・・・畝傍山(うねびやま)=畝火山・・・「うねびやま」・・・「恩恵(うね)」って?・・・拉致されている「八重子」さん・・・「明治、国は神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとし、山の麓に橿原神宮を興し、多武峰で奉斎してきた神武天皇の御霊を移した」・・・「畝(亠田久)=うね=畦・畆・羽根・雨音・恩恵(ウネ)」、「傍(イ旁)=かたわら」、「山(凵l)=やま=凵(カン・コン)をl(線引きで分ける)」・・・
かんにょう(凵繞)
かんがまえ(凵構)
うけばこ(受け箱)
くぼむ(凹)・欠ける(坎)
・・・山=凵(うけばこ)をl(仕切り)で(分ける・二分) ・・・
↓↑
香具山は
畝傍雄々しと
耳成と
相争ひき
神代より
かくにあるらし
↓↑
中大兄
近江宮に天の下知らしめし天皇
の三山の歌・・・天智天皇なら「乙巳の変」
13
高山波=香具山は
雲根火=畝傍・・・・筋骨隆々の形象・心象
雄男志=をおし・・・雄々しい男の志
等=と・・・対等・同等
耳梨=耳梨・・・みみなし・・・耳を塞ぐ
與=と(与)・・あたえよ、と
相諍競伎=相あらそいき・・・諍=いさかう+競伎
言い争う+競伎
神代従=神代より
如此尓有良之=斯(か)くなるらし
古昔母=古昔(いにしへ)も
然尓有許曽=しかなれこそ
虚蝉毛=うつせみも
嬬乎=嬬(つま)を
相<挌>良思吉=相(挌)争うらしき
↓↑
反歌
14
高山与=香具山と・・・・・高山=香具山(コウグ)
耳梨山与=耳梨山と・・・・耳梨=耳成(阝B)=耳無・・・聾
相之時=あひし時
立見尓来之=立ちて見に来し
伊奈美國波良=印南国原⇔兵庫県南部の
加古川
明石川二流域にまたがる野(原)
溜め池が多い⇔用水池・灌漑池?
伊波=いなみ・いわ=「否み・居並み」
伊奈美=稲靡・稲尾・稲美・稲葉
イナば・イナび・イナぶ・イナべ・イナぼ
15
渡津海乃=わたつみの
豊旗雲尓=とよはたくもに
伊理比紗之=いりひさし
今夜乃月夜=こよひのつくよ
清明己曽=さやにてりこそ
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畝傍山の位置
北緯34度29分33秒
東経135度47分05秒
↓↑
寄山=よりやま
思賸=思ひあまり(おもひあまり)
痛文=甚も(いたも)
為便無=すべ無み(すべなみ)
玉手次=玉たすき(たまたすき)
雲飛山仁=畝傍の山に(うねびのやまに)
吾印結=われは標結ふ(われはしめゆふ)
↓↑
題詞=寄山(よりやま・キザン)
原文=思賸 痛文為便無 玉手次 雲飛山仁 吾印結
・・・この「原文」の漢字羅列から
仮名での上の「ニホン語」の表現は本当なのか?
・・・ムリに思える・・・
↓↑
万葉集で
「瑞山(みずやま)」とも詠まれた・・・
「瑞穂(みずほ)」・・・「豊葦原千五百秋-水穂-国」
「大日本帝国海軍水上機母艦-瑞穂」
「玄瑞(ゲンズイ)」・・「久坂玄瑞」
「瑞皐(ズイコウ)」・・「高野長英」
「畝傍山、天香久山、耳成山」は「大和三山」
「畝傍山」は「死火山」ならば、
・・・「瑞山=みずやま=水山」・・・お水取りのヤマ
緒視亠訳理
↓↑
思いあまって
何とも仕方がなく
畝火の山に
私は標を結う
たまだすき=(玉襷(タマの飾りのタスキ)
頚(うなじ)の熱いヤマイ(病)に掛け
頚(うなじ)=畝火(うねび)の枕詞
・・・畝火=畝の草焼きの火・・・焼き畑?
