怪人二十面相vs明智小五郎+小林(芳雄)少年
1936年(昭和11年)
変相の名人・・・「変装・変奏」の名の人・・・?
↓↑
1936年(昭和11年)1月~12月
『少年倶楽部』に
『怪人二十面相』登場・・・
本名 遠藤平吉(えんどう へいきち)
・・・「元々は『グランド・サーカス団』というサーカス団の曲芸師」
VS
明智小五郎
ー↓↑ー
明智 十兵衛 光秀
VS
織田 信長
天文三年五月十二日
1534年6月23日
~
天正十年六月二日
1582年6月21日
大運 甲 戌 偏官
三合丙火偏印
年運 壬 午 ↓↑
┏甲┏午(丙 丁)偏官・印綬・帝旺⇔壬┏午 偏財
┗己┣巳(戊庚丙)劫財・偏印・建禄⇔乙┣巳 正官
戊┣寅(戊丙甲) ・偏官・長生⇔戊┏子 比肩
戊┗午(丙 丁)比肩・印綬・帝旺⇔戊┗午 比肩
申酉空亡
↓↑
大運
1575年12月(41歳)
甲戌・偏官・墓
~
1585年12月(51歳)
乙亥・正官・絶
↓↑
本能寺の変
本能寺の変(ほんのうじのへん)
天正十年六月二日
(1582年6月21日早朝)
↓↑
壬┏午(丙 丁)偏財・印綬・帝旺
乙 巳(戊庚丙)正官・偏印・建禄
戊┏子(壬 癸) ・正財・ 胎
戊┗午(丙 丁)比肩・印綬・帝旺
↓↑
から
十一日後・・・? 十日後・・・?
明智 十兵衛 光秀 死亡?
↓↑ ↓↑
壬┏午(丙 丁)偏財・印綬帝旺 壬┏午
乙 巳(戊庚丙)正官・偏印建禄 乙┏巳
戊┗戌(辛丁戊) ・比肩 墓 丁┗酉
↓↑
山崎合戦(摂津国と山城国の境)
天正十年六月十三日
1582年7月2日
↓↑
壬午(丙 丁)正財・印綬・建禄
丙午(丙 丁)印綬・印綬・建禄
己亥(戊甲壬) ・劫財 胎
庚午(丙 丁)傷官・印綬・建禄
↓↑
京都市右京区
京北
周山町
慈眼寺
くろみつ 慈眼寺
明智光秀 像・・・黒塗りの「明智光秀」・・・「やすけ=弥助」カモ?
「烏帽子(えぼし)姿」
「桔梗の紋」=「キキョウの意図の文」?
↓↑
桔梗
キキョウ目キキョウ科
多年性草本植物
秋の七草の一つ
「朝貌=あさがお=朝顔」
は本種
↓↑
「組合い角に桔梗」の
「坂本龍馬」
龍馬ら坂本家は
明智光秀の娘婿であった
明智光春の子
明智太郎五郎を先祖・・・
↓↑
明智 左馬助 光春
天文五年(1536年)?
~
天正十年六月十四日(1582年7月4日)
幼名 岩千代
改名 光俊・光遠・・・?
改名 三宅弥平次→明智秀満
別名 光春・光遠・秀俊・光俊・光昌
通称:左馬助
主君 明智光秀
氏族 三宅氏(異説あり)→明智氏
父母 複数説あり
妻 正室 明智光秀の娘
子 三宅重利
↓↑
濃姫=鷺山殿(さぎやまどの)=於濃の方
安土殿
帰蝶=歸蝶=胡蝶=濃姫
↓↑
帰蝶=キチョウ=記帳・基調・帰朝・・・几帳面
↓↑
斎藤道三の娘(母は正室・小見の方)
明智光秀とは姻戚関係
織田信長の正室
↓↑
濃姫(帰蝶)
美濃の大名
斎藤道三
の3女で1535年生まれ
母は明智光継の娘、小見の方
兄弟に斎藤利治
斎藤義龍(斉藤義竜)とは異母兄妹
明智 光秀とは従兄妹同士という説・・・
↓↑
母 道三の正室「小見の方」
「小見の方」は
明智光秀の父光綱の妹・・・
この説を採るならば、光秀と濃姫は従兄妹
↓↑
明智煕子(ひろこ)
↓↑
信長の妻 濃姫
↓↑
光秀の妻 熈子
↓↑
父は妻 木勘解由 左衛門 範 熙
(つまきかげゆ ざえもんのりひろ)
or
妻木広忠
↓↑
妻木氏
『妻木氏系図』
美濃国土岐郡の
妻木城主
土岐頼照が祖
煕子も光秀も
美濃
「土岐」氏一族
↓↑
光秀の三女
珠(ガラシャ)=細川忠興室
・・・桔梗=キキョウ=基教・葵郷・姫鏡
気胸・記今日・奇矯・希京・希叶
=漢方で鎮咳、去痰、排膿作用
処方に
桔梗湯(キキョウ+カンゾウ)
炎症が強い場合には
石膏と桔梗の組み合わせ
処方例
小柴胡湯加桔梗石膏
鎮咳去痰の漢方処方
清肺湯、竹茹温胆湯、参蘇飲
=桔梗紋
美濃の
山県氏=山目L亅八・・・県=懸
土岐氏=十一(拾壱)山十又
足壹=足位置
一族は桔梗紋
明智光秀=土岐氏一族
安倍晴明=五芒星=桔梗印
晴明神社では神紋
朝鮮民謡の「トラジ」
の
「あけつさま」=黒塗りの像
「黒塗りの像」=「弥助」カモ・・・?
元々
慈眼寺の川向いの
観音山
密厳寺(みつごんじ)
という寺にあった
光秀 像
福井の明智神社に
13cmほどの小さな木像
岸和田
本徳寺
にある
肖像画
幼名 彦太郎
明智光秀→惟任光秀
通称 十兵衛・惟任日向守
号 咲庵
渾名 キンカ頭=金柑頭
・・・頭=豆(肉刺)+頁
キンク天顋=禁句天顋?
