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コジキジゲン

手洗いに石鹸、呼吸にマスク・・・「邪悪なるモノの長生き、延命」のコツ?

2020-11-16 22:10:34 | 古事記字源
  アワのクニ・・・運河の國・・・蘇州夜曲・・・呉島?
  ↓↑
  うたかた・・・?
  ↓↑
  ・・・歌(唄・唱・吟・詠・詩・謳・謠・謌・哥・雅樂)方(片)・・・
  ・・・宇多・宇田
  ・・・宇多天皇=源定省・阿衡事件・仁和寺建立・内覧制度
              寛平(かんぴょう)の治
             『寛平御記(日記)』・・・愛猫の黒猫自慢
              菅原道真・遣唐使廃止
  ・・・後宇多天皇=世仁(よひと)・大覚寺統
           文永十一年(1274年)一月
           亀山天皇から譲位
           八歳で践祚
          「元・高麗」軍の
          「文永・弘安・元寇襲来」
  ↓↑
  ・・・泡沫(うたかた)   
     水泡(水のあわ・みなわ=水沫
        消えやすいことからはかないこと
        無駄になること)
        幻=まぼろし(まもなく消えるはかないもの
               実際にはないのに
               あるように見えるもの)
        「しぶき、粉、灰、針」とも・・・
         泉鏡花「雪霊続記 」. ・・・
        「すべての間違いは
         泡沫のように消えて
         真なもの のみが
         生き残る」・・・?
        「邪悪なるモノが長生き、延命する」・・・だろうッ!
 シャボン玉ホリデー・・・?
 ↓↑
 石鹸=セッケン=接見・席巻・席捲・節倹・拙軒・・・
       切迫接見・・・選挙、選別、監視員・・・検査員
              目付、大目付
              六波羅探題
              六波羅弾正台
       弾正台(彈正臺)=律令制下の太政官制
                監察・警察・治安維持などを
                業務とする官庁の一
       天暦元年(947年)
       検非違使=律令制下の令外官の役職
            非違(不法、違法)を検察する天皇の使者
            軍事・警察の組織として創設
            当初は門衛府の役人が兼務
            検非違使庁
            司法担当の
            刑部省、警察、監察
            担当の
            弾正台=都の司法、治安維持と民政を所管
            統括していた京職の権限に浸透
            地方派遣の官庁にも拡大
       創設の原因 
      「桓武」天皇の軍団廃止・・・軍事の放棄・・・治安の悪化
       ???「軍隊廃止」・・・望むのはダレか・・・?
       日本の軍事力=兵士の能力、兵器の最新性・・・恐るのはダレ・・・?
 ↓↑     ↓↑
 条約・契約・約束・・・暴力次第でアワになる・・・
 ↓↑
 泡(あわ・ホウ)になって彈けるモノはシャボン玉・・・
 ・・・「アワ」の栽培ではなく、「クリ」の栽培だったのは
 「青森県」の「三内丸山縄文遺跡」の集落だった・・・・
 約5500年前~4000年前
 約1500年間にわたって存在した・・・
 集落は
 住居、墓、捨て場
 大型掘立柱建物、掘立柱建物
 貯蔵穴
 墓・土坑墓
 粘土採掘穴
 盛り土、道路
 などが、計画的に配置・・・

