混乱の文字・・・
昆虫が「兄のムシ」って・・・?
ナンでも「鵜呑み」にしちゃァ~ダメです・・・
痛さは自分で抓って経験しなくちゃぁ~
↓↑
間違っているコトを「自覚(ジカク)」して
それを「前提」で
「文字でアソンでいる」のとはチガウ・・・
「文章」は命令形ではない・・・
「問題提起の疑問文」・・・カモかなぁ~であるけれど・・・
でも
「鵜呑み」にされた
「文字」でタニンを
「サッショウ」・・・するコトが・・・アルカモ・・・
「ウのみにされた鮎(あゆ)」を吐き出して
「信じるか、信じないかは、アナタ次第」って・・・
「シンジロ」って、暗に「キョウヨウ」している・・・
コトバになっている・・・カモ・・・
なんせ、「前提」をシラナイから・・・
「信じるも、信じないも」・・・ナイ・・・
で、ホントウなの・・・その「ゴカン」・・・?
↓↑
昆=日+比・・・日を比較・・・日数の長短、早遅
日+上+匕(七・𠤎・ヒ・匕)
コン
あに=兄=口(くち・唇)+儿(丿+乚)・・・
口⇔品(ヒン・ほん・しな)
=囗(くに・國・圀・𡈁・国・六合)+儿(丿+乚)
昆=兄・・・???
なかま・たぐい
群れ
群がる虫
「ヒン」は「兄(ケイ・キョウ・あに・え)」の「唐宋音」・・・
貧=分+貝・・・財産を分ける・・・貧乏?
兄=祝祷を司る人
口=祝呪の品を収める器
兄=祝祷・祝福・祝言の儀式を掌る人
兄⇔兌=八+兄=喜悦の徳・・・兌換
かえる・とりかえる
沢・少女・秋
西の方位
八=開く・抜ける
兄=人
「悦・脱・蛻・税」の原字
兌=兄が両手を捧げている形象?
兄=異体字「允・只・況」・・・?
兄=跪(ひざまづ)き、神事に従うものの象形
「児」=「兒(旧字=𦥑+儿)」・・・
「𦥑=キュウ=旧の同音の借字」+儿
臼=赤子・嬰児、赤ちゃんの
頭の頭蓋骨の未縫合の部分・割れ目の部分
「泉門(センモン・ひよめき)」の未結合部分
臼=うす=舂)=製粉や脱稃に用いる道具
「木臼・石臼」の中のモノを杵で搗き崩す
「碾き臼」=碾臼・挽き臼
円形の二つの上下に重ねた石の間に
穀物を入れて上の石を挽き回し砕く
𦥑=キョク・両手のこまねき・両手でモノをささげる
「𦥑=Eヨ」⇔「囟=ノ+囗+乂」
囟=ひよめき・シン
小児の頭の真ん中を象(かたど)った象形文字
脳の容器、頭蓋骨の形
淄(シ・くろむ)
脳=腦=月(肉)+𡿺(ノウ)の原字
省略形
「田(シン・サイ・シ)」は
細、思、鰓の部分として使用
甶=フツ・フチ=鬼や亡霊の頭
畏・禺
𢍉・畢・畀
由=物事が起こった理由・わけ・いわれ・来歴
由緒・由来・自由・由縁・理由
ナンで「油=氵+由」なのか・・・
瀝青=天然、人造の炭化水素からなる化合物
然アスファルト・コールタール
石油アスファルト・ピッチ
黒色の粘着性のある物質の総称
石炭を加圧下で
ベンゼンを用いて抽出した抽出物
「黒炭(コクタン)」の別称
「土瀝青(ドレキセイ)・地瀝青(ジレキセイ)」
「アスファルト(asphalt)」の別称
瀝=氵+歴
レキ・そそぐ・したたる・しずく
↓↑
字典で調べても
「意味、意義」未詳の漢字が多い・・・
自分で考えるより他は無いが
材料は揃っている
「漢字自体」の「構成の部品」の分解と再構成である
で、勿論、限界がアル・・・
分解できる漢字は
「楷書体」
「一字漢字」の構成部分で
「熟語漢字」の
「二文字・三文字・四文字」の合体漢字ではない
それに現在的な日本語の「発音」からは
あまりにも
「同音異字漢字」がワンサカである・・・
「外来語の片仮名のコトバ」もワンサカ・・・
「新語」も同音の「カタカナ文字」での発音・・・
マスマス、ボクの脳ミソは「コンフューズ(confuse )」・・・
「昆附由得事」・・・?
