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コジキジゲン

「大菩薩峠」の「中里介山」の「机竜之助」

2018-03-14 02:36:04 | 古事記字源

 ・・・財務省の「改竄文書」・・・「竄」・・・「行政の責任」って、「竄=ネズミが穴に逃げ隠れるコト」・・・「文書などの字句を直すこと。特に、悪用するために、勝手(?)に直すこと」・・・「意図的な改竄目的=悪用」、「普通、悪用する場合にいう」、「悪意の書き換え」、もう少し云えば「証拠の改竄、アリバイの捏造」・・・「捏造」とは異なるだろうが・・・善意での「手直しする、直す」、利便性の「改新」を「改竄」とは云わない・・・学問上の誤謬の訂正は「改訂」である・・・「大化の改竄」は「日本書紀の記録上」で、あったかも・・・「ウィキペディアにおける改竄」記事・・・?・・・「改竄は善悪関係なし」って?・・・なんか、ここに記録されているコトが曖昧だけれど・・・これを書き込んだのは「ヤクにん」かも・・・
 イヤァ~、ツクヅク「幕末明治の人々」が「自己の信念(?)」の立場を崩さず生きていたか・・・彼らは「改竄」ではなく超主観的に「維新」と云ったが・・・「差額の損得で生きる町人」ではなかったから・・・当然、無理が生じるのはアタリマエだった・・・
 「安藤ニュースキャスター」のTV番組をみていてワラった。なんか、出てきた評論家(男)?が「江戸時代の役人ではないから、そんなコトをスルはずがない」って・・・いやぁ~ッ、あのオッサン、何時の時代のTV番組に出ているのか?・・・それでもナンか、自分のコメントした内容には疑問がないような・・・あの「ふにおちないような表情」と、彼の追加コメントはCMで遮られ終わったが、他人を疑わないヒトはマコトにご立派であるカナ・・・
 「竄=穴の中、家の八(屋根)の鼠」と「鼠=ねずみ=鼡」の漢字は異なっている・・・「竄」は「家の天井に棲むネズミ」か?、あるいは「米蔵のネズミ」か?・・・「鼢(もぐら・
鼴・土竜)」のようなネズミなのか?それとも「大黒様のお使いのネズミ」か・・・「大国主の改竄の名前」が「大国=ダイコク=大黒」になった・・・?・・・
 「インドの闇黒神(大黒天)は、中国では仏法の守護神・厨房の神となり、日本に入って神道の「大国主命」と習合して福神になった」・・・
 鼠には災害時、船の沈没や火事、地震の発生以前に安全な場所に逃げ出す。「大国主」は「須佐之男」が仕掛けた野火からネズミによって助けられた・・・シヴァ神の化身、「大暗黒天」・・・
 調べていたら「米俵に乗る一対の鼠像」の写真掲載のブログがあった・・・食物・財福を司る神であるらしいが、「黒いネズミ(夜の闇の中の営み)」は安産と子宝の子孫繁栄の象徴だからだろう・・・
 日本へは空海の密教の招来らしいから「景教」の碑文の漢字は「移鼠(イエス・キリスト)」は「十二支の子(鼠)」、「未艷(マリヤ)」は「十二支の未(羊)」である・・・
 「改竄」は・・・日本の「本地垂迹の十八番(おはこ)」である・・・「七代目市川団十郎が、代々の芸、十八種類を選定し『歌舞伎十八番(歌舞妓狂言組十八番)』を天保三年(1832年)三月に発表しオハコと云うコトバが定着・秘伝書が秘蔵されている箱からの呼称」・・・多分、漢字の「十八=拾八=足捌」の「番(蝶番・鍵・鈎・鉤・鑰)」・・・
 記録された「漢字」は「自由にオヨミ」ください・・・
ーーーーー
 竄=穴+鼠=宀+八+𦥑+𠄌+冫+𠄌+冫+乚
         𦥑=両手で持ち上げる、拱く
         𠄌=異体字は「𠃉・鳦」・・・乚=乙
           鳦=鳥+乙=つばめ=燕
             イツ・イチ・アツ・エチ
   ・・・「竄」は燕(つばめ)の爪から逃げるネズミ・・・
   「𠄌」は「戉」の「𠄌」ならば「鉞(まさかり)」である
   兎に角、
  「竄=穴+鼠」は
   匪賊・敵・獣などが慌てて逃げ去る
   のがれる・にげる・にげかくれる
   「竄入・竄伏」
   はな(放)す・追放する
   「竄流」
   あらためる・書きかえる
   「改竄」
   鼠(ねずみ)が穴にかくれる意
   改竄(カイザン)
   貶竄(ヘンザン)
   奔竄(ホンザン)
   流竄(ルザン)
   竄(かく)れる
   竄定(ザンテイ)
   穿竄(センザン)・点竄(テンザン)
   匿竄(トクザン)・伏竄(フクザン)
   奔竄(ホンザン)
ーー↓↑ーー
 皇極天皇・・・皇(白王)、極める
 重祚      「白の王=新羅の王」?
 齊明天皇・・・齊(亠刀Yノ𠄌乀冂一)=斉
                    斎=文(亠乂)ノ示l
 ↓↑
 諱  寶女王
 別称 天豊財重日足姫尊・・・財=貝(目八)+才
 父親 茅渟王
 母親 吉備姫王
 皇配=天皇の配偶者(夫)
    高向王・・・用明天皇の孫
 ↓↑       百済王族
          高向王?
       ・・・高(句麗)を向く
          狛犬(こまいぬ)
    ↓↑     ↓↑
    高向王⇔高麗(こま・こうらい)
    ↓↑  高句麗(こうくり)
        紀元前37年~668年
        後高句麗(899年~918年)
        後三国時代
        新羅で叛乱を起こした
        「弓裔」が901年に
        高句麗の復興を唱え
        国号を高句麗と定めてから
        滅亡までの弓裔政権全体
        「弓裔」は
        899年の挙兵当時
        新羅第48代
    ↓↑  景文王の庶子であることを自称
        901年
        開城に遷都
        国号を高句麗
        904年
        正式な国号を
        摩震(摩訶震旦)に改め
        年号を武泰
        905年には
     ↓↑ 鉄円(江原道鉄原郡)に遷都
        911年には国号を
        泰封に改め
        年号を
       「水徳万歳」と定めた・・・水の徳の万歳?
        後の高麗(コウライ)国(918年~1392年)
        の王国も
     ↓↑ 日本では「コマ」と読む
     皇極天皇となる前
     高向王が夫
     漢皇子を産んだ
     舒明天皇の皇后として
     中大兄皇子(天智天皇)
     間人皇女(孝徳天皇の皇后)
     大海人皇子(天武天皇)
     を産んだ
     高向王とは
     用明天皇の皇子の
     高向皇子
     聖徳太子の末弟の
     蜂子皇子などと
     同じ父を持ち
 ↓↑  高向王はその子
 ↓↑ ↓↑
    舒明天皇・・・推古天皇元年(593年)?
 ↓↑ ↓↑     ~
           舒明天皇十三年十月九日
           (641年11月17日)
    第三十四代天皇
    在位、舒明天皇元年一月四日
       (629年2月2日)
        ~
       舒明天皇十三年十月九日
       (641年11月17日)
       舒明天皇が崩御
        皇后は48歳
        舒=舍(舎)+予
          𠆢+舌(千口)+預(予頁)
        諱は田村(たむら)
        和風諡号は
        息長足日広額天皇
            广のムの客の頁(page)
        在位中
        最初の遣唐使を送る
        唐から
       「高表仁」の返訪
        高表仁=コウヒョウジン
            好評人・強面・傲慢
            嫌(厭)な奴
        隋の頃に渡った者も含め
        高向玄理と
        僧侶の
        霊雲、旻、南淵請安
        が帰国
 ↓↑     百済と新羅からの使節
 子女
 漢皇子・・・漢(あや・カン)皇子
 天智天皇・・中大兄皇子
 間人皇女・・間人(カンジン・まひと)
 天武天皇・・大海人皇子
 皇居
 皇極・飛鳥(とぶとり・ヒチョウ)-板蓋宮
 斉明・飛鳥(とぶとり・ヒチョウ)-板蓋宮
 ↓↑
 高向 玄理(たかむこ の くろまろ)
      高向=コウコウ
      玄理=ゲンリ・・・玄(武)の王の里⇔北方
 ?~白雉五年(654年)
   史賂記字語撚?
 名は黒麻呂
 高向古足の子・・・高を向く古の足
 姓は漢人のち史(ふひと)
 冠位は大錦上
 高向氏(高向村主=すぐり
     高向 史=ふひと)
 応神朝に
 阿知王
 とともに渡来した
 七姓漢人の一つ
 段姓
 夫(尖?)公の後裔
 魏の
 文帝の末裔を称する渡来系氏族
 東漢氏の一族
 高向の名称
 河内国
 錦部郡
 高向村
 (河内長野市-高向(たこう))に由来
 高向玄理(たかむこのくろまろ)
 渡来人の子孫
 本姓は高向漢人
   (たかむこの あやひと)
 推古十六(608)年
 第二回の遣隋使
 小野妹子に従って渡海
 留学生として
 隋、唐に学んだ
 留学すること
 三十二年
 640年帰朝
 国の博士
 大化改新の際の政治的顧問
 僧旻 (みん)
 高向玄理
 らが任命され
 官職制度の整備の中心的存在
 となった
 任那・新羅
 朝鮮半島にあった国家の
 外交を任され
 再度、遣唐使とし
 長安で客死
  ↓↑
 高向玄理
 608年に日本初の
 国費留学生
 隋に渡り
 32年間学び
 640年
 南淵請安(みなみぶちしょうあん)
 らとともに帰国
 646年
 新羅へ派遣
 654年
 遣唐押使として入唐
 唐で没
 本姓は高向漢人(たかむこのあやひと)

