・・・「カラス」が飛来して1袋80円の町内指定のゴミの詰まったビニール袋を玄関の箱から道路に引っ張り出してメチャメチャに散らかしていった・・・食べ物は入っていないのに・・・語音は「マリア・カラス(Μαρία Κάλλας)」なのに・・・カラスもこの時期、生きていくのは、苦労が大変だ・・・「イースター島」では「従来のモアイ像」が神格を失って、「鳥」が「新しいモアイの神様」に取って代わられたは、島の人びとが「大津波」に襲われて逃げ場が無くなった時に空中に舞う「鳥」を見上げたからだろう・・・
烏(からす、カラス)、鴉(からす)
英語 クロウ crow
独語 クレーエ Krähe
仏語 コルボー corbeau
伊語 コルヴォ corvo
西語 クエルボ cuervo
羅語 コルニクス cornix
希語 コローネー κορωυη
露語 ヴァローナ ворона
マレーシア語
ブロンガガク burung gagak
中語 ウーヤー 乌鸦
韓語 カマグィ 까마귀
蘭語 クラーイ kraai
葡語 コルウォ corvo
アラビア語
ゴラーブ
ヘブライ語
オレヴorフォーレーブ
・・・ここは日本語の「くろ(黒)い羽根の鳥」の色調と重なるだろう・・・「木村鷹太郎(1870~1931)・世界的研究に基づける日本太古史」氏に詳しく訊いてみたい・・・
TVのニュースでは「黄金のツタンカーメンの髯(ひげ・須・鬍・髭・鬚)」が捥げ落ち、それを無造作に博物館の係員が接着剤でくっ付け、その接着剤がはみ出していたらしい・・・それをドイツの修復専門家に元どうりに直してモライ、カイロ博物館に納められた、とか・・・
エジプトでは「ホルス」が「鷹(たか)・鸇(隼・鶻・はやぶさ)」として「神格化」されたのは、天空の高いところから地上を見下ろす、鳥瞰、俯瞰出来るところを飛んでいたからだろう。「ホルス」は「フォーレーブ」に類音する・・・ボクが妄想するに、地中海は火山島が多い、古代のアレクサンドリアの遺跡は海底に沈んでいた。当然、火山噴火、地震があれば、その後に襲ってくるのは「大津波」である・・・そして、「出エジプト記」の紅海での海が分裂したハナシである・・・割れた「紅海(コウカイ)」を渡ったか、どうかは別にして、海岸を襲った「津波」が襲う前か、退いた後に渡った可能性はある・・・ファラオ(パロ)の戦車軍団が「津波」に呑みこまれたのなら、その海岸をモーゼが渡ったのは「津波の襲う前」であろう・・・「火の柱」は「火山の爆発」・・・でなければ、「UFO」だろう・・・?・・・
東洋にも「渤海(ボッカイ)弯」と「黄海(コウカイ)」と云う名の「海の名」がある・・・「渤海弯」は大陸中国のチンタオ(青島・ドイツ語Tsingtau・Qingdao・Tsingtao)のある「山東半島」と、大連旅順港のある「遼東半島(リョウトウハントウ)」、朝鮮半島西岸に囲まれた場所で、「黄海(Yellow Sea・フランス人ダンヴィルが1737年に命名・Hoang Hai ・Hwang Hai))」は東支那海への出口である・・・
↓↑
帝国日本連合艦隊が、
明治二十七年(1894年)9月17日の「黄海海戦」では「清国北洋艦隊」、
明治三十七年(1904年)8月10、14日「黄海海戦、蔚山沖」で「ロシア、バルチック艦隊」
を撃沈した場所である・・・
↓↑
「渤海国(金・女真・モンゴル・粛慎・満州)」は元々、古代中国では「燕国(公孫氏)」の地だった。なぜ、漢字名使用が先行している「粛慎」が、日本語として「みしはせ」と呼ばれたのか・・・「視馳覇施(長谷・羽生)かも・・・