↓↑
α+昆+β
倱=イ+昆=倱伅(コントン)・混沌・渾沌
はっきりしないさま
混=氵+昆=混入・混雑・混乱
崐=山+昆=
堒=土+昆=
惃=忄+昆=
猑=犭+昆=
崑=山+昆=崑崙山
婫=女+昆=コン・ゴン
女性の字(あざな)
おおう・おおいかぶせる
掍=扌+昆=
菎=艹+昆=菎蒻(こんにゃく)
蒟蒻(こんにゃく)の誤用
焜=火+昆=かがやく
あきらか
光る・光り輝く
焜黄(コンコウ)
草木の葉などが黄ばんで衰えるさま
辊=车+昆=輥・车=車
コン
車のこしきが丸く整っているさま
車輪がなめらかに回転するさま
車輪の回転がはやいさま
琨=王+昆=玉+昆
䐊=月+昆=肉+昆
棍=木+昆=棍棒
䅙=禾+昆=
窤=穴+昆=
裩=衤+昆=コン・したばかま・ふんどし
みつ・ももひき
まわし・下帯
䃂=石+昆=コン
音がこもるさま・響かないさま
緄=糸+昆=コン
織った帯・模様を縫った帯
縄・縄でしばる
緄夷(コンイ)・緄戎(コンジュウ)
古代中国、西方の異民族
䊐=米+昆=
箟=竹+昆=キン・しのだけ・やだけ
蜫=虫+昆=
尡=光+昆=
潉=氵+崑=
熴=火+崑=かがやく
あきらか
光る・光り輝く
焜黄(コンコウ)
草木の葉などが黄ばんで衰えるさま
輥=車+昆=辊・コン
車のこしきが丸く整っているさま
車輪がなめらかに回転するさま
車輪の回転がはやいさま
䛰=言+昆=
醌=酉+昆=
䚠=角+昆=
錕=金+昆=コン・あかがね・赤鉄鉱の塊
錕鋙(コンゴ)=架空の山
そこで採れる良質な鉄を用いて作った刀
かりも・かも
車のこしきの内にはめて
車軸の摩滅を防ぐ鉄製の管
餛=食+昆=餛飩(コントン)
肉や野菜などの餡(あん)を
こねた小麦粉の生地で
包んで茹(ゆで)たもの
騉=馬+昆=
鯤=魚+昆=はららご・はらご・魚の卵
北の海に住む想像上の大魚
鵾=昆+鳥=鵾鶏(コンケイ)=大型の鷄・鶏・鶏
䵪=黑+昆=
↓↑
地名
昆布盛(こんぶもり)
昆布温泉(こんぶおんせん)
昆布町(こんぶまち)
昆布刈石(こぶかりいし)
昆布森(こんぶもり)
重昆(かさひ)
昆布谷(こぶたに・こぶや・こんぶや)
昆布屋(こぶや・こんぶや)
昆布山(こぶやま・こんぶやま)
昆埜(こや・こんの)
↓↑
昆(あに)=日+比=兄・・・?
↓↑
朧昆布(おぼろこんぶ・おぼろこぶ)
酢で湿らせた昆布の表面を
薄く削って帯状にしたもの
出し昆布(だしこんぶ)
出し汁をとるための昆布
とろろ昆布=褐藻類コンブ科の海藻
柔らかな帯状でぬめりがある
昆布(こぶ・こんぶ)
昆虫(コンチュウ)
熨斗昆布(のしこんぶ)
↓↑
金友玉昆=玉友金昆=玉昆金友
才能や学識のある兄弟
他人の兄弟をほめる言葉
友=弟
昆=兄
↓↑
堅昆(ケンコン)
契骨(キルギズ)
中央ユーラシア北部に分布した
テュルク系遊牧民族
キルギズ(Qirqiz)の転写
鬲昆(へきこん)
契骨(けいこつ)
居勿(きょぶつ)
結骨(けつこつ)
紇骨(こつこつ)
紇扢斯(こつこつし)
黠戛斯(かつかつし)
戛戛斯(かつかつし)
吉利吉思
乞力吉思
乞児吉思
乞里吉思
などと記録
キルギス人(天山キルギズ)
と区別するため
イェニセイ・キルギズ
とも呼ばれる
現在の
「ハカス」人の祖先
↓↑
匈奴の北に
「阿謗歩」を大人(たいじん・部族長)
とする部落があった
兄弟は17人
その1人に
「伊質泥師都」
がいたて特別な力を持って
天候を操ることができ
夏神の娘と
冬神の娘の2人を娶り
4つ子を授かった
4つ子のうち2人から
契骨
突厥
が生まれた
『周書』列伝第四十二 異域下
↓↑
匈奴がモンゴル高原を統一
北(バイカル湖周辺)の
渾庾・屈射・丁零・鬲昆・薪犁
といった諸族が
匈奴に服属
↓↑
黄龍元年(前49年)頃
匈奴の
「郅支単于」
在位 紀元前56年~紀元前36年
弟の
「呼韓邪単于」
在位 紀元前58年~紀元前31年
と対立
漢と組んでいた
「呼韓邪単于」
が優勢だったので
西の
「烏孫」に協力を求めたが
烏孫の
「小昆弥(烏孫の君主号)」
である
「烏就屠(うしゅうと)」
も漢側についたので
「郅支単于」
は烏孫を撃破
乗じて北の
「烏掲」
を撃ち
その兵を使ってさらに西の
「堅昆」
を破り
北の
「丁令」
をも降して
烏掲・堅昆・丁令
の三国を併合
後も何度か
烏孫
に兵を派遣して勝利
「郅支単于」
は
「堅昆」の地に遷都
三国時代
『魏略』西戎伝
↓↑
呼得国は
葱嶺の北
烏孫の西北
康居の東北に在り
勝兵は1万人余り
畜牧に随い
良馬と貂を産出
↓↑
堅昆国は
康居の西北に在り
勝兵は3万人
畜牧に随い
