「古事記」そのもののタイトル・・・の意味・・・
「蝦(海老・蛯・ヱビ・ゑび)で鯛捕る」・・・?
↓↑
日下部皇子=日並皇子=日奈良部
日下部氏=くさかべ
名前の由来
日部・・・・部=「日」の「下」
日下部=草香部=草部=草加部=草下部=草壁
=苅部=早部=久坂部・・・?
草壁皇子=日並知(ひなめし)皇子
草壁皇子=天武天皇の第二皇子
大津皇子=天武天皇の第一皇子
「くさかべ=くさならべ」
「くさならべ=ひならべ」
「くさかべ=ひなめし=ひならべ」
↓↑
草壁皇子=岡本天皇
↓↑
天武天皇
と
持統天皇の息子で
元正天皇
文武天皇の父で
舒明天皇の孫
↓↑
在位 天武天皇10年2月25日(681年3月19日)
~
持統天皇3年4月13日(689年5月7日)
生誕 天智天皇元年(662年)
薨御 持統天皇3年4月13日(689年5月7日)
別名 日並皇子(ひなみしのみこ)『万葉集』
尊号 岡宮御宇天皇・岡宮天皇・長岡天皇
墓所 眞弓丘陵
↓↑
父 天武天皇=大海人皇子=天渟中原瀛真人天皇
↓↑
母 持統天皇=鸕野讚良皇女=鵜野讃良=菟野
大倭根子天之廣野日女尊
(おほやまとねこあめのひろのひめのみこと)
高天原廣野姫天皇
(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)
姉=大田皇女=大津皇子の母
↓↑
兄弟 高市皇子(たけちのみこ・たけちのおうじ)
天武天皇の長男
母=宗形徳善の娘
尼子娘
壬申の乱で
近江大津京を脱出し父に合流
美濃国不破で軍事の全権を委ねられた
持統天皇の即位後
太政大臣
生誕 白雉五年(654年)?・・・白生地・新羅の記事
薨御 持統天皇10年7月10日(696年8月13日)
別名 後皇子尊・・・後(ゴ・のち・あと)?
墓所 三立岡墓(大和国広瀬郡)
官位 浄広壱太政大臣
妻 御名部皇女・・・御の名の部
但馬皇女
子 長屋王・鈴鹿王・門部王
山形女王・河内女王
↓↑
大津皇子
663年(天智天皇2年)
九州
那大津で誕生
天武天皇の第三皇子(日本書紀)
長子(『懐風藻』)
薨去 朱鳥元年10月3日(686年10月25日)
墓所 二上山墓(奈良県葛城市染野の二上山雄岳山頂付近)
位階 浄大弐
父 天武天皇
母 大田皇女
同母姉 大来皇女=大伯皇女
妻 山辺皇女
子 粟津王・・・あわづ・アワヅ・・・?
↓↑
忍壁皇子
穂積皇子・長皇子・弓削皇子・磯城皇子
舎人親王・新田部親王・他
十市皇女・大来皇女
↓↑
妻 阿閇皇女(元明天皇)
子 元正天皇・文武天皇・吉備内親王
↓↑
十市皇女
此
大友皇子(伊賀皇子・弘文天皇)の妻にては
春宮の御女ましましければ
父の殺され給はん事をかなしみ給ひて
『いかで此事告げ申さん』
とおぼしけれど、すべきやう無かりけるに
思ひわび給ひて
鮒のつつみやきの有りける腹に
ちひさくふみをかきて
おし入れて奉り給へり。
『宇治拾遺物語』
清見原天皇与大友皇子合戦ノ事
↓↑
十市皇女
伊勢神宮に参り赴きし時
波多の横山に巌を見て
吹芡刀自の作れる歌
↓↑
十市皇女
参赴伊勢神宮時
見波多横山巌
吹芡刀自作歌
↓↑
河のへのゆつ岩むらに草むさず
常にもがもな常処女にて
↓↑
河上乃湯都岩村二
草武左受
常丹毛冀名
常處女煮手--『万葉集』巻1-22
↓↑
吹芡刀自未だ詳らかならず。
但し紀に曰く
天皇四年乙亥の春二月の朔の丁亥
十市皇女、阿閇皇女、伊勢神宮に参り赴く。
↓↑
吹芡刀自未詳也。
吹芡刀自=ふふきのとじ=吹黄刀自
河上の (かはのへの)
ゆつ岩群に (ゆついはむらに)
草生さず (くさむさず)
常にもがもな (つねにもがもな)
常娘子にて (とこをとめにて)
吹芡刀自 (ふふきのとじ)・・・十市皇女の侍女=吹芡刀自
但紀曰、天皇四年乙亥春二月朔丁亥
十市皇女、阿閇皇女、参赴於伊勢神宮。
↓↑
吹芡(ふふき・スイケン)
芡=艹+欠
艹+丿+乛+人
ケン
鬼蓮(おにばす)
スイレン科の水草の名
オニバス(鬼蓮)=ミズブキ(水蕗)
ハリバス=オニバス (鬼蓮)=ミズブキ (水蕗)
ドンバス=イバラフキ (茨蕗)=イバラバス (茨蓮)
英名=Gorgon plant
prickly water lily
foxnut
針蕪葱・・・葉理株根義・・・歌舞音義?