 『旧事』
 天香語山の別名を
 「高倉下」
 「手栗彦命」
 天降った後、
 紀伊国熊野邑に住む
 尾張氏・熊野氏の祖
 ↓↑
 『書紀』
 熊野-高倉下(クマノタカクラジ)。 
 棚倉孫(タナクラヒコ)神社の祭神
 「天香古山命」
 「天香古山命」=「高倉下」=「手栗彦」
 「手栗彦」が「棚倉孫」に転じた
 ↓↑
 籠神社の古伝
 「天香語山命」
 は亦名
 「手栗彦命」
  亦名
 「高志神」
 彦火明彦命が天上にて生む神也
 母天道姫命
 亦名
 祖母命也
 『旧事』に
 天香語山命
 別名を手栗彦、高倉下
 天降った後
 紀伊国-熊野邑
 に住む
ーーーーー
 ・・・「カイザン」・・・ああ、あの「大菩薩峠」の「中里介山」の小説の「机竜之助」・・・主演は「片岡知恵蔵」だったけれど、ちい当時、チイサイコロのボクにはツマラナイ映画だった・・・

コメント
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萬用仮名・・・伴様金、銀、銅・・・水銀・・・丹(に・タン)・・・大伴家持・・・家茂・・・

2018-03-13 16:04:42 | 古事記字源

 ・・・「万葉仮名」は「妄想の宝庫」であるが、和銅五年の「古事記」もねッ、なんせ、コジキ(乞食・こつじき)だから・・・和銅元年、和銅(にぎあかがね)が発見・・・昨夜はTVで「開かずの金庫」をみたけれど・・・金庫破りの名人によって出てきたモノには笑った・・・今朝は埼玉県蓮田市黒浜の中世の館跡、「新井堀の内遺跡」からで14~15世紀の昔の「銅銭25万枚」が大きな「甖(かめ・常滑焼)」に入れられているのが発見、発掘された、と云うニュース・・・「館跡の戦国時代の主は岩付(いわつき)城主・太田資正(すけまさ)の家臣・野口多門という伝承(毎日新聞2018年3月10日08時24分(最終更新 3月10日11時04分))」・・・「岩付(いわつき)城主」って?・・・
 「武蔵国埼玉郡岩槻(埼玉県さいたま市岩槻区)にあった岩槻藩の藩庁(城)。別称に岩付城、岩附城、浮城、白鶴城」・・・「浮城」って、「ラピュタ」だろうと思って調べていたら、香港映画の「浮城」、「ジブリやガリヴァー」の「天空の島」じゃぁなかった・・・いやぁ~ッ、興味は尽きないが、脳ミソが追いつかない・・・
 「太田氏築城か、成田氏築城か・・・詳細不詳・・・その後、永正七年(1509年)に、古河公方奉公衆である渋江氏が岩付城主となった」・・・
 「扇谷-上杉氏」
 と
 「山内-上杉氏」
 の同族対立で、
 「1522年(大永二年)、太田資頼が岩槻城を奪取し、以後、岩付太田氏の居城」・・・
 これを切っ掛けに関東も
 「日本戦国時代」への殺し合い、縄張り争いへ突入・・・
 イヤイヤ、それ以前のムカシから人類が手に武器を持ち、延々と現代までも、地球規模で国際的な縄張り争いで殺戮を繰り返し、強奪は当然の如く・・・で、そのプロセスで「銭を貯めたい」って云う心理って「?」・・・「銭」がモノと交換出来る「人間社会」がまだあるだろうって、か?・・・第一、銅銭も、銀銭も、金銭も直(じか)には喰えん・・・喰うものが無ければ・・・
ーーーーー
 坂本 龍馬
 天保六年十一月十五日
 1836年1月3日
 ~
 慶応三年十一月十五日
 1867年12月10日
 土佐藩郷士
 諱は
 直陰(なおかげ)
 直柔(なおなり)
 通称は龍馬
 他に
 才谷 梅太郎
 ・・・才の谷=才能がキワマレリ、
        木(十八)の毎(ノ一の毋・毌・母)の太の郎
 などの変名
 西郷伊三郎
 高坂龍次郎
 大浜涛次郎(とうじろう)
 取巻の抜六(とりまきのぬけろく)
 等
 慶応三年(1867年)十一月十三日付
 陸奥宗光に宛てた手紙で
 「自然堂(じねんどう)」
 の号を署名
 龍馬の姉
 坂本 乙女(さかもと おとめ・をとめ・お留)・・・音目
 1832年2月2日(天保3年1月1日)
 ~
 1879年(明治12年8月31日)
 身長、約174cm・体重、30貫(約112kg)
 典医・岡上樹庵と結婚
 一男一女(赦太郎・菊栄)をもうける
 夫の暴力・浮気などが原因で
 慶応三年(1867年)離婚
 晩年は
 「独(どく)」と改名
 養子の坂本直寛(北海道北見市の開拓に従事)と共に暮らす
 1879年(明治十二年)
 壊血病で死去・・・「庚戌」は魁罡・・・乙女は豪傑・・・
ーーーーー
 乙女
 1832年辛卯(甲・ ・乙)⇔79年己卯(甲・ ・乙)
 0002月辛丑(癸・辛・己)⇔08月壬申(己・壬・庚)
 0002日庚戌(辛・丁・戊)⇔31日丙戌(辛・丁・戊)
     寅卯=空亡
ーーーーー
 龍馬
 1836生年乙未(丁・乙・己)⇔67年丁卯(甲・乙)
 0001生月戊子(壬・ ・癸)⇔12月壬子(壬・癸)
 0003生日辛丑(癸・辛・己)⇔10日甲子(壬・癸)
      辰巳=空亡
ーーーーー
 香久山=かくやま=香具山・香山・香来山
     高山・・・高麗・高句麗
     芳来山・芳山
    「アマノモト
     アマ-ノリト」山
     天の 祝詞(のりと)の山?
 ↓↑ ↓↑
 舒明天皇の歌
 「大和には=山常庭
  群山あれど=村山有等
  とりよろふ=取與呂布
  天の香具山=天乃香具山
  登り立ち=騰立
  国見をすれば=國見乎為者
  国原は=國原波
  煙り立ち立つ=煙立龍
  海原は=海原波
  かまめ立ち立つ=加萬目立多都
  うまし国ぞ=怜(忄可・柯・忇)國曽
        怜=さとい・あわれむ・レイ
  あきづ島=蜻嶋
  大和の国は=八間跡能國者」
  (巻1-2)
 ↓↑
 うまし=旨し・甘し・美し・宇摩志・可美
     満ち足りて
     美しい
     すばらしい
     よい
 ↓↑
 宇摩志阿斯訶備比古遅神(古事記)
 可美葦牙彦舅尊(日本書紀)
 ↓↑
 「山常庭村山有等
  取與呂布
  天乃香具山
  騰立國見乎為者
  國原波
  煙立龍
  海原波
  加萬目立多都
  怜(忄可・柯・忇)國曽
  蜻嶋
  八間跡能國者」
 ↓↑
 「柯(カ)=木+可」
       キ カ=帰化・奇禍・希佳・机下
           幾何・季夏(陰暦六月)
           帰嫁・奇貨
           旗下・麾下
    斧の柄(え)・・・鎌(足)の
               兄(え)
             中大兄皇子?
    えだ(枝)
    草の茎
    ↓↑
 詩に云(いは)く、
 柯(か)を伐(き)る・・・柯=木+可=帰化?
 柯(か)を伐(き)る、
 其(そ)の則(のり)
 遠(とほ)からずと(中庸)
 ↓↑
 柯(か)を執(と)りて・・・柯=木+可=帰化
 以(もつ)て
 柯(か)を伐(き)る、
 睨(げい)して
 之(こ)れを視(み)る、
 猶(な)ほ以(もつ)て
 遠(とほ)しと
 為(な)す(中庸)
 ↓↑
 柯姓、
 為
 「中文」姓氏之一
 廣佈華南、東南亞一帶
 羅馬化轉寫・・・ローマ化の転写?
 外部链接・・・・链=鏈=くさり(鎖)
         鉛の精錬していないもの
         鏈=金属の輪を
           繋(接)ぎ合わせたもの
           綱木・津奈木
           鉛・精錬していない鉛
    鎖・鏁・鏈
    金属製の輪をつないだ紐状のもの
    物と物とを結び付けているもの
    絆(きずな)
 ↓↑    
 柯姓の起源=出自、姬姓
 廣韻
 柯氏=吳國の國君
   「柯盧」之後
    仲雍的
    五代孫名叫
   「柯相」
    曾孫
   「柯盧」即位
    其後代遂以
   「柯」字