顋=サイ・えら・あご
顋=あぎと
あご=顎・頥・頤・頷
顊=阜+頁
顋=思+頁=えら・腮の正字
頁(おおがい
いちのかい)
一(壹)ノ貝
腭門・顎・顋・鰓・顊
上あごと下あごとの間
顎(あご)
あぎ・あぎと
おとがい=阜+頁=顊
ヲトカヒ=顊
おとがい(頤)を鳴らす
よくしゃべる
へらず口をきく(叩く)
寒くて震え上がるさま
美味しいモノ例え
頬っぺたが落ちる
多弁・・・喧々諤々
虎寛本狂言・附子
(室町末‐近世初)
『扨も扨も
うまい事ではないか』
『おとがいが落るやうな』
三日天下様
戒名 秀岳院宗光禅定門
前日洲条鉄光秀居士
長存寺殿明窓玄智大禅定門
墓所 谷性寺(京都府亀岡市)
西教寺(滋賀県大津市)
高野山奥の院(和歌山県伊都郡高野町)
官位 従五位下 日向守
主君 斎藤道三→朝倉義景→足利義昭→織田信長
or
足利義輝→足利義昭→織田信長
氏族 源姓土岐氏流明智氏(惟任賜姓)
父 明智光綱
母 お牧の方
養父 明智光安 又は 明智頼明
兄弟 光秀・信教・進士貞連(作左衛門)
康秀・定明・定衡
御ツマキ=織田信長の側室=御妻木
妻 煕子(妻木範煕の女)
子 光慶・玉(細川忠興正室)・自然
↓↑
・・・何故、「江戸川乱歩」が生んだ
名探偵は
「明智小五郎」なのか・・・?
↓↑
江戸川 乱歩(えどがわ らんぽ)
旧字体
江戶川 亂步・・・本名 平井 太郎(ひらい たろう)
1894年(明治二十七年)10月21日
~
1965年(昭和四十年)7月28日)
大運1960年7月(65歳)~1970年
辛巳正財
甲┏午(丙 丁)偏印・傷官帝旺⇔庚戌偏財
三合丙
甲┗戌(辛丁戊)偏印・食神 墓⇔癸未正官
丙 申(戊壬庚) ・偏官 病⇔己酉傷官
甲 午(丙 丁)偏印・傷官帝旺⇔庚午偏財
辰巳空亡
ーー↓↑ーー
エドガー・アラン・ポー
(Edgar Allan Poe)
エドガー・A ・ポー
エドガー ・ポー
1809年1月19日
~
1849年10月7日
1844年6月(35歳) 己巳偏財
戊 辰(乙癸戊)正財・正財冠帯⇔己酉偏財
乙┏丑(癸辛己)比肩・偏財 衰⇔癸酉偏印
冲己
乙┣未(丁乙己) ・偏財 養⇔丙戌傷官
合丙
壬┗午(丙 丁)印綬・偏財長生⇔甲午印綬
辰巳空亡
ーー↓↑ーー
1809年1月20日?
1844年2月(35歳) 己巳傷官
戊辰(乙癸戊)食神・食神冠帯⇔己酉傷官
乙丑(癸辛己)印綬・傷官 養⇔癸酉正官
丙申(戊壬庚) ・偏財 病⇔丙戌比肩
甲午(丙 丁)偏印・傷官帝旺⇔甲午偏印
辰巳空亡
ーー↓↑ーー
1809年1月18日?
1844年10月(35歳) 己巳正財
戊 辰(乙癸戊)偏財・偏財冠帯⇔己酉正財
乙┏丑(癸辛己)劫財・正財 衰⇔癸酉印綬
冲己
甲┣午未(丁乙己) ・正財 養⇔丙戌食神
自刑丙
壬┗午(丙 丁)偏印・食神 ⇔甲午偏印
辰巳空亡
ーー↓↑ーー
黒猫 (The Black Cat, 1843年)
大鴉(The Raven, 詩・1845年)
↓↑
黒猫 (The Black Cat, 1843年)
日本で
1887年(明治二十年)
「饗庭篁村」
によって翻訳=意訳
正訳は
1893年(明治二十六年)
『鳥留好語(とりとめこうご)』
に収録された
「内田魯庵」訳の「黒猫」が初
1911年(明治四十四年)
「平塚らいてう」訳が
『青鞜』に掲載
↓↑
大鴉(The Raven, 詩・1845年)
「大鴉はパラス(アテーナー)の
胸像の上に止まり
Nevermore(二度とない)
という言葉を繰り返す・・・」
↓↑
カラス(烏、鴉、鵶、雅)
ーーーーー
加羅州=カラス=華羅州=唐州=韓州
烏=如何(いかん・なに)
=烏=戸+丂+灬
ノ+尸+一+ㄣ+灬
ノ+尸+一+𠃑+灬
㇀+尸+一+𠃌+灬
亏・亐・于=二+亅・・・迂回
丁+一
烏・・・「白」-「一」=黒
白い「鳥」を
「一」を除いて
黒い「トリ」にした
ウ・ク
ここに・ああ・おいて・に・より・を
ああ・わあ・ああという嘆息の声
ここに=語気をあらわすことば
詩のリズムを整える間拍子
に・…において・…に対しての意
↓↑
舃=臼+丂+灬
一+𠃑
=シャク・サク・セキ・タク
かささぎ
汚=水+亐(丂一)
丂
↓↑
からす(皆素)
からす(烏/鴉)
カラス(Maria Callas)
からす(枯らす)
からす(涸らす)
からす(嗄らす)
からすあげは(烏揚羽)
からすいし(烏石)
からすうり(烏瓜)
からすおうぎ(烏扇)
からすおどし(烏威し)
↓↑
から一す(皆素)
花札勝負で
初めに配られた7枚の札が
すべて点にならない
素札(すふだ)であること
↓↑
からす(烏・鴉)
カラス属の鳥の総称
全体に黒色か灰色
↓↑
カラス
1923~1977
米国生まれの
ギリシャ系ソプラノ歌手
↓↑
涸らす
声をかすれさせる
↓↑
からす一あげは(烏揚羽)
アゲハチョウ科のチョウ
羽は黒色の地に金緑色の
鱗粉
↓↑
からすいし(烏石)
漆石(うるしいし)とよぶ黒曜石
石炭の異称
↓↑
からす一うり(烏瓜)
ウリ科の蔓性(つるせい)の多年草
巻きひげで他に絡みつき
葉は手のひら状に浅く裂ける
雌雄異株
↓↑
からす一おうぎ(烏扇)
烏扇(ウセン)
アヤメ科の植物ヒオウギの古名
↓↑
からす一おどし(烏威し)
烏の止まるのを防ぐために
屋根に仕掛けたおどし縄
↓↑
・・・「案山子(かかし)」=久延毘古
(くえびこ)
大国主神の元に海の向こうから
小さな神がやって来たが
名を尋ねても答えず
誰もこの神の名を知らなかった
ヒキガエルの
「多邇具久」が
「久延毘古なら、きっと知っているだろう」
と言い
「久延毘古」に尋ねると
「神産巣日神の子の
少名毘古那神である」
と答えた・・・
「久延毘古とは・・・句延(縁)諺故?
