現存・古事記・漢字源の世界・再五考
そして
日本地図を作成した
伊能忠敬→「アトラスアン(地図製作者)」であった・・1820年文政三年死去
亜虎(寅・於兎)、州、案・・・異能のヒトで、
アルキづくめのアルキメデス
「足の軽い名人」だったかも・・・「軽度」なのか「緯度」なのか・・・?「会稽、東冶の東」
「足軽」からの立身出世は「豊臣秀吉」と「伊藤博文」でもあった・・・
日本列島、弓の形・・・
伊能忠敬のおじいちゃん、スゴイ!
アレキメデス(Archimedes、希: Ἀρχιμήδης)
↓
↓アレ・キメ・デ・ス→(稗田)阿礼・記目(決め)・出・諏(素・州)
アルキメデス(Archimedes、希: Ἀρχιμήδης)
↓アル・キ・メ・デ・ス→或る・記・女・出(弟)・諏(主・数)
↓
シラクサの→白草→城草→稲城→佐本媛(垂仁天皇)
アルキメデス( Archimedes of Syracuse、
↓
↓ 紀元前287年~ 紀元前212年)
↓ ↓
↓ 日本書紀の元の前、弐百壱拾弐
↓ ↓
↓ 次はモモ、壱(輿)が足(重)なる(東)冶
↓
古代ギリシアの数学者、 物理学者、技術者、発明家、天文学者
「シシリー島」で生まれ→シシリィ→獅子理意
「シラクサの戦い」において、→しらくさ→視落差→瀧の瀑布
共和制ローマ兵によって殺害→キョウワ=享和 鳴滝と幕府
↓ ↓
↓1801(寛政13-享和元年・辛酉)二月五日享和に改元
↓三月. 幕府、伊能忠敬に伊豆等の 沿岸測量を命ずる
↓四月九日肥後国天草の百姓、
↓ 熊蔵、田に現れた巨大な蟒と格闘(耳嚢).
↓ 本居宣長死去・七十一才→翻意、宜しく、訳語
↓ 七拾壱=七(漆)を拾う位置
↓1802年
↓享和二年・十返舎一九「東海道中膝栗毛」刊行
↓1803年 栗毛=西紀望・膝=月(肉・ジク)+黍(きび)
↓享和三年・前野良沢死去・八十才→米寿の差異→八方医のコトブキ(事部記)
↓ ナポレオン皇帝就任←虎 「蘭学事始・解体新書」
↓1804年文化元年二月十一日文化改元
↓ ロシア使節通商を求め長崎へ来航
↓1820年:文政三年・伊能忠敬死去
↓ ↓
↓壱千八百弐拾→位置(位地)を知る頗(よこしま)、百の念の撚
↓1828年文政十一年
↓ シーボルト事件
↓ 三条大地震
↓
享年、75歳→七拾五→史地を拾う語
「砂の計算」→スナのケイサン→州名の稽の纂
「幾何学理論(アルキメデスの無限小)」
「牛の問題」にはエラトステネスに宛てた
「序文」がある
「Universal History」には
70年前のアルキメデスの死が記されいるらしい
アトラース(Atlās)は両腕と頭で天の蒼穹を支える巨人
名前は「支える者」・「耐える者」・「歯向かう者」を意味する
地図帳を「ア・トラ・ス」と呼ぶのは
「16世紀にメ-カル-トが→壱拾六(位置拾う陸)の正規、目得架留得図
地図帳の表紙としてこのア・トラ・ァ・スを描いたことに由来する」
↓ ↓
↓ 阿・虎(斗等)・亜・州
「地図」は異称漢字で「輿(ヨ・みこし・神輿・御輿)=臼+車+一+ハ」で
二本の担ぎ棒、方形の天辺、頂上、頭には
「夜明けを告げる鶏(にわとり)」が据えられている
「一羽でもニワ鳥」とは、コレ、如何?・・・である
「夜明けのスキャット」とは「ユキサオリ」・・・であった
スキャット→ (Scat)とは、→「S字形のネコ」→すきゃっと→諏伽通斗?