そもそも「渤海」は漢字からして海が勃起し、盛り上がる「津波の前兆」である・・・「黄海」の漢字使用の日本地名では岩手県東磐井郡「黄海(きのみ)村=一関市藤沢町黄海」が存在するが・・・
↓↑
モーゼの「シナイ山(Mount Sinai)=ホレブ山(Horeb)=ラス・サフサファ(Ras sufsafeh, Ras sasafeh) ?」は場所が特定されていないそうだが、多分、旧約聖書の当時の山は「活火山→休火山→活火山」だったのではないのか・・・
で、太陽(太陽暦)と月(陰暦)、これを併せた暦が「太陽太陰暦」である・・・「ハヤブサ」の姿、頭部を持つ「ホルスの両目(太陽・月)」であった・・・であるならば、「ホルス=隼(はやぶさ)」とは「天空」そのものである・・・補留守・・・?・・・「留守藩」は
二つの目(両目=りょうめ・両眼=リョウガン)の
左目は「ウアジェト(ウジャト・ウジャト・udjat・wjat・ujat」の目で「月」、
右目は「ラーの目」で「太陽」
であった・・・これは、「古事記」ならば、「伊邪那岐(イザナギ・伊弉諾・伊耶那岐)」の両目から生まれた「天照大神(左目)」と「月夜見尊=月読命(右目)」である。「須佐之男=建速-素戔嗚尊・素戔男尊、素戔嗚尊」は「鼻」から生まれたが・・・
エジプト神話と「古事記・日本書紀」では、「左右の眼」は「月(ミギ)と太陽(ヒダリ)」が逆であるが、イズレも「女性(神)」であろう。元々、「ホルス」は「イシス(ギリシア語)」=「アセト(古代エジプト語」から生まれた・・・当然、「イシス(アセト)」とは「伊邪那美命・伊弉冉尊(イザナミ)」である。「黄泉(よみ)の国」の女王である・・・
↓↑
「イシス=石須・石州・石主→磐の国」=周防(すは)なる磐国山(いはくにやま)」
「石見(島根県西半部)・岩見」
「磐城国(いわきのくに)=戊辰戦争後の1869年1月19日(明治元年旧暦12月7日)、陸奥国が分割され、岩代国、磐城国、陸前国、陸中国、陸奥国の5国が設立=磐州(ばんしゅう)=福島県浜通り、福島県中通りのうち 白河郡、宮城県南部」
「岩国=山口県の東端に位置・1940年(昭和15)岩国、麻里布(まりふ)の2町と川下、愛宕、灘 (なだ)の3村が合併」
「いしす」は「アセト」・・・「會瀬戸」である・・・?
ならば「伊邪那岐(イザナギ」とは「ホルス=隼(はやぶさ)」である・・・当然、「隼人→熊襲→熊鷹」である・・・「熊襲」の「襲(ソ)」は「かさねる・おそう」である・・・大隈重信の「大隈」は河川の「隈(すみ・くま・ワイ)」である・・・「球磨・久万」である・・・「隈(くま・ワイ)」と 「隅(すみ・グウ)」は異字だが、日本では、混同されて使用されているらしい・・・「津波」は河口から「河川」のうわっ滑りで「河川の隈」を逆流し駆けのぼる・・・
照隈 (てりぐま) 、反隈 (かえりぐま)は画法の技術だが、「暈」と同義異字らしい・・・
「隅→一隅・海隅・四隅・片隅・辺隅・大隅 (おおすみ) 国・隅州・薩隅(サツグウう) 」、
「隅隅(すみずみ)・片隅・四隅 (よすみ) 」、
「龍宮(寓)城」にはダレが住んで居るんだか・・・「寓→一時的に 別の所に身を寄せる・仮住まい・寓居・仮寓・寄寓・流寓」、「他の物を利用して気持ちを託する→寓意・寓言・寓話」、「目をとめる→寓目」・・・
その他の類字は
「偶→グウ(偶々・偶数・偶然・木偶)」、
「遇→遭遇」・・・
↓↑
・・・神話も、幕末、明治の文明開化も「混乱」で、ボクの妄想も大混乱になってくるのは当然だが、日本史に於いて「明治以前」に「エジプト神話」の知識を持っていた人物が存在した・・・?