山田の曾富騰(そほど・そほづ)=scarecrow
のことである」
scare=突然怖がらせる・おびえさせる・驚かす
crow=からす
おんどりの鳴き声・鬨の声
悦に入る・勝誇る・勝鬨(かちどき)
カラスに似た鳥
(raven・magpie・jay・rook・jackdaw
chough・carrion crowなど)
↓↑
「そほど=曾富騰」の「そほ」
「赭=そほ」=塗料などに使った赤い土
赤い色「丹」
案山子(かかし)の
「かか」=赤い色を表す
「ソホド」=「カカシ」
両方ともに「赤い色」・・・
赭=赤+者
シャ
あかつち・あか・あかい
赤土の色
「赭顔・赭 髯(シャゼン)」
はげ山
「真赭(まそお)=真朱(しんじゅ)」
の別名
↓↑
からす一かんざえもん(烏勘左衛門)
色の黒い人をあざけっていう語
↓↑
からす一がい(烏貝)
イシガイ科の二枚貝
湖沼にすみ、貝殻は楕円形で殻長約20センチ
殻表は黒く光沢
内面は真珠光沢が強い
↓↑
烏(からす)が
鵜(う)の真似(まね)
「鵜の真似をする烏」
↓↑
からす一がしら(烏頭)
「烏頭(ウトウ)」の訓読み
馬の後脚の外に向いてとがった関節
くわゆき
↓↑
からす一がね(烏金)
翌朝
烏が鳴くまでに返さなければならない金
日歩で借りて、借りた翌日にすぐ返す
高利の金
↓↑
からす一がみ(烏紙)
畳の縁布の下敷きに用いる
紺黒色の和紙
↓↑
からす一がわ(烏川)
群馬県西南部を流れる川
鼻曲山に源を発し、途中
鏑(かぶら)川・神流(かんな)川
などと合流
↓↑
から一すき(唐鋤=犂)
柄が曲がっていて刃の広いすき
牛馬に引かせて田畑を耕すのに用いる
牛ぐわ
「唐鋤星」
↓↑
からすき一ぼし(唐鋤星)
二十八宿の一
参宿(シンシュク)の和名
星座の配置を唐鋤に見立てた名
↓↑
からす一ぐち(烏口)
製図用具の一
2枚のくちばし状の部分の間に
墨汁を含ませて線を引くもの
↓↑
からす一ざ(烏座)
南天の小星座
4個の星が小さい四角形を作る
5月下旬の午後8時ごろ南中
四つ星
学名 (ラテン)Corvus
↓↑
からす一ざんしょう(烏山椒)
ミカン科の落葉高木
暖地に自生・枝に短いとげが多い
葉は山椒(サンショウ)に似て大きい
雌雄異株。夏、淡黄色の小花を円錐状に咲く
↓↑
から一すし(から鮨)
卯の花鮨
↓↑
からす一だな(烏棚)
床の間・書院などのわきに設ける
上下二組みの違い棚のある棚
↓↑
からす一てんぐ(烏天狗)
烏のくちばしのような口つきをしている小天狗
↓↑
からす一とび(烏飛び)
能「翁」で
三番叟(さんばそう)によって演じられる舞の型
声を掛けて横にとびはねる
江戸時代の防火装置
↓↑
からす一とんび(烏鳶)
タコ・イカの口にある
上下あごに相当する顎板(ガクバン)
黒褐色、これで食物を咀嚼(ソシャク)
↓↑
からす一なき(烏鳴き)
烏がやかましく鳴くこと
鳴き声から吉凶が占う
凶事の起きる前兆
↓↑
烏(からす)に反哺(ハンポ)の孝あり
烏は成長し親鳥の口にえさを含ませて
養育の恩に報いる
「烏さえ親の恩に報いる」
↓↑
からす一ねこ(烏猫)
黒色の毛の猫
江戸時代
労咳(ろうがい・肺結核)の者が飼うと
病気が治る・・・
↓↑
からす一の一あしあと(烏の足跡)
目じりにできる小じわ
↓↑
からす一のえんどう(烏野豌豆)
マメ科の越年草
高さ60センチくらい
葉は羽状複葉で先端は巻きひげ
春、淡紅紫色の蝶形
↓↑
「からす」の頭(かしら)が白(しろ)くなる
人質になっている
「燕の太子
丹に
秦王が烏の頭が白くなり
馬に角が生えたら帰国を許す」
と言った「史記・刺客伝賛注」
「烏(からす)の頭(かしら)白(しろ)く
馬(うま)角(つの)を生(しょう)ず」
↓↑
烏(からす)の髪(かみ)
黒くてつやのある髪
↓↑
からす一の一きゅう(烏の灸)
子供などの口のわきにできる白いただれ
↓↑
烏(からす)の行水(ぎょうずい)
入浴時間が短いことのたとえ
↓↑
からす一の一ごま(烏の胡麻)
シナノキ科の一年草
山野や荒れ地に生え
高さ約60センチ
葉は卵形で先がとがる
秋、黄色い5弁花が咲く
実は細長い角状
↓↑
烏(からす)の雌雄(しゆう)
「詩経」小雅・正月から
二つのものが似ていて
区別しにくいこと
↓↑
からすのぬれば一いろ(烏の濡れ羽色)
水にぬれた烏の羽のように
黒くてつやつやした色
「髪は烏の濡れ羽色」
↓↑
からす一ば(烏羽)
烏の羽・黒い羽
敏達天皇の代に
高麗(こま)から来た
烏の羽に墨書きした手紙を
湯気で蒸し、帛(ねりきぬ)に押し写し解読
↓↑
からすば一いろ(烏羽色)
烏の羽の色
黒く青みのあるつややかな色
黒い色
↓↑
からす一ばと(烏鳩)
ハト科の鳥・全長約40センチ
全身黒色で緑色の光沢がある
日本特産
伊豆諸島・小笠原諸島・琉球諸島などに棲む
↓↑
からす一びしゃく(烏柄杓)
サトイモ科の多年草・畑などに生え
高さ約20センチ
葉は3枚の小葉
長い柄の中ごろと上端とに1個ず
つむかご