多くの貂と良馬を産出
↓↑
丁令国は
康居の北に在り
勝兵は6万人
畜牧に随い
鼠皮・白昆子の皮・青昆子の皮を産出
三国は堅昆が中央で
匈奴の
単于庭である
安習水を去ること7千里
南の車師六国を去ること5千里
西南の康居界を去ること3千里
西の康居王治を去ること8千里
の距離にある
一方
北海(バイカル湖)の南の地域
匈奴の北に
渾庾国・屈射国・丁令国・鬲昆国・薪犁国
がある
↓↑
突厥時代
突厥が
柔然可汗国を滅ぼし
可汗国となると
第3代の
「木汗可汗」
在位 553年~572年
西の「嚈噠(エフタル)」を破り
東の「契丹(キタイ)」を敗走させ
北の「契骨」を併合し
中央ユーラシアを支配
↓↑
「車鼻可汗」
?~650年
が現れ
結骨は
「葛邏禄(カルルク)」
とともにふたたび突厥に属した
↓↑
唐代
貞観22年(648年)
「鉄勒諸部」
が唐に入臣したと聞いた
「堅昆」
は遣使者を送って方物を献じ
酋長である
「俟利発(イルテベル)」
の
「失鉢屈阿棧」
も自ら入朝
「太宗」
在位 626年~649年
は喜んで酒宴を開き
「堅昆」の地をもって
「堅昆府」とし
「失鉢屈阿棧」
を拝して左屯衛大将軍とし
「堅昆府都督」として
「燕然都護」・・・燕の然(しかり)都護?
に隷属させた
↓↑
高宗
(在位 649年~683年)
「堅昆」
は再び入朝
↓↑
景龍年間(707年~710年)
「堅昆」は唐に方物献上し
中宗は
「(堅昆が李陵の末裔であるため)
我と同宗(同じ李姓)である」
といい、酒宴を開いた
↓↑
玄宗(在位 712年~756年)
「堅昆」
は4回朝献
↓↑
乾元年間(758年~760年)
「堅昆」は
「回紇(ウイグル)」部に破られ
中国と交通できなく
後に
「狄語(テュルク語)」
が訛って
「黠戛斯(かつかつし)」
となる
「回鶻(ウイグル可汗国)」
によるものだ・・・
若くは「黄赤面」
訛って「戛戛斯」
となる
「黠戛斯」
は常に
大食(タージ:イスラーム帝国)
吐蕃
葛邏禄(カルルク)
と頼り合い
吐蕃の往来者にいたっては
回鶻の略奪を畏れ
必ず
「葛邏禄」に住み
「黠戛斯」の護送を待っていた
一方
「回鶻」は
「黠戛斯」の君長である
「阿熱(あぜつ・黠戛斯の君主号)」
に官を授けて
「毘伽頓頡斤(ビルゲ・トン・イルキン)」
とした
↓↑
回鶻可汗国が衰え
「阿熱」は
「可汗(カガン)」を称し
母は
「突騎施(テュルギシュ)」
の娘で
「母可敦(皇太后)」
となる
妻は
「葛邏禄葉護
(カルルク・ヤブグ:カルルクの君主)」
の娘で
「可敦(カトゥン:皇后)」
となる
↓↑
開成5年(840年)頃
渠長(キョチョウ=将軍)の
「句録莫賀(句録末賀、キュリュグ・バガ)」
は、北の
「黠戛斯(キルギス)」
軍10万騎を招き寄せて
「回鶻城(オルド・バリク?)」
を破り
「㕎馺可汗」
と
「掘羅勿(キュレビル)」
を殺して
「牙帳」
を焼き払い
「回鶻可汗国」崩壊
各 「特勤(テギン=皇子)」
を奉じて各地に散らばった
「可汗庭(かがんてい=可汗の牙帳)」
近くの13部は
「烏介特勤(ウゲ・テギン)」
を可汗に推戴し、南の
「錯子山」に割拠
「烏介可汗」
らは
「太和公主」
を唐まで護送する
「黠戛斯」の
「達干(タルカン)」
らと遭遇し
「烏介可汗」
「達干」らを殺し
「太和公主」
を奉じて
唐の天徳界まで護送
↓↑
会昌年間(841年~846年)
「阿熱」
は使者を見殺し入朝せずにいたが
「注吾合素」
を遣わして上書言状した
武宗(在位840年~846年)
「注吾合素」
らが3年かけて
京師にたどりき大いに悦んだ
「烏介可汗」
の余衆が
「室韋(黒車子)」
に亡命していたので
「阿熱」
は回鶻の残党討伐を願い出た
武宗は右散騎常侍の
「李拭」を
「黠戛斯」に遣わし
「君長」を冊立して
「宗英雄武誠明可汗」
としたが使者が到着しないうちに
武宗が崩御し
宣宗(在位846年~859年)が即位
大中元年(847年)
武宗の卒詔で鴻臚卿の
「李業」
に節を持たせて
「黠戛斯阿熱」
を冊立して
「英武誠明可汗」
とした
↓↑
大中2年(848年)春
回鶻の
「遏捻可汗」
のもとには名王貴臣の500人しかいなく
彼らは
「室韋」
に依ることにしたが
「張仲武」
が
「遏捻可汗」
らを捕えるべく
「黠戛斯」などを
「室韋」に向かわせ
「遏捻可汗」
は懼れて妻の
「葛邏禄(カルルク)」
と子の
「特勤毒斯」
ら9騎だけを連れて夜に西へ逃亡
「室韋」
は
「回鶻」の余衆を分けて七分とし
七姓室韋は各一分を占領
「黠戛斯宰相」
の
