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コジキジゲン

「ひにく(皮肉)」の根源は「比肉」・・・ニクよりもカワを比べる・・・

2016-08-19 22:34:12 | 古事記字源

 ・・・空(そら・クウ)を見上げれば曇天、諳(そら)んじているのは「パイ(π・Π・パイ=3.1415・・・」で、「諷詠・諷誦(フウジュ)」はSMAP(Sports Music Assemble Peopleの頭文字)の「世界に一つの花」の鼻歌(鼻唄・花歌)・・・「assemble=collect,gather」が「disassemble」で「SMDP」ですか・・・「assemble=gather=召集」で、「together=一緒に」ではないところが問題だョ。それに「諷刺(irony・ァイロニィ・イロニィ?)」は知っていたけれど、「satire(サタィァ?)」、「sarcasm(ソォカァズム?)」も諷刺、皮肉らしい・・・「世界に一つの花」が毟(ムシ)られて「一片(ひとひら)」の「瓣・花弁・花びら」になる・・・
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 諷=ひにく・フウ・諷刺・・・・・・・言の風
 颯=(サツ・ソウ)・さっそう=颯爽・・立ち風
 楓=かえで・槭・・・・・・・・・・・木の風
 飄=つむじ・飄飄・飄乎・飄然・・・・漂う風
 飆=ヒョウ・つむじかぜ・・・・・・・三匹の犬と風
 渢=うかぶ・フウ・ブ・ハン・・水面の風
 嵐=あらし・ラン・山あらし・・・・・山の風
 瘋=フウ・瘋癲・・・・・・・・・・・風の病で顛倒
 颿=はしる・ハン・ボン・ヘン・馬の疾風
 葻=ソウ・草原の風・・・・・・草彅
 颪=(おろし)・・・・・・・・・・・吹き下ろしの風
 颱=台風・・・・・・・・・・・・・・風の台(臺)
 颮=ヒョウ・つむじ風・・・・・包まれた風
 颭=そよぐ・セン・・・・・・・風の占い
 ↓↑
 諷詠=(フウエイ)
 諷誦=(フウジュ) =節をつけてとなえる
 諷意・諷諫=(フウカン)
 諷刺・諷喩=(フウユ)=遠回しに言う
           遠回しにさとすこと
比喩法の一
たとえだけを提示して、
その本義を
間接的に推察させる方法
 「燕雀(エンジャク)
  安(いずくん)ぞ・・・安(やすい・アン)=宀+女が
 ↓↑         ナゼ、
 ↓↑         詎(いずくん)ぞ、なんだか?
            なに・なんぞ?
            どうして?
            何(胡・詎・奚・曷・那)?
            なにヲカ~・なんゾ~
            いづレ~・いづク~
            なにを~・どうして~
            いつ・どこ・どの・どちら・どこに~
           「安(烏・焉・悪・庸)~」
            いづクンゾ・いづクニカ
            どうして~・どこに~
           「君、安クニンゾ
            與(二)項伯(一)有ル(レ)故。
           (君、安〈いづ〉くんぞ項伯と故有る」
           「今、蛇、安クニカ在ル。
           (今、蛇、安〈いづ〉くにか在る)
           「何爲(奚爲・胡爲)~」
            なんスレゾ
            どうして~・どういうわけで~
           「何爲スレゾ
            斬(二)ルト壯士(一)ヲ。
           (何爲〈なん〉すれぞ
            壯士を斬ると)」
           「胡爲スレゾ、君、遠クニ行クヤ。
  ↓↑        (胡爲〈なん〉すれぞ
 ↓↑        君、遠くに行くや) 
  鴻鵠(コウコク)の
  志を知らんや」
  小人物に大人物の心はわからない
  さとらせる類
