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コジキジゲン

「虎列剌・虎烈刺・虎列拉・コロリ(虎狼痢)・コレラ菌(Vibrio cholerae)」の研究者

2020-04-07 15:26:13 | 古事記字源
 ・・・「おほとり=大鳥=鳳=鴻」・・・おおとりの羽・翼・・・の形象
 両翼の「ツバサ」は「ヒゲ」・・・
 「カイザル髭(ひげ)=鬚・髯・鬍・須」に似ている・・・
        卑下・日下・比解
 ↓↑      ↓↑
 蛮社の獄(バンシャのゴク)・・・版者の語句?
 天保十年(1839年)五月(皐月)
 鳥居耀蔵・・・言論弾圧事件
 ↓↑
 おおとり 死去 明治44年(1911年)6月15日
           ・・・一九一一・拾九拾壱
                 陸(理句)解通
                 拾五(語)邇知
  ↓↑      ↓↑
 オットー・エドゥアルト
 ・レオポルト・フォン
 ・ビスマルク=シェーンハウゼン
 (Otto Eduard・・・於菟=オト=虎=寅
   Leopold
   von
   Bismarck-Schönhausen)
 1815年4月1日
 ~
 1898年7月30日(83歳没)
        大運1893年3月(77歳)~1903年
                 辛┏未傷官
 乙┏亥(戊甲壬)正官・偏財 絶⇔ 戊┣戌比肩
 己┣卯(甲 乙)劫財・正官沐浴⇔┏己┏未劫財
 戊┣寅(戊丙甲)  ・偏官長生⇔┗甲┗午偏官
 戊┗午(丙 丁)比肩・印綬帝旺⇔ 庚┗午食神
   申酉空亡
  ↓↑
 半会(年月)亥卯=乙
 半会(日時)寅午=丙
 支合(年日)亥寅=甲
 支破(年日)亥寅=甲
 支破(月時)卯午
  ↓↑
 出生地 プロイセン
 Flagge Preußen
     Provinz Sachsen.svg
 ザクセン県・シェーンハウゼン
  ↓↑
 1865年~
 ビスマルク=シェーンハウゼン伯爵
 1871年~
 ビスマルク侯爵
 1890年~
 ラウエンブルク公爵
 1815年4月1日~1898年7月30日
 プロイセン、ドイツの政治家、貴族
 プロイセン王国首相(在職1862年~1890年)
 北ドイツ連邦首相(在職1867年~1871年)
 ドイツ帝国首相(在職1871年~1890年)
 「鉄血宰相(Eiserne Kanzler)」
  ↓↑
 プロイセン東部の
 地主貴族ユンカーの出身
 代議士・外交官を経て
 1862年
 プロイセン国王
 ヴィルヘルム1世から
 プロイセン首相に任命
 軍制改革
 ドイツ統一戦争に乗り出した
 1867年
 普墺戦争で勝利
 北ドイツ連邦を樹立
 1871年
 普仏戦争の勝利で
 南ドイツ諸国も取り込んだ
 ドイツ帝国樹立
 プロイセン首相、ドイツ帝国首相を兼務
 文化闘争や社会主義者鎮圧法
 などで
 反体制分子を取り締まり
 諸制度の近代化改革敢行
 全国民強制加入の
 社会保険制度を実施
 ヨーロッパに
 「ビスマルク体制」
 構築
  ↓↑      ↓↑
 ・・・再試行・・・
  ↓↑
 「翁(おきな)」とは・・・・graybeard, old man, greybeard, methuselah
          venerable(神々しい・尊い) sage(聖人・セイジ⇔政治)
          植物, 植物学=セージ・薬用サルビア・サルビア属の総称.
          セージ=薬用・香味料
           スカボローフェア Simon & Garfunkel
          セイジ=強さと忍耐力
 何故、
 「翁=公+羽」なんだか?
 「オキナの話」・・・「オキナの把」
 「オキナのワ」・・・「大木名の環」
 「沖縄・隠岐那波」・「大木の縄」
  ↓↑     ↓↑
 「トリの首筋の羽毛」
 「翁=公+羽」・・・「八ムの両翼」
  ↓↑      ↓↑
 「なよ竹」・・・弱竹(なよたけ)
        「なよだけ」
         細くてしなやかな竹
         女竹 (めだけ) の別名
         なゆたけ

 「なよ竹」・・・「名與・名余・名予」タケ
         舅=シュウト=囚徒・宗徒
         岳父=嶽父・妻の父・岳翁
            義親
         岳翁
         文明(1469~87)から
         永正(1504~21)にかけて活躍
        「周文」系統の水墨画法の 
         画僧
         ガクフ=画譜
 ↓↑   ↓↑   ↓↑
     725年
     唐の玄宗が
     泰山(道教の聖山「五岳」の一)
     で「封禅の儀」をとり行った時
     玄宗はその総責任者に
     宰相の張説を任命し
     張説の娘婿である
     鄭鎰(テイイツ)の役職階級が
     九品官から五品官に四階級も特進
     鄭鎰の制服の色が変わっているのを
     玄宗がその経緯を質問したところ
     鄭鎰は巧く答えられず
     宮廷音楽芸人の
     黄旛綽(コウハンシャク)が機転を利かし
    「これは泰山の力のなせるワザです」
     と答えた・・・
    「岳父の嶽=泰山」の事
     黄旛綽は、「泰山」の名を挙げることで
     義理の父
     張説を掛けた・・・
     ↓↑
     舅
     夫または妻の父
     舅御・舅親・義父・義理の父
     岳父・岳翁・岳丈・婦翁・外舅
     丈人・阿翁・舅姑
     シュウト=姑・州都・宗徒・囚徒・衆徒
 の
 「なよ竹」
  の
 「かぐや姫」・・・「輝・耀・赫」
       ・・・「熔岩」
 「迦具夜比売」命
 十一代天皇 垂仁天皇の妃
  ↓↑
 「御室戸(みむろど)・・・三室戸
  斎部(いんべ)の秋田」に命名された・・・
 斎部(いんべ)=忌部氏(いんべし)
 「奈良県斑鳩町に住んでいた
  朝廷の祭祀を司る氏族」
  ↓↑
 タケの子=bamboo(竹)+ sprout(新芽・芽・スプラウツ・スプラァゥトゥ)
  splash=スプラッシュ=はねかす・飛び散らす・はねかかる・派手~
  scream(スクリーム) about=叫び声・悲鳴・派手に~
 The mud splashed my face.
  ↓↑
 竹(たけ・チク)
   英語バンブー. bamboo
   ドイツ語. バンブス. Bambus
   フランス語. バンブー. bambou
   イタリア語. バンブ. バンブー. bambu
   西語バンブー. bambu
   羅語. アルンドー・インディカ. arundo Indica
   希語. カラモス・インディコス
   露語. バムブーク. бамбук
   中語. チューツー. 竹子
   韓語. デナム
   オランダ語. バンブー. bamboe
   ポルトガル語. バンブー. bambu
   ↓↑
  「タケノコ=bamboo sprout(竹+新芽・芽)」
        bamboo shoot・bamboo sprout
  ↓↑
 木本(木)のように
 茎(稈)が木質化する種の総称
  ↓↑
 狭義にはササ(笹)と区別され
 稈が成長するとともに
 それを包む
 葉鞘(竹皮)が
 早く脱落してしまうものをタケ
 枯れるまで稈に葉鞘が残るものをササ
  ↓↑
 竹皮の着生
 タケは生育後
 落下するが
 ササは生育後も着生
  ↓↑
 葉の形態
 タケは格子目
 ササにはそれがなく
 縦に伸びる平行脈
  ↓↑
 開花
 タケは約120年周期
 ササは40年~60年周期
 開花後には枯死
  ↓↑
 年輪は無し
 木本類のように堅くなる
 通常の木本と異なり
 二次肥大成長はせず
 草本(草)の特徴
 タケが
 草本か、木本かの意見が分かれる
  ↓↑
 タケ類
 熱帯性木本タケ類
 温帯性木本タケ類
 2系統
 生育型が大きく異なる
 タケは狭義には
 ササと区別され
 稈が成長するとともに
 それを包む
 葉鞘が早く脱落してしまうものをタケ
 枯れるまで稈に葉鞘が残るものをササ
  ↓↑
 地下茎を広げ
 生息域を広げる
 花が咲くことは極めてまれ
 花が咲くときは
 4月~5月
 一部のタケ類は
 周期的に開花し一斉に枯れる
 ハチク
 マダケ
 の場合は約120年周期
 周期が分かっていない種類も多
  ↓↑
 ピークの時は1日で1メートル以上成長
 地下茎が地面を広く覆うことから
 がけ崩れには強いが
 強風、地滑り、病気などには弱い
  ↓↑
 硬さと柔軟さを備え
 様々な用途に使われてきた
  ↓↑
 タケの芽を筍、食用
 葉を
 ジャイアントパンダは主食
  ↓↑
 モウソウチクを除く種の多くは
 限られた地域でしか生育しない
  ↓↑
 月夜にカラス・・・闇夜にカラス
 月夜にガン・・・・満月にガン
 月・太陽・地球が一直線
 潮汐(チョウセキ)・・・鳥跡・・・長英・三英・崋山
 弐千弐拾年四月四日
 満月(望)、新月(朔)に高潮、大潮、落潮、低潮・・・