「阿播」が領する諸蕃兵7万が
「遏捻可汗」
と諸回鶻人を捕えるべく
「室韋」に乗り込み
「阿播」の軍に大敗し
回鶻人ともども
黠戛斯の略奪を受けた
↓↑
習俗
服装
君主である阿熱は
冬に貂の帽子をかぶり
夏に金扣の帽子をかぶる
貴人は
貂か豽(ナ・豹に似ている獣)の服をまとい
諸下はみな白氈(フェルト)の帽子をかぶる
身分賤しき者は
皮の衣をまとい
帽子はかぶらない
女性の衣は
毳毼・錦・罽・綾製のもの
↓↑
食物
諸部の人は肉および馬酪を食す
君主の阿熱のみは
餅餌(小麦粉で作っもの)を食べる
↓↑
結婚
結婚は
新郎側が羊と馬を
新婦側に収めて嫁を招く
富裕者ではその数が100~1,000
↓↑
葬式
歴代遊牧国家のように
剺面(顔にナイフを入れること)をせず
三回死体を囲んで泣く
火葬され骨を収めて墓に入れる
冬は室内に納め
木の皮を覆いとした
↓↑
文化
笛・鼓・笙・觱篥・盤鈴
芸には
弄駝・師子・馬伎・縄伎
↓↑
暦
『新唐書』回鶻伝下
「年の始めを
茂師哀(モス・アイ=氷月)
三哀(3カ月)をもって一季節となし
十二の動物をもって紀年とする
ある年が寅歳であれば
これを虎年と称する」
黠戛斯は
「十二物紀年」
十二支を用いた暦を使用
↓↑
政治体制
堅昆時代
鉄勒の薛延陀部に隷属し
延陀が
「頡利発(イルテベル)」1人をもって監国
堅昆の酋長は3人
訖悉輩・居沙波輩・阿米輩
3酋長で国を共治
酋長は
「俟利発(イルテベル)」の称号を帯び
唐によって
「堅昆都督府」
が置かれると
「堅昆都督の職」も担当した
↓↑
黠戛斯の
君主は
「阿熱(あぜつ)」といい
その氏族名も
「阿熱(あぜつ)」
阿熱は
青山に牙(本営)を置き
周りには垣をし
「密的支」と呼ばれる
毛氈を延べ連ねたものを帳幕とし
他の首領は小さい帳幕に住んだ
「阿熱」
はおよそ諸部より兵を徴発
諸部の役属者は悉く行って
貂鼠・青鼠を賦とした
官職は
宰相(7人)
都督(3人)
職使(10人)
長史(15人)
将軍(定員なし)
達干(定員なし)
の六等
↓↑
回鶻可汗国が衰退すると
黠戛斯の阿熱は
可汗(カガン)号を採用
妻の称号も
可敦(カトゥン)とした
↓↑
モンゴル帝国時代
キルギズの君主は
「イナール」という称号
イナール号は
コリ、バルグ、トゥマト、バイルク(バイアウト)
の諸族でも使用
ジェニン・アン・ビディ
ビディ・ウラン
(ビディ・アフルン、エディ・オルン)
では
ウルース・イナール
などの君主号を使用
↓↑
文字・言語
古代には
「丁零の雑種」
とされ、イェニセイ川流域に
『イェニセイ碑文』を残し
『新唐書』回鶻伝下に
「その文字言語は
回鶻(ウイグル)と正に同じ」
と記録
文字は「突厥文字」を使用し
言語は「テュルク」系の言語を使用
『元史』地理六で
「その言語は
畏吾児(ウイグル)と同じ」
とある
↓↑
宗教
アニミズム的宗教
水草を主神として祀り祭はない
「甘(カム)」と呼ばれる巫がいる
↓↑
人種
『新唐書』回鶻伝下
「人は皆背が高く
赤い髪、析面、緑の瞳
黒髪は不祥
黒瞳の者は
必ず李陵の苗裔であるという」
「黠戛斯人」
は西方系の人種(コーカソイド)で
東方系(モンゴロイド)ではなかった
中には
黒髪・黒瞳の人種(モンゴロイド)もいたが
匈奴によって
「右賢王」に封じられた漢の降将の
「李陵」の末裔だとされた
敦煌出土の
『ペリオ・チベット語文書1283番』
キルギス族は
「目は水晶の瞳、赤い髪」
と記されている
ーーーーー
・・・???・・・
↓↑ ↓↑
「プラトン古事記をカタル(古事記字源) + (表紙・画像・音楽)」の 移転先・・・
↓↑
ボクの「古事記字源」の発端・・・
↓↑
干支歴
↓↑
追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
痛さは自分で抓って経験しなくちゃぁ~
↓↑
間違っているコトを「自覚(ジカク)」して
それを「前提」で
「文字でアソンでいる」のとはチガウ・・・
「文章」は命令形ではない・・・
「問題提起の疑問文」・・・カモかなぁ~であるけれど・・・
でも
「鵜呑み」にされた
「文字」でタニンを
「サッショウ」・・・するコトが・・・アルカモ・・・
「ウのみにされた鮎(あゆ)」を吐き出して
「信じるか、信じないかは、アナタ次第」って・・・
「シンジロ」って、暗に「キョウヨウ」している・・・
コトバになっている・・・カモ・・・
なんせ、「前提」をシラナイから・・・
「信じるも、信じないも」・・・ナイ・・・
で、ホントウなの・・・その「ゴカン」・・・?