スイレン科に属する一年生水草
水底の地下茎から葉柄を伸ばし
夏ごろに巨大な葉を水面に広げる
葉の表面には不規則な「シワ」が入っており
葉の両面や葉柄には「トゲ」が生えている
夏に紫色の花を水上につける
開花しない閉鎖花を水中に多くつける
『枕草子』で
見た目が恐ろしげなものとして
オニバスが=みずふぶき (水蕗)
の名で挙げられている
中国やインド
種子=芡実(ケンジツ)
果実や若い葉柄なども食用とされる
芡実=滋養・強壮や鎮痛のための生薬
オニバス
オニバス属の唯一の種
オニバスと同様に巨大な浮水葉をもつ
植物は南米に生育する
オオオニバス
(大鬼蓮)属 (Victoria)
・・・「はす=波須・芳須・斜(はす)」
オニバスとは異なり
オオオニバス属の葉は
縁が立ち上がって
「たらい(平・多比良)状」で人も乗れる
直径数十cmになる大きな花をつける
↓↑
刀自=家事をつかさどる婦人・主婦・夫人・宮女
刀自古郎女(とじこ の いらつめ)
聖徳太子の妃
父 蘇我馬子
母 物部氏の女(太媛)
第32代崇峻天皇の女御・河上娘の妹
弟 蘇我蝦夷
↓↑
土耳(ジ)古=トルコ=Turkey
1608年
坤輿万国全図という地図が
イタリア人宣教師
マテオ・リッチ=利瑪竇(Li Mǎdou・リマトウ)
によって編纂記録
亜耳(ジ)伯士(アルプス)
日耳(ジ)曼(ゲルマン)
白耳(ジ)義(ベルギー)
など
耳(ジ)=Orecchio(オレッキオ)・オレッキエッテ(Orecchiette)
イタリアには
「誕生日に
主役の耳を年の数だけひっぱる」
風習
耳(ジ)=アルファベット地名を聴覚音で採用?
音声でアルファベットの頭文字を採った?