古代エジプトでは「ネコが神様」で、王様の名前も「ネコ王」が存在した
真面目な説明は「主にジャズで使われる歌唱法(カショウホウ)で
意味のない音声をメロディーにあわせて即興的(アドリブ)に歌う こと」 で
「同音異字漢字」は
「仮称法・加商法・寡少法・迦葉法」である。
↓
「嘉祥元年・戊辰848年
↓
七月十六日」とは→八百四拾八年七月壱拾六比
「豊後大分郡・寒川」で「白亀」が捕獲、献上され、
年号が
「承和」から
「嘉祥」に改元されたコトが「続日本紀」の記録にある。
「戊辰」とは
「明治の元年・戊辰戦争」でもあった。
「嘉承元年」とは
「長治三年」を→「長(おさ)」の「治(はる・ジ)」
↓
訳語の「水(氵・シ)+台(ム口)」
清水の次郎長(?)
改元した「1108年丙戌」で、中国では
「北宋・崇寧五年」
「遼・乾統六年」
「西夏・貞観六年」
「大理国・文安二年」
「李氏朝鮮・龍符六年」
であった。
そして「信西」が生まれた年でもあった。
↓
「信西(しんぜい)」とは「法名」で、号は「円空」
「藤原通憲(ふじわらみちのり)=高階通憲(たかしなみちのり)」
である。「高階」姓は「七歳の時に養子」に入った縁戚の姓である
「ぬぎかふる
衣の色は
名のみして
心をそめぬ ことをしぞ思ふ(月詣和歌集)」と和歌を詠み
表裏、本音を隠し、上辺の「策謀・策略」家で、権力を握った後は
「薬子の乱(870年)」以後「346年間」廃止されていた
「死刑」を復活させた
「天文知識・占星術」も極めた人物であった
「保元の乱(1156年)七月」を経
「平治の乱(1159年)十二月」で自害し
その首は「西の獄門」のに懸けられた
「西」とは「酉支」で「トリ」ある。「神獣」は「白虎・麒麟」である
ハナシは「伊能忠敬」の「地図=輿」であった、
同義異称漢字の「輿(ヨ・みこし・神輿・御輿)=臼+車+一+ハ」の上に乗る
「鶏(にわとり・ケイ)」のハナシであった。
「地図」、「地理誌」とは地球、大地、宇宙を載せ、更に「鶏」を乗せる
「坤輿」とは
・・・「易経」説卦の「坤(未申)を地と為し、母と為し、大輿と為す」から「大地」を大きな「輿=乗り物・載りモノ→法(のり・則・矩・紀・憲・朔)」に譬(例えた・比喩)えた語であるらしい。仏教で言う「大乗の仏法」である。「乗り物」だが、「海苔(のり・カイダイ・うみコケ・うみゴケ)=海(氵+毎)+苔(丱+ム+口)」と、「糊(のり)=米+胡(古+月)」とは異質である。海苔は海草、海藻、「カイソウ」で「回想・改装・廻漕・廻送・階層・会葬・改葬・怪僧」と解そう。それに乾燥させたモノは「黒い紙」のようだし、元々は糊のような液状である。接着剤の「糊」は「説地訳西」の接着の座位で「米→八方の胡人、西方人」と考えよう・・・
「坤輿万(萬)国全図」は
宣教師
「マテオ・リッチ=利瑪竇(リマトウ)」が作成した
漢訳版世界地図。
地球球体説を基にして
六枚一組にして、
卵型の図形の中心に中国を描き、他に
天文図なども含んだモノ
1602年に北京で刊行され、日本にも輸入され、世界的な知識の吸収源とされ、リッチ死後に刊行されたものも含めて16種が知られているらしい・・・それで、「坤(未申=羊猿)」が「裏鬼門」の方角なのに何故、「地」で、「母」なのかは・・・その音が「裏の記文」で、漢字そのものの「坤(コン・ひつじさる)=土(十+一)+申(日+|)」である。「十一=壱拾壱(イチを拾う始)」、「申(日+|)」は日に立てる「|=棒」で「日時計」、同音異字の「コン」は「昏(たそがれ・黄昏)」である。「坤=昏」とは「昼夜=明暗の視界に於ける天地、天海の境目」であるからだ。