↓↑
昆=日+比・・・日を比較・・・日数の長短、早遅
日+上+匕(七・𠤎・ヒ・匕)
コン
あに=兄=口(くち・唇)+儿(丿+乚)・・・
口⇔品(ヒン・ほん・しな)
=囗(くに・國・圀・𡈁・国・六合)+儿(丿+乚)
昆=兄・・・???
なかま・たぐい
群れ
群がる虫
「ヒン」は「兄(ケイ・キョウ・あに・え)」の「唐宋音」・・・
貧=分+貝・・・財産を分ける・・・貧乏?
兄=祝祷を司る人
口=祝呪の品を収める器
兄=祝祷・祝福・祝言の儀式を掌る人
兄⇔兌=八+兄=喜悦の徳・・・兌換
かえる・とりかえる
沢・少女・秋
西の方位
八=開く・抜ける
兄=人
「悦・脱・蛻・税」の原字
兌=兄が両手を捧げている形象?
兄=異体字「允・只・況」・・・?
兄=跪(ひざまづ)き、神事に従うものの象形
「児」=「兒(旧字=𦥑+儿)」・・・
「𦥑=キュウ=旧の同音の借字」+儿
臼=赤子・嬰児、赤ちゃんの
頭の頭蓋骨の未縫合の部分・割れ目の部分
「泉門(センモン・ひよめき)」の未結合部分
臼=うす=舂)=製粉や脱稃に用いる道具
「木臼・石臼」の中のモノを杵で搗き崩す
「碾き臼」=碾臼・挽き臼
円形の二つの上下に重ねた石の間に
穀物を入れて上の石を挽き回し砕く
𦥑=キョク・両手のこまねき・両手でモノをささげる
「𦥑=Eヨ」⇔「囟=ノ+囗+乂」
囟=ひよめき・シン
小児の頭の真ん中を象(かたど)った象形文字
脳の容器、頭蓋骨の形
淄(シ・くろむ)
脳=腦=月(肉)+𡿺(ノウ)の原字
省略形
「田(シン・サイ・シ)」は
細、思、鰓の部分として使用
甶=フツ・フチ=鬼や亡霊の頭
畏・禺
𢍉・畢・畀
由=物事が起こった理由・わけ・いわれ・来歴
由緒・由来・自由・由縁・理由
ナンで「油=氵+由」なのか・・・
瀝青=天然、人造の炭化水素からなる化合物
然アスファルト・コールタール
石油アスファルト・ピッチ
黒色の粘着性のある物質の総称
石炭を加圧下で
ベンゼンを用いて抽出した抽出物
「黒炭(コクタン)」の別称
「土瀝青(ドレキセイ)・地瀝青(ジレキセイ)」
「アスファルト(asphalt)」の別称
瀝=氵+歴
レキ・そそぐ・したたる・しずく
↓↑
字典で調べても
「意味、意義」未詳の漢字が多い・・・
自分で考えるより他は無いが
材料は揃っている
「漢字自体」の「構成の部品」の分解と再構成である
で、勿論、限界がアル・・・
分解できる漢字は
「楷書体」
「一字漢字」の構成部分で
「熟語漢字」の
「二文字・三文字・四文字」の合体漢字ではない
それに現在的な日本語の「発音」からは
あまりにも
「同音異字漢字」がワンサカである・・・
「外来語の片仮名のコトバ」もワンサカ・・・
「新語」も同音の「カタカナ文字」での発音・・・
マスマス、ボクの脳ミソは「コンフューズ(confuse )」・・・
「昆附由得事」・・・?
