願いします。

 

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体調がイマイチでした…

2010年03月12日 | 編集・営業ふらふら雑記

 昨日は朝から何となく体調がイマイチ。風邪で発熱前のあの独特の感じがあったので 早めに切り上げ、9時過ぎには蒲団に入っていました。

 今年は早めに耳鼻科に行ったので花粉症の症状はほとんど出ず、楽に過ごしていますが、やはり季節の変わり目というか、このこの寒暖の激しい推移に身体がおっつかなくなっているのかなあ…。

 

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『山登りねこ、ミケ』の読者ハガキ次々と~ありがとうございます。

2010年03月10日 | 読者はがきから

●楽しくて一気に読みました。ミケとは少々知り合いで数回会ったことがあります。普通の猫でした。さよさんから、山に登ると聞いたときはまさか?本当…? 変な猫と思いました。読み進むほどにミケの猫と人の偉業に興味津々。文字が要約されて短文で読みやすかったのですが、物足りなさも感じました。もう少し自然と猫と家族を長文で、ミケを知りたいと思いました。ミケ、いつまでも元気にね! 私も山が大好きでミケを見習いながらまたがんばってみます。有難うね!(安曇野市・67歳・女性)

●ほんとにおもしろく読ませていただきました。60もの山に登ったミケにもビックリしたり、たいしたもんだなと思いましたが、なんと言ってもミケに寄せる岡田さんの眼差しの暖かさを感じました。そしてまた、この本の魅力は岡田さんの語り口のおもしろさにあります。ミケの動きを中心に愛情たっぷりなギャグが飛び出したりして、思わず笑わせられます。おもしろかった。(千葉県多古町・74歳・男性)

●僕ら夫婦は共に77歳。ミケとほぼ同じくらいの歳です。妻の心臓には金属の人工弁が付けられており、僕の胃は3分の1しかありません。僕ら夫婦は時々すごく落ち込みます。体調が悪く明日の命にさえ自信を失うような時です。岡田さん一家3人の山登り、とても楽しく勇気づけられました。妻は絵を描きます。僕は歌を作ります。どちらも下手くそです。でも、岡田さん一家のように、いまやりたいこと、いまできることに挑戦することこそ生命あるものの喜びだと、自分たちの今を振り返りながら実感しました。ありがとう。(千葉市稲毛区・77歳・男性)

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第69回戦跡ウォーキング・大正区コースのご案

2010年03月10日 | 行事のご案内&報告

 まだまだ寒い日々ですが、ドイツ人捕虜760人が収容された俘虜収容所跡やゼネラル・モータースの大争議などを探訪します。ぜひ一緒に歩きましょう。

●日 時 3月13日(土)午前9時集合~正午ごろまで

●場 所 JR環状線・大正駅集合

●参加費 500円(高校生以下無料)

●案 内 機関紙協会事務局 現地レクチャー/真栄田義且さん

●参加申込 日本機関紙協会大阪府本部 
        TEL:06-6465-1201
        FAX:06-6465-1205
        
kikanshi@nike.eonet.ne.jp


画像をクリックしてください。
 

 

 

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『山登りねこ、ミケ』ランキング第5位に! 

2010年03月09日 | 岡田裕の山登りねこ、ミケ@安曇野

 ミケ本がミケの住む安曇野の平安堂書店さんで先週の売上数第5位に輝きました! なんと大手出版社の数々を差し置いてです(笑)。先ほどもドカンと追加注文いただきました。どうか、いつまでもこの状態が続きますように…。

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そうなんだ! 「辺野古はダメ」と言えば、米軍は撤退するんだ!

2010年03月07日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 3月4日の『朝日』に、普天間移設問題に関しての元米国防副次官のインタビューが載っていました。この人は以前、辺野古沖の代替施設建設合意に米国側代表として関わった人物ですが、なんとインタビューで「辺野古以外なら海兵隊の撤退もありうる」と語っているのです。まあこれは「そうなると米軍は日本から手を退くぞ。日本はそれでもいいのか」という「脅し」のような意味で言っているようなのですが、詳しいインタビュー内容はコチラにあります。でもこれを読んだ時、「なあーんだ、ああ、はいはい、それで結構ですよ。ええ、ええ、ぜひそうしてください」と、まさにこちらの望む通りのことではないか、意見が一致したじゃないか!と思ったのですね。

 政府内であがっているキャンプシュワ沖案なんて、そもそもアメリカは望んでいないし、名護市も全会一致でその案に反対の意見書を上げたし、また鳩山政権の右往左往が来週には見えてきそうなのですが、なにかホントに国民世論と米国の間に立ってどうしようもない姿を晒しているという気がします。

 それから、このインタビュー読んでて思ったのすが、なんとも迫力に欠ける編集委員さんの質問かと。天下の『朝日』がこれですから、ほかのマスコミの沖縄問題での記者さんたちの問題意識ってどうなんやろうかと心配してしまいますね。

「普天間基地は沖縄にはいらない、日本のほかの地域にも移さない、だから撤退してもらうしかない」となぜ言えないんでしょうか? それが実に不思議です。言っちゃえば気が楽になりますよ。きっと! 

