06/12/16;00・・・水曜日・・・
香る港のサイルイの☂☂☂・・・未来はワコウドのモノ・・・
・・・「公」のイチ=位地・位置・壹・壱・一・市・・・懿知
あそッさん・・・タソガレ・・・阿毎王朝の誰彼・・・粘菌・・・
南方熊楠(みなかた くまぐす)・・・?
「『ネイチャー』誌に51本の論文を掲載」
「柿の木から粘菌発見」
和歌山県・田辺町生まれ・・・紀州・田辺・・・熊野神社
「金物商・雑賀屋を営む弥兵衛(後に弥右衛門と改名)、すみの次男」
「商品の鍋や釜を包むための
反古紙が山と積まれており
熊楠は、反古に書かれた絵や文字をむさぼり読んで成長」
・・・反古紙=書きそこなうなどして
不要になった紙・くず紙・ほごがみ(反故紙)・・・
熊(能+炎・くま・ユウ)と
楠(木+南・くすのき=樟=木+章)⇔十八章?
十八章・・・新約マタイ(馬太)伝?
or
旧約・創世記 -第 18 章・・・・?
旧約・出エジプト記 1~18章・・・?
1895年(明治二十八年)
大英博物館で東洋図書目録編纂係
『ネイチャー』6月27日号に論文
「網の発明」を寄稿
1896年(明治二十九年)2月27日
『ネイチャー』2月6日号に論文
「驚くべき音響1」を寄稿
1897年(明治三十年)
ロンドンに亡命中の
孫逸仙(孫文)と知り合い
親交(孫文32歳、熊楠31歳)。
1898年(明治三十一年)
大英博物館で
日本人への
人種差別を受け暴力事件を起こす
↓↑
1867年5月18日(慶応三年四月十五日)
~1941年(昭和16年)12月29日)
丁卯(甲 乙)印綬・正官 沐浴⇔辛巳
乙巳(戊庚丙)正官・食神 建禄⇔庚子
戊戌(辛丁戊) 比肩 墓⇔辛亥
辰巳空亡
↓↑
http://haa98940.wixsite.com/mysite/single-post
↓↑
公=八+厶・・・捌(さばく)+ム(よこしま=邪)
↓↑ ↓↑ 阿蘇山の裾野に広がる(ハ)の横嶋(ム)
三重の志摩・・・・揣摩
しま
漢字の本字は「鳥+山=㠀」
しま=島、嶋、縞、嶌
分家で
島田が嶋田や嶌田になった・・・?
「しま」=領土・領地・占有地・占領地・支配地
「area・zone・district・region・block・territory」
territory
領水や領空を含めた
国家の主権が及ぶ国家領域すべて
テリトリー=縄張り=なわばり=名和葉(場)理・名倭貼り
(territory=terətɔ̀ːri=テロのトリ?)
弖利止利(とり)?
↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑
・・・「テロ(Terror・恐怖)
トリ(Jacobins=ジャコバン・山岳派?)」
恐怖政治=Reign of Terror)
「章の部屋」にジャコバンの会議?
「1218年8月6日
パリのサン・ジャック通りに
貧しい巡礼者のため
ホスピスとして
ヤコビンが建設した最初の修道院」
「ヤコビンス=ドミニカ共和国の支配人?」
「ラテン語のJacques、Jacobusの派生した
ニックネーム・Jacobins」
「未来のドミニカ人、ドミニカ人(主の牧羊犬)?」
「Dominican Republic。
ドミニカ共和国=土弥尼加-共和国
隣国は
ハイチ(アイティ・海地・山ばかりの土地)」
↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑
時代は「聖徳太子=厩戸皇子」+「推古女帝」
敏達天皇三年一月一日
(574年2月7日)~推古天皇三十年二月二十二日
(622年4月8日)
甲午(丙己丁)食神・偏財 胎⇔壬午
丙寅(己丙甲)偏財・偏官 病⇔甲辰
壬戌(辛丁戊) ・印綬冠帯⇔甲戌
子丑空亡
↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑
「蘇我蝦夷=蘇我馬子(嶋大臣)の子・豊浦大臣
母は物部尾輿の娘・太媛=物部守屋の妹」
・・・馬子が「嶋大臣 (しまのおおおみ) 」・・・山の鳥?
