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コジキジゲン

サル?リンカン?・・・サルの鳴き声を聞け?・・・

2016-04-26 23:59:57 | 古事記字源

 ・・・ETVのサイエンスゼロの「世界で初めて見つかった発電菌(シュワネラ菌)・大きさは約1000分の2ミリ・オナイダ湖の湖底で発見された・発電菌を使った発電装置(微生物燃料電池)」、スゴイねッ。電気ウナギや、電気ナマズの発電現象も、深海魚の「チョウチン(提灯・提燈)鮟鱇(アンコウ)」や蛍(螢)の発光現象もスゴイけれど・・・ナゼ「鮟鱇」の漢字なんだろう・・・「国家安康・君臣豊楽」→「崩落」の発想はボクと同じだが、「イチャモンの漢字」ですか、歴史を踏まえれば「お市」と「茶々(浅井茶々・淀殿・淀君・菊子)」の名前と「文句」を重ねた?・・・「浅井に澱む茶々」・・・「鮟(魚+安)鱇(魚+康)」は「家康」・・・深海の魚(まな→真名)だから「申解圄?・振改迂緒?」かも・・・
 「鮟鱇の名前の由来」は中国の「鰋(なまず・鯰)」の異体字「𩷑=魚+日+女」の誤字らしく、「鱇」は「国字」らしいがこの漢字は何時の時代の発明なんだか?・・・化意葉等重危険?→貝原益軒の「大和本草(1709年・宝永七年)」であるらしい・・・
  ↓↑
 ウイッキペデアによれば、
 「あんこう」が初めて文献に登場するのは室町時代
 「文明」以前成立の『精進魚類物語』
 『精進魚類物語』は擬人化させた
 魚鳥を戦わせる
 『平家物語』のパロディーで、
 作中に
 「あむかう」の・・・・・編む稿(項・考)・・・蛙務?
 「彌太郎」が登場
 慶長年間成立の
 『日葡辞書』に
 「Ancŏ l・ angŏ」とあり、
 当時
 「あんこう」・・・安功・案考?
 「あんごう」・・・暗号・暗合?
 どちらの読み方も存在した・・・
 『文明本節用集』に
 「有足魚也 心気良薬」、
 『日葡辞書』に
 「川魚の一種で、足のある魚」
 とあることから、
 当時は
 サンショウウオ(山椒魚)を意味した・・・
 現在でも
 兵庫県や岡山県の一部で
 オオサンショウウオを
 「あんこう」と呼ぶ。
 更に
 「房州=安房(あわ)国」弁では
 「あんごう」は・・・・・・・・・暗号は
 「ヒキガエル」・・・・・・・・・引き換える?
 を指す言葉として残っている・・・
  ↓↑
 ・・・だが、記録は「ひらがな(?)」で、漢字の「鮟鱇」では無いらしいから、漢字の「鮟鱇」は江戸時代(1709年・宝永七年)だろう・・・
  ↓↑
 それに「ピラミッド(金字塔)の内部を宇宙線で探査」ですか、スゴイねッ、「日本の技術」・・・
 幕末江戸「御家人」はエジプト(埃及)・カイロ(Cairo)で写真を撮った・・・そして帰国後、再度、明治「文化人」としてカイロに回帰した?・・・クレオパトラ7世とアントニウスの子、「カイザリオン」は極東ジャポンに渡来してきた・・・あの「珍敷古墳の絵」はダレが描いたんだか?本当に「古墳時代後期(6世紀)に造られた円墳」なのか?・・・「黄金律」に、「1.618」の数字・・・動いている「波の波形」を高速度カメラで撮ったらどんな動きで岸壁に迫って来るんだろう。サーファーが大きな「巻き波」の中を通り抜ける映像をみたコトはあるんだけれど・・・