 「諷喩法」・・・ハッキリ云えばイイのに・・・ダレが見たコトもない「鴻鵠(コウコク)」、しかも「その志」などを知るコトが出来るんだか・・・「比喩」そのモノの意味が理解出来ない人間には無理・・・「比較」すべきは、先ずは形のあるモノの「上下・左右・大小・高低・長短・軽重・遅速・美醜・明暗・白黒」を示してからナニかを言えってサッ・・・なんと、「キリストの単純な比喩」を理解出来ない弟子達は複雑な「哲学」にしてしまった・・・「木(き・ぼく)=八十(やそ)」は「耶蘇(ヤソ)=基督(キリスト)」であるコトには理由があったからだ・・・「隠れ切支丹」・・・
 モチロン、
 「ピタゴラス」の漢字名が「比的額羅斯=龐太我剌私」なのには理由がある・・・「漢字分解の意味」である・・・
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 「幾何学(キカガク)」、
 「幾=幺+幺+戍(ト+戈=矛・鉾・鋒
             戛→一の目の戈は夏目?→夏至)
=いくつ・いく・ほとんど・ちかし・キ
    比較的小さな数について問う語
    少しずつ・それとなく
    幾諫(キカン)・幾微(キビ)
    こいねがう・庶幾・幾重」
 で、異字体は
 「几・𢆻 =幺+幺+几」であるらしい・・・これって、
 「幺+幺+π(Π)」
 なのか?、ならば、
 「几(つくえ)=π(Π・パイ=3.1415・・・)」、
 この「机=几(つくえ)」が「π(Π)」ならば、
 「円卓で円形、円盤のテーブル」だろう・・・
 他の異字体は、視たコトないが・・・調べたら
 「𢆼(幺+幺+)
  𢇒(幾+ト+乙)
  𢇓(幾+乞→ノ一乙)」
 がある。最早これは
 「乞食→コジキ→古事記」の示唆の「諷喩」である・・・そして「何=なに?」のお勉強は「図形の数学」だが、「国語(日本語制漢字)のお勉強」そのもので、先ずは「国語(?)」のコトバが解らなければ、それまででアル・・・しかも、「国語」には「外来語」としての「漢字・呉字・唐字」とカタカナ文字がワンサカの混合文であるから「日本語」を自分自身のモノとするには厄介でもある。唯一、「漢字」が基本的には「象形、表意文字」である、と云うコトだが・・・コトバが理解出来なければそれまでぇ~ッ・・・
 「円形」を理解するには円形の分解である。その分解基本は「三角形(拉典語・Latin=triangulum・独語= Dreieck・英語、仏語=triangle(古語)trigon) 」で、三角形は「同一直線上にない3点と、それらを結ぶ3つの線分からなる多角形の一・その3点を三角形の頂点、3つの線分を三角形の辺」という・・・困ったなぁ~ッ・・・「国語」が出来なかったから、当然、「纂数」も「理科」も「英語」も・・・「日本語の国語(?)」が出来なければ、「日本人の英語教育偏重」での未来は無いかも・・・「明治の人びと」がドンナにか苦労して築いてきたのか「明治日本語」を・・・
 そして、「日本人知識人」の苦労と努力を理解していたのは安土桃山~幕末、明治に日本にヤッテきた「ガイコクジン」だった・・・もちろん、卑弥呼の時代からの渡来人、帰化人達も・・・コトバの「△(三角)関係」を「象形」で知らなくちゃぁ、始まらない・・・
ーーーーー

  ↓↑
 「三角形を構成する3辺の長さを
   a、b、c
  とするとき
   a < b+c、b < a+c、c < a+b」、
 「三角形は内心(3つの内角の二等分線は 1 点で交わる
         3つの辺から等距離)、
      外心(3辺の垂直二等分線は1点で交わる
         3つの頂点から等距離であり、
         外心を中心として
         半径がその距離である円は
         3つの頂点を通る
         鈍角三角形の場合は外側にあり、
         直角三角形の場合は
         斜辺の中点上にある)、
      垂心(三角形の 3 つの頂点から
         各々の対辺に引いた垂線は 1 点で交わる)