「蘇我入鹿=蘇我蝦夷の子・林大臣、鞍作大郎」
「物部大臣=蘇我蝦夷の子・蘇我入鹿の弟」
・・・止利仏師=鞍作止利=鞍作鳥・・・?
・・・蘇我入鹿=鞍作大郎・・・・・・・?
司馬鞍作首止利(しばのくらつくりのおびととり)
南梁からの帰化人の
司馬達等の孫・・・
鞍部多須奈(徳斉法師)の子・・・
4世紀ごろに帰化した司馬一族の〈鞍作村主〉の子孫
推古天皇十四年(606年)五月五日条
法隆寺の釈迦三尊像を完成させ
元興寺(飛鳥寺)金堂に安置
仏像は
アルカイック・スマイル(Archaic smile)様式
推古三十一年(623年)
新羅から伝来した広隆寺、弥勒菩薩半跏思惟像は
アルカイック様式
造佛記録法隆寺金堂本尊銅造釈迦三尊像(623年)が代表作
(広隆寺創建の秦河勝は新羅系渡来人)
中宮寺弥勒菩薩半跏思惟像
冠位は「大仁」
男子:鞍作福利=通事(通訳)
推古天皇十五年(607年)
推古天皇十六年(608年)
遣隋使でも小野妹子に随行
日本には帰国しなかった・・・
鞍作人足
鞍作真枝
氐呂土里(トリ)
(図利・鳥・鶏・禽・酉・取・盗)
照り鶏意・・・照り焼き鳥?
﨩=阝(阜・𠂤)+島
嶹=山+壽
隝=阝(阜・𠂤)+鳥
隯=阝(阜・𠂤)+壽=陦・・・陳陦(寿)?
島・・「山」の字の横倒し⇔「ヨ・⺕・∋・彐⇔肀」
「鳥の灬=「鳥の肢爪・∋」
「山」の字の逆字 ⇔「巾」
「島」=「嶋・嶌・㠀」・・・鳥を獲物として狩猟出来る山=しま
海に囲まれた「しま」は
「嶼=山+與」・・・與=臼+与+六
「与」は「與」の略字
「亏=まがる・ウ=于・迂
一+丂
虧=雐+亏=雐+亐=于」
「與=E+╻+㇉+-+∃+一+ハ」
「𠃑=気・一=止」
「小鳥遊(たかなし)」⇔「高梨(たかなし)」
「小鳥が遊ぶ」→「天敵がいない」→「鷹がいない」
→「たかなし」
分家がこの字をあてた
↓↑ ↓↑
公=八+ム
八(はち・はちがしら・は)・八=捌(さばく・ベツ)
コウ・ク
おおやけ・きみ
朝廷・国家・社会
かたよっていない
公正・公平・公儀・公示
明らかなこと・表むきなこと
君主・天子・諸侯
天子の補佐役の官名
五等級の爵位(公・侯・伯・子・男)
の一番目
祖父・父など親族の年長者の敬称
動物や人物の名前の下につけて
親しみや軽蔑を表すことば
↓↑ ↓↑
懿公喜鶴(イコウキカク)=衛の国の懿公は
家臣や国民を大切にせず
鶴を好んで爵位を与えて大切にしていたが
戦争になると兵隊は鶴に戦わせればよいと
協力せず
懿公は身を滅ぼしたという故事
「懿公鶴を喜む」とも
『春秋左氏伝(閔公二年)』
↓↑ ↓↑
懿公好鶴(イコウコウカク)=大切にすべきものを
軽く扱い、くだらないものを大切にしたため
身を滅ぼすことのたとえ
↓↑ ↓↑
一国三公(イッコクサンコウ)=支持を出す人が多すぎ
統率が取れなくなること
三人の君主が一つの同じ国にいる
『春秋左氏伝(僖公五年)』
↓↑ ↓↑
隠公左伝(インコウサデン)=読書や勉強を続けられず