 ↓↑
 古代
 徳島県の
 北の地域は
 粟(あわ)=西+米・・・栗(くり)=西+木
 の生産地で
 「粟国」
 南の地域は
 「長国」
 と呼称
 『古語拾遺』
 神武東征で
 忌部氏
 を率いて
 「木国」の材木を採取し
 畝傍(うねび)山の麓に
 橿原(かしはら)宮を造営した
 「天富命(あめのとみのみこと)」
   ・・・阿波国に続いて房総の開拓
 が
 当地の開拓をし
 穀(コク・がら)
 麻(マ・あさ)の
 種を植えた・・・
 律令制において
 「長国造(ながのくにのみやつこ・ながこくぞう)」
 の領域を含め
 令制国の
 「粟国」が成立
 ↓↑
 和銅六年(713年)
 元明天皇
 佳字、好字令で
 地名を二字で表記する
 「阿波」
 に変更された・・・
 ↓↑
 麻植郡(おえぐん)
 呉島、忌部、川島、射立
 呉島=くれしま・ごしま・ごとう
 ↓↑
 沖縄県 石垣市
 呉
 ↓↑
 呉国の首都
 蘇州=長江の南側・長江デルタの中心部
    太湖の東岸
    陽澄湖は東北側
    略称 蘇・呉
    別称 姑蘇・呉都・呉門・呉中・平江
    運河による水運生活
    蘇州夜曲
 ↓↑
 「諸樊」・・・ 樊=棥+大
          木+爻+木+大
          十+八+乂+乂+十+八+一+人
          ハン
          まがき・かご・とりかご・みだれる
          かこい
          樊(まがき)・垣根。生垣
          樊籬(ハンリ)
          藩=王室を護衛する諸侯・その領地・蕃国
            日本では明治時代に初めて公称とした
          かご・とりかご
          樊籠(ハンロウ)
          みだれる
          樊然・
 が
 この地を本拠とし
 諸樊の子孫の
 「闔閭」が
 呉の都として整備した
 「臥薪嘗胆・呉越同舟」
 秦 以後
 「会稽」郡
 「呉」郡、「呉」県の役所が設置
 隋 代
 「蘇州」の名、呼称が始まった
 南朝最後の
 「陳」末の民衆反乱(589年)で
 町が破壊
 再建は役所を蘇州に戻した
 唐の
 「太宗」時代以後
 五代十国時代
 「呉越国」の都
 北宋
 「神宗」時代に
 府(首都に准じる)への昇格
 平江府
 「元」時代
 平江路
 「金」の南宋遠征軍が
 平江府を攻撃(1130年)
 南宋によって再建
 「元」末の
 「張士誠」が
 呉王を称して蘇州に都した
 「明」時代
 蘇州府が置かれて以後
 「蘇州」の名称が固定化
 ↓↑
 絹織物産地
 南宋時代
 木綿栽培が広まり
 綿織物の生産を図った
 アヘン戦争後
 「上海」開港にともなって
 経済的地位が低下・・・
 ↓↑
 現在
 江蘇省の省都は
 南京に置かれている
 清代
 江蘇布政使が蘇州に駐在
 「太平天国」は
 蘇州を蘇福省の首府とした
 「南京」に都した
 中国国民党時代
 蘇州に
 江蘇都督行署を置き
 日本軍占領期にも
 江蘇省会であった

 安房(あわ)=上總(総)・下總(総)
        ボウソウ
       =房総半島=千葉
 ↓↑
 鎌倉時代
 幕府により
 佐々木氏
 小笠原氏
 が守護