  ↓↑
 蛮社の獄(バンシャのゴク)・・・版者の語句?
 天保十年(1839年)5月
 「言論弾圧事件」
 渡辺崋山
 高野長英
 小関三英
  ↓↑
 鳥居耀蔵
 寛政八年十一月二十四日
 1796年12月22日
 ~
 明治六年
 1873年10月3日
        大運1871年6月(74歳)~1881年
                 戊 申正財
  丙┏辰(乙癸戊)傷官・正財冠帯⇔癸┏酉
 ┏庚┣子(壬 癸)正官・偏印 病⇔辛┗酉
 ┗乙┗丑(癸辛己)  ・偏財 衰⇔戊┏子
  壬 午(丙 丁)印綬・偏財長生⇔戊┗午
    戌亥空亡
   ↓↑
 「紅白歌合戦」の「おおトリ」・・・最後の歌手・・・
 「大鳥の=おほとり‐の」
 「枕詞・大鳥の両翼が重なり合う
     羽交いの意から・・・鳥の左右の翼が重なる所=胸の下
     地名の
     羽易 (はがひ)
     にかかる・・・
 「大鳥の羽易の山に〈万・二一〇〉」
  ↓↑
 「おおとり
  大鳥・・・giant bird・large bird
  鵬・・・・Chinese phoenix
  鳳」
  ↓↑
  鸛(コウノトリ)
  鶴(ツル)
  白鳥(ハクチョウ)
  など、大形の鳥の総称
  古くは、主にコウノトリをいう
  想像上の鳥・・・白鵬・大鵬・火の鳥
  鵬=「荘子」逍遥遊に見える
     鵬 (ホウ) という巨大な鳥
  鳳=鳳凰 (ホウオウ) 
  ↓↑
  large bird
  (鵬) peng
  (in Chinese mythology,
   giant bird said
    to transform from a fish)
  ↓↑
  (esp. 鳳 and 凰
     as male and female respectively)
   fenghuang (Chinese phoenix)
    esp=especially=特に・トリわけ
   ESP=超感覚的知覚 (extrasensory perception)
   respectively=各々・各自・其々・夫々
   respect=尊敬・敬意
  ↓↑
 「蝦夷
  共和国(リパブリック)」
 1868年11月
 榎本軍が箱館を占領
 1868年
 11月4日
 英軍艦サトライト
 フランス軍艦ヴェニウス
 は
 英公使
 ハリー・パークス
 より訓令を与えられ
 英国公使館書記官
 アダムズを同行させて箱館に入港
 11月5日
 現地の
 英仏領事
 と
 両艦の艦長が会同うち合わせ
 箱館港を管理する
 箱館奉行
 永井尚志に来てもらい
 英仏艦艦長の会同の最中
 榎本艦隊 旗艦
 開陽丸が
 賓客の来訪を歓迎する21発の礼砲を撃ち
 開陽丸を表敬訪問
 ↓↑
 11月8日
 榎本は
 英仏領事
 英仏艦艦長
 と会見
 公法上諒承
 会談終了後
 榎本はメモランダムを要求
 英仏艦艦長は諒承
 榎本に以下のような覚書を送って来た。
 ↓↑
 「我々は、この国内問題に関しては
  厳正中立の立場をとる」
 「交戦団体」としての特権は認めない
 「事実上の政権 Authorities De Facto」
  としては認定
ーーーーー

 大鳥 圭介(おおとり けいすけ)
 天保四年二月二十五日
 (1833年4月14日)
 ~
 明治44年
 (1911年)6月15日)
      大運1906年4月(73歳)~1916年
               戊申 食神
 癸巳(戊庚丙)正官・偏財建禄⇔辛亥 正財
 丙辰(乙癸戊)比肩・正官冠帯⇔甲午 偏印
 丙寅(戊丙甲)  ・比肩長生⇔丙辰 比肩
 甲午(丙 丁)偏印・比肩帝旺⇔甲午 偏印
  戌亥空亡
 ↓↑ 
 幕臣(歩兵奉行、幕府伝習隊長、陸軍奉行)
 医師、蘭学者
 軍事学者
 工学者、思想家、発明家
 教育者
 (工部美術学校校長、工部大学校校長
  学習院第3代院長、華族女学校校長)
 政治家、外交官、官吏
 位階勲等 正二位勲一等男爵
 別名 大鳥純彰
 幼名 慶太郎
 号  如楓(じょふう)
 家紋 鶴の丸
 播磨国
 赤穂郡
 赤松村
 (兵庫県赤穂郡上郡町岩木丙石戸)
 医師
 小林直輔の子
 ↓↑
 1833年(天保四年)
 赤穂郡
 畑念村
 小字
 石戸
 (兵庫県赤穂郡上郡町岩木丙字石戸)
 に村医者の息子として生まれた
 岡山藩
 閑谷学校
 で漢学
 赤穂・中島意庵の下で
 西洋医学
 適塾で医学を学んだ後
 大木忠益(坪井塾)で塾頭
 江川塾から教授に招聘され
 尼崎藩に仕官
 旗本
 開成所
 洋学教授から
 歩兵頭、歩兵奉行
 伝習隊を結成
 戊辰戦争で
 箱館・五稜郭を占拠
 陸軍奉行
 ↓↑
 戊辰戦争後
 入牢
 黒田清隆の尽力で赦免
 開拓使五等出仕
 明治政府入り
 大蔵小輔
 吉田清成の随行として
 大蔵少丞に就任し
 米国と英国に渡航し
 外債募集を行う
 工部省に入り公的に日本人として
 初めて
 シャム国(タイ)を訪問
 第1回内国勧業博覧会御用掛に就任
 工学寮美術学校が開校され校長
 ヘンリー・ダイアー
 を教頭に据え
 工学権頭・工学頭、工部省工作局長
 工部省工学寮工学校
 (工部大学校に改称、東京大学工学部の前身)
 初代校長
 大書記官
 兼
 参事院員
 外議官補工部技監
 第1次伊藤内閣の
 農商務大臣として転出した
 谷干城の後任として
 第3代学習院長に就任
 華族女学校校長を兼務
 外交で
 陸奥宗光
 の後ろ盾で
 清国朝鮮国駐箚公使として
 壬午事変
 甲申事変
 により悪化した
 清国の袁世凱と交渉
 ↓↑
 江戸で
 松本良順と交流し
 「コレラ」
 の治療法を研究
 ・・・「虎列剌・虎烈刺・虎列拉」
    「コロリ(虎狼痢)」
    「コレラ菌(Vibrio cholerae)」
 ↓↑
 洋式兵法を研究
 フランス式兵制
 を幕府に導入し
 伝習隊を結成
 ↓↑
 日本で初めて
 金属活字(大鳥活字)を作成
 『築城典刑』
 『砲火新論』
 などの翻訳書を出版
 蒸気船の模型を設計・製作
 日本初の
 温度計、気球を制作
 ↓↑
 漢詩や和歌にも通じ
 戊辰戦争前後の記録として
 『南柯紀行』を記し
 英国を視察した際に
 ダーウィンの
 『種の起源』を読み
 『進化論』を解説
 ↓↑
 安政四年(1857年)
 縄武館(江川塾)に兵学教授
 中浜万次郎
 に英語を学んだ
 ↓↑
 安政五年(1858年)
 服部元彰
 の紹介で故郷の領地
 尼崎藩に8人扶持で藩士
 徳島藩を経て
 安政六年(1859年)
 蕃書調所へ出仕
 翌年
 『砲科新編』翻訳出版
 日本で初の
 合金製活版を作る
 「大鳥活字」と呼ばれた
 大鳥活字を使い多数の本を出版
 ↓↑
 文久元年(1861年)十二月
 江川英敏
 の推挙により
 御鉄砲方附蘭書翻訳方出役として出仕
 ↓↑
 文久三年(1863年)八月二十日
 海陸軍兵書取調方出役
 開成所教授も兼務
 二院制議会の採用を幕府に建言
 ↓↑
 元治二年(1865年)一月二十八日
 陸軍所に出仕後
 富士見御宝蔵番格として
 正式に「幕臣」
 俸禄五十俵三人扶持の旗本
 ↓↑
 伝習隊
 慶応三年(1867年)一月
 伝習隊創設を進める
 幕府勘定奉行
 小栗忠順
 に頼み
 幕臣の
 矢野次郎、荒井郁之助、沼間守一
 らとともにこれに参加
 大鳥は
 歩兵隊長として士官教育を受け
 十月二十三日
 歩兵頭並(佐官級)
 幕府陸軍の育成や訓練
 ↓↑
 慶応四年(1868年)一月二十八日
 歩兵頭
 「鳥羽・伏見の戦い」後
 江戸城評定で
 小栗忠順
 水野忠徳
 榎本武揚
 らと共に交戦継続を強硬主張
 二月二十八日
 陸軍の最高幹部
 老中1人、若年寄2人、歩兵奉行3人
 である
 歩兵奉行に昇進
 ↓↑
 江戸開城
 四月十一日
 伝習隊を率いて江戸を脱走
 本所、市川を経て
 小山、宇都宮や
 今市、藤原、会津
 を
 松平太郎
 土方歳三
 等と合流しつつ転戦
 「母成峠の戦い」で
 伝習隊は壊滅的な損害を受け
 仙台に至る
 仙台にて
 榎本武揚
 と合流して
 蝦夷地に渡り
 箱館政権の
 陸軍奉行
 箱館戦争では
 遅滞戦術を駆使し粘り強く戦った
 明治二年(1869年)五月十八日
 五稜郭で降伏
 東京へ護送され
 軍務局糺問所へ投獄
 ↓↑
 明治五年(1872年)一月八日
 特赦で出獄後
 新政府に出仕
 左院少議官
 開拓使5等出仕を経て
 大蔵小丞の職を兼任
 欧米各国を
 開拓機械の視察と
 公債発行の交渉の為に歴訪
 ↓↑
 明治七年(1874年)三月
 帰国後
 開拓使に戻り
 陸軍大佐拝命を経て
 工部省四等出仕
 技術官僚として
 殖産興業政策に貢献
 工作局長として
 官営工場を総括し
 セメントやガラス
 造船、紡績
 などのモデル事業を推進
 勧業博覧会の審査員として
 国内諸産業の普及と民力向上に尽力
 日本初の
 工業雑誌
 「中外工業新報」を発刊
 明治十五年(1882年)
 『堰堤築法新按』翻訳
 民間草の根レベルの
 水利・ダム技術の紹介
 開拓使時代
 北海道の
 天然資源の報告書をまとめた
 ↓↑
 明治十年(1877年)
 工部大学校校長に任命
 明治十四年(1881年)十二月三日
 工部技監
 勅任官の技術最高位になる
 東京学士会院会員に任命
 明治十八年(1885年)十二月二十八日
 元老院議官に就任
 明治十九年(1886年)四月十日
 学習院院長
 兼
 華族女学校校長
 ↓↑
 明治二十二年(1889年)六月三日
 駐 清国特命全権公使を拝命
 十一月に着任
 ↓↑
 明治二十六年(1893年)七月
 朝鮮公使を兼任
 翌年六月
 朝鮮へ赴任
 大院君に対して
 朝鮮の近代化を建言
 朝鮮の反日派から
 発砲を受けた
 日清戦争開戦直前に外交交渉
 ↓↑
 明治二十七年(1894年)十月十一日
 公使解任
 帰国後
 十一月十日
 枢密顧問官
 明治三十三年(1900年)五月九日
 男爵を授けられた
 ↓↑
 明治四十四年(1911年)
 神奈川県
 足柄
 下郡
 国府津町
 の別荘で
 食道癌で死去
 享年78
ーーーーー
 ・・・???・・・「おほとり=大鳥=鳳=鴻」・・・