↓↑
からす一ぶえ(烏笛)
歌舞伎で
烏の鳴き声の効果音を出す笛
竹筒の内部に
太さの異なる竹筒を三重に入れ
リードをつけたもの
↓↑
からす一へび(烏蛇)
シマヘビの黒化型
うろこに黒の色素細胞が異常に多く
全身黒色
↓↑
からすま一どおり(烏丸通り)
京都市中央部を南北に走る幹線道路
北の今宮通りから京都御所前を通り
南の久世橋通りに至る
全長約6.6キロ
↓↑
からすまる(烏丸)
平安京の南北の小路
烏丸(からすま)通り
↓↑
からすまる一どの(烏丸殿)
京都市上京区烏丸(からすま)
今出川の北の
相国寺門前にあった
足利義政(あしかがよしまさ)の邸宅
烏丸御所
↓↑
からす(烏・鴉)
黒いところから
くろうと=玄人
↓↑
口うるさい人・お喋り
よく物忘れをする人
意地のきたない人
その辺りをうろつく人
旅がらす
↓↑
色の黒いこと
からす猫・からす蛇・からす石
↓↑
からすまる一まきえ(烏丸蒔絵)
桃山初期から、烏丸で製造された漆器
↓↑
からすまる一みつひろ(烏丸光広)
1579~1638
江戸初期の歌人
↓↑
から一すみ(唐墨)
中国製の墨・とうぼく
↓↑
から一すみ(鱲子)
ボラの卵巣を塩漬けにし
塩抜きして圧搾・乾燥した食品
形が唐墨(からすみ)に似る
サワラ・タラからも作る
↓↑
からすみ一ず(鱲子酢)
からすみを
おろし金ですり
合わせ酢を加えた料理
からすみを薄く切り
大根おろしと酢であえた料理
↓↑
からす一むぎ(烏麦)
イネ科の越年草
高さ約1メートル
葉は細長い
夏、小穂を円錐状につける
ヨーロッパ・北アフリカの原産
エンバク...
↓↑
烏(からす)を鵜(う)に使(つか)う
無能な人を
能力を必要とする地位に
据えること
↓↑
明智光秀
↓↑
生地は明智荘の明智城
岐阜県
可児市・・・可児=かご・かこ
↓↑カジ=嘉字=佳字(けいじ)
好字・佳字・嘉字
(かじ・けいじ)
漢字の
字面が良くない場合
同じ読みで
字面の良い漢字をあてる
「嘉字」とも書く
佳字・佳名
和銅六年(713年)
元明天皇
「諸国郡郷名著好字令」
諸国の国名を
佳名とせよと勅令
↓↑ ↓↑
冷泉天皇
967年(康保四年)
「諸国の郡・里などの名は
二字を用い
必(カナら)ず
嘉名とせよ」
の令
↓↑ ↓↑
在位期間
967年7月5日
康保四年五月二十五日
~
969年9月27日
安和二年八月十三日
第63代
冷泉天皇(れいぜいてんのう)
天暦四年五月二十四日
950年6月12日
~
寛弘八年十月二十四日
1011年11月21日
↓↑ ↓↑
在位
康保四年五月二十五日
967年7月5日
~
安和二年八月十三日
969年9月27日
↓↑ ↓↑
諱 憲平(のりひら)
父 村上天皇(第二皇子)
母 藤原師輔の娘・中宮安子
円融天皇の同母兄
↓↑ ↓↑
容姿端麗だが
奇行多
十八歳で即位
↓↑
安和の変(安和二年969年)
(藤原氏による
左大臣
源高明の失脚)
↓↑
二年間で退位
同母弟の
円融天皇に
譲位の後
冷泉院に
十一年間住み
冷泉院と呼ばれ
上皇生活を42年過ごし
東三条南院にて
「赤痢」で62歳で崩御
↓↑
ーーーーー
967年
干支 丁卯
日本
康保 四 年
皇紀 1627 年
中国
北宋 乾徳五 年
十国
南唐 乾徳五 年(北宋元号)
呉越 乾徳五 年(北宋元号)
南漢 大宝十 年
北漢 天会十一年
遼 応暦十七年
大理国 広徳 末年
于闐 天尊 元年
ーーーーー
↓↑ ↓↑
カジ・カヂ・カチ
華字・加地・可知
↓↑ ↓↑
楫(かじ)
楫取美和子
(かとりみわこ)
吉田松陰の妹
杉 文
文=久坂 文
久坂玄瑞の妻
後
「楫取素彦」の後妻
「楫取美和子」
↓↑ ↓↑
楫取素彦=小田村 伊之助
(いのすけ)
後に文助・素太郎
慶応三年(1867年)九月
藩命により
「楫取素彦」と改名
諱 希哲(ひさよし)
字 士毅
号 耕堂彜堂・晩稼・棋山
↓↑ 不如帰耕堂
弘化元年(1844年)明倫館に入り
弘化四年(1847年)19歳で
司典助役兼助講
22歳 大番役として江戸藩邸に勤め
安積艮斎・佐藤一斎に教えを受ける
安政二年(1855年)四月
明倫館舎長書記兼講師見習
安政三年(1856年)二月
相模出衛を命ぜられ
安政四年(1857年)四月帰国
明倫館都講役兼助講
五年(1858年)十一月
松下村塾閉鎖まで
吉田松陰の
松下村塾計画に参与
↓↑ ↓↑
文政十二年三月十五日(1829年4月18日)
長門国
萩
魚棚沖町(山口県萩市)
藩医
松島瑞蟠の次男として誕生
天保十一年(1840年)
小田村家の養子となる
↓↑
明智十兵衛光秀の生地
↓↑
明智荘の明智城
岐阜県
可児市
岐阜県
可児市
広見・瀬田
あたり
ーーーーー
・・・???・・・柳生十兵衛・・・
柳生 三厳(やぎゅう みつよし)=柳生十兵衛
武士、剣豪、旗本
初名 七郎
諱 三厳
通称 十兵衞
ーーーーー
・・・???・・・
1936年(昭和11年)
変相の名人・・・「変装・変奏」の名の人・・・?