目(モク・め・ま)=Occhio(オッキオ)
まぶたは(瞼=ケン)=Palpebra(パルペブラ)
瞼=目+僉・・・佥=亼+ツ+一
目+亼+吅+从
目+人+一+口
セン
みな・すべて・ことごとく
僉議(センギ)= 多人数での評議・衆議
ディスカッション=discussion
ディベート(debate)
公的な主題について異なる立場に分かれ議論すること
眼鏡=Occhiali(オッキアーリ)
↓↑
十市(とおち)
大和国
十市氏
十市県主の子孫
大和国十市郡十市荘(奈良県橿原市十市町)
十市荘の荘官
十市城に拠った
天正年間
十市遠忠が
竜王山城(奈良県天理市)を築城
子の
遠勝のときに
十市城に戻った
土佐国の
十市氏
長岡郡
十市(高知県南国市十市)をルーツ
土佐細川氏の庶流
↓↑
奈良県 橿 原 市 十 市 町
ならけん かしはら し とおいちちょう
とお ち
十市城跡
(とおいちじょうあと)
北の磯城郡田原本町
(しきぐんたわらもとちょう)
と隣接した市の北東にあたり
寺川右岸の自然堤防上に位置
筒井城(大和郡山市)と同様に
中世大和における典型的な平城
十市氏が鎌倉時代後半から江戸時代にかけて居城
十市町旧集落北部の一辺約70m四方の
微高地(比高差約1m)があり
これを中心部分(主郭)として広がっていた
↓↑
十市氏
出自は不詳
南北朝期(14世紀)に
興福寺(奈良市)大乗院の
国民(十市庄荘官)として初めて現われ
1347年(貞和三)
興福寺 造営 段米 幵 田 数 帳
(こうふくじぞうえいたんまいならびにでんすうちょう
・春日神社文書)
に
十市 新次郎 入道
が
十市 小垣内(おがいと)
常磐庄を支配
永享の乱(1438年)以来
筒井党に加わり成力を拡大
室町時代末期
天文年間(1532~1555年)
遠忠(とうただ)の代に最盛期
壮大な山城である
龍王山(りゅうおうざん)城(天理市)をも築く
↓↑
以後は・幾多の戦乱に参加
1575年(天正三)
織田信長の配下
ルイス・フロイス
「日本史」
によれば
1555年(永禄八)
宣教師の
ルイス・デ・アルメイダ
留意素 出 有 名 拿?
は
十市城主を
「サンチョ=イシバシ殿」・・・石橋
と報告
↓↑
天正十一年四月二十四日
越前北ノ庄城炎上陥落
「お市」昇天
↓↑
お市の方⇔十市⇔壹與・・・十日市(亠+巾)
市≠市=十+冂
前掛けの市(フツ)=十+冂
徐 福(ジョフク)=徐巿
秦の方士・斉国の琅邪郡
(山東省臨沂市周辺)出身
・・・市女笠・市場・楽市・市予(伊預)・市与(壹與)
8世紀初頭
「大宝律令」
公式文書の帳簿類に
大字使用の政令(公式令66条)・・・六拾六=陸拾陸
一余・・・
壱拾壹=11=とを アマり ヒトツ
↓↑
0 =零・零
10= とを(拾・壱拾・什・足=たり・・・そ )
11= とを あまり ひとつ(壹・壱・弌)
12 =とを あまり ふたつ(貳・貮・弍)
13 =とを あまり みつ(参・參・弎・叁・叄)
14 =とを あまり よつ(肆・䦉)
15= とを あまり いつつ(伍)
16 =とを あまり むつ(陸・陆)
17 =とを あまり ななつ(漆・質・柒)
18 =とを あまり やつ(捌)
19 =とを あまり ここのつ(玖)
20 =はたち(廿・卄・弐拾・貳拾)
21 =はたち あまり ひとつ(壹・壱・弌)
30 =みそ(卅・丗・参拾・參拾)
40 =よそぢ(卌・肆拾・䦉拾)
50= いそぢ(伍拾)
60 =むそぢ(陸拾)
70 =ななそぢ(漆拾)
80 =やそぢ(捌拾)
90 =ここのそぢ(玖拾)
100= もも(百・陌・佰)
200= ふたほ(貳陌)
300 =みほ(參陌)
1000= ち(千・阡・仟)
10000 =よろづ(万・萬)
↓↑
2023/3/1/01
癸卯(甲 乙)正財・正官沐浴
┣?+辰時→甲乙→正官?
甲寅(戊丙甲)偏官・偏官長生
┣三合丙・偏印
┏戊午(丙 丁) ・印綬帝旺
┣干合丙・丁?
┗癸丑(癸辛己)正財・劫財 養
子丑空亡
↓↑
晦=日+毎
日+每
日+𠂉+毋:::毋=乚+𠃌+十
日+𠂉+母:::母=乚+𠃌+丶+一+丶
母・毋・毌
母(はは・ボ・ム)
毋(なかれ・ブ・ム)
毌(つらぬく・貫く・カン)
毌=乚++十
カイ
くらい
くらます(眩ます・暗ます)
つごもり(晦日)・・・・月籠(込)もる?
