以下、あっちこっちに跳んで
ランダムな書き込み・・・
「↓↑」を順次、目で追っても
ボク自身がコンフユーズ・・・
マッ、勝手な自己納得、解釈の妄想推理の書き込みだから
ご容赦アレッ・・・
↓↑

「チバ」の「カンジるカンジ」って・・・
「風の中のスバル(昂・昴・諏葉留)」?
↓↑
「千葉(ちば)」・・・・「千字文」?
「千葉(せんば)」・・・「千波・船場」
「千葉(センヨウ)」・・「占用・専用・船用・選葉」
↓↑
明治6年6月15日・・・陸ネン陸ガツ壱拾五ジツ
↓↑
千葉町を含む房総半島北部を中心とする
印旛県(いんばけん)・・・印葉
房総半島の南部
木更津県(きさらづけん)
・・・記紀
更(讃良=持統天皇?)に
氵=さんずい=纂隋(簒隨)の
聿(はじめ・ふで・イチ・イツ)を
懸ける?
が対等合併し
千葉県が新設
↓↑
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平安時代前期
『和名類聚抄(ワミョウ ルイジュショウ:和名抄)』
に
千葉郡・千葉郷
が記録
↓↑
中世
「千葉庄(ちばしょう)・千葉荘」
という
下総(しもふさ)の国・・・房総(ボウソウ)半島
最大規模の荘園があった
↓↑
千葉郷の由来
「台地・崖地の端」説・・・台=だい=臺・がけ=崖
ム+口 臥懸
「泊(とめる・止・留)」説
氵・・・纂隋は 白(いわく・曰)・私賂・新羅?
・・・「地図的」地形説は無いが
・・・「鳥=雞=酉=禽」の頭か嘴(くちばし)
千葉郡・千葉郷
↓↑

『古代地名語源辞典』
地形に由来しているのが有力だ。
古い地名は地形由来
↓↑
「ツバ=台地や崖地の端」説
「トバ=泊(とまり=港)」説
・・・
「鳥羽・鳥葉」
・・・地図の俯瞰(鳥瞰)的図形は
「鳥の頭」
「鳥の嘴(くちばし・喙・咮)」
・・・にも見えるが・・・
「俯瞰=鳥瞰」可能なのは
空を飛べない
鷄=雞、駝鳥にはムリだが
「凧・気球・飛行機」の空中からの観察と
「図形(地図)」を観れば理解(わか)るカモ?
↓↑
「伊能忠敬」は「千葉の人」だった
上総国
山辺郡
小関村
(千葉県
山武郡
九十九里町
小関)
の名主
「小関五郎左衛門」
の家で誕生
幼名は「三治郎」・・・纂字朗・・・朗読
↓↑
父親の
「神保 貞恒」・・・「小関」家に入り婿
は
「武射郡小堤(おんづみ)村・・・音通見ム覶?
(千葉県・・・選の言葉を懸ける?
山武郡・・・纂分の訓の阜(丘)?
横芝光町
↓↑
・・・横芝光町(よこ しばひかりまち)
よこしま 司馬光 麻知・調
↓↑ ↓↑ ↓↑
司馬光
北宋中期の政治家・学者
字 君実
諡 文正
神宗時代
『王安石の新法』
に反対して政界を退き
「資治通鑑」編集
哲宗の即位で宰相
新法を廃して旧法に復した
死後
「温国公(オンコクコウ)」
に封ぜられ「司馬温公」とも称された
文集に「司馬文正公集
↓↑
小堤=おんづみ)・・・音通見?
・・・ショウテイ
=尚 綴・・・
尚歯会=蛮社の獄
1839年(天保十年五月)・拾・足
高野長英
渡辺崋山
小関三英・・・小関
鳥居耀蔵
↓↑ ↓↑
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シーボルト事件
1828年(文政十一年)
重(廿・从)位置?
一拾一=Ⅺ
=Ⅹ(カイ)+I(アイ)?
一足(左右の靴)のイチ(位置)
高橋景保=伊能忠敬の師
・・・獄死・塩漬け・・・
↓↑ ↓↑
「鬼室福信=首の塩漬け」
は
泗沘(しひ)城奪還、百濟再興の将軍
『日本書紀』663年6月
「義慈王」・・・擬似(字)應(応)?