    承
    接
    作
    爲
    自己的姓
 ↓↑
 中大兄皇子の歌
 「香具山は
  畝傍ををしと
  耳梨と
  相争ひき
  神代より
  かくにあるらし
  古(いにしへ)も
  然(しか)にあれこそ
  うつせみも
  妻を
  あらそふ
  らしき」 (巻1-13)
  ↓↑
 「高山波・・・奈良県
        生駒市
        高山町
        平安時代に「鷹山」の表記
       「高」+「山」=高句麗系帰化?
       「高」+「向」=
        生駒市北部の地区
        富雄川上流域
  雲根火雄男志等
  耳梨與相諍競伎
  神代従
  如此尓有良之
  古昔母・・・「母」は「はは」か「も」か?
  ↓↑    「ムカシ、母も」
         母=皇極、齊明天皇
         推古天皇二年(594年)
         ~
         斉明天皇7年7月24日
         (661年8月24日)
  ↓↑     第三十五代、第三十七代天皇
  然尓有許曽・・・しかにコソあれ
  虚蝉毛・・・・・「毛=も=母」だが?
  嬬乎
  相挌・・・・・相、あらそう
         挌=カク・ぶち当たる
           なぐり合う・うつ
           挌殺・挌闘
  良思吉」・・良=白+衣(亠ノ𠄌ト・衤) ⇔ら・・・予期
        思=田(囗十)+心(儿冫)⇔し・・・思い
        𠂉𠂉吉=十+一+口       ⇔き・・・吉
  ↓↑
 持統天皇の歌
 「春過ぎて
  夏来たるらし
  白たへの・・・新羅が耐える、堪える
            絶える、タエル
  衣干したり・・遺憾
  天香具山」
  (巻1-28)
  ↓↑
 大伴旅人の歌
 「わすれ草・・・かんぞう(萱草)の別名
  ↓↑     身につけると
         心の憂さを忘れると
         恋の苦しみを忘れるため
         下着の紐(ひも)に付けたり
         垣根に植えたりした
  ↓↑         
  わが紐に付く・・・紐=糸+丑
  香具山の
  故(ふ)りにし里を・・・「故」がナゼ「ふ」?
      「ふるい=むかしの」⇔「故(ふ)り」の「ふ」?
  忘れむがため」
  (巻3-334)
  忘れ草 我が紐に付く 香具山の 古りにし里を 忘れむがため
  萱 草 吾 紐二付  香具山乃 故去 之里乎 忘之為
  ↓↑
 アイルランド民謡
 The Last Rose of Summer
  (夏の名残りのバラ)
 明治十七年(1884)3月29日発行
 『小学唱歌集(三)』の『菊』
 「庭の千草=Chor Stella」
 日本語詞=里見 義
 アイルランドの詩人
 トーマス・ムーア(1779~1852)
      穆爾(モクジ・ボクジ
         ムニ・ムジ)?
      ↓↑ ↓↑
     「穆桂英(Mù Guìyīng)」=褒め言葉
     「モクケイエイ・ボクケイエイ」は
      日本語での漢字の発音
     (宋代、金に抵抗し戦った
      女英雄の名→比喩的に
      頭が切れ、統率能力のある婦人を指す
      穆=禾+白+小+彡=ボク・モク
        穆⇔默=沉默=押し黙る
               沈黙する
      和らぐ・穏やか
        なごや-か・・・?
       「名古屋・名護屋・名児耶」か?
        手厚い・丁寧
        睦まじい
        慎み深い
 「T.Moore」=植物の命名者
        トーマス・ムーアを示す
 1805年
 「エドワード・バンティング
  (1773~1843)
  のアイルランド民謡集に収められていた
 『ブラーニーの木立
  (The Groves of Blarney)』
  の旋律に合わせて詩を書き、
  ムーアの詩集
 『アイリッシュ・メロディーズ』
 1807年発行に掲載
  ↓↑
 庭の千草も、虫の音も
 枯れて寂しくなりにけり
 ああ白菊、ああ白菊
 一人遅れて咲きにけり
  ↓↑
 露もたわむや、菊の花
 霜におごるや、菊の花
 ああ、あわれあわれ、ああ、白菊
 人のみさおも、かくてこそ
  ↓↑  ↓↑
 作者不詳
 「いにしへの
  事は知らぬを
  われ見ても
  久しくなりぬ
  天の香具山」
  (巻7-1096)
  昔者之    事 波不知乎  我 見而毛 久  成 奴
  いにしへの ことは知らぬを 我れ見ても 久しくなりぬ
  天の香具山 
  ↓↑
 柿本人麻呂の歌
 「久方の
  天の香具山
  このゆふべ
  霞たなびく
  春立つらしも」
 久  方之 天 芳 山 此 夕 霞霏   春立 下
 ひさかたの 天の香具山 この夕 霞たなびく 春立つらしも 
  (巻10-1812)
  ↓↑
 天の「香具山」は
 膳(かしわで)氏の本拠地・・・御膳部=高橋
 聖徳太子妃
 膳大郎女(かしわでのおほいらつめ)
 の生家
 山の北の地名は
 膳夫町(かしわてちょう)
  ↓↑
 大和三山
 畝傍山
 耳成山
  ↓↑
  カグツチ(迦具土・加具土)
 天香具山の 香具や、かぐや姫の語源
  ↓↑
 高倉下=別名、天香具山命・・・?
ーーーーー
 ・・・『先代旧事本紀』巻五天孫本紀・・・
  『旧事』
 天香語山の別名を
 「高倉下」
 「手栗彦命」
 天降った後、
 紀伊国熊野邑に住む
 尾張氏・熊野氏の祖
  ↓↑
 『書紀』
 熊野-高倉下(クマノタカクラジ)。 
 棚倉孫(タナクラヒコ)神社の祭神
 「天香古山命」
 「天香古山命」=「高倉下」=「手栗彦」
 「手栗彦」が「棚倉孫」に転じた
  ↓↑  
 籠神社の古伝
 「天香語山命」
 は亦名
 「手栗彦命」
  亦名
 「高志神」
 彦火明彦命が天上にて生む神也
 母天道姫命
 亦名
 祖母命也
 『旧事』に
 天香語山命
 別名を手栗彦、高倉下
 天降った後
 紀伊国-熊野邑
 に住む
  ↓↑
 高倉神社(三重県伊賀市)
 高倉下命の七代の後の子孫
 倭得玉彦命がこの地に移り住んで
 高倉下命を祖神として祭祀起源とする社
  ↓↑ 
 高倉下命は「天香語山命」と同一神であると解釈・・・なぜ?
ーーーーー
 ・・・万葉仮名・・・どのようにでも通用する「マン用仮名」・・・「万能仮名」・・・「万能金⇔水銀・丹・」・・・「水銀(mercury・羅語=hydrargyrum)は原子番号80の元素・元素記号は Hg・汞とも書く・第12族元素に属す・常温、常圧で凝固しない唯一の金属元素・銀のような白い光沢を放つ」・・・「辰砂⇔龍砂」・・・
 「硫化水銀(HgS)からなる鉱物・別名、賢者の石、赤色硫化水銀、丹砂、朱砂・・・日本では丹(に)と呼ばれた」・・・
 「水銀の硫化鉱物・六方晶系・結晶片は鮮紅色でダイヤモンド光沢・塊状、土状で赤褐色・低温熱水鉱床中に産し、水銀の原料・朱色の顔料・有毒・朱砂・丹砂・丹朱⇔硫化水銀」・・・
 丹後=タンゴ=単語(vocabulary・word-spell)・丹呉・反後・田子・端午・Tango」・・・「譚語」、「探語・嘆誤」・・・
 ・・・マン用、バンノウ(almighty)、バンヨウ・・・多の伴用・・・大伴の用字・・・「utility knife・調理用、キャンプ用の万能ナイフ(all‐purpose knife)」・・・

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「谷」・・・「たに・きわまる・ヤ・コク」・・・「八は人の口」・・・?