 そんな時、高文研からおもしろい本が出版されました。コチラの本です。(他社の本ですが宣伝します)その核心の内容についてはすでに以前から宜野湾市長などは市のHPでも主張しておられたのですが、要は、「米軍はずっと以前から、沖縄の普天間基地の海兵隊を含む軍隊の多くをグアムに移転するつもりでことを運んでいる。知ってか、知らないでかはわからないが、なぜか日本政府も日本のマスコミもこのことには全く触れない。宜野湾市長が政府にそのことを話しても相手にしない。こんな大事な基本的なことが国民に知らされずに、日本政府がとっている行動は何とも不思議な行動だ」ということでしょうか。

 なんともまあ、あきれた話です。米軍にすれば、グアム移転の費用は日本持ちだし、あわよくば辺野古に高性能の基地ができればなおラッキー、ダメで元々、沖縄から撤退すれば日本はたいへんなことになるといろいろ言っておけば言うことを聞いてくれるだろう。でもダメでもいいんだよ。だって米軍のこれからの世界戦略を考えたらそれはそんなに大きな問題じゃないよ…という本音が見えてくるんです。

 なんか完璧に馬鹿にされている日本政府といった印象ですね。

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『山登りねこ ミケ』の読後感、著者に続々届く! その11

2010年03月07日 | 岡田裕の山登りねこ、ミケ@安曇野

「ミケ本」を読まれた方から、さらに引き続き著者の岡田さんに感想が届いています。

●ヘルパー仲間の友達が面白がってました。(新潟県、50代女性)

●表紙がとても綺麗で可愛いです。(横浜市、30代女性)

●平安堂のメインコーナーにどーんとありましたよ。次は絵本ですね。期待しています。本はとても読みやすく、ミケの猫となり?がよく伺えました。岡田家のほのぼのとした雰囲気も。あれだけのものを残してあるというのもすごいですね。ほんわかした感じの読後の思いです。
 みけ様も猫だけにサインを何でするのと思うかもしれませんが、ぜひとも猫球(肉球)押していただけますよう、よろしくお願い致します。(安曇野市、40代女性)

●ミケをいつまでも大切にしてあげてください。(大阪、50代女性)

●みけちゃん、すごいですね~。とっても楽しく読ませていただきました。ぜひ「ねことも」で紹介させていただきたく、よろしくお願い致します。(マンガねこともの編集者さん)

●本当に面白い本でした。ミケの本、楽しみにしてくださる方がいて、出版社に10冊注文入れました。これから、ますます忙しくなるね。マンガの企画具体化するといいなあ…私も夢がふくらんできました。(大阪府、50代女性)

●さっそく本を読ませていただきました。ミケとの出会いから始まり、いろんな山に登ったのですね。すごいですね。(大町市、10代女性)

●先日は楽しい本をありがとう。これで又いっぺんに信州が近くなりました。山荘にお邪魔した時のこと思いだします。そういえば猫の苦手な私に馴れ馴れしく近寄ってきて、かまってほしそうなポーズをしたミケ君でしたね。
 こんなに大事に生まれて間もなくから15歳になるまで育てられたら、こんなにも家族の一員になるのかと驚くほどでしす。その信頼関係が山登り60座を達成することになったのでしょう。猫の発達保証の記録としても貴重なものではないかと思います。親しみやすく、読みやすいので、一気に読んでしまいました。猫嫌いな私が…。(70代、男性)

●過日、お会いした時、ミケちゃんがご挨拶に来てくれて、猫嫌いの夫が怖がっていましたが、人なつっこい猫ちゃんでしたね。
 かわいがって、かわいがって育てられたので、どこへでも。特に山登りまで大好きな猫に育ったのでしょうね。飼い主に似るとは、こういうことなのですね。ミケの年齢に見合った息遣いで山登りをゆっくりゆっくりなさっている姿が目に浮かびます。
 岡田さんの素敵なイラストももう少し入れてくださると良かった!とっても可愛かったですもの。(吹田市、70代、女性)

●ミケの本、楽しく読みました。お二人とも愛情細やかで。思わず笑ってしまう表現力…さすがです。「猫足で何分」とか「ミケの引っ越し」とか「ミケも誘って登ってみました」とか「どうしても行くと言ってききません」なんて私なんか考えてもみない表現です。中でも登山中、少し遅れてミケが泣くのを「悲劇の主人公を演じる」やなんてホンマ面白いなあ。  …て、よく、すごい数の山登りしてきたんやねえ。天保山も登山のひとつにするなど、やっぱり大阪人!!
 ミケちゃん、歌も歌うんやねえ。さよさんの吹くコカリナの音色に合わせて。可愛いねえ。ミケちゃんはもうすでにスーパーキャットです。ミケちゃんに金メダルじゃなくて、小判メダルでもなくて、大判メダルをあげたいなあ。(ないけど。笑)(香川、60代、女性)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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