「義慈王(ギジオウ)」
599年~660年
百済の第三十ー代
最後の王(在位 641年~660年)
諱 義慈
「豊璋=」・・・天武の放生?
「豊璋=義慈王の五男」
↓↑
皇極天皇元年(642年)1月・・・「百済大乱」
↓↑ 645年=「大化の改新」
↓↑
「百済大乱」
「弟 王子・・・「兄 皇子」はダレ?
兒翹岐(ギョウキ)」
「義慈王の異母兄弟」・・・
翹=堯+羽=翘=戈+兀+羽
尭=尧=ギョウ・高い
垚(ギョウ・キ)+兀(ゴツ・ゴチ)+羽
土+土+土+一+儿(片膝を曲げてつく人)+羽
十+一+十+一+十+一+一+儿+羽
ギョウ
あげる
つまだてる
鳥の尾の長い羽毛
あげる・あがる・もちあげる
つまだてる・つまさきで立つ
すぐれているさま・ぬきんでている
心にかける・かける
↓↑
と、その家族および高官が
「島」に放逐・・・島流し・・・遠島、国外放逐
↓↑
「済州島=耽羅(タンラ・チンラ・トムラ・탐라)國
「𨈭牟羅・耽牟羅(たむら)・屯羅(とんら)」
とも表記
朝鮮半島沖の済州(耽羅)島に
古代から中世に
存在した「王国」
「耽羅(トラ)皇子」・・・網羅・網(あみ)?
耽羅=とら(虎・寅・禽・図羅・罫線圖)
・・・・「島大臣=蘇我蝦夷」
羅=罒+維
罒+糸+隹
罒+幺+小+隹
=罗=罒+夕
ラ
あみ・鳥をとる網
あみする
網にかけて捕らえる・一網打尽
残らずつかみとる
つらねる・つらなる・並べる
薄い絹・うすもの
「蘿=ラ・つた(蔦)-かずら(蔓・鬘)」
↓↑
「曼荼羅=まんだら」
仏画面に諸仏を描いた図形や
象徴的に表した記号を特定の形式で配置し
悟りの世界や仏の教えを示した図絵
四種曼荼羅・金剛界曼荼羅・胎蔵界曼荼羅
↓↑
「百済大乱」後
4月に
(島流しされた)
「翹岐」らが
大使として倭国に来朝・・・?
「翹岐」
は
「蘇我蝦夷」
に自宅で歓待された・・・
「翹岐」=「豊璋」は同一人物?
・・・「豊璋」=「蘇我蝦夷=島大臣」・・・
???
↓↑ ↓↑
「豊璋」
は
「鬼室福信」
の謀反を疑って捕らえ
達率(二品官)の
「徳執得」・・・解く習得?
が
「福信は悪逆人」だとし
「豊璋=豐璋=豐+王+立+日+十」
豐國=豊前(ぶぜん=憮然)
+
豊後(ぶんご=文語・文悟)
・・・「天武天皇」・・・?
「古人大兄皇子
?~大化元年9月12日
(645年10月7日)?
娘は
倭姫王(天智天皇の皇后)」
別称
古人皇子・古人大市皇子
吉野太子・・・大海人皇子?
とも呼称
「韓人殺鞍作臣 吾心痛矣」
「壬申の乱
天武天皇元年6月24日~7月23日
(ユリウス暦672年7月24日~8月21日)」
「豊璋=豐璋」
は
「鬼室福信」を斬らせ
その「首を塩漬け」にした・・・福神漬?
・・・ナゼ、「謀反」・・・?
「武烈王(603年~661年)=新羅 第29代王
(在位654年~661年死亡)
姓 金 ↓↑
諱 春秋 ↓↑
↓↑ ↓↑ ↓↑
「白村江の海戦(663年)」前に死亡
↓↑ ↓↑
「鬼室福信」
の親族
「鬼室集斯」
は天智4年2月(665年)
天智10年正月
「鬼室福信」の功績によって
「天智天皇」から
小錦下の位階を与えられ
百済の民男女四百余名と
近江国神前郡に住居を与えられた
天智8年(669年)
男女七百余名とともに
近江国蒲生郡に移住させられた・・・
「豊璋=豐璋」は行方不明・・・
豊国=宇佐・・・に、居たカモ?