「昏=氏+日」で、
「氏」は「氐(テイ・タイ・もと・ふもと・ね・柢の古字→根本・根底)=氏+ー=木の根」の省略形で、
地底、海底、地下の意味である。地下は「黄泉(よみ)の世界」である。
「昏」は沈んだ日(太陽)の前後の夕暮れである。「氏(うじ・シ)」そのもの意味は
「結婚した女(おんな)の母の姓に付ける字」である
女(おんな)の姓は変わらない、と言うことである。ならば
「ひつじさる」は「比通字佐留」である
「輿(ヨ・みこし・神輿・御輿)」とは祖霊を運ぶ二本の担ぎ棒に設置された箱である
この「輿(ヨ・こし)=臼+車+一+ハ)」は
↓
「與(ヨ・あたえる)=臼+与+一+ハ」
と類字で、類似である。
「邪馬台国の宗女」の
「壱与」の「壱(イチ)=士+ワ+ヒ(七)」は
「壹與」の「壹(イチ)=士+ワ+豆(一口ハ一」と
「臺(吉(十一口)+ワ+至)=台(ム+口)」
と類似で、類字である。
竜(龍・辰)宮城では釣り針が咽喉に刺さった
「鯛=魚+周」はムクチ(ム口)であった。
「現存・古事記」では
無口な人物は「本牟田和気」と、
「猿女(宇受女)」に口を裂かれた
「海鼠=なまこ」であった。この「海鼠」の漢字分解は
「海=氵+毎」+「鼠=臼+レ+冫(:;〃)+レ+冫(:;〃)+レ」
「鼠」=「ソ・ねずみ・ねず・ね」→「子」
「改竄」の「竄」とは「穴(あな・ケツ)の鼠(ねずみ・ソ)」
↓
「ウ+八+臼+爪(ノレ:レ:レ)+=+=」
歴史上、地球を輪切りにした「緯度」の概念を、その知識を確実に有し、実測し
明確に知っていたのは、
「伊能忠敬」
であった。 だが、上に記した日本史的(指摘)な歴史上の事件は
幕末から明治にかけて存在した「蘭学者・乱学者」である・・・
・・・・テモ、トテモの「712年・和銅五年七月七日」・・・は
・・・「コジキ」には無理である・・・なッ、「カツラ君」・・・
「邪馬台国」の「邪」は「よこしま」とヨムのだが・・・
・・・九州で薩摩の邪魔な馬とは誰か?
土佐の龍馬だった、かも・・・西郷隆盛
邁志(にし)←爾志の合の龍星
邁進(マイシン)の号の流星
「邁志(マイシ)」を何故、にし」と訓むのか?
蝸牛=マイマイ→田螺→谷氏
↓
西郷軍から
熊本城を死守したのは
谷 干城(たに たてき・かんじょう)
天保八年二月二十二日
(1837年3月18日)~1911年 5月13日)
土佐 藩士。
通称は申太郎、守部。
号は隈山。
第2代 学習院院長。
官位は陸軍中将
正 二位勲一等
子爵→シシャク→支杓→柄杓
であった。九州、「西南」に幕末~明治にかけての「歴史的人物」の「事件」である。
「現存・古事記」から私が推理した「日本・古代史」は次のごとくである。
すなわち、「古事記」に展開されている「地理(輿)と人物(姓名)」は
1、地理的な場所は阿蘇山を中心にした東西南北の「九州」である。
理由は日本の九州は、中国大陸の「九州」とその「地名」が
「故事的」に「音」をとって日本の九州に重ねられたからである。