↓↑
α+昆+β
倱=イ+昆=倱伅(コントン)・混沌・渾沌
はっきりしないさま
混=氵+昆=混入・混雑・混乱
崐=山+昆=
堒=土+昆=
惃=忄+昆=
猑=犭+昆=
崑=山+昆=崑崙山
婫=女+昆=コン・ゴン
女性の字(あざな)
おおう・おおいかぶせる
掍=扌+昆=
菎=艹+昆=菎蒻(こんにゃく)
蒟蒻(こんにゃく)の誤用
焜=火+昆=かがやく
あきらか
光る・光り輝く
焜黄(コンコウ)
草木の葉などが黄ばんで衰えるさま
辊=车+昆=輥・车=車
コン
車のこしきが丸く整っているさま
車輪がなめらかに回転するさま
車輪の回転がはやいさま
琨=王+昆=玉+昆
䐊=月+昆=肉+昆
棍=木+昆=棍棒
䅙=禾+昆=
窤=穴+昆=
裩=衤+昆=コン・したばかま・ふんどし
みつ・ももひき
まわし・下帯
䃂=石+昆=コン
音がこもるさま・響かないさま
緄=糸+昆=コン
織った帯・模様を縫った帯
縄・縄でしばる
緄夷(コンイ)・緄戎(コンジュウ)
古代中国、西方の異民族
䊐=米+昆=
箟=竹+昆=キン・しのだけ・やだけ
蜫=虫+昆=
尡=光+昆=
潉=氵+崑=
熴=火+崑=かがやく
あきらか
光る・光り輝く
焜黄(コンコウ)
草木の葉などが黄ばんで衰えるさま
輥=車+昆=辊・コン
車のこしきが丸く整っているさま
車輪がなめらかに回転するさま
車輪の回転がはやいさま
䛰=言+昆=
醌=酉+昆=
䚠=角+昆=
錕=金+昆=コン・あかがね・赤鉄鉱の塊
錕鋙(コンゴ)=架空の山
そこで採れる良質な鉄を用いて作った刀
かりも・かも
車のこしきの内にはめて
車軸の摩滅を防ぐ鉄製の管
餛=食+昆=餛飩(コントン)
肉や野菜などの餡(あん)を
こねた小麦粉の生地で
包んで茹(ゆで)たもの
騉=馬+昆=
鯤=魚+昆=はららご・はらご・魚の卵
北の海に住む想像上の大魚
鵾=昆+鳥=鵾鶏(コンケイ)=大型の鷄・鶏・鶏
䵪=黑+昆=
↓↑
地名
昆布盛(こんぶもり)
昆布温泉(こんぶおんせん)
昆布町(こんぶまち)
昆布刈石(こぶかりいし)
昆布森(こんぶもり)
重昆(かさひ)
昆布谷(こぶたに・こぶや・こんぶや)
昆布屋(こぶや・こんぶや)
昆布山(こぶやま・こんぶやま)
昆埜(こや・こんの)
↓↑
昆(あに)=日+比=兄・・・?
↓↑
朧昆布(おぼろこんぶ・おぼろこぶ)
酢で湿らせた昆布の表面を
薄く削って帯状にしたもの
出し昆布(だしこんぶ)
出し汁をとるための昆布
とろろ昆布=褐藻類コンブ科の海藻
柔らかな帯状でぬめりがある
昆布(こぶ・こんぶ)
昆虫(コンチュウ)
熨斗昆布(のしこんぶ)
↓↑
金友玉昆=玉友金昆=玉昆金友
才能や学識のある兄弟
他人の兄弟をほめる言葉
友=弟
昆=兄
↓↑
堅昆(ケンコン)
契骨(キルギズ)
中央ユーラシア北部に分布した
テュルク系遊牧民族
キルギズ(Qirqiz)の転写
鬲昆(へきこん)
契骨(けいこつ)
居勿(きょぶつ)
結骨(けつこつ)
紇骨(こつこつ)
紇扢斯(こつこつし)
黠戛斯(かつかつし)
戛戛斯(かつかつし)
吉利吉思
乞力吉思
乞児吉思
乞里吉思
などと記録
キルギス人(天山キルギズ)
と区別するため
イェニセイ・キルギズ
とも呼ばれる
現在の
「ハカス」人の祖先
↓↑
匈奴の北に
「阿謗歩」を大人(たいじん・部族長)
とする部落があった
兄弟は17人
その1人に
「伊質泥師都」
がいたて特別な力を持って
天候を操ることができ
夏神の娘と
冬神の娘の2人を娶り
4つ子を授かった
4つ子のうち2人から
契骨
突厥
が生まれた
『周書』列伝第四十二 異域下
↓↑
匈奴がモンゴル高原を統一
北(バイカル湖周辺)の
渾庾・屈射・丁零・鬲昆・薪犁
といった諸族が
匈奴に服属
↓↑
黄龍元年(前49年)頃
匈奴の
「郅支単于」
在位 紀元前56年~紀元前36年
弟の
「呼韓邪単于」
在位 紀元前58年~紀元前31年
と対立
漢と組んでいた
「呼韓邪単于」
が優勢だったので
西の
「烏孫」に協力を求めたが
烏孫の
「小昆弥(烏孫の君主号)」
である
「烏就屠(うしゅうと)」
も漢側についたので
「郅支単于」
は烏孫を撃破
乗じて北の
「烏掲」
を撃ち
その兵を使ってさらに西の
「堅昆」
を破り
北の
「丁令」
をも降して
烏掲・堅昆・丁令
の三国を併合
後も何度か
烏孫
に兵を派遣して勝利
「郅支単于」
は