宇佐神宮=八幡神宮・・・
宇佐八幡宮神託事件
神護景雲3年(769年)
宇佐八幡宮
称徳天皇(孝謙天皇の重祚)の
765年
太政大臣禅師「道鏡」の皇位譲渡問題
↓↑ ↓↑
楠本高子=シーボルトの孫娘
(結婚 再婚
三瀬高子・山脇高子・たか)
楠本周三
(東京-慈恵-医院-医学専門学校卒
・医師)
三瀬諸淵=楠本高子の夫
(初名 周三
幼名 弁次郎
字 修夫
伊予国
大洲 出身
↓↑
名古屋大須観音
大須文庫=古事記
・・・かんおん・漢音・感音・感温
巻 音(オン=恩・御
怨・穏・冤・寃・慇=殷+心)
「伊勢本系統」の
南朝: 建徳2年
北朝: 応安4年(1371年)
~
南朝:文中元年
北朝:応安5年(1372年)
「真福寺」の僧
「賢瑜」によって写された
「真福寺本『古事記』三帖」
↓↑
「伊能忠敬」は
「千葉の人」だった
父は
酒造家・・・酒(さけ)造(つくり)
の次男で
小関家に入り婿
三治郎(伊能忠敬)の他に男1人、女1人の子
三治郎(伊能忠敬)は末子
六才の時
母死亡し
小関家は
叔父が継ぎ
婿養子の
父・「神保貞恒」は
兄と姉を連れて
実家の小堤村の神保家に
戻ったが・・・・戻(戸+犬)⇔房(戸+方)
三治郎(伊能忠敬)は
小関家
祖父母の下に残った
伊能 忠敬(いのう ただたか)
延享2年1月11日・・・二ねん一がつ・いち拾イチ
1745 年2月11日・・・似撚・爾画通・位置 異字?
~
文化15年4月13日
1818 年5月17日・・・壱千八百壱拾八
大運1817年6月(72歳)庚午・印綬
三合丙
乙┏丑(癸辛己)食神・比肩冠帯⇔戊寅・正官
┏戊 寅(戊丙甲)正官・正財沐浴⇔丁巳・偏財・害
┗癸┗未(丁乙己) ・偏財・墓⇔庚辰・印綬
癸┗丑(癸辛己)比肩・比肩冠帯⇔丁丑・偏財
申酉空亡
↓↑
「財官双美格」
or
「干合化気火格」?
↓↑
伊能 忠敬(いのう ただたか)
江戸時代の
商人・天文学者・地理学者・測量家
通称 三郎右衛門(さぶろえもん)
勘解由(かげゆ)・・・新井白石=勘解由
↓↑
勘解由使(かげゆし)
日本律令制下の令外官の一
平安時代初期
地方行政を監査するために設置
和名
「とくるよしかんがふるのつかさ」
唐名
「勾勘」
勘解由使の官庁=勘解由使庁
太政官の北西、中務省の南に位置
後、監査の対象は
内官(京都の各官職)へと拡大
↓↑
字 子斉
号 東河
↓↑
寛政12年(1800年)56歳
~
文化13年(1816年)73歳
まで
17年をかけて
日本全国を測量
後は弟子たちが遺志を受け継いで
『大日本沿海輿地全図』完成
享和元年(1801年)
伊能忠敬(三治郎)56歳の際
「房総半島」測量の途次
内陸の
小堤村を訪問
1883年(明治16年)
贈正四位
↓↑
奈良時代の
木簡(モッカン)に
「上総=上捄」
「捄=扌+求=盛る
キュウ・ク
細長いさま
集める
すくう・たすける=救助・救援
土を集めて盛る
土をすくって入れる
通仮字 球
異体字 救 莍
簡体字 救」
麻の実=麻と総を間接的に結合でき
地域は「捄」と称され
令制国成立後
同じ和訓を持つ
「総」に書き改められた・・・
「房をなして稔る果実」・・・「乳房」?
平安時代初期の
『古語拾遺(コゴシュウイ)』
麻(マ・あさ)を植えたところよく育った
「麻の別名=総」
「ふさ」の国と名付けた
・・・「麻=あさ=あざ=字」?