2018-03-12 18:45:24 | 古事記字源

 ・・・「谷」の漢字のヨミが「たに・きわまる・ヤ・コク」・・・「窮まる=きわまる=極まる=谷=究」・・・「谷 干城(たに たてき・かんじょう)・天保八年二月十二日(1837年3月18日)~明治四十四年( 1911年5月13日)・儒学者、谷景井(萬七)の四男・土佐藩士、軍人・通称は申太郎、守部・号は隈山・明治元年(1868年)の戊辰戦争で板垣退助の率いる迅衝隊の大軍監として北関東・会津戦線で活躍・熊本鎮台司令長官であった西南戦争において、熊本城攻防戦を指揮」・・・通称が「申太郎・守部」って、「サルたろう」の「防人(さきもり)」だろう・・・
ーーーーー
 「明治三十三年(1900年)、かつての見廻組の一人であった今井信郎が「龍馬を暗殺したのは俺だ」と言ったが、谷は、それを聞き及ぶと「お前ごとき売名の徒に坂本さんが斬られるものか」と逆に厳しく非難した」・・・「立場、保守的な中正主義者」って?・・・「中正=公正・公平・中正无私・中正无邪・公正無私・かたよらず、公正であること・中庸」・・・「かたよらない、公正」の「基準」ってナンなんだか?・・・
ーーーーー
 丁酉(庚・ ・辛)正官-比肩・劫財   ⇔辛亥(戊・甲・壬)
 癸卯(甲・ ・乙)傷官-偏財・正財   ⇔癸巳(戊・庚・丙)
 庚申(己・壬・庚)  -印綬・食神・比肩⇔癸未(丁・乙・己)
  子丑=空亡
ーーーーー
 谷(たに・きわまる・ヤ・コク)
 山と山の間のくぼみ。
 道・径路
 きわまる・ゆきづまる
 窮まる・極まる・行き詰まる。
 やしなう・育てる
 ↓↑ 
 窮山幽谷
 人里から遠く離れた
 奥深い場所にある静かな山と谷
 ↓↑
 跫音空谷(キョウオンクウコク)
 人のいない場所での寂しい生活の中で
 予想外の訪問や便りのたとえ
 孤立した状態での
 自分の意見に賛同する人を得た時に用いる
 跫音=足音
 ↓↑
 金谷酒数
 詩を作ることが
 出来なかったことの
 罰として飲ませる酒
 中国の西晋の
 石崇が
 別送の
 金谷園で開いた宴会で
 詩を作れなかった人に罰として
 酒を飲ませたという故事
 ↓↑
 空谷跫音
 「荘子」徐無鬼の
 「空谷に逃るる者は
  人の 足音の跫然たるを聞きて喜ぶ」から
  だれもいないはずの山奥で聞こえる足音
  孤独なときに
  受ける珍しくてうれしい訪問や便り
 ↓↑
 山棲谷飲(サンセイコクイン)
 世間から離れて隠居すること
 山の中で暮らし
 谷川の水を飲むということから
 『魏書』「粛宗孝明帝紀」・隠居
 ↓↑
 出谷遷喬(しゅっこくせんきょう)
 出世すること・「遷喬」は高い木に移ること
 鳥が谷から出てきて高い木に移る
 高い地位を手に入れることのたとえ
 『詩経』「小雅・伐木」
 ↓↑
 深山窮谷
 人が入ったことのないような
 奥深い山と深い谷のこと
 「深山」は人里から離れた場所にある山
 「窮谷」は深い谷
 『春秋左氏伝』「昭公四年」
 ↓↑
 深山幽谷
 ほとんど人が入っていないような
 奥深く静かな大自然
 「深山」は人里遠く離れた奥深い山
 「幽谷」は山奥深くにある静かな谷
 ↓↑
 進退維谷(シンタイイコク)・・・審他異意古句・身体異国
 どうすることもできないこと
 進むことも退くこともできない
 「進退維れ谷まる」
  シンタイ、コレ、キワマル
 『詩経』「大雅・柔柔」
 ↓↑
 千仞之谷(センジンのタニ)
 千尋之谷(センジンのコク)
 極めて深い谷
 「仞」は長さの単位で
 長さの単位の「尋」と同じ長さ
 「一仞」はおおよそ五尺から八尺の範囲
 様々な説がある
 「千仞=千尋」とも
 「谿=谷」とも
 『孫子』「軍形」
 ↓↑
 白駒空谷(ハッククウコク)・・・葉通句空告・・・空海?
 賢者が官職などに取り立てられず
 公的な機関に属してい ないこと
 「白駒」は賢者が乗るとされる
 白い毛の馬ということから、賢者のたとえ
 「空谷」は人の気配が全くない谷
 白馬が誰もいない谷にいる
 『詩経』「小雅・白駒」
 ↓↑
 陵谷遷貿(リョウコクセンボウ)・・・両(良)国羨望
 世の中が非常に激しく変化し
 今までとは
 全く別のものになることのたとえ
 「遷貿」は時間と共に様変わりしていくこと
 大きな丘が削られて深い谷になったり
 深い谷が石などに埋め立てられて
 大きな谷になったりするような
 大きな変化という意味
 ↓↑
 陵谷変遷
 世の中が非常に激しく変化し
 今までとは全く別のものになることのたとえ
 ↓↑
 窮山通谷 (キュウザンツウコク)
 窮山幽谷 (キュウザンユウコク)
 跫音空谷 (キョウオンクウコク)
 金谷園裏 (キンコクエンリ)
 金谷園=河南省洛陽県の西北にある
     晋の石崇 (セキスウ) の別荘
 金谷酒数
 空谷跫然
 空谷之音
 空谷跫音
 空谷足音
 山棲谷飲
 出谷遷喬
 深山窮谷
 進退維谷 (シンタイイコク)
 ↓↑
  恐れ入谷の鬼子母神
 (おそれいりやのきしもじん)
 ↓↑
  落つれば同じ谷川の水
 (おつればおなじたにがわのみず)
 ↓↑
  空谷の跫音
 (くうこくのきょうおん)
 ↓↑
  進退これ谷る
 (しんたいこれ、きわまる)
 ↓↑
 谷の異体字=穀(繁体字)
 谷=ゆきづまる・・・雪詰まる・雪積もる?
 峡谷(キョウコク)
 空谷(クウコク)
 渓谷(ケイコク)
 幽谷(ユウコク)
 谷間(たにあい)
 谷懐(たにふところ)
 谷渡(たにわたり)
 ↓↑
 氺=冫+亅+<=氵⇔氷・永・泳・冰
          氶=了+水
 丞=シヨウ・ジヨウ・たすけ・たすく
   (輔佐)長官のたすけ
    そへ(副貳)府丞は
    府尹の次官
    縣丞は
    知縣の次官
    うく・承に通ず・つぐ(繼)
    すすむ・進む貌・烝に通ず
    シヨウ・すくふ(救)拯に通ず
    承=氶+三・・・承諾・承認・承知
    求=亠+氺+丶・・救助・救済・救援・救難
 水=冫+亅+<・・・水滴の形状⇔;:〃=i¦
   >+亅+<
   雨=帀+;:=帀+¦¦
 ↓↑
 「舂=𡗗+臼⇔⁅+⁆⇔E+∃⇔∈+∋⇔E+彐」
 「奉=𡗗+キ
    ブ・ホウ
    たてまつる・うける・ささげる
    異体字は「俸・捧・捀・摓」
 「庾=广+臾」
    くら・ユ
    广+臾⇔瘦(やせる)
    異体字は「㔱・㢏・斔・斞・嫂
 「臾=臼+人
    ひきとめる・しばらく・わずか
    須臾(シュユ)・
    すすめる・そそのかす
    縦臾(ショウユ)
    臼・舅・興・舂・臾・庾
 ↓↑
 臼=キュウ・グ・うす=ノ+ト+ヨ=臼
   穀物を入れて搗く器
 𦥑=キク・キョク=ノ+ト+彐+=𦥑]
   両掌を上に向けて持つ・両手で抱える
 八+臼=シ・は・歯齒齿
    八+ノ+E+ヨ=八+臼
    食べ物を噛み砕く器官
    年齢
 ↓↑
 𦥑+l=シン=ノ+上+彐+l=𦥑+礀
     雷光・稲妻
 臽=カン・ゲン=刀+臼=臽
   小さな穴・落とし穴
 ↓↑
 臾=ユ=ノ+上+彐+人=臾]
   掴(つか)んで引っ張る
   臾=束縛捽抴為臾
     須臾(シュユ)=瞬時・束の間・片時
 囟=シン・ひよめ=ノ□㐅=囟
   胎児や新生児の頭蓋
   左右の骨の額から後頭部にかけて
   の接合部分
   隙間があるが生長するにつれて
   次第に接合・「泉門(せんもん)」
 臼+了=カン・ゴン
     物を収納するための
     蓋付きの箱・箱に入れる
     胡讒切匱也、柸也
 曵=エイ・ひく=𦥑+乂+丶
   曳=曵
   引っ張る・綱などの長いもの
   また、その先に物を繋いだものを
   引き摺(ず)るようにして引っ張る
 臿=臼+千ソウ・ショウ=臼+干(千)
   穀物を搗いて殻を取る
   臼などの器に穀物を入れ
   そこに杵を挿し入れる
   土に差し込んで掘り起こす
   鍬や鋤の類
 舁=ヨ=臼+廾
   複数人がそれぞれ両手で
   輿などを持ち上げる
   本字は「𦥑+廾」
 ↓↑
 㳫=水+𦥑=㳫
   水が次から次へと湧(わ)き出る
   溢(あふ)れ出る
   水が溢れ出るように次から次へと
   口から言葉が出てくる
   次々に重なり合う
   㳫(水𦥑)≠沓(水日)
   沓=水+日=靴(くつ)・履物 ・・・舞踏会・・・
   踏(足水日・ふ)む=ふむ=附務・踐・蹄・・・
ーーーーー
 ・・・なんで、「沓(水日?・水曰?)=くつ=靴・履」なんだか?・・・「泉(白水)≠沓(水日?・水曰?)」・・・
 ↓↑
 「天智天皇(626年~
      天智十年十二月三日
   ・ユリウス歴672年1月07日
 グレゴリオ歴崩御672年1月10日
 近江大津宮で崩御)」・・・
ーーーーー
 辛未(丁・乙・己)
 辛丑(癸・辛・己)
 乙丑(癸・辛・己)水曜日・友引
 ~
 丙寅(己・丙・甲)・・・丙寅=火の重の虎
             兵(ヘイ)の寅(イン)=虎
ーーーーー
 ・・・二月節分から「壬申年」・・・壬の申の念・・・
 8月12日壬申の乱、大海人皇子(天武天皇)が挙兵
 8月21日(天武天皇元年7月23日)
     大友皇子(弘文天皇)、長等山の山前にて縊死
 天武天皇元年六月二十四日~七月二十三日
 ユリウス暦672年7月24日~8月21日)
 彼の「靴(革化)=くつ=履(尸復)」の発見って・・・
 「扶桑略記」・・・「寛治八年(1094)年以降の堀河天皇代に比叡山功徳院の僧、皇円(法然の師)が編纂」・・・
 「一云 天皇駕馬
     幸山階觶
     更
     無還
御永
交山林
不知崩所
只以
履沓・・・履沓・・・履歴・分等・武等・武闘
落處