↓↑
1936年(昭和11年)1月~12月
『少年倶楽部』に
『怪人二十面相』登場・・・
本名 遠藤平吉(えんどう へいきち)
・・・「元々は『グランド・サーカス団』というサーカス団の曲芸師」
VS
明智小五郎
ー↓↑ー
明智 十兵衛 光秀
VS
織田 信長
天文三年五月十二日
1534年6月23日
~
天正十年六月二日
1582年6月21日
大運 甲 戌 偏官
三合丙火偏印
年運 壬 午 ↓↑
┏甲┏午(丙 丁)偏官・印綬・帝旺⇔壬┏午 偏財
┗己┣巳(戊庚丙)劫財・偏印・建禄⇔乙┣巳 正官
戊┣寅(戊丙甲) ・偏官・長生⇔戊┏子 比肩
戊┗午(丙 丁)比肩・印綬・帝旺⇔戊┗午 比肩
申酉空亡
↓↑
大運
1575年12月(41歳)
甲戌・偏官・墓
~
1585年12月(51歳)
乙亥・正官・絶
↓↑
本能寺の変
本能寺の変(ほんのうじのへん)
天正十年六月二日
(1582年6月21日早朝)
↓↑
壬┏午(丙 丁)偏財・印綬・帝旺
乙 巳(戊庚丙)正官・偏印・建禄
戊┏子(壬 癸) ・正財・ 胎
戊┗午(丙 丁)比肩・印綬・帝旺
↓↑
から
十一日後・・・? 十日後・・・?
明智 十兵衛 光秀 死亡?
↓↑ ↓↑
壬┏午(丙 丁)偏財・印綬帝旺 壬┏午
乙 巳(戊庚丙)正官・偏印建禄 乙┏巳
戊┗戌(辛丁戊) ・比肩 墓 丁┗酉
↓↑
山崎合戦(摂津国と山城国の境)
天正十年六月十三日
1582年7月2日
↓↑
壬午(丙 丁)正財・印綬・建禄
丙午(丙 丁)印綬・印綬・建禄
己亥(戊甲壬) ・劫財 胎
庚午(丙 丁)傷官・印綬・建禄
↓↑
京都市右京区
京北
周山町
慈眼寺
くろみつ 慈眼寺
明智光秀 像・・・黒塗りの「明智光秀」・・・「やすけ=弥助」カモ?
「烏帽子(えぼし)姿」
「桔梗の紋」=「キキョウの意図の文」?
↓↑
桔梗
キキョウ目キキョウ科
多年性草本植物
秋の七草の一つ
「朝貌=あさがお=朝顔」
は本種
↓↑
「組合い角に桔梗」の
「坂本龍馬」
龍馬ら坂本家は
明智光秀の娘婿であった
明智光春の子
明智太郎五郎を先祖・・・
↓↑
明智 左馬助 光春
天文五年(1536年)?
~
天正十年六月十四日(1582年7月4日)
幼名 岩千代
改名 光俊・光遠・・・?
改名 三宅弥平次→明智秀満
別名 光春・光遠・秀俊・光俊・光昌
通称:左馬助
主君 明智光秀
氏族 三宅氏(異説あり)→明智氏
父母 複数説あり
妻 正室 明智光秀の娘
子 三宅重利
↓↑
濃姫=鷺山殿(さぎやまどの)=於濃の方
安土殿
帰蝶=歸蝶=胡蝶=濃姫
↓↑
帰蝶=キチョウ=記帳・基調・帰朝・・・几帳面
↓↑
斎藤道三の娘(母は正室・小見の方)
明智光秀とは姻戚関係
織田信長の正室
↓↑
濃姫(帰蝶)
美濃の大名
斎藤道三
の3女で1535年生まれ
母は明智光継の娘、小見の方
兄弟に斎藤利治
斎藤義龍(斉藤義竜)とは異母兄妹
明智 光秀とは従兄妹同士という説・・・
↓↑
母 道三の正室「小見の方」
「小見の方」は
明智光秀の父光綱の妹・・・
この説を採るならば、光秀と濃姫は従兄妹
↓↑
明智煕子(ひろこ)
↓↑
信長の妻 濃姫
↓↑
光秀の妻 熈子
↓↑
父は妻 木勘解由 左衛門 範 熙
(つまきかげゆ ざえもんのりひろ)
or
妻木広忠
↓↑
妻木氏
『妻木氏系図』
美濃国土岐郡の
妻木城主
土岐頼照が祖
煕子も光秀も
美濃
「土岐」氏一族
↓↑
光秀の三女
珠(ガラシャ)=細川忠興室
・・・桔梗=キキョウ=基教・葵郷・姫鏡
気胸・記今日・奇矯・希京・希叶
=漢方で鎮咳、去痰、排膿作用
処方に
桔梗湯(キキョウ+カンゾウ)
炎症が強い場合には
石膏と桔梗の組み合わせ
処方例
小柴胡湯加桔梗石膏
鎮咳去痰の漢方処方
清肺湯、竹茹温胆湯、参蘇飲
=桔梗紋
美濃の
山県氏=山目L亅八・・・県=懸
土岐氏=十一(拾壱)山十又
足壹=足位置
一族は桔梗紋
明智光秀=土岐氏一族
安倍晴明=五芒星=桔梗印
晴明神社では神紋
朝鮮民謡の「トラジ」
の
「あけつさま」=黒塗りの像
「黒塗りの像」=「弥助」カモ・・・?
元々
慈眼寺の川向いの
観音山
密厳寺(みつごんじ)
という寺にあった
光秀 像
福井の明智神社に
13cmほどの小さな木像
岸和田
本徳寺
にある
肖像画
幼名 彦太郎
明智光秀→惟任光秀
通称 十兵衛・惟任日向守
号 咲庵
渾名 キンカ頭=金柑頭
・・・頭=豆(肉刺)+頁
キンク天顋=禁句天顋?