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ヒナゲシ=「虞美人草」・雛芥子・雛罌粟・芥子(ケシ)の科

2020-04-07 00:10:14 | 古事記字源
 弐千八百八拾八日目・・・二八八八・仁
  ↓↑
 似・二・弐・貳・貮・仁・爾・邇・・・捌(八・さばく・ベツ)・・・
「おほとり=大鳥=鳳=鴻」のケイスのケ・・・large bird
 ササ(笹・篠・筱・筿)
 イネ科タケ亜科に属する植物のうち
 その茎にあたる
 稈(かん)を 包んでいる
 葉鞘が枯れるときまで残る種の総称
  ↓↑
 「熊笹」は「隈笹」の誤字・・・?
 ・・・「ササの好きなパンダ (panda) の隈取り」・・・パンダは熊?
 熊猫(くまねこ)=panda・・・
  ↓↑    Lesser panda=red panda
       赤  パンダ  ・・・スカンク科=臭鼬?
               鼬・鼬鼠・鼪・伊多智=イタチ
               豊国(豊後・豊前)=大分
                  豊=曲+豆=豐
                  豐=山+丰+丰+豆
                    山+三+丨+三+丨+豆
                    ぶん・ブン=分
               大分県 宇佐市 江熊
               大=一+人=壹、壱、位置の比人
               分=八+刀=捌(裁く・佐幕、沙漠)
               スカンク(Skunk)=ネコ目(食肉目)
              「臭鼬(シュウユ)」=くさいイタチ
                   ↓↑     草井スカンク?
                呉の「周瑜」?・・・孫策・孫権の陪臣
                魏の「曹操」の天敵
                Red Cliff ・・・cliff=崖・断崖・絶壁
                レッド クリフ
                赤壁の戦い=赤壁之戰
                後漢末期の208年
                    (戊子=土の兄・ね
                     母子・拇指・母指・墓誌)
                     人差し指=Index finger
                     第二指・示指・食指・頭指
                  「母趾=big toe, great toe, hallex」
                長江の赤壁(湖北省・・・疫病地
                      咸寧市
                      赤壁市)
                曹操軍
                と
                孫権・「周瑜」
                劉備・「諸葛亮」
                連合軍が戦った「赤壁」
  ↓↑    ↓↑        ↓↑
                グリフ=glyph=絵文字・象形文字
                繰り符?・・・操る=あやつり=絡繰り
                      曹操・操作・操縦・操船
                グリップ=grip=つかむ・握る・把握する
  ↓↑    ↓↑        ↓↑
       Lesser panda=red panda
       スカンク科に属する哺乳類の総称スカンク科・・・
       タケやタケノコを食べるが
       小型哺乳類、鳥類の卵、昆虫、動物の死骸
       果実、地衣類なども食べる
  ↓↑    ↓↑
       英名の
      「スカンク(Skunk)」
       は・・・素「艱苦・官句・甘苦・寒苦」?
       アメリカ先住民族
       アベナキ族・・・・阿部ナキゾク?
       の言葉
      「セガンク(Seganku)」・・・施「玩具・頑愚」?
       に由来・・・
  ↓↑
 標準和名の
 「クマザサ」は
 高さが1~2mになる大型のササ
 葉は長さが20cmを越え
 幅は4~5cm
 葉に
 「隈取り」があるのが名前の由来
 隈取りは若葉にはなく
 葉が越冬するときに
 縁が枯れて隈取りになる
  ↓↑
 タケノコ医者(筍医者)
 (筍がやがて竹になり藪になる)
 技術が下手で
 未熟な藪医者にも至らぬ医者・・・
 タケとトリの物語・・・・孤立、孤独のブン・・・コロナキット・・・ガキ?
  ↓↑
 タケの中の「輝夜姫・迦具夜比売」
        ・・・家具屋比目・・・箪笥の比較
           嗅ぐ也・下愚也・加具也
           かぐ-ら=神楽
         御+神楽=みかぐら
              神をまつるために奏する舞楽
              宮中の神事芸能
              平屋にアトから継ぎ足した二階
          灰神楽=火の気のある灰の中に
           湯水をこぼしたとき
           灰が吹き上がる「灰けむり」
          「灰神楽の三太郎」
           相模太郎の浪花節の
          「森の石松」の「弟分」の映画化
           三木のり平主演

ーーーーー
 「神事芸能」
  ↓↑
 神を迎え
 その御魂を人々の体内に
 イワイ(いわい・祝い⇔磐井)込める
 ↓↑
 儀礼中に行われる歌舞
  ↓↑
 「採物 (とりもの) 神楽」
 (出雲神楽・巫女神楽)
 祭祀で、神職が手に持つ道具
 人長 (にんじょう) が
 舞うときに手に持つ
 榊 (さかき) ・幣 (みてぐら) 
 杖 (つえ) ・篠 (ささ) 
 など
  ↓↑
 「神楽歌」で
 御神楽の初めのほうで歌われる神事
 人長の舞を伴った
 榊・幣・杖・篠・弓・剣 (たち) 
 鉾 (ほこ) ・杓 (ひさご) ・葛 (かずら) 
 の
 九曲
  ↓↑
 「湯立 (ゆだて) 神楽(伊勢神楽)」
 ゆだて(湯立て)
 禊 (みそぎ) の一
 神前の大釜に湯を沸かし
 巫女や神官が
 熱湯に笹 (ささ) の葉をひたし
 自分のからだや
 参詣人にふりかける儀式
 ゆだち
  ↓↑
 「かんなぎ(巫・覡)」
 「神和 (かんな) ぎ・かむなぎ」
 神に仕えて、神楽を奏し
 神意を慰め
 神降ろし
 などをする
 「おかんなぎ(覡)」=男性
 「めかんなぎ(巫)」=女性
  ↓↑
 令制で
 神祇官の所管に五人が置かれ
 古代社会の司祭者の遺風を存し
 ↓↑
 こうなぎ
 みこ
 いちこ・・・壹子・壱子・伊茅子・伊知子
 ↓↑    伊治子・位知子・以知子
 と呼ばれる
  ↓↑
 「獅子神楽
  ししかぐら(獅子神楽)」
 獅子頭を御神体とし
 それを舞わす儀式
 しし(獅子)
 百獣の王
 lion(ライオン)・・・等意音?
 ↓↑
 高麗から伝来
 想像上の動物
 木・石・金属などで作り
 狛犬 (こまいぬ) と
 対にして・・・・・・狛犬vs獅子
           白謙 史詞  
 神社社頭などの   ↑↓ ↑↓
 左側に置いて・・・・左・・右・・・
 魔よけとした
 後世
 狛犬と混同・・・・・混同?
 ↓↑
 朝鮮の王朝の一
 936年
 「王建」・・・王の建(たける)?
 が朝鮮半島全土を統一建国
 都は開城
 13世紀に「元王朝」に服属
 1392年
 「李成桂」・・・木の子が成るカツラの木?
 に滅ぼされた
 こま=高句麗 (コウクリ)=朝鮮の異称
   「高麗-縁 (コウライ-べり) 」の略
    高麗-縁=高麗端
    畳の縁 (へり)
    白地の綾に
    雲形や菊花などの紋を黒く織り出し
    紋に大小があり
    親王・大臣などは大紋
    公卿は小紋を用いた
    後
    白麻布に
    黒の小紋を染めたもの
    高麗端=こうらい端(ばし)
  ↓↑
 「獅子頭 (ししがしら) 」の略
  猪 (いのしし) ・鹿 (しか) 
  をかたどったものも含む
  ↓↑
 「獅子舞」の略
  獅子頭をかぶって舞う民俗芸能
  大陸から伝わった
  伎楽系の二人立ちのものと
  日本古来の
  風流系の一人立ちのものとがある
  五穀豊穣
  悪魔祓い
  雨乞い
  などを目的とする
  能の舞事の一
  獅子の舞い狂うさまを写した急調子の舞
  「石橋 (しゃっきょう) 」
  「望月 (もちづき) 」
  など
  ↓↑
 「太 (だい) 神楽」
  近世初頭から
  伊勢参宮で起こった
  二人立ち(頭役と尻役)の獅子舞
  代参祈禱の清め祓いの獅子を舞わせ
  神札を授ける
  などして諸国 を巡って歩いた
  「代参」の意味から
  古くは
 「代神楽」と書いた
  後
  皇太神宮・太一
  などの美称の
 「太」を用いるようになった
  獅子神楽に分類されるが
  余興芸として
  舞い手が曲芸を演じ
  曲芸を本芸とするものも出た
  ↓↑
 「山伏神楽」
  東北地方に山伏が伝えた神楽
  同系の神楽を日本海岸の
  秋田・山形で「番楽(ばんがく)」
  青森で「能舞(のうまい)」
  宮城で「法印神楽(ほういんかぐら)」
  などとも呼ぶ
  古くは山伏の一団が
  農閑期や正月に
  権現様と呼ぶ
  獅子頭を神座として奉じ
  檀家の家々をまわって
  火伏せ
  悪魔祓い
  の祈禱をした
  その夜
  民家のひと間を舞台に借り
  後方に幕を張って
  数番から数十番の
  古風な能や
  激しい舞、狂言などを演じた