『万葉集』
下総国千葉郡の
「大田部足人(おおたべのたりひと)」
が
天平勝宝七年(755年)
詠んだ歌の冒頭に
「知波乃奴乃(千葉の野の)」
と記録・・・
「多くの葉が生い茂ったこと
千葉=ふさ(房・総・惣・夫差)」と同義・・・
ー↓↑ーー
干支歴
命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
↓↑
メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8
↓↑
モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
↓↑
「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
(表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
↓↑
ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3
ランダムな書き込み・・・
「↓↑」を順次、目で追っても
ボク自身がコンフユーズ・・・
マッ、勝手な自己納得、解釈の妄想推理の書き込みだから
ご容赦アレッ・・・
↓↑
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「チバ」の「カンジるカンジ」って・・・
「風の中のスバル(昂・昴・諏葉留)」?
↓↑
「千葉(ちば)」・・・・「千字文」?
「千葉(せんば)」・・・「千波・船場」
「千葉(センヨウ)」・・「占用・専用・船用・選葉」
↓↑
明治6年6月15日・・・陸ネン陸ガツ壱拾五ジツ
↓↑
千葉町を含む房総半島北部を中心とする
印旛県(いんばけん)・・・印葉
房総半島の南部
木更津県(きさらづけん)
・・・記紀
更(讃良=持統天皇?)に
氵=さんずい=纂隋(簒隨)の
聿(はじめ・ふで・イチ・イツ)を
懸ける?
が対等合併し
千葉県が新設
↓↑
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平安時代前期
『和名類聚抄(ワミョウ ルイジュショウ:和名抄)』
に
千葉郡・千葉郷
が記録
↓↑
中世
「千葉庄(ちばしょう)・千葉荘」
という
下総(しもふさ)の国・・・房総(ボウソウ)半島
最大規模の荘園があった
↓↑
千葉郷の由来
「台地・崖地の端」説・・・台=だい=臺・がけ=崖
ム+口 臥懸
「泊(とめる・止・留)」説
氵・・・纂隋は 白(いわく・曰)・私賂・新羅?
・・・「地図的」地形説は無いが
・・・「鳥=雞=酉=禽」の頭か嘴(くちばし)
千葉郡・千葉郷
↓↑
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『古代地名語源辞典』
地形に由来しているのが有力だ。
古い地名は地形由来
↓↑
「ツバ=台地や崖地の端」説
「トバ=泊(とまり=港)」説
・・・
「鳥羽・鳥葉」
・・・地図の俯瞰(鳥瞰)的図形は
「鳥の頭」
「鳥の嘴(くちばし・喙・咮)」
・・・にも見えるが・・・
「俯瞰=鳥瞰」可能なのは
空を飛べない
鷄=雞、駝鳥にはムリだが
「凧・気球・飛行機」の空中からの観察と
「図形(地図)」を観れば理解(わか)るカモ?
↓↑
「伊能忠敬」は「千葉の人」だった
上総国
山辺郡
小関村
(千葉県
山武郡
九十九里町
小関)
の名主
「小関五郎左衛門」
の家で誕生
幼名は「三治郎」・・・纂字朗・・・朗読
↓↑
父親の
「神保 貞恒」・・・「小関」家に入り婿
は
「武射郡小堤(おんづみ)村・・・音通見ム覶?
(千葉県・・・選の言葉を懸ける?
山武郡・・・纂分の訓の阜(丘)?
横芝光町
↓↑
・・・横芝光町(よこ しばひかりまち)
よこしま 司馬光 麻知・調
↓↑ ↓↑ ↓↑
司馬光
北宋中期の政治家・学者
字 君実
諡 文正
神宗時代
『王安石の新法』
に反対して政界を退き
「資治通鑑」編集
哲宗の即位で宰相
新法を廃して旧法に復した
死後
「温国公(オンコクコウ)」
に封ぜられ「司馬温公」とも称された
文集に「司馬文正公集
↓↑
小堤=おんづみ)・・・音通見?
・・・ショウテイ
=尚 綴・・・
尚歯会=蛮社の獄
1839年(天保十年五月)・拾・足
高野長英
渡辺崋山
小関三英・・・小関
鳥居耀蔵
↓↑ ↓↑
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シーボルト事件
1828年(文政十一年)
重(廿・从)位置?
一拾一=Ⅺ
=Ⅹ(カイ)+I(アイ)?
一足(左右の靴)のイチ(位置)
高橋景保=伊能忠敬の師
・・・獄死・塩漬け・・・
↓↑ ↓↑
「鬼室福信=首の塩漬け」
は
泗沘(しひ)城奪還、百濟再興の将軍
『日本書紀』663年6月
「義慈王」・・・擬似(字)應(応)?