確実に幕末にはエジプトのカイロ、そこのスフィンクスとピラミッドを観た日本人の武士が居た・・・
「古代エジプト(埃及)学事始め」・・・ダレが?・・・「カイロ(喀愛羅・改羅・詼祿・該祿・海樓・詼祿)臥句」なんだか、「水沢の伊達男」・・・「彫る州」、「掘る州」か、石狩平野・・・
ーーーーー
↓↑
ホルス神の左目(ウジャトの目)は
ホルスの父「オシリス」の仇で、
ホルスの叔父である
「セト(河馬神・鰐神)」と戦った時に失われた・・・
瀬戸→瀬戸内海・・・
↓↑
「ウアジェト(ウジャト)」は、
コブラ(毒蛇・蝮・飯匙倩=波布
↓ ハブ=Habu・Have・ホンハブ)
↓ ↓↑
ハブ=車輪の中心部にあって、
車輪の外周と車軸とを繋ぐ
スポークが集中する部分
↓ 中心地、結節点、集線装置
↓ ↑・・・最近は「ハブ空港」は羽田とか・・・
頭上にコブラをつけた女神で
下エジプトの守護女神・・・
「ウアジェトの目」は、
周期的に朔望(満ち欠け)する「月」の象徴で、
その満ち欠けの象徴は命の「再生」でもある・・・
この「左目」はエジプト全土を旅した後、
トート神(知恵の神・月の神・時の神)よって、
ホルスの眼として回復、再生された・・・
この「左目」は
「ミイラ(木乃伊・死者の乾物)」
に添えられた
ツタンカーメンは
「ウジャトの目の胸飾り」を着用・・・
「ウアジェトの目(左目)」と
「ラーの目(右目)」の左右に合わせた両目が、
ミイラの柩(棺)の左側面に描かれた・・・
↓↑
「ラーの目(右目)」は、太陽神である。
「ラーは
自らを崇め敬わない人間に
復讐し滅ぼすため、
自らの片目を
雌ライオンの頭を持つ
セクメト(破壊の女神)
に作り変え地上に送り、
人間界で殺戮させた」
↓↑
ラー(Ra)・レー(Re)
ハヤブサの頭をもつ姿
↓↑
アトゥムと習合
アトゥム(両性具有神・創造神・手の神)
は
ヘリオポリスでは最重要神
原初の水である
ヌン(水の神)から
「蛇(コブラ)」として生まれ、
シュー(大気の男神)子→ゲブ(大地神)孫
テフヌト(湿気の女神)子→ヌト(天空神)孫
バステト(Bastet・猫の女神)
の父親
↓↑
セクメト(破壊の女神)
は
ラーが人間を滅ぼすために
その「目」から生み出された
目から
強烈な光を放ち、焼き滅ぼす
象徴する
元素は火
色は赤
↓
ラー
の息子
シュー(大気)
と
テフヌト(湿気)
が旅に出て帰って来ず
二人が帰って来た時に
涙を流し、
その涙から
人間が生まれた
↓
ラーは
自分を敬わない
人間を滅ぼすために
セクメト(破壊)
を送り込もうとしたが、
オシリス
の意見により取りやめた
↓
イシスは
ラーの権力を奪うため、
彼の垂らした
唾液を含んだ
泥をこねて作った
毒蛇に噛まれ、
毒の苦しみに耐えかね
解毒薬と引き換えに
自分を支配できる
本当の名前を教えたため、
トート(智慧・文字、書記の神)
にその座を譲った
↓
ラーはアトゥム神と習合して
「ラー・アトゥム」、
ホルス神と習合して
「ラー・ホルアクティ」、
アメン神と習合して
「ラー・アメン」
となった・・・
↓
ラーは太陽神で
太陽の昇り沈みとともに
ラー自体も変身
日の出は
タマオシコガネ
の
ケプリ
日中は
ハヤブサ
夜は
雄羊の姿で
夜の船に乗り
死の世界を旅を・・・する
↓↑
・・・「留守藩」・・・「源頼朝の奥州征伐後、陸奥国の留守職を務めた伊沢家景を家祖とし、家景の子・家元 以降、留守氏を称す・岩切城を拠点にした・」、「江戸留守居役」とは「藩主が国元に居る時に江戸に常駐した江戸家老」・・・
↓↑
ーーーーー
留守氏
南北朝時代
当初は南朝方
元弘三年(1333年)九月
北畠顕家より陸奥諸郡の奉行に任ぜられた
建武三年(1336年)一月
顕家が
義良親王を奉じて霊山へ移ると、
北朝方に転じた
観応二年(1351年)
観応の擾乱
留守家冬
は
足利尊氏方につき、
岩切城に
畠山高国を迎え
足利直義方の
吉良貞家と戦うが、