 室町時代
 三管領家の一つ
 細川氏が支配
 ↓↑
 戦国時代
 小笠原氏の庶流
 三好氏が支配
 三好之長
 三好元長
 の代に
 京都に進出
 管領細川氏の重臣として
 阿波を本国とし
 畿内で権勢
 ↓↑
 1540年代
 三好長慶
 の代で最盛期
 長慶の次弟
 三好実休
 が阿波を
 三弟
 安宅冬康
 が淡路を
 末弟
 十河一存
 が讃岐を統治
 ↓↑
 三好長慶
 自身は
 京都の幕府の元で
 管領代として中央政治に関与
 本国である阿波の他
 弟達の統治する
 讃岐、淡路、
 和泉、摂津、
 河内、山城、大和、丹波
 若狭、播磨の一部をも支配下に置いた
 1561年
 十河一存が急死
 1562年
 三好実休が戦死
 1563年
 長慶の嫡男
 三好義興が病死し
 長慶も病気がち
 1564年
 安宅冬康を誅殺し
 自身も病死
 ↓↑
 家督を継いだ
 三好義継は
 飯盛山城
 若江城を本拠に勢力保持しようとするも
 三好三人衆や
 重臣
 松永久秀
 らの主導権争いで弱体化
 ↓↑
 1573年
 三好義継は
 京都を追放された
 室町幕府第15代将軍
 「足利義昭」を保護して
 「織田信長」に
 若江城にて滅ぼされた
 ↓↑
 三好実休の嫡男
 阿波三好家の家督を継いだ
 「三好長治」
 が本国のる阿波を統治
 長治は
 阿波全土の国人や領民に
 「法華宗」を強要し、支持を失い
 土佐国の
 「長宗我部」氏の侵攻にあい
 1584年
 阿波は
 「長宗我部元親」の支配下となった
 長宗我部元親は
 1585年
 讃岐
 伊予の河野氏を制圧
 四国統一・・・
 その直後、
 1585年6月
 羽柴秀長
 10万の軍勢が四国へ送られ
 羽柴秀長
 羽柴秀次
 らの兵は阿波から上陸し
 宇喜多秀家は
 讃岐へ
 小早川隆景は
 伊予へと攻め込んだ
 ↓↑
 元親は
 阿波の
 白地城を本拠地に対抗したが
 羽柴軍上陸の2ヶ月後に降伏
 元親は
 土佐一国を安堵され
 土佐以外の三カ国は没収された
 ↓↑
 後
 「蜂須賀正勝(子六)」
 に
 阿波国
 淡路国
 を加増することを伝えたが固辞
 息子の
 「蜂須賀家政」が阿波に封ぜられた
 正勝と義兄弟の契りを結んだ
 「稲田植元」
 を客将として招き
 「淡路国」と県北部を知行地として任せた
 蜂須賀氏は改易されることなく
 江戸時代を通じて
 阿波国
 徳島藩・富田藩(徳島藩支藩)
 淡路国の国主として
 阿波・淡路の二国を治めた
 稲田氏は独立を志向
 ↓↑
 明治
 廃藩置県で
 阿波は
 名東県となり
 名東県は
 淡路国(淡路島)も範囲とし
 1873年(明治六年)2月20日
 香川県も編入
 第二次
 府県統合により
 1875年(明治八年)9月5日
 旧 讃岐国部分が
   香川県として
   分立再置県
 1876年(明治九年)8月21日
 康午事変で
 敵対した
 淡路国は兵庫県に編入され
 阿波国部分は
 高知県に編入
 1880年(明治十三年)
 旧 名東県が
 高知県から分離されて
 徳島県が発足
 四国は旧国の形のまま
 県へと移行した・・・
ーーーーー
 「庁例(使庁の流例の慣習法)」・・・?
 ↓↑
 刑事事件に関する職権行使のため
 律令とはちがった性質のを適用法
 ↓↑
 別当
 911年(延喜十一年)・・・?
 藤原忠平が
 大納言に転任
 検非違使別当をそのまま兼帯
 ↓↑
 序文・・・別当・・・十一年・・・?
 「古事記序文」・・・?
 ↓↑
 十一年・・拾壱歳
      拾壱撚
 ↓↑
 延喜・・・延期・延麒・煙鬼
      円喜・遠忌・厭忌
 ↓↑   ↓↑ ↓↑
 この兼帯した例のみで
 他の例は無い
 五位以下から兼帯した例も無い
 検非違使別当
 検非違使を統轄する最高責任者で
 自身は検非違使ではない
 検非違使別当を
 兼帯した権中納言
     従三位
     兼行
     左衛門督
     柳原量光
 が14 86年(文明十八年)に辞職以降
  16 55年(明暦元年)十月二十六日
     参議
     従三位
     行
     左衛門督
     油小路隆貞が
     兼帯するまで
     兼帯者不在・・・?
ー↓↑ーー↓↑ーーー↓↑

     『巡り合わせの理論』
      ド・モアブル
      度・母阿武留?
      ↓↑
       π は
     『超越数』
      円積
      与えられた
      長さを
      半径とする円
      と
      等積の
      正方形を作図
      は
      解くことができない
      ↓↑
      フェルディナント
      増える出意難 度?
      フォン
      不穏・訃音?
      リンデマン
      輪 出萬?
      ↓↑
      1600年代前半~
      円を対象とした
     「円理」
     『美しい理論』
      毛利重忠・・・3,16=π
      ↓↑
      円軌道・楕円軌道
      円周率=パイ(π)=Pi
      円周÷直径=3,14159265
      π=C/d
      円の 面積=πr²
      半径 r の
      球の 体積=4/3πr³
      球の表面積=4πr³
ー↓↑ーー↓↑ーーー↓↑