しかも、日本人にはおなじみの占ない、幕末から明治に活躍した
高島易断の「九星学」は3x3=9のマトリックスの魔法(方)陣で、
縦、横、斜の升目の合算が十五となる「方位学」の占ないである。
これは「気門遁甲・鬼門遁甲」とも呼ばれているものだ。
この占いの「年のサイクル」は
「9→8→7→6→5→4→3→2→1→9→・・・」として
「九から一」へと逆順、巡回する。
「九のサイクル」は太陽の黒点周期とも言われているが、多分、
「宿曜経」の「二十八宿」の「牛宿」を省いた「二十七宿」に合致させたモノである。
「9×3=27」・・・「九の乗除」・・・「9×4=36」→「9×40=360」
すなわち、升目は「縦並び3個、横並び3個、斜並び2個」で、並び方は「八・8」。
「9×3=27」
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九星学上の配置 現在的な北を上とした地図上の配置
南 北 鬼門
4 9 2 6 1 8
東 3 5 7 西 西 7 5 3 東
8 1 6 2 9 4
北 裏鬼門 南
↑
北
「6・六(陸)白」・「1・一(壱)白」・「8・八(捌)白」
「7・七(漆)赤」・「5・五(伍)黄」・「3・三(参)碧」
「2・二(弐)黒」・「9・九(玖)紫」・「4・四(肆)緑」
2、物語は九州・阿蘇山一円(圓)を中心にした
「北(子・鼠)=博多 =伊都=一白・水星・中男」
「西(酉・鳥)=長崎 =諌早=七赤・金星・少女」
「中央 =阿蘇山= 五黄・土星・主人」
「東(卯・兔)=大分 =宇佐=三碧・木星・長男」
「南(午・馬)=鹿児島= 九紫・火星・中女」
の地域、及び、九州周辺の島々と本州西南、四国、そして「朝鮮半島」での展開ある。
3、「古事記・神話」に展開されている人物は
「魏志・倭人伝」に展開された
「卑弥呼」、「壱与=壹與」
の歴史的「事実(?)」を下敷にし、中国の漢籍、書籍に記されている「故事」によって説明されている。
「壱与」が十三歳の少女であったとしたら方位の示唆は
庚辛→庚申→更新→後身→後進→高進→兌換
↓
である。スナワチ、 ↓(金)
「西(酉)=長崎=諌早=七赤・金星・少女・庚、辛・兌」である。
「13歳(才)=壱拾参歳(才)」とは
↓ ↓
↓ 才知・才能・才覚・才気・才度・才媛・才女→才=始めての意味
↓ 霧隠才蔵←猿飛佐助=忍の者→真田十勇士の文庫本
↓
「十二支+一支=12+1=13」で、
「子~亥→子=13(一三・十三・壱参・壱拾参)支」
「子」=「一+了」→始終
十二支一巡、子(ねずみ)~亥(いのひひ)、加える一支は「子」で
子から拾って3番目の支は「寅=虎」である。
「子(ね・シ)」→「丑(うし・チュウ)=牛(うし・ギュウ・ゴ)」→「寅(とら・イン)」
↓ ↓ ↓ ↓
音 詞 度等 韻
「鼠(ネズミ)→ソ・ね=音」を獲(取・採)るのは「猫(ネコ)→ビョウ=拍描標表」である。
この「ネコ」は、「虎ネコ」か「縞文様(紋様・模様)のドラネコ」である・・・
唐王朝の歴史では、
ネズミとは則天武后(武昭・阿武)であり、
ネコとは「蕭淑妃」+「王皇后」であった。
「四柱推命学」上の数理では
「ネズミ=子」と
「ウシ=丑(牛・愛し・憂し・うし→主)」の「支合」を
「害」するのは
「ヒツジ=未」である。
↓
「ネコ(根子→彦根→井伊直弼)」は