岩切城陥落敗戦
吉良方に加勢した
国分氏に所領の多く奪われた
↓↑
奥州探題
大崎氏の介入を受けた
留守詮家が切腹に追い込まれると
伊達氏に救援を請う
その代償として
伊達氏から次々と養子を送り込まれ
(14代郡宗・16代景宗・18代政景)、
16世紀前半までには、
次第に伊達氏の傘下へと組み込まれた
↓↑
天正十八年(1590年)
小田原征伐
第18代
留守政景は
小田原征伐に参陣しなかったので
奥州仕置によって
留守氏は本領を没収
以後は
甥の
伊達政宗
に仕えた
↓↑
水沢伊達氏
文禄二年(1593年)
磐井郡二桜城主
政景は、
伊達姓を与えられ一門の家格に列した
政景の家系は
一関城主
金ケ崎城主
を経て、
寛永六年(1629年)
政景の子
宗利が
胆沢郡水沢城主
以降幕末まで同地を治めた
水沢伊達氏の所領を以て
水沢藩と呼称することもあるが、
これは
亘理藩・涌谷藩・岩出山藩などと同様の俗称
正式な支藩(大名)ではない
↓↑
政景の直系は
第4代・宗景で絶え、
その養子として
仙台藩主綱村の弟
村任が養子
元禄八年(1695年)
村任が新設された
中津山藩の藩主に就任
水沢領を
涌谷伊達氏から迎えた養子
村景
に譲り水沢を離れ、
以後、村景の血統が当主を継ぐ
↓↑
幕末の
第13代
邦寧
は
慶応4年(1868年)
戊辰戦争
敗戦にともない、
水沢伊達氏領が
仙台藩から没収されたため失領
明治二年(1869年)
邦寧は旧姓に復して
留守氏
を名乗る
同年、居城の
水沢城が
胆沢県庁として
新政府に接収
水沢伊達氏家中は
陪臣であるからとして
帰農を命じられ、
仙台藩の士族籍を得られなかった
士分を保つために
家中一同そろって
北海道開拓に
参加すべきとの意見が出され、
邦寧
は病身のため
仙台に残留し、
吉田元俶
坂本平九郎
が
家中200名を率いて
石狩国
札幌郡に移住
水沢伊達氏家中によって拓かれたのが
平岸村(札幌市豊平区平岸)
↓↑
・・・「水沢市史(岩手県水沢市)」・・・高野長英の出生地
・・・「日高賞(ひだかしょう)」ですか・・・「岩手県競馬組合が水沢競馬場で施行する地方競馬の重賞競走」・・・正式名称は「留守杯日高賞」とはネッ・・・「競走名は毎年4月28~29日」、「絵巻・日高火防祭の開催を記念」し、命名はその祭事を始めたとされる水沢城主「留守家」から・・・
ーーーーー
↓↑
セト(Set)、
Seth(セトゥ)、Setekh(セテカー)、
Setesh、Seti(セティ)、Sutekh(ステカー )、
Setech、Sutech、
Tabeh、Typhon(タイフォン)
はエジプト神話の
オシリスの弟
ホルスの叔父
エジプト九柱の神々の一柱
↓↑
セト
ジャッカル(オオカミ)の頭をした神
壁画などで表現されている
セトの頭は
ツチブタ
一般的に四角い両耳、
先の分かれた尾(パピルスの花)、
曲がって大きく突き出した鼻を持ち、
犬、
ツチブタ、
ジャッカル
のほか、
シマウマ、
ロバ、
ワニ、
ブタ、
カバ
などの象徴神
「セト・アニマル」とは
様々な動物を
合体させて想像上の動物
「トエリス」も合体動物神
「トエリス
(タウエレト=Tawaret, Taueret, Taweret)、
タウルト(Taurt)、 トエリス(Toeris)、
イプス(Ipy)、イペット(Ipet)、
アペット(Apet) オペット(Opet)、
レレト(Reret)」
は、家庭と出産を司る女神
直立した雌の
「河馬の姿」で描かれ
「河馬の頭、
獅子の脚、
鰐の背と尾をもつ
人間(神)として描かれる」・・・ことも
↓↑
「セト」
↓↑
太陽神ラー
と
ヌトの間に生まれた、
オシリスに続く
2番目の子
イシス、ネフティスは妹
王権獲得のため、
母親のヌトの産道を通らず、
子宮を破って
脇腹から生まれた
オシリスの弟として生まれた
実父はラーではなく
「ゲブ」であるとの説・・・解部・外部?