みそか(三十日)=陰暦の月の最終日
くらい(暗い)
よくみえない
よくわからない
くらます
わからないようにする
みつけられないようにする
↓↑
大晦日・大晦(おおつごもり)
一年の終わりの日
十二月三十一日
おおみそか=大晦日
おほみそか
一年の終わりの日
十二月三十一日=おおつごもり
↓↑
晦渋(カイジュウ)
言葉や文章の表現が難しく意味が理解しにくいこと
晦冥(カイメイ)
日が隠れて空が真っ暗になる暗闇(くらやみ)
韜晦(トウカイ)
自分の才能や身分・本心などを
包み隠して目立たなくすること
晦(くら)ます
↓↑
隠晦曲折(インカイキョクセツ)
文章や表現がぼんやりしていてわかりにくいこと
・・・曲折=キョクセツ=曲説?
・・・曲=まがる・よこしま=曲者(くせもの)
↓↑
自己韜晦(ジコトウカイ)
自身の才能や地位・本心などを
隠して表に出さないこと
「韜晦」=才能や学識などを隠す意
六韜三略=戦略戦術・太公望=呂 尚(リョショウ)
↓↑
韜光晦迹(トウコウカイセキ)
才能などを包み隠すこと
悟りを開いたものが
俗世を離れてひっそりと生活すること
「迹」=痕跡
「光を韜み・迹を晦ます」
「晦迹=晦跡」
「晦迹韜光(晦跡韜光)」
跡を晦ます(くらます)=姿を隠すこと
↓↑
大津込もり・・・?・・・
↓↑
2023-1985=38年前・・・
のキャノンのワープロで打ち込みのモノ・・・?
↓↑
「古事記・字源・語源・天国」への
「長い、ナガイ、『序文』」
「古事記」、その「タイトル」そのものの意味は?
↓↑
「源・古事記」は西暦「712」年にその完成をみたと言われているが、その「源・古事記」は存在せず、これに関連する「注釈」モノとしては「亀山天皇」在位時期、「文永十年」、西暦「1273」年の「卜部兼文」の「古事記裏書」が存在しているらしいのだ。(これは中央公論社発行の「日本の歴史・別巻5・年表・地図」の「年表」に記されていることである。これからの歴史的事件、人物は殆どがこの年表による。私自身がその年表記載の文書とその内容のすべてを確認したモノではないので存在するモノとしての推測の域を出ない)
「現存・古事記」は「真福寺・本」と言われている「応安五年」、西暦「1372」年、その寺の坊主であった「賢瑜(ケンユ)」が書写したものであるらしい。これは現在、名古屋の「博物館」にあり、もともとは名古屋の大須観音の「大須文庫」にあったものが東京に持ち出され、地元の有力者の働きで名古屋に里帰りされた「タカラモノ」なのである。これは確かに自分の目で確認できた。
故に私たちは「源・古事記」が如何なるモノであったのか、現在的に明確には知ることはできないワケだ。ただ、ただ「源・古事記」に想いをはせて、その「原型」を推理するよりは手段がない、と云うワケである。
「卜部兼文」の「古事記裏書」、その「意図」するところは「漢字」で記されている「源・古事記」をどのように訓み、解釈するのか、と云う研究そのものにあった、と考えられる。この時代「源・古事記」があったとすれば、すでに「タイトル」さえも簡単には「訓めないモノ」であった。それを「卜部兼文」は「ヨもう」と研究したわけらしいのだが。
実際・・・私はその彼の「研究内容」を知らない。唯、「・・・らしい」と年表の「記事」を見て推測しているわけなのだが。
だが、「古事記」が「漢字」で書かれているからには、誰でも「漢和辞典」さえ手に持てば「漢字・音」と「和・訓」で「多様」にヨメるモノなのである。しかも、私にはこれほど楽しい「ヨミカタ」の出来る「シロモノ」はないと思うのだ。