其山陵


諸皇
不知因果
恒事
     殺害」
ーーーーー
 ・・・???・・・

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ひつこく調べた、気になる・・・大和三山・・・サンザン・・・散々・・・簒残・・・

2018-03-11 00:07:36 | 古事記字源

 ・・・「妖星」は災害の前兆と信じられていたが、妖しい星とは彗星や流星、隕石の火球などをいった・・・明日は3月11日日曜日、今日がイツの間にやらの土曜日だなんて、寝ぼけている・・・八年目の蝦夷地・・・昨夜は大雨で、今日はガンガンの天気、道路際に積まれた雪の壁はズブズブと融け、黒いアスファルトが顔を見せだしている・・・・・・
ーーーーー
 2018年 戊戌(辛・丁・戊)
 0003月 乙卯(甲・ ・乙)
 0011日 壬寅(己・丙・甲)
ーーーーー
 ・・・ひつこく調べたが、気になる・・・大和三山・・・サンザン・・・散々・・・簒残・・・
ーーーーー

ーーーーー
 「中大兄皇子」の「乙巳の変(645年)」は
 「女の嫉妬」が原因・・・?
 「皇極・斉明」天皇は「寶(宝・財)媛」だったが
 「蘇我入鹿=林大臣・鞍作大郎」の愛人?
 ・・・最近は「男の嫉妬」でのストカーで女性が迷惑しているらしいが・・・昔から「スキキライの選択の権利」は「女性のモノ」だった・・・
 本気で「自己防衛」したいなら自分自身の腕力に対する意識を考え直すベキである・・・不利とは思うが、そんな状況に遭遇したならば半分以上は自分自身の命がカカッテいると思え。
 「スーダン」で、兵士に襲われた女性国連職員は屈辱よりも自分の命を選んだ・・・その後に銃が自分に発砲されるかドウかは「賭け」であった・・・
 「正当防衛」とは自分自身で自分を護ることだ・・・逃げるにコシたことはない・・・だが、ソレが出来なかったら・・・「リスクの選択」は自分自身の意識にある・・・最悪が死である。死なない、死ねない、それが基準だ・・・人災、そして、自然災害も同じである・・・8年前の3月11日の状況は同じだった・・・
 「武器」を手にしたら結構、暴漢(男)とは互角に戦えるハズである・・・最近、インドからのニュースで「女性の意識」を変えた映像を放映していたが、素手では限界があるかも・・・イザと云う時の「武器」になるモノはナニかを考えろ・・・「携帯電話」も通信手段以外にも使える事を考えてみる・・・イザと云う時の「武器」になるか、どうか・・・コマーシャルで壊れないブツと宣伝しているならカナリ硬い・・・指輪にダイヤが付いているなら鉄よりも硬い・・・小銭入れはどうか・・・
  ↓↑
 「蘇我蝦夷」は
 「644年(皇極天皇三年)十一月
  甘樫(あまかし)丘
  ↓↑ ・・・「甘樫=うまかし=甘橿・甘櫧」?
     甘い樫(橿)ってナニか?・・・団栗(どんぐり)
     アマのカシ
     樫=木+堅
     橿=木+畺(一田一田一)
     櫧=木+諸(言者)
     畺=田と田の上下と中間に線をいれ
       田(土地)の境界を示した
       疆(キョウ・さかい)
       疆=弓(ゆみ)+畺(さかい)の原字
     さかい=彊・疆・橿・薑は「同音代替」
         僵音の変化キョウ=彊・疆・橿・薑・僵
       彊=キョウ・つよい弓
         弓(ゆみ)+畺(さかい)」
     允恭 (インギョウ) 天皇が・・・・木戸孝允の「允」?
     姓氏の乱れを正すため諸氏を集め
     盟神探湯 (くかたち) を行った地
  ↓↑               
  に邸宅造営
  上の宮門(みかど)
  谷の宮門
  とし
  自分の子女達を皇子と呼ばせ
  畝傍山・・・・畝傍山に何故、要塞を?
  に要塞を築き
  皇室行事を独断代行」
  ↓↑
 「蘇我入鹿」の「女(室・妾)」に嫉妬し
 愛人であった
 「蘇我入鹿」を
 「中大兄皇子」と「中臣鎌足」に
 暗殺させた・・・?
  ↓↑
 「中大兄皇子」はナゼ、
 次のウタを「うた」ったんだか?
 ウタう=歌う・唄う・謡う・謳う・詠う・謌・吟
  ↓↑
 原文
 高山波=香具山は
 ↓↑  ・・・天から山が2つに分かれて落ち
     1つが伊予国(愛媛県)の
    「天山(あめやま)」
     1つが大和国
    「天加具山」になった
    (伊予国風土記・逸文)に記録
    (阿波国風土記・逸文)では
    「アマノモト(アマノリト)山」
     という山が
     阿波国(徳島県)に落ち
     それが砕けて大和に降りつき
 ↓↑  天香具山と呼ばれたと記録
     ・・・隕石が割れて二地点に落下した
     「磐余=神武天皇」=彗星(箒星)の
     「磐の余り」である?
     山頂に國常立(くにとこたち)神社
     祠の1つには高靇神が祀られている
     山の
     北麓には
     櫛真智命神(くしまちのみことのかみ)
     を祭神とする天香山神社
     南麓には
     天岩戸神社
     神事にもちいる
     陶土の採集場所
     天香久山には
     赤埴と白埴の2種があり
     赤埴は山頂の
     斑れい岩が風化したもの・・・
     (斑糲岩・gabbro・ガブロ)
     深成岩の一種、有色鉱物の
     角閃石や輝石を多く含み
     岩石全体が黒っぽい
     (ペグマタイト質のものは
      斜長石の白い部分が目立つ)
     磁鉄鉱なども含んでいる
     無色鉱物はほとんどが斜長石で
     アルカリ長石や石英を含まない・・・
     石英=玻璃(はり)
     石英を成分とする砂は
     珪砂(quartz sand)と呼ばれ
     石英を主体とし珪化物からなる鉱石は
     珪石と呼ぶ・・・
     灰長石とカンラン石からなるものは
     トロクトライト(troctolite)・・・
ー↓↑ーーー↓↑ーー↓↑ーー
     彗星・・・定慧=定恵(ジョウエ)
     皇極天皇二年
     (643年)
      ~
     天智天皇四年十二月二十三日
     (666年2月2日)・・・666・2・2
        6+6+6+2+2=22⇔弐拾弐⇔念貮
        十八=足捌・四=肆
     定慧=貞恵
     父は中臣鎌足(藤原鎌足)
     俗名は「中臣真人(まひと)」
     弟は藤原不比等
     653年(白雉四年)五月
     十一歳
     遣唐使とともに唐へ渡る
     長安-懐徳坊にある
     慧日道場に住し
     玄奘の弟子の
     神泰法師に師事
     665年(天智天皇四年)九月
     百済を経て日本に帰国
     同年十二月
     大原(奈良県高市郡明日香村小原)
     で死去
     「高句麗」の僧
     「道賢」が誄(しのびごと)
     天智天皇四年(西暦665)年
     唐の劉徳高の船に乗って帰国
     同年十二月二十三日
     大和国(奈良県)大原で
     23歳で百済人に妬まれ毒殺・・・
     異説
     和銅一年(西暦708)年
     帰国
     留学中の夢のお告げに従って
     藤原鎌足の遺骸を
     摂津国
     阿威山から
     奈良県の
     多武峰(とうのみね)に寺院を建立し
     墓所 阿武山古墳
        大織冠神社
        談山神社
     を改葬
     和銅七年(西暦714年)六月二十五日
     70歳で死没
     鎌足の実子長男ではなく
     孝徳天皇の妃を
     鎌足が賜って生まれた子供で
     孝徳天皇の落胤・・・
     (『多武峯略記』)
 ↓↑  ↓↑
     不比等は
     鎌足の子ではなく
     天智天皇の落胤・・・
     『公卿補任』の不比等の項に
     「実は天智天皇の皇子と云々、
      内大臣大職冠鎌足の
      二男一名史(ふひと)
      母は車持国子君の女
      与志古娘也、車持夫人」
     『大鏡』では天智天皇が
      妊娠中の女御を鎌足に下げ渡す際
     「生まれた子が
      男ならばそなたの子とし
      女ならば朕のものとする」
     と言ったという・・・を伝える・・・
     『帝王編年記』、『尊卑分脈』
     などの記載
     「われはもや安見児得たり
      皆人の得難にすとふ
      安見児得たり」
     正妻=鏡王女(?~683年)
     (最初、中大兄皇子妃だった)
     妻=車持-与志古娘
     長男=定恵(真人)
     (644年~665年)
     次男=不比等
     (659年~720年・『尊卑分脈』)
     なお『興福寺縁起』では
     不比等の母は
     「鏡王女」となっている
 ↓↑  ↓↑
     『日本書紀』巻二五
     白雉四年五月壬戌十二日条
     「四年夏五月辛亥朔壬戌。
      發遣
      大唐大使
      小山上
      吉士長丹。
      副使小乙上
      吉士駒。駒。更名は糸。
      學問僧
      道嚴。道通。道光。惠施。覺勝。弁正。
      惠照。僧忍。知聡。道昭。定惠。
      定惠。
      内大臣之長子也。
      安達。安達。
      中臣渠毎連之子。
      道觀。道觀。
      春日粟田臣
      百濟之子。
      學生
      巨勢臣藥。
      藥豐足臣之子。
      氷連老人。老人。
      眞玉之子。
      或本、
      以學問僧知。
      辨・義紱、
      學生
      坂合部
      連
      磐積而増焉、
      幷一百廿一人、
      倶乘一船。
      以
      室原
      首
      御田
      爲送使。」
 ↓↑   ↓↑
      『藤氏家伝』
      貞慧伝
      「故以
       白鳳五年(四年の誤り)歳次甲寅、
       隨聘唐使到于長安、
       住
       懐紱坊慧日道場」。
      『釋氏稽古略』
      「玄奘三蔵法師伝」
      『日本書紀』巻二五白雉五年二月条
      「定惠
       以
       乙丑年
       付
       劉徳高
       等船歸」
      『元亨釈書』では没年を
      「和銅七年(714年)」とする・・・
 ↓↑
 雲根火
 雄男志等
 耳梨與
 相諍競伎
 神代従
 如此尓有良之
 古昔母
 然尓有許曽
 虚蝉毛
 嬬乎
 相挌良思吉
 (中大兄皇子)
  ・・・チュウ ダイ    ケイ  コウシ
     誅(注)大(覆・被)稽(計)高示?