 ・・・もし人類の発生がアフリカ(阿弗利加・Africa)大陸ならば「文明(civilization)=文+明」・文化(culture)=文+化」と云うモノを形成した集合共同体(town people)で、地球規模に各地方に時間的に系統波及していく地理的原点、起点はエジプトでアルかな、とも想うが・・・そして、古代文明を中心とする「円状波形」の遠方到着点(極東の日本・極西の英国)にその痕跡を残す・・・
 ブログ辞典によれば、「文明=文化的・技術的・科学的な面での人間の発達した社会状態」であるらしく、欧米白人主体からは「文明開化(civilization and enlightenment)=啓蒙運動・啓蒙思潮・哲学的に18世紀のヨーロッパ、特にフランスでの合理主義的啓蒙運動・ENLIGHTEN+MENT」であるらしい。
 「文明開化」を日本語を主体にした英語翻訳ならば「adoption of Western culture(西洋文化の受容)、westernization(西欧化)、modernization(近代化)」とした方がイイらしいとは、「開化」が「教化」では面白くない日本人らしい・・・
 「中世英語は市民、古フランス語は市民、ラテン語はcīvīlis(市民に関連する)、シービス(市民)」である・・・「個人的市民= a citizen・集合的、組織化された市民=the citizens」・・・シチズン時計・・・
 「civilization=1765年~1775年に於けるフランスの文明」・・・「市民」とは都市に棲息して居た「プチブルジャージ」であろう・・・多分、「ブルジョア革命」とは都市の「教養を有するプチブル」+「ルンペン放浪者」の「権利保障要求の暴動」であった・・・「大ブルジョア=豪商富豪」が積極的に参加したとは思われない・・・
  ↓↑
 「文明開化」が「啓蒙思想→教化思想」であったとしても「enlightenment」は「蔑視」と云うわけではないだろう。知識に飢えていた「日本人」にとっては「学ぶ」と云うコトだから。だが、「学ぶモノ」には色々ある。「自然科学」だけでは無い。「社会体制と法律」である・・・「法律・法治」とは「政治行政」に於ける「支配階級」の「アメとムチ」である・・・
 そもそも「古代市民」とは「ローマ(ギリシャ)市民」になると云う「ローマ帝国下の法的権利を有する人びと」のコトである。カエサル(シーザー)は征服民にその「市民権利」を拡大し、与えた。
 一般的には「ある共同体の法治(掟)下で政治的行政参加、農業生産、職人的技巧活動、商業的な経済的活動」を「権利保障」され、共同体維持の「防衛義務を負う人びとのコト」である。当然「法を犯した者の権利」は剥奪される。奴隷に転落すれば「家畜」同然で、「売買商品」である・・・
 そして、「市民」とは、その「権利義務」が「記録として法文化」され、法文記録に基づいた地域的集団生活を行う人びとのコトである・・・「立法参加の権利」は時代的状況による・・・
 「civilization(市民化)」の別のコトバが「modernization(近代化)」なら、「近代以降の人びとの権利と義務の概念」である。
 アメリカの大統領リンカン(Abraham Lincoln(聞く)・1809年2月12日~1865年4月15日・第16代アメリカ合衆国大統領)は「エイブ (Abe)、オネスト・エイブ (Honest Abe)」と呼ばれ、「1863年11月19日・Gettysburg Address(ゲッテイスバーグ宣言・全文272語1449字)」で「人民の(government of the people,)、人民による(by the people, for the people)、人民のための政治(for the people)」と演説した・・・愛称が「エイブ (Abe)」とは「アイザックの誕生の後追放されたエイブラハムの息子」・・・