「ヨミ方」は以下のとおり・・・
古 事 記
コ・ジ・キ=ふるい・こと・しるし
↓↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
↓↓ ↓ 振留意 古都 始留史
故 事 基=故事を基にした
固 辞 期=固辞の時期
固 持 姫=固持する姫
誇 示 企=企てを誇示
居 士 気=居士の意気
孤 児 生=孤児として生まれた
乞 食 =食物を請い求める。仏教僧の修行の一
↓
乞は「气=水蒸気
=スイ ジョウキ」の省略形
↓ ↓ ↓
誰 聶 危(基喜企)=誰かに聶けば危ない
推 参耳 希=(水産時季)
推 算未観紀=(水産味幹)
姫(鬼穐箕) 穐の記録の企て
水 蒸 気 安芸
↓ ↓ ↓
みつ・むす・け=御津武佑=三・六州・懸
↓ ↓ ↓
水 上 姫 3+6=九州 家(華)
↓ ↓ ↓
ミナガミ キ=皆が見る記=未だ、名の臥、尾紀
「日本書紀」を読み、それを踏まえ、各巻のテーマを明確にし、「古事記」に展開されている「各物語」と、そこに使用されているテーマに添った「漢字」の「同音異字」をすべて検討すれば、ある「事件」が重なっていることが「ミエテ」くる、ようなのだが・・・あなたはどう、考えるだろう。
「賢瑜」の「書写」した「現存・古事記」の「意図」は何か疑ってみる「価値」はありそうだ。その理由は単純で、「書写」した、「応安五年」、西暦「1372」年の時代的な背景を重ねていることが見て取れるからである。
すなわち、1316年7月10日に「北条高時」が執権に就き、その2年後、1318年2月26日に「後醍醐天皇」が即位したと言うことである。
記録には1320年、「清原宗尚」が「古文孝経家説」を「金沢貞将」に授けるとあり、その翌年の1321年は「後醍醐天皇」の「親政」となった時代。しかも、天皇の父は「花園上皇」であり、この同じ時期に「花園上皇」は「古事記」、「古語拾遺」等を読む、の「記録(年表)」があり、「禁中で根合」しょうとして「藤原定房」の「諌め」によって止めた、との記録がある。この「記録」は重大な示唆を与えている。この記録の意味内容は不明だが、例え「私流」に誤解して読んだとしても、結果的には、
「古事記」+「古語拾遺」=「根合」・・・
混合・金剛・混交・金光・言交
である。・・・「金剛界」は密教、「金光」は「金星の光(?)」だ。
「古語拾遺(こごしふゐ)」は「大同2年(807)」に「斎部広成」が著した「歴史書(?)」だが、古語辞典によれば、「古来、中臣氏と並んで朝廷の神事に奉仕した斎部氏の勢力が衰えたことを嘆き、天地開闢以来、文武天皇までの斎部氏の由緒、功績を漢文で書き記して朝廷に訴えた書」とある。
「禁中で根合」、このことは別な意味で「賢瑜」の「書写」した「現存・古事記」の「意図」に秘められているモノではないか・・・すなわち、「古い事」の記録だが、そこに「根合=同音の文字を重ねる」と「現代歴史」が浮かび揚がってくるんじゃぁないか、と・・・梅原先生は検討する「価値」が無いと考えているらしいが、現在も立場は同じであろうか・・・ネッ。「アイヌ語」を研究するなら自己批判してからにシロって。
・・・・・
・根合=木(キ)+艮(ウシトラ)
+八(ヤッツ)+一(ヒトツ)+口(クチ)
・
・ =混合・・・ミツのヒを比べアワス
・
・原題・古事記・・書記(孝徳天皇)にある「固辞の記」が原題のテーマ
・現代・故事記・・故事(中国の漢籍類)を調べて記した
・呟醍・居士記・・呟く後醍醐天皇は居士(真言立川流に傾倒)