顋=サイ・えら・あご
顋=あぎと
あご=顎・頥・頤・頷
顊=阜+頁
顋=思+頁=えら・腮の正字
頁(おおがい
いちのかい)
一(壹)ノ貝
腭門・顎・顋・鰓・顊
上あごと下あごとの間
顎(あご)
あぎ・あぎと
おとがい=阜+頁=顊
ヲトカヒ=顊
おとがい(頤)を鳴らす
よくしゃべる
へらず口をきく(叩く)
寒くて震え上がるさま
美味しいモノ例え
頬っぺたが落ちる
多弁・・・喧々諤々
虎寛本狂言・附子
(室町末‐近世初)
『扨も扨も
うまい事ではないか』
『おとがいが落るやうな』
三日天下様
戒名 秀岳院宗光禅定門
前日洲条鉄光秀居士
長存寺殿明窓玄智大禅定門
墓所 谷性寺(京都府亀岡市)
西教寺(滋賀県大津市)
高野山奥の院(和歌山県伊都郡高野町)
官位 従五位下 日向守
主君 斎藤道三→朝倉義景→足利義昭→織田信長
or
足利義輝→足利義昭→織田信長
氏族 源姓土岐氏流明智氏(惟任賜姓)
父 明智光綱
母 お牧の方
養父 明智光安 又は 明智頼明
兄弟 光秀・信教・進士貞連(作左衛門)
康秀・定明・定衡
御ツマキ=織田信長の側室=御妻木
妻 煕子(妻木範煕の女)
子 光慶・玉(細川忠興正室)・自然
↓↑
・・・何故、「江戸川乱歩」が生んだ
名探偵は
「明智小五郎」なのか・・・?
↓↑
江戸川 乱歩(えどがわ らんぽ)
旧字体
江戶川 亂步・・・本名 平井 太郎(ひらい たろう)
1894年(明治二十七年)10月21日
~
1965年(昭和四十年)7月28日)
大運1960年7月(65歳)~1970年
辛巳正財
甲┏午(丙 丁)偏印・傷官帝旺⇔庚戌偏財
三合丙
甲┗戌(辛丁戊)偏印・食神 墓⇔癸未正官
丙 申(戊壬庚) ・偏官 病⇔己酉傷官
甲 午(丙 丁)偏印・傷官帝旺⇔庚午偏財
辰巳空亡
ーー↓↑ーー
エドガー・アラン・ポー
(Edgar Allan Poe)
エドガー・A ・ポー
エドガー ・ポー
1809年1月19日
~
1849年10月7日
1844年6月(35歳) 己巳偏財
戊 辰(乙癸戊)正財・正財冠帯⇔己酉偏財
乙┏丑(癸辛己)比肩・偏財 衰⇔癸酉偏印
冲己
乙┣未(丁乙己) ・偏財 養⇔丙戌傷官
合丙
壬┗午(丙 丁)印綬・偏財長生⇔甲午印綬
辰巳空亡
ーー↓↑ーー
1809年1月20日?
1844年2月(35歳) 己巳傷官
戊辰(乙癸戊)食神・食神冠帯⇔己酉傷官
乙丑(癸辛己)印綬・傷官 養⇔癸酉正官
丙申(戊壬庚) ・偏財 病⇔丙戌比肩
甲午(丙 丁)偏印・傷官帝旺⇔甲午偏印
辰巳空亡
ーー↓↑ーー
1809年1月18日?
1844年10月(35歳) 己巳正財
戊 辰(乙癸戊)偏財・偏財冠帯⇔己酉正財
乙┏丑(癸辛己)劫財・正財 衰⇔癸酉印綬
冲己
甲┣午未(丁乙己) ・正財 養⇔丙戌食神
自刑丙
壬┗午(丙 丁)偏印・食神 ⇔甲午偏印
辰巳空亡
ーー↓↑ーー
黒猫 (The Black Cat, 1843年)
大鴉(The Raven, 詩・1845年)
↓↑
黒猫 (The Black Cat, 1843年)
日本で
1887年(明治二十年)
「饗庭篁村」
によって翻訳=意訳
正訳は
1893年(明治二十六年)
『鳥留好語(とりとめこうご)』
に収録された
「内田魯庵」訳の「黒猫」が初
1911年(明治四十四年)
「平塚らいてう」訳が
『青鞜』に掲載
↓↑
大鴉(The Raven, 詩・1845年)
「大鴉はパラス(アテーナー)の
胸像の上に止まり
Nevermore(二度とない)
という言葉を繰り返す・・・」
↓↑
カラス(烏、鴉、鵶、雅)
ーーーーー
加羅州=カラス=華羅州=唐州=韓州
烏=如何(いかん・なに)
=烏=戸+丂+灬
ノ+尸+一+ㄣ+灬
ノ+尸+一+𠃑+灬
㇀+尸+一+𠃌+灬
亏・亐・于=二+亅・・・迂回
丁+一
烏・・・「白」-「一」=黒
白い「鳥」を
「一」を除いて
黒い「トリ」にした
ウ・ク
ここに・ああ・おいて・に・より・を
ああ・わあ・ああという嘆息の声
ここに=語気をあらわすことば
詩のリズムを整える間拍子
に・…において・…に対しての意
↓↑
舃=臼+丂+灬
一+𠃑
=シャク・サク・セキ・タク
かささぎ
汚=水+亐(丂一)
丂
↓↑
からす(皆素)
からす(烏/鴉)
カラス(Maria Callas)
からす(枯らす)
からす(涸らす)
からす(嗄らす)
からすあげは(烏揚羽)
からすいし(烏石)
からすうり(烏瓜)
からすおうぎ(烏扇)
からすおどし(烏威し)
↓↑
から一す(皆素)
花札勝負で
初めに配られた7枚の札が
すべて点にならない
素札(すふだ)であること
↓↑
からす(烏・鴉)
カラス属の鳥の総称
全体に黒色か灰色
↓↑
カラス
1923~1977
米国生まれの
ギリシャ系ソプラノ歌手
↓↑
涸らす
声をかすれさせる
↓↑
からす一あげは(烏揚羽)
アゲハチョウ科のチョウ
羽は黒色の地に金緑色の
鱗粉
↓↑
からすいし(烏石)
漆石(うるしいし)とよぶ黒曜石
石炭の異称
↓↑
からす一うり(烏瓜)
ウリ科の蔓性(つるせい)の多年草
巻きひげで他に絡みつき
葉は手のひら状に浅く裂ける
雌雄異株
↓↑
からす一おうぎ(烏扇)
烏扇(ウセン)
アヤメ科の植物ヒオウギの古名
↓↑
からす一おどし(烏威し)
烏の止まるのを防ぐために
屋根に仕掛けたおどし縄
↓↑
・・・「案山子(かかし)」=久延毘古
(くえびこ)
大国主神の元に海の向こうから
小さな神がやって来たが
名を尋ねても答えず
誰もこの神の名を知らなかった
ヒキガエルの
「多邇具久」が
「久延毘古なら、きっと知っているだろう」
と言い
「久延毘古」に尋ねると
「神産巣日神の子の
少名毘古那神である」
と答えた・・・
「久延毘古とは・・・句延(縁)諺故?