      重心(三角形の頂点と
         その対辺の
         中点を結ぶ 3 つの線分は 1 点で交わる
         重心は中線を 2 : 1 の比で分割する)、
      傍心(三角形の 1 つの内角と
         他の 2 つの外角の
         二等分線は 1 点で交わる
         三角形に傍心は 3 つある
         傍心は 1 つの辺と 2 つの辺の
         延長線と等距離にあり、
         傍心を中心として
         半径がその距離である円を傍接円という
         三角形の 3 辺、
         およびその延長線上と
         等距離である点は、
         内心と傍心あわせて 4 点ある)
  をもつ」、
 「外心を O、
  重心を G、
  垂心を H
  とおくと、
  3 点 O, G, H は
  一直線上にあり、
  OG : GH = 1 : 2
  である」、
  ↓↑
 S=1/2(ah)
 s=1/2(a+b+c)
 S=√s(s-a)(s-b)(s-c)
 S=1/4(√(a+b+c)(-a+b+c)(a-b+c)(a+b-c))
  ↓↑
 A=a²、B=b²。C=c²
 S=1/4(√2(AB+BC+CA)-(A²+B²+C²)
  ↓↑
 S=1/2(ab-sinC)
  ↓↑
 正三角辺の長さの比…1:1:1
  ↓↑
 直角二等辺三角形の
 直角をはさむ2辺の長さの比…1:1:√2
  ↓↑
 60°と30°の直角三角形
 いちばん長い辺は
 いちばん短い辺の2倍の長さ
 辺の長さの比…1:2:√3
  ↓↑
 3辺の比が簡単な整数となる
 直角三角形
 辺の長さの比…3:4:5
  ↓↑
 3辺の比が
 整数となる直角三角形
 辺の長さの比…5:12:13
ーーーーー
 ・・・それでも、計算結果が間違うのは・・・ソソッカシイからなのか・・・?・・・慎重さがない・・・「誤解答」なのは「呉の言葉」の「解答」の混乱からだろう・・・「卑弥呼」や、「聖徳太子・推古女帝」に訊いてみたい・・・中国大陸の使者は何処を起点に日本に渡来したのか・・・
 大日本帝国海軍の最大の海軍基地は「呉(くれ)」にあった・・・
 1167年(長寛二年)に日宋貿易で
 平清盛が掘削開港、
 江戸時代は
 「音戸の瀬戸(おんどのせと、旧表記は隠戸ノ瀬戸)」と呼ばれていたらしい・・・「音戸=おんど=隠戸」である・・・
 1887年(明治二十年)11月起工・・・
 開港は1889年(明治二十二年)?、これは「呉鎮守府」としての年か・・・軍港はとしては1884年(明治十七年)とあったが?・・・ナンか「開港」としての年数がズレている?・・・
 兎に角、そこは世界最高の「軍艦製造の科学技術の場所」でもあった。そして、アメリカの猛襲にあって呉軍港は壊滅した・・・
 愚劣にも中型空母「阿蘇」は日本陸軍の爆弾実験の為に標的にされ、1945年(昭和20年)7月呉軍港に撃沈、沈没させられた・・・
 空母「阿蘇」の末路・・・熊本も啼いたであろう・・・
 「昭和の戦争指導者」と「明治の戦争指導者」との比較の優劣は云うまでもないが・・・戦争は愚かであるが、過去の「戦争の勝敗」は「軍事科学」ではなく、科学も含めた「用兵としての軍事戦略( military strategy )・戦術(military tactics)」であった・・・そして、現代の各国の国家的指導者の脳ミソは、お変わりない様である・・・「毛沢東の時代の戦略戦術」は「原水爆」で終わったのだ・・・「しつこい(ヒツコイ)集金兵」、なるほど「普京(あまねしのミヤコ)」だが、「蜉胡鴆or諷地武」がお似合い、それに「アマイ=阿毎」・・・生きている「人間の数」を如何するつもりか?・・・小さな領土争奪でどうするつもりか・・・なるほど「克林頓=柯林頓」が「伐柯(バッカ)の群集の頓馬」ですか・・・トランプは「過留多」だが・・・オリンピックは、もうすぐオワリだ・・・ゼウスも困っているカモ・・・