 ↓↑
 散楽(サンガク)
 奈良時代
 中国から渡来した雑芸(ぞうげい)
 軽業・曲芸・奇術・滑稽物真似
 相撲(すまい)の節会(せちえ)
 競(くらべ)馬
 御神楽(みかぐら)などに行われた
 後
 田楽・猿楽
 などに受け継がれ
 「猿楽能」になった・・・
  ↓↑
 大陸からの伝来芸能
 物まね・軽業・曲芸・幻術
 など娯楽的な見世物芸で
 「百戯・雑技」とも
 日本にも
 俳優(わざおぎ)
 侏儒(ひきうど)
 の芸能が宮廷に集中されたが
 伝わった散楽は
 令制で
 散楽戸で伝習
 軽業や曲芸
 奇術や幻術
 滑稽・物まね
 の三つがおもな内容・・・
 簡単な楽器で伴奏された・・・
 ↓↑
 サンガク・・・算学・算額・産学・・・?
 ↓↑
 発生は
 西域地方
 奈良時代に
 中国から日本に伝来
 敦煌(トンコウ)の壁画に
 軽業(かるわざ)
 曲芸の図
 『周書』などには
 散楽雑戯などの語
 中国では紀元前後から存在し
 貴族的な雅楽(ガガク)に対し
 卑俗な俗楽として広く行われた
 『唐会要(トウカイヨウ)』
 の散楽の条に
 俳優、歌舞、雑奏、擲剣(テキケン)
 縁竿(エンカン)、激水化魚竜
 など多くの曲目
 正倉院宝物の
 弾弓(ダングウ)に描かれた
 「散楽図」
 『信西古楽図』
 『新猿楽(さるがく)記』
 などで
 軽業、曲芸、奇術、幻術、物真似(ものまね)
 などの雑戯であって
 乱舞(らっぷ)、俳優(わざおぎ)
 百戯(ひゃくぎ)
 とも記録
 散楽
 伝来当初
 雅楽寮の
 楽戸(ガクコ)で養成
 782年(延暦一年)
 散楽戸は廃止されたが
 一般に流布し
 宴会の場や祭礼などで行われ
 散楽法師とよばれる専門の者が生まれた
 鎌倉時代
 曲芸、軽業、奇術
 などは衰え
 田楽法師
 放下(ホウカ)師
 などにより
 獅子舞
 太神楽
 寄席(よせ)で伝えられ残った
 並行して
 散楽は
 猿楽(さるがく)
 と名称が変化
 猿楽の文字に統一
 芸内容も
 滑稽物真似
 歌舞に変わっていき
 猿楽は鎌倉時代に
 能
 狂言
 になった・・・

ー↓↑ーーーー     ↓↑  ↓↑
           かぐ や
           迦具 夜=也・埜・哉・笶・耶・灼
 ↓↑         ↓↑  ↓↑ 彌・焚・妬・矢・呼・辞
           迦具 等
           かぐ・ら
           化虞(呉・娯・寓)也
            虞美人也=有美人名虞=虞姫
           「虞姫は項羽の正室」
       「有美人名虞 常幸從 駿馬名騅 常騎之」
        虞美人(グビジン)・・・芥子の花(華)の女?
       「母が虞姫(グキ)を生むとき
        部屋で
        五羽の
        鳳凰(ほうおう)が鳴く夢を見た」
 ↓↑      ↓↑
        垓下歌(垓下の歌)
     ・・・垓=十+一+亥(亠 丩人)
          カイ・ガイ
          さかい
          はて
          地の果て・国の果て
          数の名・京(ケイ)の一万倍
 ↓↑      ↓↑ 
       『史記』巻七 項羽 本紀 第七 司馬遷
              項=工=丅(下)+一
                 =一+丄(上)
                工=二+丨
                 頁=丆+目+ㇵ
                  頁=page・ページ・大貝
                匠(巧・伎・たくみ・巫覡)の頁
              羽=羽=习+习=冫+𠃌+冫+𠃌=刁+丶+刁+丶
                   刁=悪賢い・ずるい・狡猾
              異体字「羽・䨒・𦏲・⽻」
       『漢書』巻三十一 陳勝項籍傳 第一 班固
        項羽の歌
 ↓↑      ↓↑
        力拔山兮氣蓋世(力は山を抜き 気は世を蓋う)
        時不利兮騅不逝(時利あらずして 騅 逝かず)
        騅不逝兮可奈何(騅の逝かざる 如何すべき)
        虞兮虞兮奈若何(虞や虞や 若を如何せん)
 ↓↑      ↓↑
       『史記』引用
       『楚漢春秋』
        虞美人の返歌
 ↓↑      ↓↑
        漢兵已略地(漢兵 已に地を略し)
        四方楚歌聲(四方は楚の歌聲)
        大王意氣盡(大王の意気は盡き)
        賤妾何聊生(賤妾 いずくんぞ生を聊んぜん)
 ↓↑      ↓↑
       『太平寰宇記』
        項羽が
        虞美人を殺して
        鍾離県に埋葬

 ↓↑      ↓↑
        ヒナゲシ=「虞美人草」
        雛芥子・雛罌粟
        芥子(ケシ)科の一年 草
        虞美人草
        コクリコ(仏語: Coquelicot)
        シャーレイポピー ( 英語: Shirley poppy)
        ケシ科の植物も含めて単にポピー(poppy)
        Corn poppy
        Opium poppy=阿片ケシ・ソムニフェルム種
               ケシ(芥子)

ーーーーー
 亥+α
 刻=亥+刂・時刻
 該=言+亥・当該
 核=木+亥・真核
 骸=骨+亥・骸骨
 咳=口+亥・労咳
 劾=亥+力・弾劾
 垓=土+亥・
 孩=孑+亥・嬰児・赤子
 駭=馬+亥・騒ぎ・騒然
 頦=亥+頁・頤(おとがい)
 閡=門+亥・閉ざす・閉じる・外からふさぐ
       はばむ・妨げる・妨害する
 陔=阝+亥・階段・重なり・積み重ねた層
       あぜ=畦
 賅=貝+亥・騒ぎ・騒然
 絯=糸+亥・拘束する・妨げる
       束ねる・まとめる
 荄=艹+亥・にら(韮)の根・・・新羅?
 痎=疒+亥・二日に一度高熱症状
       おこり・マラリア
 硋=石+亥・邪魔をする
 㤥=忄+亥・苦しむ・ひどく苦しむ
 晐=日+亥・備わる
 胲=月+亥・頬の・ヒドロキシルアミン
       足の親指の毛の生えた部分
 侅=イ+亥・むせぶ・のどがつまり
       普通ではない並みではない
 欬=亥+欠・せき・しわぶき
       せきをする・せきばらいをする
       おくび・げっぷ
 㱾=亥+殳・㱾攺(カイイ)
       金や桃の木で作った厄除けの杖
       飾り
 奒=大+亥
 姟=女+亥
 峐=山+亥
 氦=气+亥
 烗=火+亥
 豥=豕+亥
 賌=亥+貝
 輆=車+亥
 郂=亥+阝
 㚊=多+亥
 㧡=扌+亥
 䀭=目+亥
 䠹=身+亥
 䤤=金+亥
 䬵=食+亥
 畡=田+亥
 餩=食+𠆢+亥
ーーーーー
 ・・・再試行・・・再三試行はツヅク・・・

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「子の年月日時」・・・「ネの刻」の事件・・・

2020-04-04 19:49:48 | 古事記字源
 タケ トリ モノ ガタリ・・・多家(他家)録り物語
 タケ トリ モノ ガタリ
 ↓↑
 「翁(おきな)」と・・・何故、「翁=公+羽」なんだか?
          ・・・「鳥の首筋の羽毛」?
        「翁=八+ム+羽」
           捌(さばく)・分ける・葉知
           ム=私・私利・よこしま(己の邪)
           羽=は・はね・翼(つばさ)
             鳥のはね・虫の翅(はね)
             鳥類
             かざ・舞うときの手に持つ飾り
             たすけ・たすけとなるもの・補佐
             互助
             五音=宮・商・角・徴・羽の一
             鳥や兎を数える助数詞
 その妻の 
 「嫗(おうな)」と・・・何故
            「媼=女+囚+皿=女+温
               女+囗+人+皿
             嫗=女+區(区)=妪
               女+區
               女+匚+品(シナ・ホン)
               女+匸+品
               女+匚+口+吅
               女+匸+口+吅
             姁=女+句」なんだか?
   歳をとって背中が曲がった女性・・・佝=イ+句
 嫗(おうな)=「おみな(嫗)」の転
        年をとった女・老女・老婆
        嫗⇔翁(おきな )
 翁の名は「さぬき・さるき」・・・讃岐・佐貫・猿木・申記
 ↓↑

 御室戸 斎部(みむろど いんべ)
 の
 秋田・・・なんで「秋田=あきた=穐田・飽きた・阿藝足」・・・?
 に命じ
 「なよ竹のかぐや姫」
 と名づけた・・・

ーーーーー
 「かぐや姫」の求婚条件
 ↓↑
 石作皇子には「仏の御石の鉢」・・・石作・磐裂・磐余
        筑紫君磐井
        磐井の子、筑紫葛子は
        連座から逃れるため
        糟屋(福岡県糟屋郡付近)の・・・酒粕=白
        屯倉をヤマト王権へ献上
       「白山にあへば光も失するかと
        鉢(恥)を捨てても頼まるるかな」
 車持皇子には「蓬莱の玉の枝・・・・庫持皇子・藤原・中臣
       (根が銀       藤原不比等の母は車持氏
        茎が金
        実が真珠の木の枝)」
 右大臣
 阿倍御主人には「火鼠の裘(かわごろも・・・布勢・普勢(ふせ)
        焼いても燃えない布)」   阿倍普勢(あべのふせ)
                      姓は臣のち朝臣
                      左大臣・阿倍内 麻呂の子
 大納言
 大伴御行には「龍の首の珠」・・・大伴長徳の子
              別名 馬飼・馬養(うまかい)
                 大徳・大伴咋の子
                 冠位は大紫・右大臣
 中納言
 石上麻呂には「燕の産んだ子安貝」・・・孫は石上 宅嗣
 の結納持参品
 ↓↑