ネフティスの夫であり、
アヌビスの父
セトは砂漠の王
Osririan(ナイル川)
と対比され、
荒れ狂う海の神・・・海神=須佐之男
↓↑
空の神である
ホルス
と対比され
大地の事象に関連付けられた・・・地震
彼の呼吸は
ミミズなどのゼン虫を招き
金属の鉱石は
「セトの骨」と呼ばれた・・・
↓↑
セトは
紀元前3000年代
ナイル川下流部の
下エジプトの王を守護する神・・・
時代を下るにつれ
オシリスが人気となり
セトは兄オシリスを殺すという
エピソードが生まれた・・・
父親(オシリス)の敵討ちに乗り出す
ホルスの敵役にされてた・・・
神話では
セトとホルスの戦いは
80年間に及び、
セトは
ホルスの左の目を奪うが、
セトは睾丸と片足を失った
北斗七星はセトの片足とされた・・・
敗れたセトは、
地上の世界を去り地下世界に隠遁
地上には雷の声として響くだけ・・・「地鳴り」は地震
セトは天空にある神々の世界へ帰り、
おおぐま(大熊)座となった・・・大隈
『死者の書』の一つでは、
セトは
アペプを殺した・・・會経譜
夜の象徴たる
大蛇アペプ
と
アトゥム=ラー=太陽
の象徴たる
未去勢の雄猫
は毎晩戦っている・・・
↓↑
アペプ(Apep)
エジプト神話における悪神
古代エジプト語での名は
アーペプ(アアペプ、Aapep)、
アペピ(Apepi)、
アピペ(Apipe)、
アポペ(Apope)
など・・・
本来の発音ははっきりしない
古典ギリシア語転記で
アポピス(’Αποφις, Apophis)
アポピスは闇と混沌を象徴
↓↑
その姿は
大蛇
太陽の運行を邪魔するラーの最大の敵
アポピスは世界が誕生する前の、
ヌンに象徴される
原始の水から生まれた
もとは太陽神としての役割を担っていた
それを
ラーに奪われ
ラーを憎み、敵対した・・・
ラーの乗る太陽の船の航行を
守護する
セトは、
アペプの天敵・・・
時代が下ると、その邪悪さのために
セトと同一視された・・・
ーーーーー
・・・「エジプト(埃及)コトハ字メ」にはクロウする・・・
・・・昨日は「忠臣蔵」ですか・・・「1702年、元禄15年12月14日~15日)」・・・「美化されたモノ」は「フィクション(fiction)」だが、ボクにとっては「美徳」とは到底、思えないが、12月16日(水曜)の午前1時30分・タイムスクープハンター.、「修羅場!決戦の妻たち(後妻打ち=うわなりうち)」には「人間の本質」の「ノンフィクション(nonfiction)」らしきモノを感じたが・・・「離縁から1か月以内に夫が再婚した場合は前妻が後妻に仇討ちするコトの慣習」、「離縁になった前妻 (こなみ) が後妻 (うわなり) にいやがらせをする行動」 、「平安、室町時代、離縁になった先妻が後妻をねたんで、親しい女たちと隊を組み、後妻の家に行って乱暴を働く風習。相当打ち。騒動打ち」、「室町末頃から近世初期にかけての習俗。離縁された先妻が親しい女たちなどに頼んで、予告して後妻の家を襲い、家財などを荒らさせたこと。相当打ち。騒動打ち」、古くは「うはなりうち」・・・
「あら、あさましや、六条御息所(ろくでうのみやすどころ)ほどの御身にて、ウワナリの御振る舞ひ」・・・
ーーーーー
「オバちゃんの不思議」
ハレー彗星(1P/Halley・ハリー彗星)は、約76年周期で地球に接近し、公転周期は75.3年であるらしく、古くから文献に記録されている。「1986年」に回帰・・・この年にオフクロが倒れた・・・
そして、「明治43年・1910年5月19日(欧米は18日)」に地球がハレー彗星の尾の中を通過している時がオバちゃんの誕生した年だった・・・
オバちゃんは「癌」で入院したが、不思議にも突然の如く、付き添いで看病するオジちゃんに我儘を云いはじめたらしい・・・カーテンの開閉、食事、飲み水、あらゆるコトをオジちゃんがヤッテくれなければ気が済まないようで、そのオバちゃんに、亭主関白に見えたオジちゃんは黙々として、懇切丁寧、細々と「愛妻」の様態を労わっていた・・・オバちゃんの「癌の痛み」は激しかったらしく、痛さに耐えきれない呻り・・・だが、お医者の回診や、ナースを呼ぶと、その痛みを絶対に見せない、平気な表情で「何ともありません、大丈夫です」とコタエてしまうのであったらしい・・・身内には見せるが、他人には、その自分の「痛み」をみせない・・・「弱み」も見せないヒトだったが・・・元気な時は、みんなに親切で、旦那にも娘にも尽くし、末の妹であるオフクロ、甥であるボクの我儘は実子のように殆んど聞いてくれた・・・小学生の頃、ボクのつくったグループ仲間で裏山に山ブドウ採りりを兼ねた探検に行く時にはミンナの探検袋を縫ってくれ、揃えてくれたり、雑巾を縫ってくれたり、小さな一口煎餅(クラッカー)を造ってくれたり・・・