「堅昆」の地に遷都
三国時代
『魏略』西戎伝
↓↑
呼得国は
葱嶺の北
烏孫の西北
康居の東北に在り
勝兵は1万人余り
畜牧に随い
良馬と貂を産出
↓↑
堅昆国は
康居の西北に在り
勝兵は3万人
畜牧に随い
多くの貂と良馬を産出
↓↑
丁令国は
康居の北に在り
勝兵は6万人
畜牧に随い
鼠皮・白昆子の皮・青昆子の皮を産出
三国は堅昆が中央で
匈奴の
単于庭である
安習水を去ること7千里
南の車師六国を去ること5千里
西南の康居界を去ること3千里
西の康居王治を去ること8千里
の距離にある
一方
北海(バイカル湖)の南の地域
匈奴の北に
渾庾国・屈射国・丁令国・鬲昆国・薪犁国
がある
↓↑
突厥時代
突厥が
柔然可汗国を滅ぼし
可汗国となると
第3代の
「木汗可汗」
在位 553年~572年
西の「嚈噠(エフタル)」を破り
東の「契丹(キタイ)」を敗走させ
北の「契骨」を併合し
中央ユーラシアを支配
↓↑
「車鼻可汗」
?~650年
が現れ
結骨は
「葛邏禄(カルルク)」
とともにふたたび突厥に属した
↓↑
唐代
貞観22年(648年)
「鉄勒諸部」
が唐に入臣したと聞いた
「堅昆」
は遣使者を送って方物を献じ
酋長である
「俟利発(イルテベル)」
の
「失鉢屈阿棧」
も自ら入朝
「太宗」
在位 626年~649年
は喜んで酒宴を開き
「堅昆」の地をもって
「堅昆府」とし
「失鉢屈阿棧」
を拝して左屯衛大将軍とし
「堅昆府都督」として
「燕然都護」・・・燕の然(しかり)都護?
に隷属させた
↓↑
高宗
(在位 649年~683年)
「堅昆」
は再び入朝
↓↑
景龍年間(707年~710年)
「堅昆」は唐に方物献上し
中宗は
「(堅昆が李陵の末裔であるため)
我と同宗(同じ李姓)である」
といい、酒宴を開いた
↓↑
玄宗(在位 712年~756年)
「堅昆」
は4回朝献
↓↑
乾元年間(758年~760年)
「堅昆」は
「回紇(ウイグル)」部に破られ
中国と交通できなく
後に
「狄語(テュルク語)」
が訛って
「黠戛斯(かつかつし)」
となる
「回鶻(ウイグル可汗国)」
によるものだ・・・
若くは「黄赤面」
訛って「戛戛斯」
となる
「黠戛斯」
は常に
大食(タージ:イスラーム帝国)
吐蕃
葛邏禄(カルルク)
と頼り合い
吐蕃の往来者にいたっては
回鶻の略奪を畏れ
必ず
「葛邏禄」に住み
「黠戛斯」の護送を待っていた
一方
「回鶻」は
「黠戛斯」の君長である
「阿熱(あぜつ・黠戛斯の君主号)」
に官を授けて
「毘伽頓頡斤(ビルゲ・トン・イルキン)」
とした
↓↑
回鶻可汗国が衰え
「阿熱」は
「可汗(カガン)」を称し
母は
「突騎施(テュルギシュ)」
の娘で
「母可敦(皇太后)」
となる
妻は
「葛邏禄葉護
(カルルク・ヤブグ:カルルクの君主)」
の娘で
「可敦(カトゥン:皇后)」
となる
↓↑
開成5年(840年)頃
渠長(キョチョウ=将軍)の
「句録莫賀(句録末賀、キュリュグ・バガ)」
は、北の
「黠戛斯(キルギス)」
軍10万騎を招き寄せて
「回鶻城(オルド・バリク?)」
を破り
「㕎馺可汗」
と
「掘羅勿(キュレビル)」
を殺して
「牙帳」
を焼き払い
「回鶻可汗国」崩壊
各 「特勤(テギン=皇子)」
を奉じて各地に散らばった
「可汗庭(かがんてい=可汗の牙帳)」
近くの13部は
「烏介特勤(ウゲ・テギン)」
を可汗に推戴し、南の
「錯子山」に割拠
「烏介可汗」
らは
「太和公主」
を唐まで護送する
「黠戛斯」の
「達干(タルカン)」
らと遭遇し
「烏介可汗」
「達干」らを殺し
「太和公主」
を奉じて
唐の天徳界まで護送
↓↑
会昌年間(841年~846年)
「阿熱」
は使者を見殺し入朝せずにいたが
「注吾合素」
を遣わして上書言状した
武宗(在位840年~846年)
「注吾合素」
らが3年かけて
京師にたどりき大いに悦んだ
「烏介可汗」
の余衆が
「室韋(黒車子)」
に亡命していたので
「阿熱」
は回鶻の残党討伐を願い出た
武宗は右散騎常侍の
「李拭」を
「黠戛斯」に遣わし
「君長」を冊立して
「宗英雄武誠明可汗」
としたが使者が到着しないうちに
武宗が崩御し
宣宗(在位846年~859年)が即位
大中元年(847年)
武宗の卒詔で鴻臚卿の
「李業」
に節を持たせて
「黠戛斯阿熱」
を冊立して
「英武誠明可汗」