 かぐや姫の誕生
 竹の中の姫は
 三ヶ月ほどで
 妙齢の娘になり
 髪を結い上げ
 裳を着せた
 ↓↑
 御室戸斎部(みむろどいんべ)の
 秋田を呼んで名前をつけさせ
 「なよ竹のかぐや姫」と名づけ
 三日に渡り盛大な祝宴
 ↓↑
 貴賤を問わず男たちは
 かぐや姫の噂を聞いて
 恋い慕い思い悩んだ
 竹取の翁の家の周りをうろつき
 公達は翁の家の垣根にも門にも
 家の中にいる人でさえ 
 かぐや姫を容易に見られないのに
 誰も彼もが
 夜も寝ず、闇夜に出でて
 穴をえぐり
 覗き込む
 ↓↑
 その時から
 女に求婚することを
 「よばひ」と言う
 ↓↑
 五人の公達は
 諦めず夜昼となく通ってきたのは
 石作皇子
 車(庫)持皇子
 右大臣
 阿倍御主人
 大納言
 大伴御行
 中納言
 石上麻呂
 ↓↑

 翁は公達を集めて
 かぐや姫の意思を伝えた
 ↓↑
 石作皇子には 「仏の御石の鉢」
 車持皇子には 「蓬莱の玉の枝」
 阿倍御主人には「火鼠の裘」
 大伴御行には 「龍の首の珠」
 石上麻呂には 「燕の産んだ子安貝」
 ↓↑
 石作皇子は
 大和国
 十市郡の山寺にあった
 「只の鉢」を持っていき嘘がばれ
 鉢を捨ててまた言い寄ったことから
 思い嘆くことを
 「はぢを 捨てる」
 と言う
 ↓↑
 車持皇子は
 「玉の枝」の偽物を作ったが
 その報酬を支払われていない職人たちが
 やってきて偽物と発覚
 長い年月姿をくらまし、それを
 「たま さが なる」
 と言う
 ↓↑
 阿倍御主人は
 唐の商人から
 「火鼠の皮衣」を購入したが
 姫が焼いてみると燃えた
 阿倍に因んでやり遂げられないことを
 「あへ なし」
 と言う
 ↓↑
 大伴御行は
 船で探索し嵐に遭い
 重病にかかり
 両目は
 二つの李(すもも)のようになり
 世間の人々が
 「大伴の大納言は
  龍の首の珠を取りなさったのか」
 「いや、御目に二つ李のような
  珠をつけていらっしゃる」
 「ああたべがたい」
 と言って理に合わないことを
 「あな たへがた」
 と言う
 ↓↑

 石上麻呂は
 大炊寮の
 大八洲という名の
 大釜が据えてある
 小屋の屋根に上って
 子安貝らしきものを掴んだが
 転落して腰を打ち
 掴んだのは
 燕の古い糞で
 貝は無かったことから
 期待外れのことを
 「かひ なし」
 と言うようになった・・・
 ↓↑
 中納言 石上麻呂が
 気弱になり病床に伏せ
 かぐや姫が
 「まつ かひも ない」
 と見舞いの歌を送ると
 中納言は
 「かひはなく ありけるものを」
 と返歌を書き息絶えた
 ↓↑
 かぐや姫は少し気の毒に思い
 少し嬉しいことを
 「かひあり(甲斐がある)」
 と言うようになった
 ↓↑
 帝の求婚
 帝は姫に使いの
 内侍
 中臣房子
 を派遣し
 房子は
 嫗に
 かぐや姫
 との対面を迫るが
 再三の説得に拒絶され
 帝は翁を呼び出し
 「姫を差し出せば官位をやる」
 と告げ、喜ぶ翁の取りなしを
 かぐや姫は
 「帝がお召しになって仰られたとしても
  畏れ多いとも思いません」
 と言い姿を見せなかった
 帝は
 「多くの人を殺してきた心であるよ」
 と言ったが
 かぐや姫は
 「無理にお仕えさせようとなさるならば
  消え失せてしまうつもりです」
 と翁に言い
 翁がこの事を帝に伝えると
 帝は
 狩りに行幸するふりをして
 会うことを提案
 翁も賛同
 ↓↑
 帝が不意をつき
 かぐや姫の家に入ると
 光に満ちて清らかに坐っている人を見た
 帝は初めて見た
 かぐや姫
 を類なく美しく思い
 神輿を寄せて連れて行こうとしたが
 姫は一瞬のうちに
 姿を影(光)と化した
 帝は地上の人間ではない思ったが
 すばらしい女だと
 思う気持ちが抑えがたくも
 魂をその場に留め置いている心地で
 かぐや姫を残して帰った
 後
 かぐや姫のもとに
 手紙を書いて文通・・・