↓
根=木+艮(丑寅・鬼門)→東北・主虎・記文
キコン=鬼魂・既婚・己恨・季根(白桃の根)
↓ 季根(白桃の根)→李氏の恨(怨)
↓ 季今→スモモ(判事)のコン(今・魂)
↓ リシ(裏支→裏鬼門=未申(羊猿)
↓ 呪文(ずもん・じゅもん)は密教の専売
「未だにネズミ(子)を害せず」で、
「八番目の羊(未)」と→「捌(ハチ・わける)判目」
「七番目の馬(午)」の関係「支合」を→「漆(シチ・うるし)判目」
邪魔し、「害(そこなう)」モノである。「捌判目」か・・・
ここは歴史的な「李さん一家」の姓名と履歴を調べれば一目瞭然である。
ちなみに、三国史(呉蜀魏→誤植義)の「魏志倭人伝」によれば、
「卑弥呼」は長生きした「鬼道の老婆」であった。
「老婆・養母・母」の示唆の方位は「二黒・土星」の
「裏鬼門・未申=羊猿=南西」である。
「老爺・養父・父」の示唆の方位は「六白・金星」の
「戌亥=犬猪・乾・西北」である。
「壱與(七赤・金星)」は
北西「帯方郡」からやってきた。
「帯の方」とは天体の「獣帯・黄道」である。
「壱與(ヨ・与)→位置の夜」
夜の位地の余(あま・ヨ)りは天理である。
夜明け前・明け方・早朝→宵の明星=金星
李世民→理性視 酔いの味余剰とは二日酔
「張政(六白・金星)」と「対・ペァ」の関係で、いずれも「金」であった。
カラクリの張本人は「阿倍清明→姓名・盛名・声名・生命・声明」で
唐王朝の図書館長「阿倍仲麻呂(麿)=朝衡(晁)」である、
「アベ・マリア(毬亜・真理亜)」はシューベルトが28歳の時の作品であった。
「赤球」と「白地」の「日の丸」の関係である。
九州の地図を広げて「阿蘇山」を中心に東西南北の地名を観て欲しい。
4、「邪馬台国の都=女王国=斎宮」は
「九州内の各地域」に時代的状況によって移動=遷都した。
「遷都」したのは「邪馬台連合国」の「宗主国=斎宮=西宮」で、
「宗主・女王国=斎宮」である。
その場所は九州に現在も地名として残されている
各「横島よこしま」
「横島」を意図的に結ぶと「逆台形」。この「台形」はナニを意味しているのか?
である。
九州の政治権力は「卑弥呼」の死後、「三分(?)」されていた。
西は「日=左目=烏=鴉=阿=肥の国」
東は「月=右目=卯=兎=宇=豊の国」
北は「時=中鼻=子=鼠=禰=筑紫国」
南は別格の隼人、薩摩の国、「句奴国」である。
九州とは別個に「出雲の国」、「安芸の国」、「四国」、「大和の国」、「東北、蝦夷の国」が存在した。
「卑弥呼」は先ずは中国三国時代の「呉国」、朝鮮半島の「公孫淵・燕国」と関係があり
「台湾・沖縄琉球・九州南西」に影響力を持つ海女族の「女王(?)」であり、
「長崎半島・島原・天草半島」に存在した。
「壱与」は
「帯方郡派遣」の「張政」と縁籍の者(?)で「人質(?)」であったが、
「卑弥呼」殺害後(?)、「玉名・横島(?)」に存在し、その後、
「豊国」の「宇佐」に遷都した(?)。
そして、この「三つの権力」の影響を受けた人々は縄文・蝦夷族の地山陽、山陰、西海、東海、北陸、東北へと移動、移民した。
「白村江の海戦」後に「志賀・長津」から「滋賀・大津」に遷都し、伊勢内宮に遷宮したのは「壱与・百済」系・・・?
「壬神の乱」後に「大和」に遷都し、
伊勢外宮に遷宮したのは「卑弥呼・新羅(唐)」系・・・?