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諷・・・諳(そら)んじる・・・タイフウイッカ・・・

2016-08-19 11:01:33 | 古事記字源

 ・・・モモちゃん、台風上陸だけれど、札幌ドームで20時20分、「大谷」が逆転ホームラン18号を撃ったョッ!・・・北海高校も勝った・・・「勝負の世界」を観戦するのは心臓にワルイ。TVの中継が終わったが球場での観戦中の子供達と共に日本ハムの勝利を期待して結果を待ちたいが、ドームの外は暴風雨、帰りは気をつけろ。卓球の「愛ちゃん」の泪(涙・涕)にも感激だけれど・・・TVは「ジプシ共和国」のドキュメンタリーで、「ザ!世界仰天ニュース・超暑いアフリカ最恐の土地へ…世界の危険地帯!仰天探検隊SP仰天探検隊は、アフリカ最恐酷暑の国ジプチ共和国へ!灼熱の土地で美しい湖(アッサル湖=塩湖)に出会った!」、「南米ペルーの街の中心に巨大な穴(鉱山発掘抗)が!この穴のせいで住民、子供達の命が危機に瀕していた!」・・・「スロぺパスコの街」の鉱物(鉛・亜鉛)の中毒被害。かっては公害被害の水俣、新潟、そしてスモッグの日本だったが、「原発事故の秘害」はたった五年前のコト・・・
 この二十一世紀・・・「人類の知の根源」とはナニか?・・・日本地域に住んでいた縄文時代、そして弥生時代の人びと・・・「外国」と云うコトバは無かったハズだが・・・
 日本地域に住んでいた人びとも、「先住民」で、アフリカの何処からか、時間をかけてやってきて住み着いた「people」である・・・
 だが、「ひとびと」は「government of the people」なってしまったが、「government」の「the people」とは、「人民の政府」なのか、「政府の人民」なのか?、で、そもそも「人民」とはダレなのか?・・・
 「平民=the people」とは「貴族=aristocracy(アリストクラシー)」の対語である。既に階級序列社会(貴族vs人々)のコトバである。「貴族」とは古典ギリシア語の「aristo(最上の)+ cratia(支配)」で「優秀者=貴族」による支配階級であるらしいが、貴族とは「富豪(plutocracy)階級」であり、「aristo-cracy(アリスト-クラシー)」の「アリスト」とは、その共同体内階級の利害を衛る「兵士」で、「都市国家の皆兵を義務とした市民」でもあった。しかも、兵士の武具の装備は自前であった・・・
 ここでは「市民」とは元々が「階級序列」を形成する「兵士」になれる存在なのである。「兵士」とは「戦争」での「殺傷」、「掠奪」、「捕虜」、そして敵の「土地、領土」の分配にあづかる権利を有する者達である、と云うコトだ。
 だが、「市民皆兵」と云っても「兵役義務」には肉体的に敵と戦える者であるコトや、その義務期間があった・・・当然、都市国家自体が攻められ、防衛戦争となれば「市民全員が防衛戦争の兵士」である・・・
 兎に角、「敗戦」すれば敵の掠奪と捕虜となっての奴隷である。国家間の近代戦争、現代戦争もこの基本的なモノはお変わり無しである・・・戦争当事者双方の戦力、軍事力が均衡していれば、「停戦・休戦」の条約を結ぶか、それが無ければ直接的な武力衝突を控えた小競り合いの睨み合いの「冷戦」だろう・・・
 古代も、中世、近世、現代も「国家規模の全滅」は不可能であったし、あるが、「原水爆」は「人類規模の滅亡」である。
 「都市国家の兵士」は「他の都市国家」と戦争し、その勝利の結果として負けた都市国家から財産の掠奪、そして捕虜を奴隷とするコト、領土の支配が許されていた。
 だが、その掠奪した戦利品の分配にも階級序列的なモノがあったのは当然で、戦場で勇敢に手柄をたてた者が「順位の優先」だった。勲章とか景品ではない「戦利品」としての掠奪した物と者、そして占領した土地の支配権の分配順位である。その決定は「元老院の元老達」であったろう。
 兵士が勝利で凱旋した暁には「名誉」と「地位序列のランク上昇」もあっただろう・・・