 香具山(高山)は・・・雌・牝・女
 ↓↑       天香久山(あまのかぐやま)
          天香具山(あめのかぐやま)
          標高は三山の2番目
          他の二山が
          単独峰であるが
          多武峰から続く
          竜門山地の端
          ・・・山並み(山々)の
          端っこ・・・
          先頭か、最尾の山・・・
          室、妾の中の一女性・・・
 ↓↑       ↓↑
 ↓↑       天(あ ま)の香具山
            海・雨
             阿毎⇔阿倍
         阿倍仲麻呂
 ↓↑      ↓↑
         霊亀三年(717)
         第八次遣唐留学生
         宝亀元年(770)
         在唐五十四年
         唐の長安で死没、七十三歳
 ↓↑      ↓↑
         あまの原=土左日記では
             「青海原」と記録
         ふりさけ見れば
         春日なる
         三笠の山に・・・三笠の山?
         出でし月かも(古今406)
         三笠の山=平城京の東方
         春日大社背後の山
        「三笠山=御蓋山=みかさやま
             衣笠・絹張りの傘に
             似ていることから
         遣唐使が航海の無事を祈って
         三笠山の麓で神祇を祭った」
         春日山の西峰
         三笠山は
        「若草山」をさすことも多い
 ↓↑
 畝火(うねび)・・・・形状は火の走る尾根の波形
 ↓↑        畝⇔亠=音(オン)の略字
           田⇔口十=國(くに)
                拾(ひろう)
                 (卑陋)
                足(たりる)
                かる=珂瑠
                デン=出武
            久⇔ノ-人=カミ差示の人
          「うねば=羽根場」
          「うねび=得音美」
          「うねぶ=有音部」
          「うねべ=婇⇔采女部」
          「うねぼ=謳音模」
 ↓↑       「うねる=雨音留」⇔波・浪
 雄々(をを)しと・・・男らしい猛(犭孟)人
 ↓↑        孟=子(一了・始終)+皿
             皿(円形・十二支)の
             子(鼠)=始まり
             兄弟姉妹の最年長者
             かしら・はじめ
             とりとめがない
             甚(はなは)だしい
 ↓↑          おろそか(疎・怠慢)
 耳成(みみなし)と
 ↓↑・・・天神山・耳梨山・耳高
      青菅(あおくだ)山
     「耳の形を成している山」
     「みみ=境界・境目
         縫い針の孔(穴)を
         針の耳=目処(めど)
         うわさ・評判の意」
     「みみ=身身=その身その身
            人それぞれの身
            各々の身体・肉体
         「みみとなる=出産する
          身が二つになること
          骨肉分離?⇔生き別れ
          骨肉离散=肉親が離れ離れ
          骨肉相残=骨肉相食む
 ↓↑  しみみに=副詞で
          隙間なく
          びっしりと詰まって
    「耳なし=耳無し」
         そらみみ(空耳)
         実際にはない音や声が
         聞こえたように思うこと
         聞いているのに
         聞こえないふりをする
        「空耳を走らす」
        「空耳を使う」
         外国語などが同音の
         日本語に聴こえる=空耳
 ↓↑      耳鳴(みみなり)=幻聴
 相(あひ)争ひき
 神代より
 かくにあるらし
 古(いにしえ)も
 しかにあれこそ
 うつせみも
 妻を(乎=か⇔が)・・・女が
             男の多角関係で
 争ふらしき・・・・・・・女同士で争う?
 ↓↑
 香具山(かぐやま・女)は、
 畝傍山(うねびやま・男)恋しと
 耳成山(みみなしやま・女)と
 争った・・・
 神代の昔からだから
 今の世の中でも
 「つま=夫(おっと・男)」を
 めぐって争うのだ・・・
 ↓↑
 「空蝉・空蟬・虚蝉・虚蟬」
 「うつしおみ(現人)」の転
 「うつそみ」とも
 「空蟬」は当て字?・・・空=穴+工
  ↓↑         虚=虍+业
             蟬=中+ム+單
               單=国々甲一
            せみ=世巳
  この世の人
  生きている人間・・・なぜ、セミなんだか?
ーーーーー
 尓=ノ一+小(亅八)
   小=しょうがしら・なおがしら・ちいさい
  =なんじ・しかり・その・のみ
   ジ・ニ
  「近くにいる相手をさす第二人称のことば
   しかり・しかる・それ・その
   近くにある事物や前に述べた事物
   事がらを示す言葉
   それ・そのような・しかり
   そうだと肯定する言葉
   形容詞につく助詞で
   もと、そのようなの意を含む
   のみ
   文末につけて断定の語気をあらわす助詞
   耳(ノミ)・而已(ノミ)と訓読し
   上文をまとめて
   以上のとおりであると締めくくる言葉
   雅言にちかいとの意」
   雅言=洗練された上品な言葉
      正しいとされる優雅な言葉
      →俗言→俚言(リゲン)
 ↓↑
 爾・尓=なんじ
     近くにいる相手を指す第二人称の言葉
     爾汝・汝
     しかり・しかる・それ・その
     近くにある事物や
     前に述べた事物、事柄を示す言葉
     それ・そのような
     然=しかり・そうだと肯定する言葉
     形容詞につく助詞
     「そのような」の意を含んでいた
     「徒爾・卓爾・莞爾
     のみ=限定・断定の助字
 ↓↑
 異体字=爾(正字)
 異体字=尔・爾・尒・伱・你・儞・您
 類 字⇔「弥=彌(彌生)」
     「祢=禰(宿禰)」
     「称=禾+爫+冉=禾+尓(爯)」
 ↓↑
 爾後=ジゴ
    こののち・そののち
    それ以来・以後
 爾今=ジコン
    今から・この後・今後
    自今
 ↓↑
 爾汝=ジジョ
    遠慮なく呼び捨てにする
    爾汝の間柄
    爾汝の交わり
    互いに相手を呼び捨てにするほど
    仲のよいつきあい
 ↓↑
 爾余=ジヨ
    このもの以外・そのほか
    自余
 ↓↑
 爾来=ジライ
    それ以来・それ以後・その後
    爾余の問題
 ↓↑
 爾=なんじ
   おまえ・そち
   目下の人、親しい人を呼ぶ語
   爾、姦淫するなかれ
   「汝・乃」とも
 ↓↑
 云爾=ウンジ
    文章の末尾に書かれ
    上文の内容を強調指示する
    「これにほかならぬ」の意
    「しかり・しかいう」と訓
 ↓↑
 温文爾雅=オンブンジガ
      態度や表情が穏やかで
      言動が正しく美しいこと
      爾雅=文章、言語、風俗
         などが柔らかく美しいこと
      「温文、雅(ガ)に爾(ちか)し」
      「爾雅温文・温文儒雅」とも
 ↓↑
 莞爾=カンジ
    にっこりと笑うようす
    特に男に用いられる
    「莞爾として笑う」
    女の場合は
    「嫣然(エンゼン)=艶然」
 ↓↑
 自然法爾=ジネンホウニ
      親鸞の絶対他力を説明した語
      阿弥陀仏に帰依し念仏を
      唱えようとする心が
      人々の主体性からではなく
      阿弥陀仏の誓願の力によって
      生じてくる・・・
 ↓↑
 蠢爾=シュンジ
    虫のうごめき
    蠢然
    取るに足らぬものがさわぐさま
    「不満分子が蠢爾・蠢動」
 ↓↑
 卒爾・率爾=ソツジ
       言動が突然なこと
       にわかで、軽率なこと
       「卒然・率然」
 ↓↑
 卓爾=タクジ
    高くぬきんでて
    ひときわ優れているさま
 ↓↑
 徒爾=トジ
    むだなこと・むだ。
    「徒爾に終わる」
    「徒事とじ」
 ↓↑
 聊爾=リョウジ
    軽はずみなこと
    軽々しくいいかげん
    ぶしつけなこと・失礼
    「聊爾ながらおたずねします」
 ↓↑
 「爾=帀+八+㸚(リ)」
   「㸚=爻(乄乂)+爻(乄乂)」
     「乄=示・メ」+「乂=刈・〆」?
   「爽=爽快」
  「一本の横棒=-(陽爻)
   間の空いた横棒=- -(陰爻)」
  「爻を縦に三つ組み合わせて卦を表し
   爻は陰陽の2通りがあり
   三爻で八卦を表す
   陽爻を九、剛、陰爻を六、柔ともいう」
 「爻=交わる形を表す意符
    希では布の縫い目
    「爻+子=孝」は千木形式の建物
    駁は毛の色の交じる樣」
 「爾」を
 「なんじ・その」などのように用いるのは
  仮借・・・
 ↓↑
 字体
 『説文解字』で
 「爾」と「尒」は別字
 「尒」を「爾」の古文とした
 「尒」は「爾」の
 「冂」と「㸚」を省略したもの
 「爾」が正字
 「爾」を含む
 「禰・祢・邇・彌・弥・璽」
 「尓(ノ-亅八)=爾(帀八爻爻)」
 両=兩
 爾
 麗爾・靡麗
 爾=冂に従ひ、㸚に従ふ
   其の孔(あな)㸚(うるは)し
   尒(じ)を聲とし
   爽(爽快・颯爽)と同意
ーーーーー
 ・・・???・・・