・源代・誇示記・・源氏の代を誇示
・諺台・固持記・・ことわざの台本を固持
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もちろん、これは堅苦しい学問としての「古事記」の「見方」ではなく、「私流」の「診方」で、「乞食楽」、「光時季学」、「麹学」、「糀学」、「乞食学」、「乞自棄・学」そのものである、ナァ~ンちゃたって・・・。
更に僧「梵俊」が「後醍醐天皇」に「朱子学」を講じ、翌年の1322年には「虎関師錬(コカンシレン)」が「元享釈書」を撰進する、と記されている。
コレは・・・「中央公論社」に関係した「児玉幸多氏」に「歴史年表」を信じろ、と言われても・・・出来すぎであるんじゃぁないかと思うわけだが。
この、名前の羅列、と著書名、「梵俊」、「後醍醐」、「朱子學」、「虎関師錬」、「元享釈書」・・・梵(ボン)、俊(シュン)、後(ゴ)、醍醐(ダイゴ)、朱子(シュシ)、學(ガク)、虎関(コカン)、師錬(シレン)、元享(ゲンキョウ)、釈書(シャクショ)の「同音異字漢字」をあなたが試みに書き出してみるとイイと思うのだが・・・
「古事記・字源・語源・天国」への「長い、ナガイ、『序文』(b)」
・・・・・・
・時代背景
・・・・・・
1316年7月 「北条高時」が執権
1318年2月 「後醍醐天皇」が即位
1320年 「清原宗尚」が
「古文孝経家説」を
「金沢貞将」に授ける
1321年 「後醍醐天皇」の「親政」
「花園上皇」は「古事記」、「古語拾遺」等を読む
「禁中で根合」しょうとして「藤原定房」の諌めで中止
「僧・梵俊」が「後醍醐天皇」に「朱子学」を講じた
1322年 「虎関師錬」が「元享釈書」を撰進する
1330年 「度会常昌」が「神懐論」を著す
「元徳三年」、1331年に「後醍醐天皇」は捕らえられ、1332年、「光厳天皇」が即位、「後醍醐天皇」は「隠岐」に流された。この時から「南北朝」の系譜が始まったのだ。そして1333年に鎌倉幕府は壊滅し、「後醍醐天皇」は1334年「建武元年」に権力を握ったが、1338年には「北朝」の「光明天皇」によって「足利尊氏」が征夷大将軍になって、その権力は「二分」されたのだ。翌年の1339年には「北畠親房」が「神皇正統記」を著し、1340年には「卜部和記」が「神風和記」を著している。この時期、「南朝」で頑張っていたのは「楠政成」である。
1331年 「後醍醐天皇」は捕らえらる
1332年 「光厳天皇」が即位、「後醍醐天皇」は隠岐に流される
「南北朝」の系譜の始まり
1333年 鎌倉幕府は壊滅
1334年 「後醍醐天皇」、「建武元年」に権力を握る
1338年 「北朝」の「光明天皇」によって「足利尊氏」が征夷大将軍
1339年 「北畠親房」が「神皇正統記」を著す
1340年 「卜部和記」が「神風和記」を著す
「応安五年」、西暦「1310~1372(応安五年)」年の時代的な背景を見て取れば、「賢瑜」の「書写」した「現存・古事記」のその「裏にある意図」を疑ってみる「価値」があると思うのは当然だろうが・・・もちろん、この時代の「南・北朝」、特に「南朝」の「正統性」の基盤的な「思想」を「現存・古事記」の「漢字」とその行間に託したのに違いない、と云う推理なのだが。
先ほど、「ナニ」があると言ったのは「ナニ=何=南=難=楠(くすのき)=軟=名似」と同音異字が重なると言うことなのだ。しかも南朝、難聴、軟調である。
・・・・・・・・・・・・・・
・「序文」そのものの意味は?
