知識もなくポンペイ遺跡を訪ねたけれど・・・
伊邪那美
伊弉冊 ・・・冊=册=几+几+一
の黄泉の国・・・黄泉=硫黄の熱泉
シボウの原因・・・火傷
行ったョな、ナポリ、ソレント、ポンペイ
ポンペイ(羅: Pompeii・伊: Pompei)
イタリア・ナポリ近郊
ヴェスヴィオ山のふもとにあった古代都市
西暦79年
ヴェスヴィオの大噴火
火砕流によって地中に埋もれた
ポンペイ
ヘルクラネウム
トッレ・アンヌンツィアータ
地域
↓↑
アボンダンツァ通り
ポンペイの街路の遺跡
車道と歩道が分離
飛石状の横断歩道
馬車や荷車の車輪は通し
人は雨天でも
足を水溜りで濡らさず道を渡れる
↓↑
ポンペイの拡張史
初期
イタリア先住の
オスキ人によって集落形成
紀元前7世紀頃
サルノ川の河口付近の丘に集落
その後
紀元前526年
エトルリア人に占領
ポンペイ市民は
イタリア南部に居住していた
ギリシャ人と同盟を組み
紀元前474年
「クマエの海戦」
で支配から脱した
ギリシャ人はその後
ナポリ湾を支配
紀元前5世紀後半
サムニウム人の侵攻
↓↑
サムニウム期
紀元前424年
サムニウム人(サムニテ人・サムナイト人)
に征服
サムニウム人は
カンパニア全体を支配
カンパニアの諸都市が
同盟市戦争と呼ばれる戦争を
ローマに対して起し
ポンペイも
反ローマ同盟に加わった
↓↑
ローマ期
紀元前89年
ルキウス・コルネリウス・スッラ
によって町は征服され
ポンペイは周辺のカンパニア諸都市とともに
ローマ帝国の植民都市となった
ポンペイ人による
ウェヌス女神に献呈された
コルネリウスの植民市となった
ポンペイは港に届いたローマへの荷物を
アッピア街道に運ぶための重要な拠点
商業都市として栄えた
整備された大きな港
海洋都市
火山活動の地殻変動で
海抜は上昇し
水辺から遠ざかった
ぶどうの産地
主な産業はワイン醸造
碁盤の目状に通り
大きな通りは石により舗装
市の中心には広場
計画設計都市
↓↑
街の守護神
美と恋愛の女神
ウェヌス
娼婦の館
男女の交わりを描いた壁画が多く出土
古代ローマの商業都市には
商人向け(旅商人向け)の
娼婦館施設が多かった
↓↑
ヴェスヴィオ火山噴火
西暦79年
正確な日付は異論
西暦62年2月5日
ポンペイ地震
ポンペイや他のカンパニア諸都市で被害
再建作業は不完全な状態
西暦79年8月24日
午後1時頃に
大噴火
翌8月25日(噴火から約12時間後)
噴火末期に火砕流発生
ポンペイ市は完全に地中に埋まった
軍人でもあった博物学者の
ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(大プリニウス)
は
ポンペイ市民救助するために船で急行したが
有毒火山ガス?に巻かれて死んだ
甥の
ガイウス・プリニウス・カエキリウス・セクンドゥス
(小プリニウス)
による記述
噴火直後
ローマ皇帝
ティトゥスは
ポンペイに役人を派遣
地震の前には
2万人程度のポンペイ市民の内
逃げ遅れた者
約2千人が犠牲
↓↑
ポンペイの発掘
18世紀半ばから
今に至る
「ポンペイ・レッド」
宗教儀式の様子を描いた壁画の鮮烈な色合い
石膏で復元した遺体
↓↑
噴火日
噴火の発生日は
79年8月24日
↓↑
己卯(甲 乙)偏印・偏財 絶
壬申(戊壬庚)傷官・傷官帝旺
辛酉(庚 辛) ・比肩建禄
甲午(丙 丁)正財・偏印 病
子丑空亡
↓↑
2018年の発掘調査で
家屋の壁に
「11月の最初の日からさかのぼって16番目の日」
と書かれているのが発見
実際に噴火が発生したのは
79年10月17日以降
である可能性・・・?
↓↑
┏己┏卯(甲 乙)偏財・劫財建禄
干支合丁
┗甲┣戌(辛丁戊)劫財・偏官 墓
干支合丁
乙┗卯(甲 乙) ・劫財建禄
壬 午(丙 丁)印綬・傷官長生
↓↑
79年
干支 己卯
日本
景行天皇 9年
皇紀 739年
中国
後漢 建初4年
朝鮮
高句麗 太祖王27年
新羅 脱解王23年
百済 己婁王03年
檀紀 2412年
↓↑
誕生
馬融 中国後漢の学者(~166年)
和帝 後漢の第4代皇帝(~105年)
ーーーーー
・・・???
↓↑ ↓↑
エメラルドブルーの謎 (碧き眼の人形伝説) 奈井江 五郎
↓↑ ↓↑
「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
+
(表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
↓↑
ボクの「古事記字源」の発端・・・
↓↑
干支歴
↓↑
追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
↓↑
メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8
↓↑
モモちゃん
https://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
↓↑
モウ君の総合目次
↓↑
コジキ姫赤い絨毯に乗る(m)
↓↑
古事記と虎関師錬