 そして「戦場で兵士の指揮官で現役or退役」した者が「元老院に参加」できた。それは、戦争によって形成し、その門閥を相続してきた「貴族階級共同体」の中でも決定権を有する「特別な(知的に、武力に優秀な?)人々」だった。
 だが、戦争での財産形成でなくても、私有財産の蓄積、形成は「商売」で出来る「市民」も存在していた。「戦争」での「消耗品(兵站)の調達」、「戦利品の売買」、「色街経営」、「神殿経営」、「見世物興業」、「金貸し」は商売繁盛の条件である。戦争が無くても武力威喝を背景にすれば「交易商売」は有利にできる・・・儲かった蓄積財産をドウ運用するかは「自由市民の選択の自由」である。「商人市民」は「権力者」にカネを投資する・・・古代~現代までコレラの原則に変化はない・・・「国家権力」を動かすのは「事業利権」としての「カネ」である・・・
 「市民」と「人民」は異なる概念である。「市民」とは「権力(独裁or共和or民主)」の政治体制を採ろうが「法の制約下での権利」を保障された「市民権を有する人々」である。そして「法の下」で「商売・事業」が保障され、財産的な借金を「自分自身(の資産or肉体)を担保」にしてカネを借りるコトが出来たが返済出来ない場合は「奴隷」に転落した。「法的な犯罪者」は「市民権」を剥奪された。
 「市民」とは「法的に私有財産権の選択の自由を許された人々」である。プラスアルファは「居住する場所の自由選択」と「移動の自由選択」を許された人々である。
 「人民」とは「独裁=専制法」、「共和=妥協法」、「自由=選択法」、「民主=選挙法」・・・コレラの法体制に拘束されるのは「人民」である・・・
 「市民」も「人民」も「他者への表現」さえなければ「空想・妄想・想像」は個々人の脳ミソの自由勝手のモノである。
 「平民=ヒトびと」とは「貴族」と対立し、差別されていた時代の「people」である。
 そして「共和(階級妥協)-国」と「民主(公平無階級)-国」は異なるだろう・・・
 「person の語源は、ラテン語の persona(ペルソナ=人格・役柄・物語の個々の演じるキャラクター=character)であるらしいが、個々人(personal person)とは演劇上、シナリヲ上に登場し、その役柄を演技表現する人々(people)ではないだろう・・・自分自身の「日常生活の生き方」そのものの立場である。
 「日本人の知の源泉」・・・「外国(foreign country land・foreignoverseas・other countries・out country)」、「外国人(alien people・ foreign people)」からの「情報」だけではないだろう。その生まれた場所、育った環境(自然・人々)が「知と認識、思惟思考」の源泉である。
 日本領域で先住した人々が文字を獲得したコトには確かに自前ではないらしいが・・・
 だが、自前の「情報、伝達」手段としての「文字」があったらしいコトは確かカモ・・・
 「日本領域内」での北海道、小樽手宮の岩に刻まれた「古代文字」がある。見に行ったけれど、ボクには岩の何処に文字があるのはナカナカ判断できなかったが、それらしきモノは確認した。
 余市にも「フゴッペ洞窟の文字」があるが、自分の目では確認したコトはない。洞窟壁面には図像が陰刻されていらしく、図は200以上、人物や動物、船などとみられ、列点があるそうである・・・だが、これは学者、研究者には疑問視されてもいる。云わば、その是非は曖昧である、と云うコトである・・・
 縄文時代の人びとは土器、土偶を造り、漆器ものを作り、大木を切り、巨大な高殿を建て、鯨を捕え、栗を栽培、採種し、天体を観測し、モチロン、数も数えていた・・・知識の源泉は自然そのものである。そして、口承と実技での伝承であったろう・・・
 これらは、文字通りの「文の明・文の化」ではない・・・
 「経験」と「智恵」である・・・

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