 ボクには「エイプ=ape」と聞こえる・・・「類人猿=直立して歩く尾の無いサル(猿・猨・狙・申)で、特に chimpanzee・gorilla・orangutan・gibbon=テナガザル・オランウータン・チンパンジー・ゴリラ」など、「monkey=モンキー」・・・「文(聞・問)記意」である・・・文が奇異(忌諱・紀伊)、「monのkey」なら「mon=米俗語で金、銭=money」の「鍵」・・・フランス語の「mon(男性)=my→所有化句」・・・
 以下は検索していたら「極東ブログ」に遭遇し、部分を参照、参考にさせてもらった・・・
  ↓↑
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2006/06/post_ac5f.html
  ↓↑
 It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us --
 that from these honored dead we take increased devotion to that cause for which they gave the last full measure of devotion --
 that we here highly resolve that these dead shall not have died in vain --
 that this nation, under God, shall have a new birth of freedom --
 and that
 government of the people,
       by the people,
       for the people,
  shall not perish from the earth.
  ↓↑
 ・・・以下は「ウイッキペデア」から
  ↓↑
 1946年
 GHQ最高司令官、「ダグラス・マッカーサー」が、
 GHQによる「日本国憲法草案前文」に、
 ゲティスバーグ演説の一節を織り込んだモノ・・・
  ↓↑
 Government is a sacred trust of the people,
 the authority for which is derived from the people,
 the powers of which are exercised
  by the representatives of the people,
 and the benefits of which are enjoyed by the people.
  ↓↑
 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、
 その権威は国民に由来し、
 その権力は国民の代表者がこれを行使し、
 その福利は国民がこれを享受する。
 — 日本国憲法前文(一部)
ーーーーー
 「文明の市民」がまた「people」にトンで揣摩舞った・・・
  ↓↑
 で、
 「文化=伝承される信仰・伝統・習俗などの総体としての文化・カルチャー=訓練・修養・養殖・栽培」で、英語的には「耕作」で、「農業技術」だろう・・・ボク的に妄想すれば「韻芸(ウンゲイ→蘊芸→産む藝)→芸亭(ウンテイ)院→藝定(ゲイテイ)」で、「ゲーテ(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ=Johann Wolfgang von Goethe・1749年8月28日~ 1832年3月22日)」である?・・・
 兎に角、「文化=文+化」で、その漢字文字自体のイミである。さらに分解すれば、例の如く、
 「文=亠(音・鍋蓋冠)+乂(メ・X・刈)」、
 「化=イ(人)+匕(七・ヒ=匙・匕首
           匕=メス=牝・メス=外科用knife)」
 である・・・