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「畝傍=うねび=畝火」のヤマ・・・「恩恵(うね)さん」=「八重子さん」・・・

2018-03-09 23:08:24 | 古事記字源

 ・・・畝傍山(うねびやま)=畝火山・・・「うねびやま」・・・「恩恵(うね)」って?・・・拉致されている「八重子」さん・・・「明治、国は神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとし、山の麓に橿原神宮を興し、多武峰で奉斎してきた神武天皇の御霊を移した」・・・「畝(亠田久)=うね=畦・畆・羽根・雨音・恩恵(ウネ)」、「傍(イ旁)=かたわら」、「山(凵l)=やま=凵(カン・コン)をl(線引きで分ける)」・・・
 かんにょう(凵繞)
 かんがまえ(凵構)
 うけばこ(受け箱)
 くぼむ(凹)・欠ける(坎)
 ・・・山=凵(うけばこ)をl(仕切り)で(分ける・二分) ・・・
 ↓↑
 香具山は
 畝傍雄々しと
 耳成と
 相争ひき
 神代より
 かくにあるらし
 ↓↑
 中大兄
 近江宮に天の下知らしめし天皇
 の三山の歌・・・天智天皇なら「乙巳の変」
 13
 高山波=香具山は
 雲根火=畝傍・・・・筋骨隆々の形象・心象          
 雄男志=をおし・・・雄々しい男の志
 等=と・・・対等・同等
 耳梨=耳梨・・・みみなし・・・耳を塞ぐ
 與=と(与)・・あたえよ、と
 相諍競伎=相あらそいき・・・諍=いさかう+競伎
                 言い争う+競伎
 神代従=神代より
 如此尓有良之=斯(か)くなるらし
 古昔母=古昔(いにしへ)も
 然尓有許曽=しかなれこそ
 虚蝉毛=うつせみも
 嬬乎=嬬(つま)を
 相<挌>良思吉=相(挌)争うらしき
 ↓↑
 反歌
 14
 高山与=香具山と・・・・・高山=香具山(コウグ)
 耳梨山与=耳梨山と・・・・耳梨=耳成(阝B)=耳無・・・聾
 相之時=あひし時
 立見尓来之=立ちて見に来し
 伊奈美國波良=印南国原⇔兵庫県南部の
             加古川
             明石川二流域にまたがる野(原)
             溜め池が多い⇔用水池・灌漑池?
     伊波=いなみ・いわ=「否み・居並み」
     伊奈美=稲靡・稲尾・稲美・稲葉
         イナば・イナび・イナぶ・イナべ・イナぼ
 15
 渡津海乃=わたつみの
 豊旗雲尓=とよはたくもに
 伊理比紗之=いりひさし
 今夜乃月夜=こよひのつくよ
 清明己曽=さやにてりこそ
ーーーーーー

 畝傍山の位置
 北緯34度29分33秒
 東経135度47分05秒
 ↓↑
 寄山=よりやま
 思賸=思ひあまり(おもひあまり)
 痛文=甚も(いたも)
 為便無=すべ無み(すべなみ)
 玉手次=玉たすき(たまたすき)
 雲飛山仁=畝傍の山に(うねびのやまに)
 吾印結=われは標結ふ(われはしめゆふ)
 ↓↑
 題詞=寄山(よりやま・キザン)
 原文=思賸 痛文為便無 玉手次 雲飛山仁 吾印結
 ・・・この「原文」の漢字羅列から
    仮名での上の「ニホン語」の表現は本当なのか?
    ・・・ムリに思える・・・
 ↓↑
 万葉集で
 「瑞山(みずやま)」とも詠まれた・・・
 「瑞穂(みずほ)」・・・「豊葦原千五百秋-水穂-国」
             「大日本帝国海軍水上機母艦-瑞穂」
 「玄瑞(ゲンズイ)」・・「久坂玄瑞」
 「瑞皐(ズイコウ)」・・「高野長英」
 「畝傍山、天香久山、耳成山」は「大和三山」
 「畝傍山」は「死火山」ならば、
  ・・・「瑞山=みずやま=水山」・・・お水取りのヤマ
                    緒視亠訳理
 ↓↑
 思いあまって
 何とも仕方がなく
 畝火の山に
 私は標を結う
 たまだすき=(玉襷(タマの飾りのタスキ)
 頚(うなじ)の熱いヤマイ(病)に掛け
 頚(うなじ)=畝火(うねび)の枕詞
        ・・・畝火=畝の草焼きの火・・・焼き畑?
        ↓↑
 雲飛山仁=くもとぶやまに・・・苦も止伏(塗布)ヤマイ仁
      雲の飛ぶ山の仁
      畝傍(項の熱)の山に(うねびのやまに)
 私は印(手の印)を結ぶのである
 手の指で印を結ぶこと・その指の形
 手印=悟りや修行の内容を象徴的に示す・印契(いんげい)
    手の形を押して印としたもの・てがた
    自筆の文書・自分の署名
 標結ふ=縄などで結んで印(しるし)とした
     標示木
ーーー↓↑ーーー
 畝(うね)
 ↓↑
 畝傍(うねび)
 「田の畝」のようにくねくねした
 尾根を多く持つところから名付けられ
 記紀では、
 「畝火山・雲根火山・宇禰縻夜摩・御峯山」
 などと表記
 「慈明寺山」とも
 ↓↑
 「李 恩恵(リ・ウネ)」は
 「金賢姫(キム・ヒョンヒ)
  北朝鮮の元工作員(スパイ)
  1987年の
  大韓航空機爆破事件の実行犯
  の日本人化教育係」・・・
 「李 恩恵(リ・ウネ)」の
  朝鮮名は
 「金日成に恩恵と与えられ」・・・
 「北朝鮮による日本人拉致で
  日本から拉致された
  田口八重子さん」・・・
 1978年(昭和53年)6月29日頃拉致
 東京の飲食店員
 田口八重子は
 (1955年・昭和30年8月10日~当時22歳)
 1984年・昭和59年頃に
 平壌郊外の
 中和郡忠龍里にある
 日本人居住地で
 横田めぐみさんと
 工作員女性1名と同居・・・
ーーーー↓ー
 杉原千畝(1900~1986)・・・「千の畝」?
 ↓↑
 日本のジャーナリズムが
 「人民民主主義」の名称を省いて
 「北朝鮮」と呼称する様になって
 英語圏に於いて
 「拉致事案を Kidnap(誘拐)」
 から
 「Abduction(拉致)」へと表現を変えた
ーー↓↑ーーー