↓↑
雲飛山仁=くもとぶやまに・・・苦も止伏(塗布)ヤマイ仁
雲の飛ぶ山の仁
畝傍(項の熱)の山に(うねびのやまに)
私は印(手の印)を結ぶのである
手の指で印を結ぶこと・その指の形
手印=悟りや修行の内容を象徴的に示す・印契(いんげい)
手の形を押して印としたもの・てがた
自筆の文書・自分の署名
標結ふ=縄などで結んで印(しるし)とした
標示木
ーーー↓↑ーーー
畝(うね)
↓↑
畝傍(うねび)
「田の畝」のようにくねくねした
尾根を多く持つところから名付けられ
記紀では、
「畝火山・雲根火山・宇禰縻夜摩・御峯山」
などと表記
「慈明寺山」とも
↓↑
「李 恩恵(リ・ウネ)」は
「金賢姫(キム・ヒョンヒ)
北朝鮮の元工作員(スパイ)
1987年の
大韓航空機爆破事件の実行犯
の日本人化教育係」・・・
「李 恩恵(リ・ウネ)」の
朝鮮名は
「金日成に恩恵と与えられ」・・・
「北朝鮮による日本人拉致で
日本から拉致された
田口八重子さん」・・・
1978年(昭和53年)6月29日頃拉致
東京の飲食店員
田口八重子は
(1955年・昭和30年8月10日~当時22歳)
1984年・昭和59年頃に
平壌郊外の
中和郡忠龍里にある
日本人居住地で
横田めぐみさんと
工作員女性1名と同居・・・
ーーーー↓ー
杉原千畝(1900~1986)・・・「千の畝」?
↓↑
日本のジャーナリズムが
「人民民主主義」の名称を省いて
「北朝鮮」と呼称する様になって
英語圏に於いて
「拉致事案を Kidnap(誘拐)」
から
「Abduction(拉致)」へと表現を変えた
ーー↓↑ーーー
「畝傍(うねび)」
大日本帝国海軍の
防護巡洋艦であったハズ・・・
1886年(明治十九年)10月
フランスで建造され、完成された
日本海軍最初の軍艦
日本に回航される途中
同年十二月上旬
シンガポール出発後、消息不明・・・
艦名は奈良県の
「畝傍山」より命名
正式な艦名は
「畝傍艦」・・・艦=カン
↓↑ カン=鑑(かがみ)=鏡
大今水増+鑑=手本・模範?
拉致誘拐の手本?
鑑(かがみ)=四鏡(シキョウ)
平安時代後期~室町時代前期までに成立
「鏡物(かがみもの)」と呼ばれ
『大鏡・今鏡・水鏡・増鏡』
だい こん みず ます
の4つの歴史物語・・・
「モノガタリ」がナンで
「歴史書」なんだか?
老人が
「昔はこんな事があったなぁ」って?
時代順には
「水鏡→大鏡→今鏡→増鏡」
すい・だい・いま・ます
『増鏡』によれば
他に
『弥世継(いやよつぎ)』
(世継とは『大鏡』の別称)
が存在していたらしい・・・
『今鏡』以後『増鏡』以前の
歴史を扱った・・・亡失・・・
「四鏡」に数えられない鏡物は
『吾妻鏡(東鑑)・後鑑』
↓↑ など・・・
↓↑
消息不明の原因・・・「畝+α」・「α+畝」?