すぐに辞めてしまうこと・飽きっぽい意
「春秋左氏伝」という名前の中国の歴史書の
最初の「隠公」という記事で
読むのを辞めてしまうということ
↓↑ ↓↑
于公高門(ウコウコウモン)=人知れず
善行を積んだ家の子孫は繁栄することのたとえ
「于公」は人物名
漢代に丞相になった
于定国の父
于公は裁判官として公平に裁判を処理し
ひそかに善行を積んでいた
彼の住む村の門を修理するときに
人知れず善行を積む家の子孫は
出世して繁栄するだろうと
門を広大に作った
『漢書(于定国伝)』
↓↑ ↓↑
廓然大公(カクゼンタイコウ)=不満や疑念などなく
さっぱりとしていて、心に偏りがないこと
聖人の心構えを学ぶための心構えをいう言葉
「廓然」は心が広く、わだかまりのないこと
「大公」は私心がなく、公平なこと
「廓然太公」とも
『定性書』
廓然太公(カクゼンタイコウ)
↓↑ ↓↑
仮公済私(カコウサイシ)=公の立場を利用し
自分の財産をふやすこと
「済」は助けるや役に立てるという意
「公に仮りて私を済す」とも
『福恵全書(莅任・謁廟行香)』
↓↑ ↓↑
愚公移山(グコウイザン)=大きなことでも
根気よく努力し続ければ必ず成功することのたとえ
愚公という老人の家の前に二つの大きな山があり
どこに行くにも迂回しなければいけなかったので
不便な山を切り崩し、平にしようとした
嘲笑する者がいたが
何代にも渡ってやれば出来ると山を崩し始めた
愚公の熱意で天帝が二つの山を移した故事
『列子(湯問)』
↓↑ ↓↑
公私混同(コウシコンドウ)=公的、私的なことを
区別せずに扱うこと
主に個人的な利害のために
公的なことを利用すること
はっきりと分けなければならないものを
区別せずに一緒にすること
↓↑ ↓↑
公序良俗(コウジョリョウゾク)=社会の状態を
安定させるための決まりと
一般的に良いとされている
昔からの習慣や道徳の考え方のこと
法の解釈や適用をするときの基準の一つ
全ての法の基本となる理念
「公序」は公共の守るべき決まり
「良俗」は世間の習慣や道徳の考え方
↓↑ ↓↑
公孫布被(コウソンフヒ)=高い地位があるが
質素な生活をすること・うわべだけの節約のこと
「布被」は麻や木綿のつつましい掛け布団
売名のため、わざと質素な生活を見せ付けること
前漢の高官の公孫弘は、臣下は節約すべきといい
麻の布団で寝て、質素な食事をしていたが
汲黯が偽善的だと言ったという故事
『史記(平津公伝)』
↓↑ ↓↑
公平無私(コウヘイムシ)=個人的な利害で動いたり
主観で判断したりせず
偏ることなく平等であること
「公平」は全てのものを
同等のものとして扱うこと・・・?・・・ではない
・・・老若男女体力、性別、障害
「個々人の能力次第での協同体での扱い」=公平の基準
・・・「万人平等の意味」ではない
「無私」は個人的な利害や感情をはさまないこと
「公平にして私無し」とも
『韓詩外伝(七)』・・・「韓史の害の伝」?