「ヨコシマ(横島)」と読まれる漢字は「感冒」の「冒」をはじめに
よこしま=(宀+九)=横・邪・姦・干(カン=諌=甲)・佞・漢
よこしま=侘・差・左・ム・私
よこしま=(宀+九)=侈(シ)・佻(チョウ・ジョウ)・犯
よこしま=毎・曲・奸・淫・自・己
「宀+九=キ・よこしま」は「邪悪・姦・・悪者・盗人」と諸橋轍次先生の「大修館・新漢和辞典(改訂版)」にはあり、「究」の「八」を欠字させた漢字である。
「菅原(すがわら)」の「菅」も「よこしま」と訓れている・・・漢和辞典を注意してみないと「よこしま」とヨマれている漢字を見落とす事になる・・・もちろん、太宰府に流刑された「菅原道真」の「菅」である。
現存する「横島=ヨコシマ」と呼ばれている地名の場所は
弟一番目の地理として挙げたいのが
熊本県玉名郡「横島」は
江戸時代の1605年乙巳(慶長10年)に
中国明王朝万暦三十三年
初代
熊本藩藩主→熊本→大熊座・小熊座
加藤清正の命により、→加藤・清正
可等(加等・華唐)・清が正しい
現在の
外平山に→ガイヘイザン→ゲヒョウサン
画意 柄算 解標 纂
あたる島
(横島)と
本土の間の
海を→海=うみ・カイ・あま=海=氵(シ)+毎
宇美・界(貝)・天 纂隋→視→阿毎王朝
干拓して→カンタク→間の度
陸地とし、→理句知
それ以後
江戸時代から
明治時代中期にかけて干拓を繰り返し、
南側に陸地が伸びている。
1889年
明治22年己丑年4月1日
町村→チョウソン→兆孫
制度施行により、
横島村と
大園村が
合併して→ガッペイ・ゴウヘイ→傲(模倣)並
横島村が
発足。→ホッソク→歩測
同年同月同日には
「市制施行、弘前市・横浜市・久留米市など
「31都市」が選ばれる」→「31巻」は日本書紀・「13歳」は「壱輿」
↓ 13歳も31日も「変わり目」で、
↓ 「三十日+一日」も「変わり目」である。
↓ 「30+1、晦日、朔日」
↓ 三十比=みそか・一日=ついたち
戦後の
1967年丁未(昭和42年)に国により
横島町としては最後の干拓が実施された。
ヨコシマ黄昏→横浜タソガレ→横須賀タソガレ
熊本県玉名郡「1)横島」
大分県南海部郡「2)横島」
愛媛県南宇和郡「3)横島」
愛媛県「日振島」に隣接する「4)横島」
長崎県北松浦半島、田平沖北方に存在する「5)横島」
広島県、倉橋沖南方の「6-a)横島」と、
呉市の南方に存在する「6-b)横島」
天草諸島を東西に横切り、西に天草、その東に存在する「7)横島」
各「横島」を結ぶと逆「台形」である。
長崎県「諌早=伊 邪 早(日 十)」
↓ ↓ ↓ ↓
伊の邪(よこしま)の 日の十(叉=交差)
この現存する「よこしま」は単なる偶然ではない
・・・もちろん、「イト的」なモノである・・・「古事記・神代の七代目」に登場する「伊邪那岐いざなぎ」、「伊邪那美いざなみ」の「邪(よこしま)」である。「日本書紀」の「伊弉=(壯+廾)=奘(壯+大)諾尊」、「伊弉=(壯+廾)=奘(壯+大)冊尊」の「弉=邪悪」の「漢字」とは「イト的」に異なるのだ。
伊邪那岐
↓
伊弉諾 尊・・・諾=言+若
↓
弉=(壯+廾)=奘(壯+大)=ソウ・ゾウ・大きい・壮ん・健やか
伊邪那美
↓
伊弉冊 尊・・・冊=册=几(冂)+几(冂)+一
↓ 几(キ・おしまずき・ひじかけ・机・台)=きにょう→パイ・π・Π
↓ ↓ ↓ ↓ 円周率
↓ 記・渡島好き=於島図記=御島津記 記似様・記二様
↓ ↓ ひじかけ→日出架=秘事懸=比字掛
↓ 蝦夷(毛人)=北海道
↓ 冂(ケイ・キョウ・国境・牧)=まきがまえ・けいがまえ→坰(土+冋)
↓ ↓ 経・教 巻構(が前)・景構(が前) 叵→匚+口
↓ 形・景・刑・系・馨・稽 向≠叵≠冋≠同
↓ コッキョウ→国教・古句経・刻響 ↓
↓ マキ→巻き・眞記・魔記・摩記 不可・出来ない
弉=(壯+廾)=奘(壯+大)
「砂=いさ=諫」で、「くじら=鯨=いさな=勇魚」、「寝覚め=いさめ=伊邪女」、「いさは=斑葉=石和・井沢・胆沢・伊沢・井澤・胆澤・伊澤」、「いざり=漁り」、「イザ、ナギ」へ、「イザ、ナミ」へ等の「誘い」である。