 ↓↑
 月へ帰って行く
 かぐや姫
 帝と和歌を遣り取りは
 三年の月日が経った
 かぐや姫は月を見て
 物思いに耽るようになった
 八月の満月が近づくにつれ
 かぐや姫は激しく泣くようになり
 翁が問うと
 「自分はこの国の人ではなく
  月の都の人であって
  十五日に帰らねばならない
  ほんの少しの間ということで
  あの国からやって来たが
  この様に
  この国で
  長い年月を経てしまった
  それでも自分の心のままにならず
  お暇申し上げる」
 という
 それを帝が知り
 翁の意を受けて
 勇ましい軍勢を送ることとなった
 その十五日には
 各役所に命じ勅使として
 中将
 高野大国
 を指名し
 六衛府を合せて
 二千人を竹取の家に派遣
 築地の上に千人
 建物の上に千人
 家の使用人と合わせて
 空いている隙もなく守らせた
 嫗は
 塗籠の内で
 かぐや姫を抱きかかえ
 翁も
 塗籠の戸に
 錠を下ろして戸口にいる
 ↓↑
 かぐや姫は
 「私を閉じ込めて
  守り戦う準備をしていても
  あの国の人に対して
  戦うことはできないのです
  弓矢で射ることもできないでしょう
  このように閉じ込めていても
  あの国の人が来たら
  みな開いてしまうでしょう
  戦い合おうとしても
  あの国の人が来たら
  勇猛な心を奮う人も
  まさかいないでしょう」
 という
 ↓↑
 翁は迎えを
 長い爪で眼を掴み潰そう
 髪の毛を取って引き落とし
 尻を引き出して
 役人たちに見せて
 恥をかかせてやろうと
 腹を立てている
 かぐや姫は
 「大声でおっしゃいますな
  屋根の上にいる者どもが聞くと
  大層よろしくない
  お爺さま
  お婆さまのこれまでの
  ご愛情をわきまえもしないで
  お別れしようとすることが
  残念でございます
  両親に対するお世話を
  僅かも致さずに
  帰っていく道中も
  安らかにはなりますまい
  あの都の人は
  とても清らかで美しく
  老いることもないのです
  もの思いもありません
  そのような所へ行くことも
  嬉しいとも存じません」
 と言った。
 ↓↑
 子の刻
 家の周りが昼の明るさよりも光った
 大空から人が雲に乗って降りて来て
 地面から五尺くらい上った所に
 立ち並んでいる
 内外の人々の心は
 得体が知れない存在に襲われるようで
 戦い合おうという気もなかった
 何とか心を奮って弓矢を構えようとしても
 手に力も無くなって萎えてしまった
 気丈な者が堪えて射ようとしたが
 矢はあらぬ方へ飛んでいき
 ただ茫然とお互い見つめ合っている
 王と思われる人が
 「造麻呂、出て参れ」
 と言うと
 猛々しかった造麻呂も
 何か酔ったような心地になって
 うつ伏せにひれ伏している
 ↓↑
 王は
 「お前、幼き者よ
  少しばかり
  翁が善行を作ったから助けにと
  僅かばかりの間ということで
  姫を下したところ
  長い年月の間に多くの黄金を賜って
  お前は生まれ変わったように
  金持ちになったのだ
  かぐや姫は
  罪を御作りになったので
  このように
  賤しい
  お前の元にしばらくいらっしゃったのだ
  罪の期限は過ぎた
  早くお出し申しあげよ」
 と翁に言うが、翁は従わない
 ↓↑
 屋根の上に飛ぶ車を近づけて
 「さあ、かぐや姫
  穢れた所にどうして
  長く居られるのでしょうか」
 と言うと
 締め切っていた戸や格子が即座に開いていく
 嫗が
 抱きかかえて座っていた
 かぐや姫は
 外に出てしまう
 ↓↑
 かぐや姫は
 せめて天に上っていくのだけでも
 お見送りくださいと言うが
 翁は泣き伏してしまう
 「御心が乱れてしまっている」
 と見かねた
 かぐや姫は
 「この先、恋しい折々に
  取り出してご覧ください」
 と手紙を書き置いた
 天人の中の者に
 持たせた「箱」があり
 それには
 天の羽衣が
 また別の「箱」には
 不死の薬が入っている
 一人の天人が姫に
 「穢い所の物を召し上がっていたので
  ご気分が悪いことでしょう」
 と言い薬を持って寄ったので
 かぐや姫は僅かに嘗め
 天の羽衣を着せようとしていた
 天人を制し
 帝への手紙と歌を書いた
 その歌には
 「いまはとて
  天の羽衣
  着る時ぞ
  君をあはれと
  おもひいでぬる」
 と詠んだ
 その手紙に、薬を添えて
 頭中将へ渡させた
 中将が受け取ると
 天人がさっと
 天の羽衣を着せたので
 かぐや姫の
 これまで
 翁を痛ましい
 愛しいと思っていたことも
 消えてしまった
 この羽衣を着た人は
 物思いがなくなってしまうのだったから
 かぐや姫は
 車に乗って昇ってしまった
 ↓↑
 帝は手紙を読み
 ひどく深く悲しみ
 何も食べず
 詩歌管弦もしなかった
 大臣や
 上達部を呼び
 「どの山が天に近いか」
 と尋ねると
 ある人が
 駿河の国にあるという山だと言うのを聞き
 「会うことも無いので
  こぼれ落ちる涙に浮かんでいるような
  わが身にとって
  不死の薬が何になろう」
 と詠み
 かぐや姫からの
 不死の薬と手紙を
 壺も添えて使者に渡し
 つきの
 岩笠
 という人を召して
 それらを駿河国にある
 日本で一番高い山で焼くように命じた
 ↓↑
 その由緒を謹んで受け
 「士(つわもの)らを大勢連れて
  不死薬を焼きに山へ登った」
 ことから
 その山を
 「ふじの山」と名づけた
 その煙は今も雲の中に立ち昇っている
 と言い伝えられている
 ・・・噴火中・・・
 ↓↑ ↓↑
 月(つき・ゲツ・ガツ)
   独 Mond(モーント)
   仏 Lune(リュヌ)
   英 Moon(ムーン)
   羅 Luna(ルーナ)
   雅(チャンドラ)・梵語・サンスクリット
   希(セレーネー)・ギリシャ
   衛星
   太陽系の衛星中で5番目に大きい
   地球から見て太陽に次いで明るい
   太陽に対して太陰
   日輪(太陽)に対して月輪(月)
   月は天球上の
   白道をほぼ4週間の周期で運行
   白道は19年周期で揺らいでいる
   黄道帯の
   黄道周辺8度の範囲に収まる
   月はほぼ2週間ごとに
   黄道を横切る
   約29.5日周期で地球周期の影で変形する
   掩蔽=月の運行軌道で
      恒星に重なって隠す
 ↓↑
 兆=占いの時に
   亀甲を焼いてできる裂け目の形
   物事の起こる前ぶれ・きざし・兆候
   一億の1万倍の数
   古く中国で「億」の十倍を「兆」
   求
   氺=冫+亅+ㄑ
   水=フ+亅+ㄑ
   𧘇=ノ +𠄌+卜
     下+𠄌
 ↓↑
 匚・匚・凵・冂・⼐
 ⼕・⼖・コ
 囗・口・ロ・⼝・⼞
 匣=匚+甲
 函=丂+冫+凵+く=凾=圅
   マ+氺++凵
   了+冫+凵+く
   𧰧+凵
   乑+凵・・・雨=一+𠕒
           𠕒=𠕘
 凾=丂+口+凵+又
   了+口+凵+又
 圅=マ+𢆉+凵・・・南
   マ+丷+干+凵
 ↓↑
 匧=夾+匚
   亠+人+人+人=挟む
 ↓↑
 笥=竹+司
   竹+一+口=箪笥(たんす)
 ↓↑
 匱=匚+貴
   匚+中+一+貝
   匚+口+丨+一+貝
   匚+口+丄+目+ㇵ
   キ・ギ
   とぼしい
   はこ
   ひつ
   欠けている・空っぽ
   大きい箱
   もっこ・土砂などを運ぶ道具
 ↓↑
 筐=竹+匡
   竹+匚+王
 筺=竹+匤
   竹+匚+玉
   竹+匚+王+丶
   キョウ
   かご
   かたみ
   ねだい
   はこ
   かたみ
   四角に編んだ竹製の籠(かご)
   四角の寝台 
 ↓↑
 椢=木+国
   木+囗+玉
   木+囗+王+丶
 槶=木+國
   木+囗+或
   木+囗+戈+口+一
   カイ
   くぬぎ
   ブナ科の落葉高木
   はこ
   箱の内側
 ↓↑
 筥=竹+呂・・・呂=節で接続する背骨
   竹+口+丿+囗
   キョ
   いねたば
   はこ・筒状の丸いはこ
   いねたば
   いねたばをはかる単位
 ↓↑
 箱=竹+相
   竹+木+目
   𠂉+丨+𠂉+亅+十+八+目
   ショウ
   ソウ
   はこ
   ものを入れるもの
   竹製のはこ
   はこの総称
   にぐら
   車内にある人や物をのせる荷受け
   ひさし
   母屋・正寝の両側にある部屋
 ↓↑
 箪=竹+単
   竹+⺍+田+十
   竹+丷+田+十
 簞=竹+單
   竹+吅+日+十
   竹+口+口+日+十
   タン
   はこ
   ひさご
   わりご
   竹で編んだ丸いうつわ
   竹で編んだ箱
   ひょうたん=瓢箪
 ↓↑
 匹=匚+儿
   匸+儿
ーーーーー
 「猫=ねこ=根古」も「一匹」・・・ 匹=匚+儿・・・人を箱に閉じ込める・・・
 「儿=ひげ=髭・髯・鬚・鬍」を
 「箱館・函館・凾館・羽子田て」に閉じ込める・・・?
 北海道共和国、「五稜郭戦争」・・・
 ↓↑
 慶応四年=明治元年~明治二年(1868年~1869年)・
 英仏軍艦艦長に随行し
 榎本と会見した
 英国公使館書記官
 「アダムズ」・・・三浦按針(Adam・スミス)
          ノストラ-ァ-ダムス
         (No-str-adamus)       
 だった
 1874年
 に書いた著書
 「History of Japan」
 で
 「箱館政庁」を
 「republic」と記録
 ↓↑
 北海道共和国
 総裁    榎本武揚
 副総裁   松平太郎
 海軍奉行  荒井郁之助
 陸軍奉行  大鳥圭介
 陸海裁判官 竹中重固、今井信郎
 陸軍奉行並 土方歳三
 箱館奉行  永井尚志
 松前奉行  人見勝太郎
 江差奉行  松岡四郎次郎、 小杉雅之進
 開拓奉行  澤太郎左衛門
 会計奉行  榎本道章、川村録四郎
 海軍頭   松岡磐吉
 海軍頭並  甲賀源吾、根津勢吉
       小笠原賢蔵、古川節蔵
      浅羽甲次郎
 歩兵頭   本多幸七郎、古屋佐久左衛門
 歩兵頭並  滝川充太郎、伊庭八郎、大川正次郎
      松岡四郎次郎、春日左衛門
      星恂太郎、天野新太郎、永井蠼伸斎
 砲兵頭並 関広右衛門、中島三郎助
 工兵頭並 吉沢勇四郎、小菅辰之助
 器械頭並 宮重一之助、渋沢成一郎
ーーーーー
 ・・・???・・・republic・・・

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長の方の形の「ハコ=匣・函・凾・筐・匳・匵・筥・筐・箱」