・・・公=八(捌・さばく)+ム(私・よこしま)
公=邪(侫・よこしま)をさばく(裁く)
↓↑ ↓↑
公明正大(コウメイセイダイ)=私心を差し挟むことなく
公平に堂々と物事を行うこと
「公明」は私心を差し挟むことなく公平で
不正などの隠すようなことは何もないこと
「正大」は態度や行動などが
正しく堂々としていて
隠さなければならないようなことがないこと
↓↑ ↓↑
公門桃李(コウモンのトウリ)=政府の官職に
すぐれた能力のある人材が集まっていることのたとえ
「公門」は政府や役所のこと
「桃李」は植物の「もも」や「すもも」
「もも」や「すもも」は
夏には涼しい木陰を生み
秋には食べられる実をつける
人の役に立つすぐれた才能のある人のたとえ
『資治通鑑(唐紀・則天后・久視元年)』
↓↑ ↓↑
至公至平(シコウシヘイ)=「至」は
「いたって」や「この上なく」の意
「公平」を強調した「極めて公平」という意
↓↑ ↓↑
述懐奉公(シュツカイボウコウ)=不満などの
愚痴をこぼしながら、主人や君主に仕えること
「述懐」は愚痴
「奉公」は身をささげ仕える
述懐奉公(ジュツカイボウコウ)
↓↑ ↓↑
大公無私(タイコウムシ)=個人的な意見を
はさむことなく、公平な立場を貫くこと
『税苑(至公)』
↓↑ ↓↑
白衣三公(ハクイのサンコウ)=地位も権力も
持たないものが出世して高官になること
「白衣」は白い色の服=官位のない人
無官位の人物が出世で官位ある色の服を着た
「三公」は丞相、太尉、御史大夫
の最高権力の三つの官職のこと
漢の
公孫弘は、生まれは平民だったが
出世して丞相になったという故事
「白衣より天子の三公となる」の略言
『史記(儒林伝・賛)』
↓↑ ↓↑
不正不公(フセイフコウ)=正しくない上に不公平なこと
↓↑ ↓↑
奉公守法(ホウコウシュウホウ)=公務員の務めのこと
公務をきっちりと遂行し、法をしっかりと守ること
「公を奉じ法を守る」とも
↓↑ ↓↑
滅私奉公(メッシホウコウ)=個人的な
感情や欲求、利益を捨てて
社会や国家などの公のために尽くすこと
立場が上の者に尽くすこと
「滅私」は自身の利益や欲求を捨てること
「奉公」は公や立場が上の者に奉仕すること
『戦国策(秦策)』
↓↑ ↓↑
ーーーーー
・・・???・・・おおやけ・・・
香る港のサイルイの☂☂☂・・・未来はワコウドのモノ・・・
・・・「公」のイチ=位地・位置・壹・壱・一・市・・・懿知
あそッさん・・・タソガレ・・・阿毎王朝の誰彼・・・粘菌・・・
南方熊楠(みなかた くまぐす)・・・?
「『ネイチャー』誌に51本の論文を掲載」
「柿の木から粘菌発見」
和歌山県・田辺町生まれ・・・紀州・田辺・・・熊野神社
「金物商・雑賀屋を営む弥兵衛(後に弥右衛門と改名)、すみの次男」
「商品の鍋や釜を包むための
反古紙が山と積まれており
熊楠は、反古に書かれた絵や文字をむさぼり読んで成長」
・・・反古紙=書きそこなうなどして
不要になった紙・くず紙・ほごがみ(反故紙)・・・
熊(能+炎・くま・ユウ)と
楠(木+南・くすのき=樟=木+章)⇔十八章?
十八章・・・新約マタイ(馬太)伝?
or
旧約・創世記 -第 18 章・・・・?
旧約・出エジプト記 1~18章・・・?
1895年(明治二十八年)
大英博物館で東洋図書目録編纂係
『ネイチャー』6月27日号に論文
「網の発明」を寄稿
1896年(明治二十九年)2月27日
『ネイチャー』2月6日号に論文
「驚くべき音響1」を寄稿
1897年(明治三十年)
ロンドンに亡命中の
孫逸仙(孫文)と知り合い
親交(孫文32歳、熊楠31歳)。
1898年(明治三十一年)
大英博物館で
日本人への
人種差別を受け暴力事件を起こす
↓↑
1867年5月18日(慶応三年四月十五日)
~1941年(昭和16年)12月29日)
丁卯(甲 乙)印綬・正官 沐浴⇔辛巳
乙巳(戊庚丙)正官・食神 建禄⇔庚子
戊戌(辛丁戊) 比肩 墓⇔辛亥
辰巳空亡
↓↑
http://haa98940.wixsite.com/mysite/single-post
↓↑
公=八+厶・・・捌(さばく)+ム(よこしま=邪)
↓↑ ↓↑ 阿蘇山の裾野に広がる(ハ)の横嶋(ム)
三重の志摩・・・・揣摩
しま
漢字の本字は「鳥+山=㠀」
しま=島、嶋、縞、嶌
分家で
島田が嶋田や嶌田になった・・・?