対清戦争に備え
海軍卿
川村純義
により出された
軍艦船増強の建議により購入
大甲鉄艦3隻のうちの1隻
他の2隻はイギリス製の
浪速
と
高千穂
本艦の外見
旧式な3檣バーク型機帆船
防護甲板を主防御とした
防護巡洋艦
同年5月27日
起工
6月5日
日本海軍は
本艦を正式に
「畝傍」と命名
候補艦名は
畝傍の他に、
蜻蛉(あきつ)・・・日本
磐余(いわれ)・・・神武天皇
・・・
↓↑
1886年(明治十九年)4月6日
進水
10月18日
「畝傍」は
フランス人艦長
ルフェーブル
の指揮下
北フランスの
ル・アーヴル
から
日本へ出港
飯牟礼俊位
海軍大尉
以下
日本海軍将兵(日本側回航員)
駐日フランス人の家族が乗船
造船所雇用の
フランス人乗員70数名
によって回航
12月3日
寄港地
シンガポールを
出港
12月14日~15日に
横浜港到着予定だったが
南シナ海洋上で行方不明・・・
12月下旬
甲鉄艦
扶桑
や
海門
が
土佐沖~八丈島
にかけての海面捜索を実施
全乗客乗員計90名の消息は不明
1887年(明治二十年)10月19日
亡失認定
日本は軍艦の回航に保険をかけ
約124万5千3百円の保険金が下りた
畝傍の代艦として防護巡洋艦
千代田をイギリスに発注
畝傍の同型艦となる予定だった
防護巡洋艦
秋津洲(横須賀海軍工廠)は
イギリス式の巡洋艦として
再設計・建造・・・
日本は
畝傍の
建造費の残額を払う必要が無くなった
フランスは残額を回収するため
水雷砲艦
千島を建造
千島も回航中の
1892年(明治二十五年)11月30日
瀬戸内海でイギリス商船と衝突
遭難(千島艦事件)
↓↑
「畝傍の名」は当艦が初代で
縁起が悪い名と言われ
後の艦に継承されていない・・・
ーー↓↑ーー
杉原千畝
(すぎはら ちうね・サンゲンセンポ)
1900年(明治33年)1月1日
~
1986年(昭和61年)7月31日
外交官
第二次世界大戦中
リトアニアの
カウナス領事館に赴任
杉原は
ナチス・ドイツの迫害により
ポーランド等欧州各地から逃れてきた
難民たちを
1940年7月~8月
外務省からの訓令に反して
大量のビザ(通過査証)を発給
およそ6,000人にのぼる避難民を救った
ーー↓↑ーー
畝(うね・ム・モ・ボウ・ホ・せ)
畝=亠+田+久
=亩(簡体字)・畆(俗字)
畑の(ridge)
織物・編み物の(rib)
畝目返し(うのめがえし)
雨根目かえし
有音目返し
采 女カエシ
畝(せ・面積の単位・三十歩
約1アール(1辺が10mの正方形)
ーー↓↑ーー
畦(あぜ・ケイ)
↓↑ 畦=田+圭(土土・十一十一)・・・α+圭
桂・蛙・挂・硅・珪・跬・鮭
桂小五郎=乞食=木戸孝允?
圃畦(ホケイ)・野畦(ヤケイ)
畦から行くも田から行くも同じ
(手段や方法が違っても
同じ結果になる
結局、行き着く所は同じ)
田=「口+十」
=口+〆る
=口を閉じる・・・?
↓↑ 畦塗り=田打ちのあと、
くろぬり
畦=水田の区画を成すと同時に
泥土のきめ細かさによって
水漏れを防ぐ方法でもある
畦畔(ケイハン)
泥畦(デイケイ・ネイケイ?)
↓↑ ↓↑
mire(マァィア(ル))
=ぬかるみ・泥沼
ミオ(mio)=澪=水路=水脈・・・みゃく
↓↑ ↓↑
mi-rror=ミラー=かがみ・鏡
↓↑ ↓↑
mire
沼地・ぬかるみにはまる
窮地、苦境に陥る
沼地
窮地=sink in deep mire
深い泥沼に沈む
be in the mire
にっちもさっちも
いかなくなっている
畦道(あぜみち)
畦目(うなめ)
↓↑ 畷(田の中の細道・あぜ道
なわてじ・なわて道
まっすぐな長い道)
畔(ほとり・滸・湖畔)
略(ほぼ・リャク)
領土を経営する・経略
筋道を立てた計画
英略・機略・計略・才略・策略
商略・政略・戦略・知略・武略
謀略
↓↑ ↓↑
略
他の領分に踏み込み、奪い取る
略奪・攻略・劫略・殺略・侵略
はぶく
下略・省略・前略・中略
細部をはぶいて
簡単にしてあること
大体のところ・あらまし
略字・略式・略称・略図・略歴
概略・簡略
略する=全体のうち一部分をはぶく
一部を省(はぶ)いて簡単にする
省略する
かすめとる・うばう・攻略
略称
ーー↓↑ーーー↓↑ーー
畝=畦(あぜ・うね)
田と田の間に土を盛って作った境界
敷居や鴨居(かもい) の
溝と溝との間にある仕切り
「畔」とも書く
畦目(うなめ)・畦(うね)
畦(あぜ・うね)
畦=田+圭
線状に幾筋もの高低があること
畔=あぜ=塍
ーー↓↑ーー↓↑ーー
・・・小泉八雲の「鏡の少女」・・・
ーー↓↑ーー
春畝(畦)・・・「うね」・・・伊藤博文=号は春畝・・・