山田の曾富騰(そほど・そほづ)=scarecrow
のことである」
scare=突然怖がらせる・おびえさせる・驚かす
crow=からす
おんどりの鳴き声・鬨の声
悦に入る・勝誇る・勝鬨(かちどき)
カラスに似た鳥
(raven・magpie・jay・rook・jackdaw
chough・carrion crowなど)
↓↑
「そほど=曾富騰」の「そほ」
「赭=そほ」=塗料などに使った赤い土
赤い色「丹」
案山子(かかし)の
「かか」=赤い色を表す
「ソホド」=「カカシ」
両方ともに「赤い色」・・・
赭=赤+者
シャ
あかつち・あか・あかい
赤土の色
「赭顔・赭 髯(シャゼン)」
はげ山
「真赭(まそお)=真朱(しんじゅ)」
の別名
↓↑
からす一かんざえもん(烏勘左衛門)
色の黒い人をあざけっていう語
↓↑
からす一がい(烏貝)
イシガイ科の二枚貝
湖沼にすみ、貝殻は楕円形で殻長約20センチ
殻表は黒く光沢
内面は真珠光沢が強い
↓↑
烏(からす)が
鵜(う)の真似(まね)
「鵜の真似をする烏」
↓↑
からす一がしら(烏頭)
「烏頭(ウトウ)」の訓読み
馬の後脚の外に向いてとがった関節
くわゆき
↓↑
からす一がね(烏金)
翌朝
烏が鳴くまでに返さなければならない金
日歩で借りて、借りた翌日にすぐ返す
高利の金
↓↑
からす一がみ(烏紙)
畳の縁布の下敷きに用いる
紺黒色の和紙
↓↑
からす一がわ(烏川)
群馬県西南部を流れる川
鼻曲山に源を発し、途中
鏑(かぶら)川・神流(かんな)川
などと合流
↓↑
から一すき(唐鋤=犂)
柄が曲がっていて刃の広いすき
牛馬に引かせて田畑を耕すのに用いる
牛ぐわ
「唐鋤星」
↓↑
からすき一ぼし(唐鋤星)
二十八宿の一
参宿(シンシュク)の和名
星座の配置を唐鋤に見立てた名
↓↑
からす一ぐち(烏口)
製図用具の一
2枚のくちばし状の部分の間に
墨汁を含ませて線を引くもの
↓↑
からす一ざ(烏座)
南天の小星座
4個の星が小さい四角形を作る
5月下旬の午後8時ごろ南中
四つ星
学名 (ラテン)Corvus
↓↑
からす一ざんしょう(烏山椒)
ミカン科の落葉高木
暖地に自生・枝に短いとげが多い
葉は山椒(サンショウ)に似て大きい
雌雄異株。夏、淡黄色の小花を円錐状に咲く
↓↑
から一すし(から鮨)
卯の花鮨
↓↑
からす一だな(烏棚)
床の間・書院などのわきに設ける
上下二組みの違い棚のある棚
↓↑
からす一てんぐ(烏天狗)
烏のくちばしのような口つきをしている小天狗
↓↑
からす一とび(烏飛び)
能「翁」で
三番叟(さんばそう)によって演じられる舞の型
声を掛けて横にとびはねる
江戸時代の防火装置
↓↑
からす一とんび(烏鳶)
タコ・イカの口にある
上下あごに相当する顎板(ガクバン)
黒褐色、これで食物を咀嚼(ソシャク)
↓↑
からす一なき(烏鳴き)
烏がやかましく鳴くこと
鳴き声から吉凶が占う
凶事の起きる前兆
↓↑
烏(からす)に反哺(ハンポ)の孝あり
烏は成長し親鳥の口にえさを含ませて
養育の恩に報いる
「烏さえ親の恩に報いる」
↓↑
からす一ねこ(烏猫)
黒色の毛の猫
江戸時代
労咳(ろうがい・肺結核)の者が飼うと
病気が治る・・・
↓↑
からす一の一あしあと(烏の足跡)
目じりにできる小じわ
↓↑
からす一のえんどう(烏野豌豆)
マメ科の越年草
高さ60センチくらい
葉は羽状複葉で先端は巻きひげ
春、淡紅紫色の蝶形
↓↑
「からす」の頭(かしら)が白(しろ)くなる
人質になっている
「燕の太子
丹に
秦王が烏の頭が白くなり
馬に角が生えたら帰国を許す」
と言った「史記・刺客伝賛注」
「烏(からす)の頭(かしら)白(しろ)く
馬(うま)角(つの)を生(しょう)ず」
↓↑
烏(からす)の髪(かみ)
黒くてつやのある髪
↓↑
からす一の一きゅう(烏の灸)
子供などの口のわきにできる白いただれ
↓↑
烏(からす)の行水(ぎょうずい)
入浴時間が短いことのたとえ
↓↑
からす一の一ごま(烏の胡麻)
シナノキ科の一年草
山野や荒れ地に生え
高さ約60センチ
葉は卵形で先がとがる
秋、黄色い5弁花が咲く
実は細長い角状
↓↑
烏(からす)の雌雄(しゆう)
「詩経」小雅・正月から
二つのものが似ていて
区別しにくいこと
↓↑
からすのぬれば一いろ(烏の濡れ羽色)
水にぬれた烏の羽のように
黒くてつやつやした色
「髪は烏の濡れ羽色」
↓↑
からす一ば(烏羽)
烏の羽・黒い羽
敏達天皇の代に
高麗(こま)から来た
烏の羽に墨書きした手紙を
湯気で蒸し、帛(ねりきぬ)に押し写し解読
↓↑
からすば一いろ(烏羽色)
烏の羽の色
黒く青みのあるつややかな色
黒い色
↓↑
からす一ばと(烏鳩)
ハト科の鳥・全長約40センチ
全身黒色で緑色の光沢がある
日本特産
伊豆諸島・小笠原諸島・琉球諸島などに棲む
↓↑
からす一びしゃく(烏柄杓)
サトイモ科の多年草・畑などに生え
高さ約20センチ
葉は3枚の小葉
長い柄の中ごろと上端とに1個ず
つむかご
↓↑