「しま」=領土・領地・占有地・占領地・支配地
「area・zone・district・region・block・territory」
territory
領水や領空を含めた
国家の主権が及ぶ国家領域すべて
テリトリー=縄張り=なわばり=名和葉(場)理・名倭貼り
(territory=terətɔ̀ːri=テロのトリ?)
弖利止利(とり)?
↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑
・・・「テロ(Terror・恐怖)
トリ(Jacobins=ジャコバン・山岳派?)」
恐怖政治=Reign of Terror)
「章の部屋」にジャコバンの会議?
「1218年8月6日
パリのサン・ジャック通りに
貧しい巡礼者のため
ホスピスとして
ヤコビンが建設した最初の修道院」
「ヤコビンス=ドミニカ共和国の支配人?」
「ラテン語のJacques、Jacobusの派生した
ニックネーム・Jacobins」
「未来のドミニカ人、ドミニカ人(主の牧羊犬)?」
「Dominican Republic。
ドミニカ共和国=土弥尼加-共和国
隣国は
ハイチ(アイティ・海地・山ばかりの土地)」
↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑
時代は「聖徳太子=厩戸皇子」+「推古女帝」
敏達天皇三年一月一日
(574年2月7日)~推古天皇三十年二月二十二日
(622年4月8日)
甲午(丙己丁)食神・偏財 胎⇔壬午
丙寅(己丙甲)偏財・偏官 病⇔甲辰
壬戌(辛丁戊) ・印綬冠帯⇔甲戌
子丑空亡
↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑
「蘇我蝦夷=蘇我馬子(嶋大臣)の子・豊浦大臣
母は物部尾輿の娘・太媛=物部守屋の妹」
・・・馬子が「嶋大臣 (しまのおおおみ) 」・・・山の鳥?
「蘇我入鹿=蘇我蝦夷の子・林大臣、鞍作大郎」
「物部大臣=蘇我蝦夷の子・蘇我入鹿の弟」
・・・止利仏師=鞍作止利=鞍作鳥・・・?
・・・蘇我入鹿=鞍作大郎・・・・・・・?
司馬鞍作首止利(しばのくらつくりのおびととり)
南梁からの帰化人の
司馬達等の孫・・・
鞍部多須奈(徳斉法師)の子・・・
4世紀ごろに帰化した司馬一族の〈鞍作村主〉の子孫
推古天皇十四年(606年)五月五日条
法隆寺の釈迦三尊像を完成させ
元興寺(飛鳥寺)金堂に安置
仏像は
アルカイック・スマイル(Archaic smile)様式
推古三十一年(623年)
新羅から伝来した広隆寺、弥勒菩薩半跏思惟像は
アルカイック様式
造佛記録法隆寺金堂本尊銅造釈迦三尊像(623年)が代表作
(広隆寺創建の秦河勝は新羅系渡来人)
中宮寺弥勒菩薩半跏思惟像
冠位は「大仁」
男子:鞍作福利=通事(通訳)
推古天皇十五年(607年)
推古天皇十六年(608年)
遣隋使でも小野妹子に随行
日本には帰国しなかった・・・
鞍作人足
鞍作真枝
氐呂土里(トリ)
(図利・鳥・鶏・禽・酉・取・盗)
照り鶏意・・・照り焼き鳥?
﨩=阝(阜・𠂤)+島
嶹=山+壽
隝=阝(阜・𠂤)+鳥
隯=阝(阜・𠂤)+壽=陦・・・陳陦(寿)?