・・・・・・・・・・・・・・
「古事記・序文」は「太安萬侶」の署名があり、確かに彼自身、「歴史的に存在(?)」した人物であることは、最近発見された「墓碑」からも認められるが、問題は「序文」が「何」にポイントを置いているのか、と云うことなのだ。
私は「序文」には「現存・古事記」に記されている「漢字の読み方」が明確に記されている、と確信しているのだが・・・。その「漢字の読み方」は単純である。
お日様の下
すなわち、「古事記・序文」にある「亦姓の『日下くさか』に、『玖沙訶』と謂ひ、名の『帯たらし』の字に『多羅斯』と謂ふ」ところの記述が「α」であり、「β」なのだ。
私の「目」と「頭」は、このギリシャ文字の「α」、「β」を「ア・ベ」とヨメと言う。さらには「α」は帯の結び目、「β」は数字の「8」にも、崩した漢字の「乃」にもみえてしまうわけで、妄想が過ぎるとはこの事だ、とは思うわけだが・・・ジィーットみつめれば、間違いもなく「β」は「斜め」にした「眼鏡(めがね)」か、「旗竿」、あるいは数字の「8」である。
「β」を「Ω=ω(オメガ)」に置き換えるなら「Ω=股足」、「ω=尻の割れ目」に見えるし・・・「オメガ=将女臥(雅・娥)」の漢字が浮かぶのだが・・・
イヤ、決して「俗なH」なことを言っているわけではない。が、ギリシャ語では女性の「単数・定冠詞」は「H(イタ)=η(イ)」のことで、「第七番目」のアルファベットなのだ。「H(エィッチ)=hydrogen(ハイドロゲン)=υδρογονο(イドロゴノ)」は「水素の化学記号」であり、水は「νερο(ネロ)」で、水割りは「με(メ) νερο(ネロ)」なのだ。「O(オ)=ο(オミクロン)」は男性の「定冠詞」で、「H-O-H」は一人の男に二人の女性が結合している「三角関係」であり、水の「分子式」は「H2O」である・・・「分子式」、この「概念」の確立は歴史的に何時のモノなのか?。
とにかく、ここは人間や生物の「牡牝(+-・±・♂♀)関係性の原点」としての「文字」でもある(?)、と言及しているのだから誤解なきように。
H(イタ)=η(イ)・・・女性の「単数・定冠詞」
「第七番目」のアルファベット
英語の「H=h」は「第八番目」
H(エィッチ)=hydrogen(ハイドロゲン)
=υδρογονο(イドロゴノ)は「水素の化学記号」
=水=νερο(ネロ)
水割り=「με(メ) νερο(ネロ)」
O(オ)=ο(オミクロン)・男性の「定冠詞」
HOH=H2O=女+男+女=「ねろ(寝ろ・子賂・音色・練ろ)」=水
嫐(?・私の漢和辞典には無い漢字)
嬲(ジョウ・デウ・ニョウ・ネウ)
(なぶる・からかう・たわむれる・みだす)
姦(カン・ケン)
(よこしま・わるい・いつわる・ぬすむ・おかす
みだら・かしまシイ・かまびすしい・やかましい)
とにかく、ここを読んでくれる人には「女の偏」の「分子式」の漢字はスベテ、「キイ(key)・ポイント(point)」で、知らないとこの先「ハジル(女+鬼)」ことになるから漢和辞典で「女偏」をまずは確認して欲しいのだが。
話を戻して・・・このことは、
・・・・・・
・使用されている
・「漢字」の「意味」も含めて
・「漢音」、
・「呉音」、
・「唐音」、
・「和訓音」のすべての
・「音訓の読み方」を検討せよ。
・その「漢字」の「同音異字」をも併せて検討せよ。
・その「漢字」をバラバラに分解し、
・その作字の「部首漢字=偏=旁=冠=脚=構=垂=繞」の「意味」と、
・その意味説明されているすべての
・『一音』を踏まえ、
・その読まれた
・「一音」に「一字」の「同音異字」の漢字をあてよ。
(以下「偏旁冠脚構垂繞」の訓は「大修館国語要覧」からの抜粋による)
・
・偏・・「へん」は編、片、辺、返、遍、篇と変化させて意味を採れ
・↓
・ イ・にんべん ひと・ニン・ジン
・ 冫・にすい こおり・ヒ
・ 口・くちへん くち・コウ
・ 土・つちへん つち ・ド
・ 女・おんなへん おんな・ジョ・ニョウ
・ 子・こへん こ・ネ・シ