 「畝傍(うねび)」
 大日本帝国海軍の
 防護巡洋艦であったハズ・・・
 1886年(明治十九年)10月
 フランスで建造され、完成された
 日本海軍最初の軍艦
 日本に回航される途中
 同年十二月上旬
 シンガポール出発後、消息不明・・・
 艦名は奈良県の
 「畝傍山」より命名
 正式な艦名は
 「畝傍艦」・・・艦=カン
 ↓↑      カン=鑑(かがみ)=鏡
         大今水増+鑑=手本・模範?
         拉致誘拐の手本?
    鑑(かがみ)=四鏡(シキョウ)
    平安時代後期~室町時代前期までに成立
    「鏡物(かがみもの)」と呼ばれ
    『大鏡・今鏡・水鏡・増鏡』
     だい こん みず ます
    の4つの歴史物語・・・
    「モノガタリ」がナンで
    「歴史書」なんだか?
    老人が
    「昔はこんな事があったなぁ」って?
    時代順には
    「水鏡→大鏡→今鏡→増鏡」
     すい・だい・いま・ます
    『増鏡』によれば
     他に
    『弥世継(いやよつぎ)』
     (世継とは『大鏡』の別称)
    が存在していたらしい・・・
    『今鏡』以後『増鏡』以前の
    歴史を扱った・・・亡失・・・
    「四鏡」に数えられない鏡物は
    『吾妻鏡(東鑑)・後鑑』
 ↓↑ など・・・
 ↓↑
 消息不明の原因・・・「畝+α」・「α+畝」?
 対清戦争に備え
 海軍卿
 川村純義
 により出された
 軍艦船増強の建議により購入
 大甲鉄艦3隻のうちの1隻
 他の2隻はイギリス製の
 浪速
 と
 高千穂
 本艦の外見
 旧式な3檣バーク型機帆船
 防護甲板を主防御とした
 防護巡洋艦
 同年5月27日
 起工
 6月5日
 日本海軍は
 本艦を正式に
 「畝傍」と命名
 候補艦名は
 畝傍の他に、
 蜻蛉(あきつ)・・・日本
 磐余(いわれ)・・・神武天皇
 ・・・
 ↓↑
 1886年(明治十九年)4月6日
 進水
 10月18日
 「畝傍」は
 フランス人艦長
 ルフェーブル
 の指揮下
 北フランスの
 ル・アーヴル
 から
 日本へ出港
 飯牟礼俊位
 海軍大尉
 以下
 日本海軍将兵(日本側回航員)
 駐日フランス人の家族が乗船
 造船所雇用の
 フランス人乗員70数名
 によって回航
 12月3日
 寄港地
 シンガポールを
 出港
 12月14日~15日に
 横浜港到着予定だったが
 南シナ海洋上で行方不明・・・
 12月下旬
 甲鉄艦
 扶桑
 や
 海門
 が
 土佐沖~八丈島
 にかけての海面捜索を実施
 全乗客乗員計90名の消息は不明
 1887年(明治二十年)10月19日
 亡失認定
 日本は軍艦の回航に保険をかけ
 約124万5千3百円の保険金が下りた
 畝傍の代艦として防護巡洋艦
 千代田をイギリスに発注
 畝傍の同型艦となる予定だった
 防護巡洋艦
 秋津洲(横須賀海軍工廠)は
 イギリス式の巡洋艦として
 再設計・建造・・・
 日本は
 畝傍の
 建造費の残額を払う必要が無くなった
 フランスは残額を回収するため
 水雷砲艦
 千島を建造
 千島も回航中の
 1892年(明治二十五年)11月30日
 瀬戸内海でイギリス商船と衝突
 遭難(千島艦事件)
 ↓↑
 「畝傍の名」は当艦が初代で
 縁起が悪い名と言われ
 後の艦に継承されていない・・・
ーー↓↑ーー 
 杉原千畝
 (すぎはら ちうね・サンゲンセンポ)
 1900年(明治33年)1月1日
 ~
 1986年(昭和61年)7月31日
 外交官
 第二次世界大戦中
 リトアニアの
 カウナス領事館に赴任
 杉原は
 ナチス・ドイツの迫害により
 ポーランド等欧州各地から逃れてきた
 難民たちを
 1940年7月~8月
 外務省からの訓令に反して
 大量のビザ(通過査証)を発給
 およそ6,000人にのぼる避難民を救った
ーー↓↑ーー
 畝(うね・ム・モ・ボウ・ホ・せ)
   畝=亠+田+久
    =亩(簡体字)・畆(俗字)
     畑の(ridge)
     織物・編み物の(rib)
      畝目返し(うのめがえし)
          雨根目かえし
          有音目返し
          采 女カエシ
     畝(せ・面積の単位・三十歩
       約1アール(1辺が10mの正方形)
ーー↓↑ーー
 畦(あぜ・ケイ)
 ↓↑  畦=田+圭(土土・十一十一)・・・α+圭
                桂・蛙・挂・硅・珪・跬・鮭
                桂小五郎=乞食=木戸孝允?
     圃畦(ホケイ)・野畦(ヤケイ)
     畦から行くも田から行くも同じ
     (手段や方法が違っても
      同じ結果になる
      結局、行き着く所は同じ)
     田=「口+十」
      =口+〆る
      =口を閉じる・・・?
 ↓↑  畦塗り=田打ちのあと、
         くろぬり
       畦=水田の区画を成すと同時に
         泥土のきめ細かさによって
         水漏れを防ぐ方法でもある
         畦畔(ケイハン)
         泥畦(デイケイ・ネイケイ?)
 ↓↑      ↓↑
         mire(マァィア(ル))
           =ぬかるみ・泥沼

          ミオ(mio)=澪=水路=水脈・・・みゃく
 ↓↑       ↓↑
          mi-rror=ミラー=かがみ・鏡
 ↓↑       ↓↑
          mire
         沼地・ぬかるみにはまる
         窮地、苦境に陥る
         沼地
         窮地=sink in deep mire
         深い泥沼に沈む
         be in the mire
         にっちもさっちも
         いかなくなっている
     畦道(あぜみち)
     畦目(うなめ)
 ↓↑  畷(田の中の細道・あぜ道
       なわてじ・なわて道
       まっすぐな長い道)
     畔(ほとり・滸・湖畔)
     略(ほぼ・リャク)
       領土を経営する・経略
       筋道を立てた計画
       英略・機略・計略・才略・策略
       商略・政略・戦略・知略・武略
       謀略
 ↓↑    ↓↑
       略
       他の領分に踏み込み、奪い取る
       略奪・攻略・劫略・殺略・侵略
       はぶく
       下略・省略・前略・中略
       細部をはぶいて
       簡単にしてあること
       大体のところ・あらまし
       略字・略式・略称・略図・略歴
       概略・簡略
       略する=全体のうち一部分をはぶく
       一部を省(はぶ)いて簡単にする
       省略する
       かすめとる・うばう・攻略
       略称
ーー↓↑ーーー↓↑ーー
   畝=畦(あぜ・うね)
     田と田の間に土を盛って作った境界
     敷居や鴨居(かもい) の
     溝と溝との間にある仕切り
    「畔」とも書く
     畦目(うなめ)・畦(うね)
  畦(あぜ・うね)
    畦=田+圭
     線状に幾筋もの高低があること
     畔=あぜ=塍
ーー↓↑ーー↓↑ーー
    ・・・小泉八雲の「鏡の少女」・・・
ーー↓↑ーー
 春畝(畦)・・・「うね」・・・伊藤博文=号は春畝・・・

コメント
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