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ハカイの同音異字漢字

2016-04-26 02:43:10 | 古事記字源

 ・・・自然災害での破壊も、人災での破壊(事故・戦争)も、人間は新たな合理的防御建造物として、また攻撃的破壊兵器として発明してきたのは歴史的事実である。「破壊」されると云うコトの延長に人間の「技術的発明」があった。だが、人間が護るべき「法・掟」に於いて同じ同音の「破戒(ハカイ)=法律違反」に対しては古代から現代まであまり進展が無い様である。「法」は一体全体、ダレのモノなのか?・・・古代ギリシャの民主制、ローマ帝国の共和制、カルヴァン、ユグノー戦争、フランス革命、アメリカ(南北)市民戦争、ロシア革命、「破戒」されるべき「社会制度と、それを支えている社会意識」としての根本的なモノが「人間の自覚」とはなっていないからだろう・・・すなわち、「根本的な階級意識=私有意識=差別意識」自体が「破壊も破戒」されてこなかった・・・そして、人びとは「指導者の権力意識=階級意識」にその生活を埋没させたまま今現在に到っている・・・
  ↓↑
 ルカ伝(6章27~38節)
 「人を裁くな。そうすれば、自分も裁かれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。許るしてやれ。そうすれば、自分も許るされるであろう」
 許す、許さない・・・個々人が相手の「法的罪を許すコト」は出来ても・・・「無理」である。「許す、許さない」は前提的に相手が何らかの犯罪を自分自身に犯した事後のコトである。「殺傷」は個人に対するだけではない。社会的な大規模な「無差別テロ」は今現在も頻繁である。例え「階級国家」であろうとも「テロ」は「支配階級」をも巻き込んでしまう。しかも「自爆テロ」で、もはや「許すべき人間」は存在しない。「伝染病」と同類である。「国家間戦争」、「核戦争」では「人類の滅亡」である・・・
 「裁きの無い社会」とはナニか?・・・「法律の無い社会」と云うことなのか?・・・「裁き」は相手あってのコトだが・・・
 「モーゼ」も「イエス」も「人間」を救うと云うコトで、確かに「エラカ」ったが、「キリスト教」は「イエスのモノ」ではない・・・
  ↓↑
 「キリスト教」には「イエスのコトバ」の矛盾に於いて「罪」がある。この「罪」は「アダム(Adam)とイヴァ(Eva)の犯した原罪」ではない。
 「旧約聖書」には
 「汝、ヒトを殺めるナカレ」、
 「汝、人を偽って貶(おとし)めるナカレ」、
 「汝、嘘をつくなかれ」、
 「汝、他人の財産を貪(むさぼ)るナカレ」
 そして、問題は
 「汝の敵を愛せよ(新約聖書・マタイ伝第五章・ルカ伝第六章・Love your enemies.」に於いてであるが、文字どうりの「敵(殺意を持った者も含む)を愛せ」ならば無理である。先ずは自分自身を護らなくちゃぁ無理である。逃げるコトが一番だが、「キリスト」は逃げる余裕があったのにもカカワラズ、逃げなかった・・・逮捕され、磔刑にされたコトは「キリスト」自身の「相手=敵」に対する「犯罪」である・・・
 一般的な人間であれば、相手に罪を犯させるような「仏教の喜捨」と云うワケにいかない。モチロン、「喜捨=相手の為に命を捨てる」と云うコトは釈迦自身の教えではないだろう。そうであったとしても相手を宥(なだ)める「方便」であったろう・・・
 「キリスト」のコトバも「比喩」での教えである。その「比喩」すら理解出来なかった彼の弟子たち・・・だが、キリストのハナシを聴きにきた民衆は理解した。無学でも彼らにとっては理解できる日常的な簡単なコトバだったからである。それを駆使してナントカ、「キリスト」は「ユダヤ人の無教養、貧困層の救済=長生きできる社会環境形成」と云う大義名分で頑張ってきたのだが・・・「天国は彼らのモノ」だったからだ・・・「モーゼ」はもっと現実的なコトバを説いた。「主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである」と・・・
  ↓↑
 旧約聖書の「日本語」への翻訳の「偽証・虚偽・嘘をつく」はなんであろう・・・日本語訳の「聖書(新旧)」にはボクが補った「貶(おとし)める」の「補語」は見当たらないが・・・ウソをつくにはその「目的」がある・・・
 「貶める」・・・ブログ辞典には、
 「劣ったものと軽蔑する・さげすむ
  見下す・下落させる・成り下がらせる」、
 「神聖性を損なわせること・貶す・冒涜する
  穢す・汚す・冒瀆する・貶める・毀損する
  ツバを吐く・傷つける」、
 「自分より劣った者とみなす
  みさげる・さげすむ・軽蔑する」