「義慈王(ギジオウ)」
599年~660年
百済の第三十ー代
最後の王(在位 641年~660年)
諱 義慈
「豊璋=」・・・天武の放生?
「豊璋=義慈王の五男」
↓↑
皇極天皇元年(642年)1月・・・「百済大乱」
↓↑ 645年=「大化の改新」
↓↑
「百済大乱」
「弟 王子・・・「兄 皇子」はダレ?
兒翹岐(ギョウキ)」
「義慈王の異母兄弟」・・・
翹=堯+羽=翘=戈+兀+羽
尭=尧=ギョウ・高い
垚(ギョウ・キ)+兀(ゴツ・ゴチ)+羽
土+土+土+一+儿(片膝を曲げてつく人)+羽
十+一+十+一+十+一+一+儿+羽
ギョウ
あげる
つまだてる
鳥の尾の長い羽毛
あげる・あがる・もちあげる
つまだてる・つまさきで立つ
すぐれているさま・ぬきんでている
心にかける・かける
↓↑
と、その家族および高官が
「島」に放逐・・・島流し・・・遠島、国外放逐
↓↑
「済州島=耽羅(タンラ・チンラ・トムラ・탐라)國
「𨈭牟羅・耽牟羅(たむら)・屯羅(とんら)」
とも表記
朝鮮半島沖の済州(耽羅)島に
古代から中世に
存在した「王国」
「耽羅(トラ)皇子」・・・網羅・網(あみ)?
耽羅=とら(虎・寅・禽・図羅・罫線圖)
・・・・「島大臣=蘇我蝦夷」
羅=罒+維
罒+糸+隹
罒+幺+小+隹
=罗=罒+夕
ラ
あみ・鳥をとる網
あみする
網にかけて捕らえる・一網打尽
残らずつかみとる
つらねる・つらなる・並べる
薄い絹・うすもの
「蘿=ラ・つた(蔦)-かずら(蔓・鬘)」
↓↑
「曼荼羅=まんだら」
仏画面に諸仏を描いた図形や
象徴的に表した記号を特定の形式で配置し
悟りの世界や仏の教えを示した図絵
四種曼荼羅・金剛界曼荼羅・胎蔵界曼荼羅
↓↑
「百済大乱」後
4月に
(島流しされた)
「翹岐」らが
大使として倭国に来朝・・・?
「翹岐」
は
「蘇我蝦夷」
に自宅で歓待された・・・
「翹岐」=「豊璋」は同一人物?
・・・「豊璋」=「蘇我蝦夷=島大臣」・・・
???
↓↑ ↓↑
「豊璋」
は
「鬼室福信」
の謀反を疑って捕らえ
達率(二品官)の
「徳執得」・・・解く習得?
が
「福信は悪逆人」だとし
「豊璋=豐璋=豐+王+立+日+十」
豐國=豊前(ぶぜん=憮然)
+
豊後(ぶんご=文語・文悟)
・・・「天武天皇」・・・?
「古人大兄皇子
?~大化元年9月12日
(645年10月7日)?
娘は
倭姫王(天智天皇の皇后)」
別称
古人皇子・古人大市皇子
吉野太子・・・大海人皇子?
とも呼称
「韓人殺鞍作臣 吾心痛矣」
「壬申の乱
天武天皇元年6月24日~7月23日
(ユリウス暦672年7月24日~8月21日)」
「豊璋=豐璋」
は
「鬼室福信」を斬らせ
その「首を塩漬け」にした・・・福神漬?
・・・ナゼ、「謀反」・・・?
「武烈王(603年~661年)=新羅 第29代王
(在位654年~661年死亡)
姓 金 ↓↑
諱 春秋 ↓↑
↓↑ ↓↑ ↓↑
「白村江の海戦(663年)」前に死亡
↓↑ ↓↑
「鬼室福信」
の親族
「鬼室集斯」
は天智4年2月(665年)
天智10年正月
「鬼室福信」の功績によって
「天智天皇」から
小錦下の位階を与えられ
百済の民男女四百余名と
近江国神前郡に住居を与えられた
天智8年(669年)
男女七百余名とともに
近江国蒲生郡に移住させられた・・・
「豊璋=豐璋」は行方不明・・・
豊国=宇佐・・・に、居たカモ?