オバちゃんは亡くなったが、ボクはオバちゃんの様態をオフクロの電話でその都度、聞かされ、そして、最期の死をきかされた・・・死に目には会えなかった・・・ボクは、その時、外国でナニをしていたんだか・・・
オバちゃんがベットで苦しんでいる時に選挙があった・・・在宅投票では「アカ」の候補者への1票であった・・・あんなに、「おまえは、決してアカにだけはなるな」と云っていたのに・・・
「美徳」とは何なんだか・・・ビトク(毘訳句)・・・「毘」は「へそ(臍・臍・綣)」だが・・・「毘沙門天」は上杉家、親戚筋は高家(こうけ)の「吉良上野之介」・・・人形浄瑠璃の「仮名(かな)手本忠臣蔵」・・・
ーーーーー
1940年
干支年=庚戌
日本は「明治四十三年・皇紀2570年」
中国の清王朝は「宣統元年11月20日~宣統二年11月30日」
朝鮮の大韓帝国は「隆熙四年1月1日~8月29日」
1910年の事件・・・は、何度も書き込んだか・・・
・・・「Characterization of an Injury Induced Population of Muscle-Derived Stem Cell-Like Cells(損傷誘導性の筋肉由来幹細胞様細胞群)」・・・ボクは「彼女の現実の心も実験」もシンジタイ・・・アイマイな「情報」に「ボクの心」は揺れるばかりだが・・・「ボクの願望」としての「確かめようのない真実」と、「彼女の事実」としての「信実」・・・「信実」としての「彼女の心と実験」を、ボクはシンジタイ・・・自然界の生態は「始原的」には「単純なモノと単純なモノの関係結合作用と関係反発作用」、その積み重ね存在でしかない・・・こんな「科学実験の周囲で蠢いている事件」も、「結果の医学的貢献の是非」はどうであれ、もし「秘密保護法の枠」におさめられては・・・もはや、「ナチスの優勢政策」や、「713石井部隊」・・・「お医者さん」の「倫理と道徳」を信じたいが・・・「わたしをみつけて(NHKドラマ)」・・・の「医者」は・・・「ゲバラ」でもないし、「げばら」デモなかった・・・ナイチンゲールは、ナゼ、敵味方の戦傷者を救う前に、「戦争」そのものを考えなかったんだろう・・・「与謝野晶子」は遥かに彼女を超えた、生きる場所を踏まえた「思想家」だったが・・・
ーーーーー
・・・オフクロは「看護婦」だったが・・・特別老人ホームに入院してからは、ボクに対しても、きにくわないヒトにも「バカヤロー」を連発していたが・・・あれは、本当に「認知症」でのコトバだったのか、と、フト、思う・・・ボクに対する最期のコトバは「ありがとう」だった・・・
ーーーーー
宿命の干支・変通・12運の配置
↓ 命式 命式
1921 天干 地支(蔵干?)→天干変通 地支(蔵干変通)12運
生年⇒58 辛 酉(庚・ ・辛)→偏官天干⇔酉(正官・偏官)絶
破⇔月支との関係
月正官
時傷官
年偏官
12
生月⇒37 庚 子(壬・ ・癸)→正官天干⇔子(印綬・偏印)病
↓ 子 月支×日丑=支合己
月×日干合
28
生日⇒02 乙 丑(癸・辛・己)戌亥=空亡
丑(偏印・偏官・偏財)衰
水曜日生
16
生時⇒21 甲 申(己・壬・庚)時生→劫財天干
申(偏財・印綬・正官)胎
ーーーーー
命式支
偏官・酉(正官・ ・偏官)絶
正官・子(印綬・ ・偏印)病
比肩・丑(偏印・偏官・偏財)衰
劫財・申(偏財・印綬・正官)胎
ーーーーー
大運
46 己 酉(庚・ ・辛)
偏財
――――↑
命式支 ↓
大運と年/月/日/時のサイクル支関係
生年酉×大運酉=刑
生月子×大運酉年
生日丑×大運酉年=酉三合辛(偏官)
生時申×大運酉年
―――――― ↑
命式支 ↓
年月日時運
2014年
偏印年→30 癸 巳(戊・庚・丙)年
―――――― ↑
命式支 ↓
生年酉×運年巳=三合辛
生月子×運月子
生日丑×運日寅
生時申×運日申
―――――― ↑
命式支 ↓
1月
比肩月→02 乙 丑(癸・辛・己)月
―――――― ↑
命式支 ↓
7日
正財日→15 戊 寅(己・丙・甲)日
――――――↑
火曜日 ↓
――――――↑
命式支 ↓
16時
正官時→57 庚 申(己・壬・庚)時
生月子×運時申=三合辛(偏官)
生日正官干合
――――――↑
「空亡日」 ↓
02 乙 丑(癸・辛・己)=戌亥
ーーーーー
・・・???・・・