からす一ぶえ(烏笛)
歌舞伎で
烏の鳴き声の効果音を出す笛
竹筒の内部に
太さの異なる竹筒を三重に入れ
リードをつけたもの
↓↑
からす一へび(烏蛇)
シマヘビの黒化型
うろこに黒の色素細胞が異常に多く
全身黒色
↓↑
からすま一どおり(烏丸通り)
京都市中央部を南北に走る幹線道路
北の今宮通りから京都御所前を通り
南の久世橋通りに至る
全長約6.6キロ
↓↑
からすまる(烏丸)
平安京の南北の小路
烏丸(からすま)通り
↓↑
からすまる一どの(烏丸殿)
京都市上京区烏丸(からすま)
今出川の北の
相国寺門前にあった
足利義政(あしかがよしまさ)の邸宅
烏丸御所
↓↑
からす(烏・鴉)
黒いところから
くろうと=玄人
↓↑
口うるさい人・お喋り
よく物忘れをする人
意地のきたない人
その辺りをうろつく人
旅がらす
↓↑
色の黒いこと
からす猫・からす蛇・からす石
↓↑
からすまる一まきえ(烏丸蒔絵)
桃山初期から、烏丸で製造された漆器
↓↑
からすまる一みつひろ(烏丸光広)
1579~1638
江戸初期の歌人
↓↑
から一すみ(唐墨)
中国製の墨・とうぼく
↓↑
から一すみ(鱲子)
ボラの卵巣を塩漬けにし
塩抜きして圧搾・乾燥した食品
形が唐墨(からすみ)に似る
サワラ・タラからも作る
↓↑
からすみ一ず(鱲子酢)
からすみを
おろし金ですり
合わせ酢を加えた料理
からすみを薄く切り
大根おろしと酢であえた料理
↓↑
からす一むぎ(烏麦)
イネ科の越年草
高さ約1メートル
葉は細長い
夏、小穂を円錐状につける
ヨーロッパ・北アフリカの原産
エンバク...
↓↑
烏(からす)を鵜(う)に使(つか)う
無能な人を
能力を必要とする地位に
据えること
↓↑
明智光秀
↓↑
生地は明智荘の明智城
岐阜県
可児市・・・可児=かご・かこ
↓↑カジ=嘉字=佳字(けいじ)
好字・佳字・嘉字
(かじ・けいじ)
漢字の
字面が良くない場合
同じ読みで
字面の良い漢字をあてる
「嘉字」とも書く
佳字・佳名
和銅六年(713年)
元明天皇
「諸国郡郷名著好字令」
諸国の国名を
佳名とせよと勅令
↓↑ ↓↑
冷泉天皇
967年(康保四年)
「諸国の郡・里などの名は
二字を用い
必(カナら)ず
嘉名とせよ」
の令
↓↑ ↓↑
在位期間
967年7月5日
康保四年五月二十五日
~
969年9月27日
安和二年八月十三日
第63代
冷泉天皇(れいぜいてんのう)
天暦四年五月二十四日
950年6月12日
~
寛弘八年十月二十四日
1011年11月21日
↓↑ ↓↑
在位
康保四年五月二十五日
967年7月5日
~
安和二年八月十三日
969年9月27日
↓↑ ↓↑
諱 憲平(のりひら)
父 村上天皇(第二皇子)
母 藤原師輔の娘・中宮安子
円融天皇の同母兄
↓↑ ↓↑
容姿端麗だが
奇行多
十八歳で即位
↓↑
安和の変(安和二年969年)
(藤原氏による
左大臣
源高明の失脚)
↓↑
二年間で退位
同母弟の
円融天皇に
譲位の後
冷泉院に
十一年間住み
冷泉院と呼ばれ
上皇生活を42年過ごし
東三条南院にて
「赤痢」で62歳で崩御
↓↑
ーーーーー
967年
干支 丁卯
日本
康保 四 年
皇紀 1627 年
中国
北宋 乾徳五 年
十国
南唐 乾徳五 年(北宋元号)
呉越 乾徳五 年(北宋元号)
南漢 大宝十 年
北漢 天会十一年
遼 応暦十七年
大理国 広徳 末年
于闐 天尊 元年
ーーーーー
↓↑ ↓↑
カジ・カヂ・カチ
華字・加地・可知
↓↑ ↓↑
楫(かじ)
楫取美和子
(かとりみわこ)
吉田松陰の妹
杉 文
文=久坂 文
久坂玄瑞の妻
後
「楫取素彦」の後妻
「楫取美和子」
↓↑ ↓↑
楫取素彦=小田村 伊之助
(いのすけ)
後に文助・素太郎
慶応三年(1867年)九月
藩命により
「楫取素彦」と改名
諱 希哲(ひさよし)
字 士毅
号 耕堂彜堂・晩稼・棋山
↓↑ 不如帰耕堂
弘化元年(1844年)明倫館に入り
弘化四年(1847年)19歳で
司典助役兼助講
22歳 大番役として江戸藩邸に勤め
安積艮斎・佐藤一斎に教えを受ける
安政二年(1855年)四月
明倫館舎長書記兼講師見習
安政三年(1856年)二月
相模出衛を命ぜられ
安政四年(1857年)四月帰国
明倫館都講役兼助講
五年(1858年)十一月
松下村塾閉鎖まで
吉田松陰の
松下村塾計画に参与
↓↑ ↓↑
文政十二年三月十五日(1829年4月18日)
長門国
萩
魚棚沖町(山口県萩市)
藩医
松島瑞蟠の次男として誕生
天保十一年(1840年)
小田村家の養子となる
↓↑
明智十兵衛光秀の生地
↓↑
明智荘の明智城
岐阜県
可児市
岐阜県
可児市
広見・瀬田
あたり
ーーーーー
・・・???・・・柳生十兵衛・・・
柳生 三厳(やぎゅう みつよし)=柳生十兵衛
武士、剣豪、旗本
初名 七郎
諱 三厳
通称 十兵衞
ーーーーー
・・・???・・・
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