2020-04-02 23:10:52 | 古事記字源
 あの時代・・・600年~700年・・・ 
 あの時代・・・⼞⼞=⊏+⊐・・・
        はこ=匣・函・凾・筐・匳・匵・筥・筐・箱
        長の方の形(幵+彡・开+彡)の卑弥呼・・・
 ↓↑
 兆=冫+儿+ㄑ
   占いの時に
   亀甲を焼いてできる裂け目の形
   物事の起こる前ぶれ・きざし・兆候
   一億の1万倍の数
   古く中国で「億」の十倍を「兆」
 ↓↑ ↓↑
   求=十+丷+ㇵ+丶
     亠+氺+丶
     亠+冫+亅+ㄑ+丶
   氺=冫+亅+ㄑ
   水=フ+亅+ㄑ
   衣=亠+𧘇
   𧘇=ノ +𠄌+卜
     下+𠄌
 ・・・洪水、水害、津波、海の嵐で溺れたのか?
 ・・・旱(日照り)の旱魃で水不足になったのか?
 ・・・イズレの時期も「疫病」が蔓延する・・・
 ・・・今時は「中国狂散痘の人災」・・・
 乙姫が「浦島太郎」に呉た「ハコ(玉手箱)」の中身は「紫煙」
 も
 かぐや姫が「竹取の翁」に呉たハコの中身も「紫焔」
 ・・・箱の中身は漢字の文字の記録のカミには・・・「シエン」・・・
 ↓↑
 貼箱(はりばこ)
 はこ・入れ物・・・十八番(おはこ)・・・
 カルトナージュ(Cartonnage)
 ↓↑
 匚・匚・凵・冂・⼐
 ⼕・⼖・コ
 囗・口・ロ・⼝・⼞
 ↓↑
 匣=匚+甲
 ↓↑
 函=丂+冫+凵+く=凾=圅
   マ+氺++凵
   了+冫+凵+く
   𧰧+凵
   乑+凵・・・雨=一+𠕒
         𠕒=𠕘
 ↓↑
 凾=丂+口+凵+又
   了+口+凵+又
 圅=マ+𢆉+凵・・・南
   マ+丷+干+凵
 ↓↑
 匧=夾+匚
   亠+人+人+人=挟む
 ↓↑
 笥=竹+司
   竹+一+口=箪笥(たんす)
 ↓↑
 匱=匚+貴
   匚+中+一+貝
   匚+口+丨+一+貝
   匚+口+丄+目+ㇵ
   キ・ギ
   とぼしい
   はこ
   ひつ
   欠けている・空っぽ
   大きい箱
   もっこ・土砂などを運ぶ道具
 ↓↑
 筐=竹+匡
   竹+匚+王
 筺=竹+匤
   竹+匚+玉
   竹+匚+王+丶
   キョウ
   かご
   かたみ
   ねだい
   はこ
   かたみ
   四角に編んだ竹製の籠(かご)
   四角の寝台 
 ↓↑
 椢=木+国
   木+囗+玉
   木+囗+王+丶
 槶=木+國
   木+囗+或
   木+囗+戈+口+一
   カイ
   くぬぎ
   ブナ科の落葉高木
   はこ
   箱の内側
 ↓↑
 筥=竹+呂・・・呂=節で接続する背骨
   竹+口+丿+囗
   キョ
   いねたば
   はこ・筒状の丸いはこ
   いねたば
   いねたばをはかる単位
 ↓↑
 箱=竹+相
   竹+木+目
   𠂉+丨+𠂉+亅+十+八+目
   ショウ
   ソウ
   はこ
   ものを入れるもの
   竹製のはこ
   はこの総称
   にぐら
   車内にある人や物をのせる荷受け
   ひさし
   母屋・正寝の両側にある部屋
 ↓↑
 箪=竹+単
   竹+⺍+田+十
   竹+丷+田+十
 簞=竹+單
   竹+吅+日+十
   竹+口+口+日+十
   タン
   はこ
   ひさご
   わりご
   竹で編んだ丸いうつわ
   竹で編んだ箱
   ひょうたん=瓢箪
 ↓↑
 匹=匚+儿
   匸+儿
  ↓↑
 「粛慎 挹婁 之 海蛮」
 「粛慎=息慎」の後裔・・・→勿吉→靺鞨・・・
 「成帝(在位325年~342年)の時代
  後趙の
  石虎(在位334年~349年)に朝貢」・・・字は「季龍」
 「上党郡武郷県(山西省 楡社県の北西)」出身の
 「羯」族
 「後趙の初代皇帝
  石勒の従子(甥)」
 ↓↑
 挹婁
 ・・・漢・魏時代に東北地方東部・沿海州にいた種族
  三世紀前半(200~250)
  夫余の支配を脱して一時勢力を強めた
  夫余=夫が余る・・・女性が少ない?
  挹婁 在 夫餘 東北千餘里
  濱 大海南 與 北沃沮 接
  未知 其北所極 其土地多山嶮
     其人形似
  夫餘 言語 不與 夫餘 句麗 同
  有 五穀 牛馬 麻布
 ↓↑
 舒明天皇に
 ↓↑・舒=舍+予
    予言・預言・伊豫=伊予=壹與
   「古事記・序文」
    舍=人+舌・・・舎人(とねり)=倌
           「譯=訳」音理?
        舌・・・した=下・詞他・史他
      人+千+口
      シャ
      セキ
      いえ
      おく
      やど
      やどる
      いえ・建物・屋敷
      やどや・旅館・宿屋
      泊まる
      休む・憩う
      軍隊が一日に進む距離・約三十里
      自分
      身内を謙遜していう語=舍弟
      ゆるす・ゆるして釈放する
      その場に置く・放置する
      すてる=捨⇔拾=ひろう=十=足=蘆
          舎⇔合
          土⇔一=壹・壱・位置・市・伊地・鴪
          土=十+一=拾うイチ・足の肇(はじめ)
          棄・損・喜捨・遺棄・廃棄
          棄損=キソン=毀損
          棄=亠+厶+丗+木=弃=云+廾
                     亠+厶+廾
            亠+厶+廿+丨+木
            キ
            すてる・ほうる・なげすてる
            やめる・しりぞける
            ↓↑
            毀=臼+土+殳
            臼+土+几+又
            臼+十+一+几+又
            キ
            こぼつ・こわす・やぶる
            そこなう・傷つける
            そしる・悪口を言う
            やせほそる・やつれる
            幼児の乳歯が抜けかわる
 ↓↑ ↓↑  ↓↑          ↓↑
    帷蓋不棄(イガイフキ⇔「意外・以外」付記)
    駄目なモノでも、何かに利用出来る
    捨てるのが「もったいない」
    帷=部屋の仕切りの垂れ幕・帷帳
    蓋=車を覆う布・天蓋・幌
    不棄=捨てず
   「帷と蓋」=死んだ動物を覆って
    埋める時に使うもの
    動物を大切にすること
   「帷蓋棄てず」
 ↓↑ ↓↑  ↓↑
    棄灰之刑(キカイシケイ⇔記甲斐詩形?)
                 甲斐の山々
                   簒纂?
    刑罰に慈悲が無く、極めて厳しい
    棄灰=道路に灰を捨てること=軽犯罪
    殷の時代、道路に灰を捨てた人は、死刑
    厳しい刑罰で人々に
    法を犯す恐ろしさで秩序を維持した
   『韓非子(内儲説・上)』・・・韓は子に非ず
                  内緒の説は上
 ↓↑ ↓↑  ↓↑
    棄甲曳兵(キコウエイヘイ⇔「奇行・寄稿
                  紀行」英兵?)
    戦いに負け、戦意を失って逃亡
    棄甲=鎧を脱ぎ捨てる
    曳兵=武器を引きずって歩くこ
   『孟子(梁恵王・上)』
 ↓↑ ↓↑  ↓↑
    自暴自棄(ジボウジキ⇔ジ自某「自記・時記」?)
    やけくそで
    もうどうにでもなれと
    希望を捨てたり
    投げやりになること
    自暴=やけくそで自分を損なうこと
    自棄=自分を見捨てること
   『孟子(離婁・上)』
   「婁」と離れる・・・?
  「離婁=視力がすぐれ、百歩離れた所からでも
       毛の先が見えた人物・異名は離朱」
   婁=吕+十+女(乚丿一)=娄=米+女
              =乚=乙=L
                   レデイ(lady)
                   ロング(long)
               亜「米」利加の「女」?
               白水郎=あま=阿麻・亜麻・海女
                   阿部・阿毎・海士・海部
               雨=あめ=編・天・海・飴
                 あま=尼・甘・蜑
     むなしい・あらい・おさめる
     ひく・ひきよせる・ひきずる
     つなぐ・つながれる・牛をつなぐ
     むなしい・から・中が空であるさま
     婁=娄=巻きあげた髪型・縒(撚)って結った髪の毛
     樓(楼)閣は「卑弥呼」の居場所
     群衆・天獄・塿と通じ、小さな丘
     牧畜を管理する役人 うお座
     彦星・牽牛・牛郎
     アルタイル(Altair)=牽牛・鷲座=わしざ=和史差
     アルタイル=鷲(わし)座の主星
             倭詞・和史
     和名 の彦(ひこ)星
          比古・毘古
        犬飼星(いぬかいぼし)
        ↓↑
        鵲(かささぎ)が「橋=∩」・・・天の川・銀河・漢河
        ↓↑
     㜢=ベガ=織女・琴姫・織姫・七夕姫
          棚機津女
             比売・比賣・咩売
     婁(かさなる)+α・・・娄+α
       髑髏(どくろ)・襤褸(ぼろ)
       鏤氷・鏤塵(塵にきざむ)・吹影鏤塵(影を吹き塵にきざむ)
       屢々と屍・縷々と続く・無限な數
       藪睨み
       巻婁=けんる・手や足がひきつり
   thread(スレドゥ)・detailed(ディテール)・precise(プリサイス)
   frequently(フリークウェントゥリィ・たびたび)
   tie(タイ・むすぶ)・・・帯・他意・碓・台・替・太・鯛?
   二十八宿の一
   西方の第二宿
   牡羊 (おひつじ) 座の
   頭部分の三星
   たたらぼし・・・多々良・多々羅・蹈鞴
           鑪=金+盧・鈩・鞴・吹子
           瘻=首のあたりの腫れもの
   婁宿=西方白虎七宿の第2宿
 ↓↑ ↓↑
  お螻蛄(けら)=採餌行動も地中で行う
   成虫の体長
   30mm~50mm
   全身が褐色
   金色の短い毛が
   ビロードのように密生
   触角や脚が短い
   頭部と前胸部は卵型
   後胸部・腹部は前胸部より幅が狭い
   尾端には
   触角と同じくらいの
   長さの尾毛が2本
   成虫に翅
   前翅は短く
   後翅は長い
   オスの前翅の翅脈は複雑で
   鳴くための
   発音器官
   メスの翅脈は前後に平行に伸びたもの
   ケラ類はメスもわずかに発音できる

 ↓↑ ↓↑
   穴掘りへの適応
   前脚は
   腿節と脛節が太く頑丈に発達
   脛節に数本の突起
   モグラの前足のような形
   前脚で
   土を掻き分けて土中を進む
   頭部と胸部がよくまとまって
   楕円形の先端を構成
   全身が筒状
   体表面に細かい毛が密生
   Mole cricket=モグラコオロギ
 ↓↑ ↓↑
   草原や田、畑などの
   土中に巣穴を掘って地中生活
   水を多く含んだ
   柔らかい泥地や湿地
   水分不足
   飢餓に弱い
   水上では全身の短毛が
   水を弾いて水に浮き
   脚で水面を掻いて泳ぐ
   長く発達した後翅を広げて飛ぶ
   オスは初夏によく鳴く
   天敵
   鳥類、カエル、イタチ、タヌキ、モグラ
   ムクドリはケラをよく摂食
   小鳥の餌として
   江戸近郊の農村に
   ケラの採集と納入が課せられていた
   ・・・「おけら」
   遊泳、疾走、跳躍、飛翔、鳴き声、穴掘り
   など多芸だが一流の専門能力がない
   器用貧乏=「おけらの七つ芸・けら芸」
   ケラケラとワラウ・・・?
        倭の螺の鸕(鵜)・・・潜る、潜水する・・・