・・・深夜にはETVで「イースター島(Easter Island)・ラパ-ヌイ(Rapa Nui)=パスクア島(スペイン語・Isla de Pascua)」の紹介番組。巨大な「モアイ」像、「テ・ピト・オ・ヘヌア(世界のへそ)」、「マタ・キ・テ・ランギ(天を見る眼)」。「モアイの眼」には「マナ(霊力)」が宿る・・・この島を何度も襲ったのは「大津波」だったらしい・・・「モアイ」は後、島民からは信仰されなくなったらしいが、英国に持ち込まれた一体の「モアイ像」には「鳥の彫刻」がなされ、この「モアイ」は新たな「鳥の神の象徴」とされた、とのナレーション(narration)であった・・・
・・・「ETV・地球ドラマチック・イースター島・モアイ像の謎に迫る」・・・子供の頃からの興味の対象だったが・・・
一七二二(1722)年
壱千七百弐拾弐・・・
壱阡漆陌弐足貮・・・
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1722年
干支=壬寅年
日本=享保七年
中国=清王朝=康熙六十一年
↓↑
3月~5月
イギリスで総選挙
ウォルポール内閣の
与党ホイッグ党(Whig Party)大勝
ホイッグ(Whig)は
スコットランド語の「whiggamor」が語源
「謀反人」、「馬泥棒」の意味
4月5日
ヤコブ・ロッゲフェーン
イースター島を発見
12月20日
康熙六十一年十一月十三日
清の康熙帝が没し
雍正帝が即位
日本
8月14日(享保七年七月三日)
江戸幕府が、
米を上納を条件に
大名の
参勤交代による江戸滞在を
半年に短縮する上米の制を導入
新田開発を奨励
心中物の上演が禁止
↓↑
1722年
↓↑
ピエール・ヴァリニョン
(Pierre Varignon)
1654年
~
1722年12月23日死亡
フランスの数学者
ヴァリニョンの定理
や
対数螺線の研究
静力学の分野での
ヴァリニョンの定理
(力の平行四辺形、力のモーメントの和に関する)
など・・・
フランスの北西部の都市
カーンに生まれた
カーンのイエズス会の学校に学び、
カーン大学で学位を得て、
翌年司祭叙階
ユークリッドの本を読み、
デカルトの『幾何学』を読んで
数学の研究
1688年
パリの
コレージュ・マザラン
の数学の教授となり、
科学アカデミーの会員
1704年
コレージュ・ロワイエ
の数学の教授
微積分の分野の
ニュートン、
ライプニッツ
ベルヌーイ
らと親しく、
微分法のフランスにおける先駆者
数学の
ヴァリニョンの定理(de:Satz von Varignon)
や
対数螺旋の研究で知られ、
静力学の分野では
オランダの
シモン・ステヴィン(en:Simon Stevin)が
記述した力のつりあいの概念を進め、
1688年に、
力の平行四辺形による
力の合成の概念を明確にした
また
力のモーメントの概念を明確にした
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1722年4月5日
↓↑
オランダ海軍提督
ヤーコプ・ロッヘフェーンが、
イースター島を発見
その日が「イースター祭日」
上陸した
ロッヘフェーンは、
1000体を超えるモアイと、
島人を発見
・・・石器を使用していたらしいが、
「武器」になる道具は有していなかった・・・らしい
1774年
イギリス人探検家
ジェームズ・クックが上陸
倒れ壊されたモアイ像を発見
半数は直立していた・・・
18世紀~19世紀
アイルランド人の
ジョセフ・バーンや、
タヒチのフランス人の手によって、
住民らが奴隷として拉致された
天然痘で人口は
1872年当時の島民数はわずか
111人・・・
1888年
チリ領
ポリネシアで唯一文字を使用
ラパヌイ文字(ロンゴロンゴ文字)
と呼ばれる絵文字
「牛耕式」と呼ばれる方法で書かれ、
1行目を読み終えると
逆さにして
2行目を読む
偶数行の絵文字が逆さになっている・・・
ーーーーー
・・・今夜~明日未明は「双子座(双児座・双兒座)流星群」ですか・・・寒いけれど、外に出て空を眺めるカナ・・・双子の赤子が生まれるのか、双子の偉人?が巨星(ケネディ・1917年5月29日~1963年11月22日)として落ちるのか・・・「5月21日~6月20日」の期間の「星宮」・・・
「Geminids・12月15日3時頃が流れ星」、「ふたご座流星群の母天体は約1.4年周期で太陽系を巡っている小惑星ファエトン((3200) Phaethon)」・・・
・・・今朝からはガンガンのお天気。道路は雪が融けてアスファルト状態。自転車が乗れそうだった・・・昼に風呂に入って、その後、洗濯・・・今まで大好きだった入浴とシャワーを浴びることが、ココに来て以来、入ると体調が崩れる・・・トシもトシだし・・・当然ではあるな・・・
ーーーーー
・・・