島・・「山」の字の横倒し⇔「ヨ・⺕・∋・彐⇔肀」
「鳥の灬=「鳥の肢爪・∋」
「山」の字の逆字 ⇔「巾」
「島」=「嶋・嶌・㠀」・・・鳥を獲物として狩猟出来る山=しま
海に囲まれた「しま」は
「嶼=山+與」・・・與=臼+与+六
「与」は「與」の略字
「亏=まがる・ウ=于・迂
一+丂
虧=雐+亏=雐+亐=于」
「與=E+╻+㇉+-+∃+一+ハ」
「𠃑=気・一=止」
「小鳥遊(たかなし)」⇔「高梨(たかなし)」
「小鳥が遊ぶ」→「天敵がいない」→「鷹がいない」
→「たかなし」
分家がこの字をあてた
↓↑ ↓↑
公=八+ム
八(はち・はちがしら・は)・八=捌(さばく・ベツ)
コウ・ク
おおやけ・きみ
朝廷・国家・社会
かたよっていない
公正・公平・公儀・公示
明らかなこと・表むきなこと
君主・天子・諸侯
天子の補佐役の官名
五等級の爵位(公・侯・伯・子・男)
の一番目
祖父・父など親族の年長者の敬称
動物や人物の名前の下につけて
親しみや軽蔑を表すことば
↓↑ ↓↑
懿公喜鶴(イコウキカク)=衛の国の懿公は
家臣や国民を大切にせず
鶴を好んで爵位を与えて大切にしていたが
戦争になると兵隊は鶴に戦わせればよいと
協力せず
懿公は身を滅ぼしたという故事
「懿公鶴を喜む」とも
『春秋左氏伝(閔公二年)』
↓↑ ↓↑
懿公好鶴(イコウコウカク)=大切にすべきものを
軽く扱い、くだらないものを大切にしたため
身を滅ぼすことのたとえ
↓↑ ↓↑
一国三公(イッコクサンコウ)=支持を出す人が多すぎ
統率が取れなくなること
三人の君主が一つの同じ国にいる
『春秋左氏伝(僖公五年)』
↓↑ ↓↑
隠公左伝(インコウサデン)=読書や勉強を続けられず
すぐに辞めてしまうこと・飽きっぽい意
「春秋左氏伝」という名前の中国の歴史書の
最初の「隠公」という記事で
読むのを辞めてしまうということ
↓↑ ↓↑
于公高門(ウコウコウモン)=人知れず
善行を積んだ家の子孫は繁栄することのたとえ
「于公」は人物名
漢代に丞相になった
于定国の父
于公は裁判官として公平に裁判を処理し
ひそかに善行を積んでいた
彼の住む村の門を修理するときに
人知れず善行を積む家の子孫は
出世して繁栄するだろうと
門を広大に作った
『漢書(于定国伝)』
↓↑ ↓↑
廓然大公(カクゼンタイコウ)=不満や疑念などなく
さっぱりとしていて、心に偏りがないこと
聖人の心構えを学ぶための心構えをいう言葉
「廓然」は心が広く、わだかまりのないこと
「大公」は私心がなく、公平なこと
「廓然太公」とも
『定性書』
廓然太公(カクゼンタイコウ)
↓↑ ↓↑
仮公済私(カコウサイシ)=公の立場を利用し
自分の財産をふやすこと
「済」は助けるや役に立てるという意
「公に仮りて私を済す」とも
『福恵全書(莅任・謁廟行香)』
↓↑ ↓↑
愚公移山(グコウイザン)=大きなことでも
根気よく努力し続ければ必ず成功することのたとえ
愚公という老人の家の前に二つの大きな山があり
どこに行くにも迂回しなければいけなかったので
不便な山を切り崩し、平にしようとした
嘲笑する者がいたが
何代にも渡ってやれば出来ると山を崩し始めた
愚公の熱意で天帝が二つの山を移した故事
『列子(湯問)』
↓↑ ↓↑
公私混同(コウシコンドウ)=公的、私的なことを
区別せずに扱うこと
主に個人的な利害のために
公的なことを利用すること
はっきりと分けなければならないものを
区別せずに一緒にすること
↓↑ ↓↑
公序良俗(コウジョリョウゾク)=社会の状態を
安定させるための決まりと
一般的に良いとされている