 で、「貶められるコト」は「偽る、偽らない」の是非は問わずに「階級身分の主従社会」では「貶められる状況」は常にあっただろう・・・「旧約聖書」の物語の殆んどは身内の「血縁関係」での「貶める行為と嘘つき」のモノガタリである・・・現代的には四月バカ、救済、状況的な危険回避の言葉でない限り、「ウソの目的」は「盗む」である・・・現在は政治屋の「虚言」と「振り込め詐欺のコトバ」が飛び交っているが・・・戦争では「戦術的なワナ」で敵対者の命を盗むコトである・・・
ーーーーー
 以下は「十戒」の複数の日本語訳をブログ記事から検索して添付
  ↓↑
 十戒(出エジプト記20章1−17節)
 20:12
 あなたの父と母を敬え。
 これは、あなたの神、
 主が賜わる地で、
 あなたが長く生きるためである。
 20:13
 あなたは殺してはならない。
 20:14
 あなたは姦淫してはならない。
 20:15
 あなたは盗んではならない。
 20:16
 あなたは隣人について、偽証してはならない。
 20:17
 あなたは隣人の家を貪(むさぼ)ってはならない。
 隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、
 また
 すべて隣人のものを貪(むさぼ)ってはならない」。
  ↓↑
 十戒(申命記)
 5:16
 あなたの神、主が命じられたように、
 あなたの父と母とを敬え。
 あなたの神、主が賜わる地で、
 あなたが長く命を保ち、
 さいわいを得ることのできるためである。
 5:17
 あなたは殺してはならない。
 5:18
 あなたは姦淫してはならない。
 5:19
 あなたは盗んではならない。
 5:20
 あなたは隣人について偽証してはならない。
 5:21
 あなたは隣人の妻をむさぼってはならない。
 また
 隣人の家、畑、しもべ、はしため、牛、ろば、
 また
 すべて隣人のものをほしがってはならない。
  ↓↑
 あなたの父と母を敬え。
 殺してはならない。
 姦淫してはならない。
 盗んではならない。
 あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。
  ↓↑
 あなたの父と母を敬え。
 あなたは、殺してはならない。
 あなたは、姦淫してはならない。
 あなたは、盗んではならない。
 あなたは、隣人について、偽証してはならない。
 あなたは、隣人の家を貪(むさぼ)ってはならない。
  ↓↑
 父母を敬うこと
 殺人をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ)
 姦淫をしてはいけないこと
 盗んではいけないこと
 偽証してはいけないこと
 隣人の家を貪(むさぼ)ってはいけないこと
  ↓↑
 あなたの父母を敬え。
 殺してはならない。
 姦淫してはならない。
 盗んではならない。
 隣人に関して偽証してはならない。
 隣人の妻を欲してはならない。
 隣人の財産を欲してはならない。
  ↓↑
 イエス
 姦淫してはならない。
 殺してはならない。
 盗んではならない。
 偽証を立ててはならない。
 父と母を敬え。
  ↓↑
ーーーーー
 「汝、自ら命を断(絶)つナカレ=自殺(スーサイド・suicide)の禁止」は旧約にも新約にも、そのコトバは見当たらないが・・・「プラトンが「人間は神々の所有物である(パイドン)」として「自殺禁止論」を展開したのを下敷きに「アウグスティヌスが自殺を禁じた(神の国・第1巻第16-28章)」らしく・・・十戒の「汝、殺すなかれ」は「自分自身の命」も含むモノとして考えたらしい・・・「693年にはトレド会議において自殺者を破門」とした。「聖トマス・アクィナス」が言明することで確実な「教義」となったらしい・・・
 兎に角、人間以外でも「レミング」、「アリの兵隊蟻」は「集団自殺」するらしいし、「海豚(いるか)」も、檻に閉じ込められた「熊」も、「飼い犬」も絶食して「自殺」する・・・
 ・・・これらの「自殺」は人間が観察した事例ではあるが、スベテではないから「意識的な自殺」かどうかは「?」である・・・だが、家畜化された動物は(トサツ)、屠畜(トチク)される時に「涙」を流す。
 犬や猫は家族に「疎外」されると自ら孤立し、絶食するのは飼い主ならば経験するだろう・・・
 ハッキリと宗教的に「自殺」を禁止しているのは「コーラン(4-29)・クルアーン『婦人章』第29・30節」だけであるらしいが・・・
 「人間」とは「ご都合主義」なんだろう・・・人間の作ってきた「法」の根幹は「生き残っている人間のエゴ」であるのは当然でアルかな・・・「涅槃死」でも、「磔刑死」でも「後の祭り」である。
 「人間」でアルコトを「自覚」しても、それを「社会化」するのは難(むづか)しい・・・たった「殺すな・盗むな・殺傷するな・差別するな」だけのコトなんだけれど・・・

 

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