軽減税率、それに財務省、国家予算委員会、年金積立金管理運用独立行政法人、会計検査院には「軌道計算」をするスペシャリストが必要らしい。与えられた「数字=スウジ=主得字」はハッキリしているのに、この数字の「軌道」をヨム人間が存在しないらしい・・・金星の「軌道計算のスペシャリスト」は、女性の「廣田史子さん」だった。国家予算と分配の「数字」を「廣田史子さん」に任せたい・・・新たに「日本国家」は「計数局」、それに「経産省」ではなく「計算省」が必要だろう・・・国会議員屋と高級官僚屋は自分自身の財布の中身の「金生・帳尻不正計算」しかしない不逞の輩(やから)バカリなんだろう・・・「高級レストラン」と「大衆食堂」のチガイも判らない「人間」の「政治屋」にはアキレルが・・・
ーーーーー
スーパーでは野菜も肉、魚も目が飛び出るような値段価格である・・・それに比較して相対的な「弁当の値段」は安く思うが・・・この「弁当の材料・原料」は「売れ残りのモノの加工なんだろう」と、思うが・・・
野菜のキャベツや、果物のリンゴには「眞(真)球」は存在しない・・・
以下の図は球体計算のブログ記事を参照、参考にし、若干改作したモノを添付・・・
http://www.geisya.or.jp/~mwm48961/math2/sphere_episode1.htm
↓↑
↓↑
円柱にすっぽり入る
球の体積は
「円柱の体積の3分の2」
↓↑
球体の
外側にぴったり接する
円柱を作ると
その円柱の
底面は
「半径が r の円」の
円柱の
「高さは 2r」 になる
↓↑
円柱の体積は
πr²×2r=2πr³
円柱の中の
「球体の体積」は
円柱の
3分の2・・・・・「円柱」の体積の「2/3」
球体の体積
V=2/3×(2πr³)=4/3πr³
円錐の体積は
円柱の体積の
3分の1・・・・・・「円錐」の体積の「1/3」
ーーーーー
球体の表面積は
円錐体の
「円の面積の4倍」
↓↑
高校数学III・微分
↓↑
球体の
体積 V=4/3πr³
を
半径(r)で微分すると
「表面積 S=4πr²」
になる
「円の面積 S=πr²」
を半径で微分すると
円周の長さ
L=2πr
↓↑
底面積を S
高さを h とするとき,
三角錐,四角錐,・・・多角錐,
円錐の体積
1/3(Sh)
↓↑
球の体積を
円錐(角錐)の体積で
表わすことができる
↓↑
「アイスクリーム・コーン」のような形状・・・
「コーン(cone)」は元々「円錐形」を意味・・・
「ポーク(poke)」や
「コルネット(cornet)」とも呼ばれ、
「トウモロコシの
コーン(corn)=唐黍・玉蜀黍」と発音が似ているが、
ウエハース=コーン(cone)の材料ではない」・・・
↓↑
あるいは、
小さい爆発音を鳴らす円錐形の
「クラッカー (cracker)
パーティー・ポッパー(Party Popper)
(Cone Shaped Party Popper)
クリスマス・クラッカー(christmas cracker)」
↓↑
のような複数の「円錐」を
その尖がりを中心に束ねると球体になる
それぞれの
円錐の底面は、
球体面の一部分の表面になり
球体の半径が
円錐の高さに対応する
円錐と円錐を束ねると
球体の表面上に
各円錐の底面と底面の接点に
隙間ができてしまう・・・だが
「円錐」でなくても
三角錐、四角錐、五角錐、・・・多角錐
のいずれも
角錐体積は
(底面積×高さ)÷3
(底面積×高さ)×1/3
で、同じで
球体の表面での隙間は無視出来る
↓↑
円錐の高さ(h)は
細かく分けると・・・・・微分すると?
「h(高さ)」は「r(半径)」に
近似値でほとんど等しくなる
↓↑
各々の
円錐(多角錐)の
体積(V)と底面積(S)の間には,
底面積(S)×高さ(h=r)÷3
底面積((S)×高さ(h=r))/3・・・ (底面積×高さ)×1/3
1/3×(底面積(S)×高さ(h=r))
↓↑
V1=1/3(S1)r
V2=1/3(S2)r
V3=1/3(S3)r………
各円錐の
体積を全部集めると
球体の体積になり
各円錐の
底面積を全部集めると
球体の球面積になる
↓↑
V1+V2+V3+…=1/3×(S1+S2+S3+…)r
V=1/3×(Sr)…(1)
↓↑
球体の体積は
V=4/3×(πr³)…(2)
(1)と(2)より
↓↑
4/3×(πr³)=1/3×S×r
1/3×S×r=4/3×(πr³)
S=4/3×π(r³)÷(1/3×r)
=(4/3×3/1×π×(r³))/(r)
=12/3×π×(r³))/(r)
=4×π×(r²)
底面積(S)=4πr²
↓↑
球体の表面積
S=4πr²
ーーーーー
「4/3πr³」は、半径rの球体の体積、
「4πr²」は、球体の表面積
・・・???・・・なんか、混乱するな・・・間違っているのかも・・・