・ 山・やまへん やま・サン・ザン
・ 巾・はばへん(きんべん) はば・キン
・ 弓・ゆみへん ゆみ・キュウ
・ 彳・ぎょうにんべん みち・ゆき・ギョウ
・ 心・りっしんべん こころ・シン
・ 手・てへん て・シュ
・ 水 ・・さんずい さんすい・サンズイ
・ 犬・けものへん けもの・ジュウ・ク
・ 邑・こざとへん こざと・ユウ
・ 日・にちへん にち・ヒ
・ 月・にくづき(ふね・じく) にくづき・ゲツ・ガツ
・ 木・きへん き・モク
・ 歹・かばねへん(がつへん) かばね・シュク
・ 王・たまへん たま・ギョク
・ 田・たへん た・だ・デン
・ 目・めへん め・ま・モク・ボク
・ 石・いしへん いし・いわ・セキ
・ ネ・しめすへん しめす・ジ・シ
・ 禾・のぎへん のぎ・カ・ワ
・ 糸・いとへん いと・シ・ベキ
・ 耒・すきへん(らいすき) すき・ライ
・ 虫・むしへん むし・チュウ
・ 衣・ころもへん ころも・イ
・ 角・つのへん つの・かど・カク
・ 言・ごんべん いう・ゴン
・ 貝・かいへん かい・バイ
・ 足・あしへん(あとへん) あし・ソク
・ 酉・とりへん(ひよみのとり) とり・ユウ
・ 金・かねへん かね・キン
・ 食・しょくへん たべる・ショク
・ 骨・ほねへん ほね・コツ
・ 旁・・「つくり」は・・・ボウ・かたわら等の漢字を変化させて採れ
・ ↓
・ リ・りっとう かたな・トウ
・ 卩・ふしづくり ふし・たたく・キ
・ 彡・さんづくり さん・あと・ケバ
・ 阜・おおざと おおざと・フ
・ 斗・とます とます・ト
・ 斤・おのづくり おの・キン
・ 欠・あくび(けんづくり) かく・ケツ
・ 殳・るまた(ほこづくり) るまた・キ
・ 隹・ふるとり ふるとり・セキ
・ 頁・おおがい おおがい・ケツ
・ 冠・・「かんむり」は・・・カン・かんむり等の漢字を変化させて採れ
・ ↓
・ 亠・けいさんかんむり(なべぶた・おと)けいさん・な・べトウ・ヅ
・ 冖・わかんむり おおう・ベキ
・ 艸・くさかんむり くさ・ソウ
・ 宀・うかんむり う・いえ・ベン・メン
・ 老・おいかんむり おい・ふける・ロウ・ラウ
・ 穴・あなかんむり あな・ケツ
・ 网・あみがしら あみ・モウ
・ 竹・たけかんむり たけ・チク
・ 虍・とらかんむり とら・コ
・ 雨・あめかんむり あめ・ウ
・ 脚・・「あし」はキャク・カク・あし等の漢字を変化させて採れ
・↓
・ ・・したごころ こころ・シン
・ ・・れんが(れっか・よつてん) れんが・ヒ
・ 日・ひらび び・ヒ
・ 水・したみず みず・スイ
・ 皿・さら さら・ベイ・ミョウ
・構・「かまえ」はコウ・かまえ等の漢字を変化させて採れ
・↓ ・
・ 勹・つつみがまえ つつむ・ホウ・ヒョウ
・ 匚・はこがまえ はこ・かくし・ホウ・ボウ
・ 囗・くにがまえ くに・かこい・かこむ・イ・コク
・ 門・もんがまえ かど・モン・ボン
・ 垂・・「たれ」はスイ・たれ・たり等の漢字を変化させて採れ
・↓
・ 厂・がんだれ がん・きし・がけ・カン・ガン
・ 广・まだれ まだれ・いえ・むなぎ・ゲン
・ 尸・しかばね しかばね・かばね・つらねる・シ
・ 病・やまいだれ やむ・やまい・ダク・ニャク
・ 繞・・「にょう」はニョウ・ジョウ・まとう・めぐる・かこむ等の
・↓ 漢字を変化させて採れ
・ 廴・えんにょう(いんにょう) (長く)あゆむ・エン・イン
・ ・・しんにょう(しんにゅう) はしる・こえる・しん・チャク
・ 走・そうにょう はしる・かける・ゆく・さる・ソウ・シュ
・ ・
・以上を踏まえ、その漢字の「歴史的」な意味を再検討し、
・その「漢字」が使用されている
・「漢籍の故事、諺」を検討せよ。
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・・・???・・・
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