とした
↓↑
大中2年(848年)春
回鶻の
「遏捻可汗」
のもとには名王貴臣の500人しかいなく
彼らは
「室韋」
に依ることにしたが
「張仲武」
が
「遏捻可汗」
らを捕えるべく
「黠戛斯」などを
「室韋」に向かわせ
「遏捻可汗」
は懼れて妻の
「葛邏禄(カルルク)」
と子の
「特勤毒斯」
ら9騎だけを連れて夜に西へ逃亡
「室韋」
は
「回鶻」の余衆を分けて七分とし
七姓室韋は各一分を占領
「黠戛斯宰相」
の
「阿播」が領する諸蕃兵7万が
「遏捻可汗」
と諸回鶻人を捕えるべく
「室韋」に乗り込み
「阿播」の軍に大敗し
回鶻人ともども
黠戛斯の略奪を受けた
↓↑
習俗
服装
君主である阿熱は
冬に貂の帽子をかぶり
夏に金扣の帽子をかぶる
貴人は
貂か豽(ナ・豹に似ている獣)の服をまとい
諸下はみな白氈(フェルト)の帽子をかぶる
身分賤しき者は
皮の衣をまとい
帽子はかぶらない
女性の衣は
毳毼・錦・罽・綾製のもの
↓↑
食物
諸部の人は肉および馬酪を食す
君主の阿熱のみは
餅餌(小麦粉で作っもの)を食べる
↓↑
結婚
結婚は
新郎側が羊と馬を
新婦側に収めて嫁を招く
富裕者ではその数が100~1,000
↓↑
葬式
歴代遊牧国家のように
剺面(顔にナイフを入れること)をせず
三回死体を囲んで泣く
火葬され骨を収めて墓に入れる
冬は室内に納め
木の皮を覆いとした
↓↑
文化
笛・鼓・笙・觱篥・盤鈴
芸には
弄駝・師子・馬伎・縄伎
↓↑
暦
『新唐書』回鶻伝下
「年の始めを
茂師哀(モス・アイ=氷月)
三哀(3カ月)をもって一季節となし
十二の動物をもって紀年とする
ある年が寅歳であれば
これを虎年と称する」
黠戛斯は
「十二物紀年」
十二支を用いた暦を使用
↓↑
政治体制
堅昆時代
鉄勒の薛延陀部に隷属し
延陀が
「頡利発(イルテベル)」1人をもって監国
堅昆の酋長は3人
訖悉輩・居沙波輩・阿米輩
3酋長で国を共治
酋長は
「俟利発(イルテベル)」の称号を帯び
唐によって
「堅昆都督府」
が置かれると
「堅昆都督の職」も担当した
↓↑
黠戛斯の
君主は
「阿熱(あぜつ)」といい
その氏族名も
「阿熱(あぜつ)」
阿熱は
青山に牙(本営)を置き
周りには垣をし
「密的支」と呼ばれる
毛氈を延べ連ねたものを帳幕とし
他の首領は小さい帳幕に住んだ
「阿熱」
はおよそ諸部より兵を徴発
諸部の役属者は悉く行って
貂鼠・青鼠を賦とした
官職は
宰相(7人)
都督(3人)
職使(10人)
長史(15人)
将軍(定員なし)
達干(定員なし)
の六等
↓↑
回鶻可汗国が衰退すると
黠戛斯の阿熱は
可汗(カガン)号を採用
妻の称号も
可敦(カトゥン)とした
↓↑
モンゴル帝国時代
キルギズの君主は
「イナール」という称号
イナール号は
コリ、バルグ、トゥマト、バイルク(バイアウト)
の諸族でも使用
ジェニン・アン・ビディ
ビディ・ウラン
(ビディ・アフルン、エディ・オルン)
では
ウルース・イナール
などの君主号を使用
↓↑
文字・言語
古代には
「丁零の雑種」
とされ、イェニセイ川流域に
『イェニセイ碑文』を残し
『新唐書』回鶻伝下に
「その文字言語は
回鶻(ウイグル)と正に同じ」
と記録
文字は「突厥文字」を使用し
言語は「テュルク」系の言語を使用
『元史』地理六で
「その言語は
畏吾児(ウイグル)と同じ」
とある
↓↑
宗教
アニミズム的宗教
水草を主神として祀り祭はない
「甘(カム)」と呼ばれる巫がいる
↓↑
人種
『新唐書』回鶻伝下
「人は皆背が高く
赤い髪、析面、緑の瞳
黒髪は不祥
黒瞳の者は
必ず李陵の苗裔であるという」
「黠戛斯人」
は西方系の人種(コーカソイド)で
東方系(モンゴロイド)ではなかった
中には
黒髪・黒瞳の人種(モンゴロイド)もいたが
匈奴によって
「右賢王」に封じられた漢の降将の
「李陵」の末裔だとされた
敦煌出土の
『ペリオ・チベット語文書1283番』
キルギス族は
「目は水晶の瞳、赤い髪」
と記されている
ーーーーー
・・・???・・・
↓↑ ↓↑
「プラトン古事記をカタル(古事記字源) + (表紙・画像・音楽)」の 移転先・・・
↓↑
ボクの「古事記字源」の発端・・・
↓↑
干支歴
↓↑
追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」