 ↓↑ ↓↑   ↓↑
  「婁 昭君(ロウ ショウクン)」
   501年~562年
   東魏の権臣
   高歓の妻
   北斉に革まると
   皇太后
   諡号   武明皇后
   鮮卑の
   婁内干の娘
   城上執役の
   高歓を見初め
   「これが真にわが夫なり」
   と私財を幾度か使って招き
   父母もやむをえず婚姻を許した
   高歓が豪傑たちと交友し
   策謀を練る時は
   婁昭君はいつも参加
   高歓が
   渤海王・・・渤海王=燕国+満州
   となると
   婁昭君は
   渤海王妃となった・・・
 ↓↑ ↓↑
   婁昭君
   明晰、決断力
   倹約を尊び
   内外の往来にあたっても
   侍従は10人を越えなかった
   高歓が西征時
   婁昭君は夜半に
   男女の双子を産み
   危篤に陥った
   側近たちは
   高歓に危急を知らせようとしたが
   婁昭君は
   「王は大兵を統べておられ
      どうして
      私のために軽々しく
      軍幕を離れることができましょう
      死生は運命です
      来たところで
      何ができましょう」
   と言った
   537年
   「沙苑の戦い」で
   高歓が敗れると
   侯景
   が精鋭の騎兵2万があれば
   失地を恢復できると述べ
   高歓は
   婁昭君に相談すると
   婁昭君は
   「もしその言葉の通りにすれば
      帰還する道理がなく
      あたら侯景を失うこととなりましょう
      なんの利益もありません」
   と言って止めた
   高歓は
   柔然の
   可汗
   阿那瓌
   の娘をめとりたいと考えていたが
   決断を下していなかった
   婁昭君は
   「国家の大計は
      逡巡してはいけません」
   といった
   柔然の公主
   蠕蠕公主がやってくると
   婁昭君は自ら
   正室の座を降り
   公主を
   高歓の正室に立てさせた
   高歓は
   婁昭君に拝謝した・・・
 ↓↑ ↓↑
   婁昭君は
   同腹異腹にかかわらず
   高歓の諸子をいつくしみ
   自ら機織りして
   諸子に袍衣を与えた
   戎服を手縫いし
   将軍や側近たちに与えた
   弟の
   婁昭は功績を挙げて栄達したが
   その他の親族に
   爵位を請求したことがなかった
   婁昭君は
   人材を適材適所に用い
   公私混同を諫め
   547年
   高澄が
   渤海王位を嗣ぐと
   婁昭君は
   太妃に進んだ
   高洋(文宣帝)が
   東魏から
   帝位の禅譲を受けようとすると
   婁昭君は固く反対した
 ↓↑ ↓↑
   550年
   北斉に革まると
   婁昭君は
   皇太后となり
   宣訓宮と称された
   559年
   高殷(廃帝)が即位すると
   太皇太后となった
   尚書令の
   楊愔らが
   文宣帝の遺詔を受け
   輔政にあたり
   宗室の諸王に憎まれた
   婁昭君は
   常山王
   高演(孝昭帝)らと
   はかって
   楊愔を殺害し
   廃立の令を下した
   560年8月
   高演が即位
   再び皇太后
   561年11月
   高演が死去すると
   長広王
   高湛(武成帝)を立てた
   562年春
   病に伏せ
   巫媼の言を用いて
 ↓↑  ↓↑  ↓↑
   「石」氏に改姓・・・「石(いし)」=磐・岩
 ↓↑  ↓↑
   4月辛丑
   鄴の北宮で死去
   享年62
   5月甲申・・・皐月の甲(きのえ)申(さる)
   義平陵に
   合葬された
 ↓↑ ↓↑
   婁昭君の死の直前
   「九龍の母が死して孝をなさず」
   という童謡が世間で歌われた・・・
   婁昭君が死去したとき
   武成帝は
   喪服を着けず
   緋袍のままであり
   まもなく
   三台に登り酒を置いて
   音楽を鳴らさせた
   武成帝の娘が
   白袍を進めたところ
   武成帝は怒って
   白袍を台の下に投げ落とした
   和士開
   が音楽を止めるよう上奏したが
   武成帝
   は怒って
   彼を鞭打った・・・
 ↓↑ ↓↑
   男子
   文襄帝    高澄
   文宣帝    高洋
   孝昭帝    高演
   襄城景王 高淯
   武成帝    高湛
   博陵
   文簡王    高済
   女子
   孝武皇后   (北魏の孝武帝の皇后)
   太原長公主(東魏の孝静帝の皇后)
  ・・・原文はスベテ「https://ja.wikipedia.org/wiki/」・・・
 ↓↑ ↓↑  ↓↑
      噬指棄薪(ゼイシキシン⇔税式令む?)
      母と子の気持ちが
      お互いに通じること
      噬指=指を噛む
      棄薪=薪(たきぎ)を捨てる
      後漢の
      蔡順が薪を採りに行っている間
      来客があり
      母が困って自分の指を噛むと
      その気持ちが通じ
      蔡順が薪を捨てて帰ってきた
     『後漢書(周令む磐伝)』
 ↓↑ ↓↑  ↓↑
      絶巧棄利(ゼッコウキリ⇔絶好記理?)
      便利な機械を捨て
      自然の生活に戻ること
      絶巧=技巧を凝らした道具を捨てること
      棄利=便利に作られた道具を捨てること
     「巧を絶ち利を棄つ」
     『老子(十九章)』
 ↓↑ ↓↑  ↓↑
      背信棄義(ハイシンキギ⇔配信起義?)
      信義に背いて、道義を捨てること
      背信=信頼、信義の裏切り
      棄義=人としての道義を忘れること
     『北史(周紀)』
 ↓↑ ↓↑
   舒=人+舌+龴+乛+亅
     人+千+口+龴+乛+亅
     ショ・ジョ
     のばす
     のべる
     ゆるやか
     のばす・広がる
     述べあらわす
     ゆるやか・おだやか
     遅い・静か
     順序をつける・ついでる
 ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑
   予=龴+乛+亅
     ヨ
     あたえる
     あらかじめ
     かねて
     ゆるす
     われ
     あらかじめ・かねて・前もって
     ためらう・ぐずぐずする
     よろこぶ・楽しむ
     あたえる・さずける
     われ
     自分=余
 ↓↑
 百済に派遣されていた
 舒明天皇十三年(641年)
 天皇の崩御で
 642年
 百済の弔使を伴って帰国
 義慈王の甥、or 子・・・?
 百済王子
 翹岐(ギョウキ)=扶余 豊璋と同一人物?
 を自分の家に迎えた
 ↓↑
 斉明天皇七年(661年)
 高句麗が唐の攻撃を受け
 百済救援の将軍となり、百済に渡った
 662年
 渡来した百済の王子
 豊璋=余豊璋・余豊・豊璋・豊章
    扶余豊・豊・翹岐?
 に王位を継がせようと
 水軍170隻を率いて
 王子と共に百済に渡った
 大錦中に任じられた
 天智天皇二年(663年)
 八月二十七~二十八日
 「白村江の戦い」
 で戦死
 ↓↑
 『日本書紀(巻第二十四)』
 皇極天皇元年(642年)
 一月
 阿曇連比羅夫の筑紫国からの情報
 百済が大乱状態
 が伝わり
 正月
 国王の母が死亡
 弟王子の子
 翹岐
 その同母妹たち
 百済の高官40人あまりが
 島流しにされた・・・
 ↓↑
 同月
 高句麗の使者より
 高句麗でも
 前年(641年)六月
 弟王子(太陽王)が薨去
 九月
 伊梨柯須弥(いりかすみ)
 が
 大王(こきしむ=栄留王)
 を弑逆し
 重臣180人あまりを殺し
 太陽王の子を
 王(宝蔵王)とした
 同姓の
 都須流金流(つするこむる)
 を大臣として実権を握った・・・
 『旧唐書(高麗伝)』
 貞観十六年(642年)の出来事と記録
 『書紀』の記述と1年の差がある
 ↓↑
 大和は
 高句麗・百済
 の客(まろうと)を
 難波の郡(こおり)で
 饗応後
 蘇我蝦夷
 に詔をして
 ↓↑
 津守連大海(つもり の むらじ おおあま)…高句麗
 国勝吉士水鷄(くにかつ の きし くいな)…百済
 草壁吉士真跡(くさかべ の きし まと)…新羅
 坂本吉士長兄(さかもと の きし ながえ)…任那
 ↓↑
 にそれぞれ使いを出すことが決定
 「津守大海」
 のみ連姓を有し
 他の3名よりは高い地位にあった
 津守連氏
 八色の姓制定により
 684年(天武天皇十三年十二月)
 宿禰の姓を与えられた
 津守宿禰氏=尾張宿禰同祖
 『新撰姓氏録(摂津国神別)』
 「天火明命八世孫大御日足尼之後也」
 「大御田足尼(津守氏系図)」と表記
 「意富弥多宿禰=津守宿禰遠祖也(津守氏系図)」
 津守連氏は
 「和泉国神別」に
 「火明命の神 男天香山命の後裔」
 「神功皇后摂政前紀12月条」に
 津守連の祖
 「田裳見宿禰(たもみ の すくね)」が記録
 「津守氏系図」では
 「手搓足尼」と表記
 ↓↑
 欽明天皇時代
 己麻奴跪(こまなこ)が
 百済に派遣
 巻第二十六
 斉明天皇時代
 遣唐使になった
 吉祥(きさ)
 らのことが記述
 ↓↑
 後
 三月
 新羅が
 皇極天皇の即位を祝う
 賀登極使
 舒明天皇の
 弔喪使
 を派遣
 五月
 百済の調の使の船
 国勝の吉士の船が
 難波津に停泊
 百済の使者が進調
 吉士が服命(帰朝報告)
 八月
 高句麗の使者が
 帰国の途につき
 百済と新羅の使者が帰国
 十月
 新羅の弔使の船
 と
 賀騰極使の船が
 壱岐島に停泊
ーーーーー
 オドゥ・モドゥ(やなぎ)
 ボルガス=ヤナギの類
 ↓↑
 モンゴル語
 ↓↑
 アミタン(動物)
 ノホェ(犬)
 ゼルレグ・ガハェ(いのしし)
 ダラェン・ガハェ(いるか)
 トーラェ(うさぎ)
 アドー(馬)
 ボフ(雄牛)
 ウヘー(雌牛)
 メルヒー(蛙)
 アルマーン(かば)
 ヤストゥ・メルヒー(かめ)
 ウネグ(きつね)
 アナーシ(きりん)・・・麒麟
 ハリム(くじら)
 バーウガェ(熊)
 サリサン・バグワーハェ(コウモリ)
 ヒルス(さい)
 サルマグチン(さる)・・・さる?
 ボガ(鹿)
 アルスラン(獅子)
 エレーン・タヒ(しまうま)
 ザーン(象)
 グルウェル(とかげ)
 バル(虎)
 モール(猫)
 ホルガナ(ねずみ)
 ホニ(羊)
 イルウェス(豹)
 ガハイ(豚)
 モゴェ(へび)
 ソホル・ノミン(もぐら)
 ヤマー(やぎ)
 テメー(らくだ)
ーーーーー
 朝鮮王朝
 世宗時代
 東北面の
 女真族の来襲に備え
 豆満江の
 下流南岸に設置
 六要地
 ↓↑
 鍾城
 穏城
 会寧
 慶源
 慶興
 富寧
ーーーーー
 ・・・
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