昔からの習慣や道徳の考え方のこと
法の解釈や適用をするときの基準の一つ
全ての法の基本となる理念
「公序」は公共の守るべき決まり
「良俗」は世間の習慣や道徳の考え方
↓↑ ↓↑
公孫布被(コウソンフヒ)=高い地位があるが
質素な生活をすること・うわべだけの節約のこと
「布被」は麻や木綿のつつましい掛け布団
売名のため、わざと質素な生活を見せ付けること
前漢の高官の公孫弘は、臣下は節約すべきといい
麻の布団で寝て、質素な食事をしていたが
汲黯が偽善的だと言ったという故事
『史記(平津公伝)』
↓↑ ↓↑
公平無私(コウヘイムシ)=個人的な利害で動いたり
主観で判断したりせず
偏ることなく平等であること
「公平」は全てのものを
同等のものとして扱うこと・・・?・・・ではない
・・・老若男女体力、性別、障害
「個々人の能力次第での協同体での扱い」=公平の基準
・・・「万人平等の意味」ではない
「無私」は個人的な利害や感情をはさまないこと
「公平にして私無し」とも
『韓詩外伝(七)』・・・「韓史の害の伝」?
・・・公=八(捌・さばく)+ム(私・よこしま)
公=邪(侫・よこしま)をさばく(裁く)
↓↑ ↓↑
公明正大(コウメイセイダイ)=私心を差し挟むことなく
公平に堂々と物事を行うこと
「公明」は私心を差し挟むことなく公平で
不正などの隠すようなことは何もないこと
「正大」は態度や行動などが
正しく堂々としていて
隠さなければならないようなことがないこと
↓↑ ↓↑
公門桃李(コウモンのトウリ)=政府の官職に
すぐれた能力のある人材が集まっていることのたとえ
「公門」は政府や役所のこと
「桃李」は植物の「もも」や「すもも」
「もも」や「すもも」は
夏には涼しい木陰を生み
秋には食べられる実をつける
人の役に立つすぐれた才能のある人のたとえ
『資治通鑑(唐紀・則天后・久視元年)』
↓↑ ↓↑
至公至平(シコウシヘイ)=「至」は
「いたって」や「この上なく」の意
「公平」を強調した「極めて公平」という意
↓↑ ↓↑
述懐奉公(シュツカイボウコウ)=不満などの
愚痴をこぼしながら、主人や君主に仕えること
「述懐」は愚痴
「奉公」は身をささげ仕える
述懐奉公(ジュツカイボウコウ)
↓↑ ↓↑
大公無私(タイコウムシ)=個人的な意見を
はさむことなく、公平な立場を貫くこと
『税苑(至公)』
↓↑ ↓↑
白衣三公(ハクイのサンコウ)=地位も権力も
持たないものが出世して高官になること
「白衣」は白い色の服=官位のない人
無官位の人物が出世で官位ある色の服を着た
「三公」は丞相、太尉、御史大夫
の最高権力の三つの官職のこと
漢の
公孫弘は、生まれは平民だったが
出世して丞相になったという故事
「白衣より天子の三公となる」の略言
『史記(儒林伝・賛)』
↓↑ ↓↑
不正不公(フセイフコウ)=正しくない上に不公平なこと
↓↑ ↓↑
奉公守法(ホウコウシュウホウ)=公務員の務めのこと
公務をきっちりと遂行し、法をしっかりと守ること
「公を奉じ法を守る」とも
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滅私奉公(メッシホウコウ)=個人的な
感情や欲求、利益を捨てて
社会や国家などの公のために尽くすこと
立場が上の者に尽くすこと
「滅私」は自身の利益や欲求を捨てること
「奉公」は公や立場が上の者に奉仕すること
『戦国策(秦策)』
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・・・???・・・おおやけ・・・