宇佐神宮=八幡神宮・・・
宇佐八幡宮神託事件
神護景雲3年(769年)
宇佐八幡宮
称徳天皇(孝謙天皇の重祚)の
765年
太政大臣禅師「道鏡」の皇位譲渡問題
↓↑ ↓↑
楠本高子=シーボルトの孫娘
(結婚 再婚
三瀬高子・山脇高子・たか)
楠本周三
(東京-慈恵-医院-医学専門学校卒
・医師)
三瀬諸淵=楠本高子の夫
(初名 周三
幼名 弁次郎
字 修夫
伊予国
大洲 出身
↓↑
名古屋大須観音
大須文庫=古事記
・・・かんおん・漢音・感音・感温
巻 音(オン=恩・御
怨・穏・冤・寃・慇=殷+心)
「伊勢本系統」の
南朝: 建徳2年
北朝: 応安4年(1371年)
~
南朝:文中元年
北朝:応安5年(1372年)
「真福寺」の僧
「賢瑜」によって写された
「真福寺本『古事記』三帖」
↓↑
「伊能忠敬」は
「千葉の人」だった
父は
酒造家・・・酒(さけ)造(つくり)
の次男で
小関家に入り婿
三治郎(伊能忠敬)の他に男1人、女1人の子
三治郎(伊能忠敬)は末子
六才の時
母死亡し
小関家は
叔父が継ぎ
婿養子の
父・「神保貞恒」は
兄と姉を連れて
実家の小堤村の神保家に
戻ったが・・・・戻(戸+犬)⇔房(戸+方)
三治郎(伊能忠敬)は
小関家
祖父母の下に残った
伊能 忠敬(いのう ただたか)
延享2年1月11日・・・二ねん一がつ・いち拾イチ
1745 年2月11日・・・似撚・爾画通・位置 異字?
~
文化15年4月13日
1818 年5月17日・・・壱千八百壱拾八
大運1817年6月(72歳)庚午・印綬
三合丙
乙┏丑(癸辛己)食神・比肩冠帯⇔戊寅・正官
┏戊 寅(戊丙甲)正官・正財沐浴⇔丁巳・偏財・害
┗癸┗未(丁乙己) ・偏財・墓⇔庚辰・印綬
癸┗丑(癸辛己)比肩・比肩冠帯⇔丁丑・偏財
申酉空亡
↓↑
「財官双美格」
or
「干合化気火格」?
↓↑
伊能 忠敬(いのう ただたか)
江戸時代の
商人・天文学者・地理学者・測量家
通称 三郎右衛門(さぶろえもん)
勘解由(かげゆ)・・・新井白石=勘解由
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勘解由使(かげゆし)
日本律令制下の令外官の一
平安時代初期
地方行政を監査するために設置
和名
「とくるよしかんがふるのつかさ」
唐名
「勾勘」
勘解由使の官庁=勘解由使庁
太政官の北西、中務省の南に位置
後、監査の対象は
内官(京都の各官職)へと拡大
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字 子斉
号 東河
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寛政12年(1800年)56歳
~
文化13年(1816年)73歳
まで
17年をかけて
日本全国を測量
後は弟子たちが遺志を受け継いで
『大日本沿海輿地全図』完成
享和元年(1801年)
伊能忠敬(三治郎)56歳の際
「房総半島」測量の途次
内陸の
小堤村を訪問
1883年(明治16年)
贈正四位
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奈良時代の
木簡(モッカン)に
「上総=上捄」
「捄=扌+求=盛る
キュウ・ク
細長いさま
集める
すくう・たすける=救助・救援
土を集めて盛る
土をすくって入れる
通仮字 球
異体字 救 莍
簡体字 救」
麻の実=麻と総を間接的に結合でき
地域は「捄」と称され
令制国成立後
同じ和訓を持つ
「総」に書き改められた・・・
「房をなして稔る果実」・・・「乳房」?
平安時代初期の
『古語拾遺(コゴシュウイ)』
麻(マ・あさ)を植えたところよく育った
「麻の別名=総」
「ふさ」の国と名付けた
・・・「麻=あさ=あざ=字」?
『万葉集』
下総国千葉郡の
「大田部足人(おおたべのたりひと)」
が
天平勝宝七年(755年)
詠んだ歌の冒頭に
「知波乃奴乃(千葉の野の)」
と記録・・・
「多くの葉が生い茂ったこと
千葉=ふさ(房・総・惣・夫差)」と同義・・・
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干支歴
命式作成
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