 半径 r の円の周長 =2πr
 半径 r の円の面積 =πr²
 半径 r の球の体積 =4/3πr³
 半径 r の球の表面積=4πr³
 長半径 a
 短半径 b
     の楕円の面積=πab
 180° =π ラジアン
 ↓↑   ↓↑ ↓
 拾八是賂 等字 案
 ↓↑   ↓↑ ↓
 1663年
 村松茂清が
 『算爼(サンソ)』で
 「円の内接多角形の
  周の長さを計算する方法」
 で「3.14…」値を算出
 『算爼』では
 円に内接する
 正八角形から角数を順次2倍していき
 内接215=32768角形の
 周の長さで
 「3.1415 9264 8777 6988 6924 8」
 と小数点以下21桁まで算出
 小数第7位まで同じ
 1680年代
 円周率の値を
 「3.16」とする数学書はなくなり
 「3.14」に統一
 1681年頃
 関孝和が
 内接217角形の計算で
 小数第十六位までの数値を算出
 1712年
 『括要算法』刊行に記録(記呂久?)
 江戸時代
 三大和算書
 『塵劫記』
 『改算記』
 『算法闕疑抄』
 増補改訂版で
 1680年代に
 「3.14」に統一
 ↓↑
 逆行の値
 江戸時代後半
 「3.16」に逆行
 文政年間(1818~30年)
 大衆向けの小冊子の中で
 「3.16」が普通に用いられていた
 ↓↑
 「橘南谿(1754-1806年)」
 は「3.14」はまだ確定していない
 「荻生徂徠」
 「3.14」の根拠に納得しなかった
 円に内接する
 多角形の周を計算し
 円周率を出した
 内接多角形の角数を増やすほど
 求まる円周率の桁は増えていく
 値が増大無限
 「それがいくら増えても
  3.1416
  を超えない」
 ということを
 和算家たちは
 納得させることができなかった
 ↓↑
 「万人」に納得させる
 「理」に基づいての
 「計算」
 「円を
  内接多角形
  と
  外接多角形
  ではさんで
  円周率の
  上限
  下限
  を示すこと」
 ↓↑
 宅間流
 和算の円周率
 「鎌田俊清(1678~1747年)」
 享保七年(1722年)
 『宅間流 円理』の著書で
 唯一
 「円周を
  内接・外接
  多角形で挟み込んで
  円周率の
  上限
  下限
  を示す」
 鎌田は円周率の
 小数点以下24桁までの
 円周率の値を算出
 ↓↑
 「無限級数」展開
 円周率の
 無限級数による公式
 「蜂谷定章」
 松永良弼、坂部広畔
 川井久徳、長谷川寛閲
 らによるものがある
 ↓↑
 「建部賢弘」は
 円周率の二乗を求める
 日本初の公式を考案
 ↓↑
 和算の限界
 『塵劫記』の古い円周率「3.16」
 が残存
 『塵劫記』の重版(1694年)
 古い
 円周率「3.16」
 のまま出版され続け
 大衆的な通俗算数書で出版
 ↓↑
 江戸時代後半の和算家
 秘密主義
 保守主義
 権威主義
 が在野の独創性を無視
 学問の進歩を妨げた
 ↓↑
 コンピュータ計算
 1973年
 100万桁
 を超えた
 2020年
 円周率は
 小数点以下
 50兆桁まで計算
 ↓↑
 π(Pi)は・・・ピ⇔ヒ=比・非・日・卑
 超越数・・・越を超える數・崇・枢・樞
       樞・枢⇔柩=棺=日嗣・・・継体
       樞=拾+八+匚+品
           ・・・品=ほん・しな・ヒン
 であるため
 コンパス(ぶん回し)=分回し(ぶんまわし)
 (規・䂓・椝・槼) 
 と
 定規
 の有限回の操作だけで
 円
 と
 等面積の
 正方形を作図することは
 不可能である

ー↓↑ーーーー↓↑
      圓
      円大使主(つぶらのおほみ)
     『日本書紀』
      履中天皇二年条
      円大臣(つぶらのおおおみ)
     『日本書紀』
      雄略天皇元年条
      都夫良意富美(つぶらのおほみ)
     『古事記』
      安康天皇の部分
     ↓↑
     葛城 円(かつらぎ の つぶら)
     履中天皇二年(401年)
     国政参加
     ↓↑
     安康天皇三年(456年)
     眉輪王(目弱王)が
     安康天皇を殺害時
     ↓↑
     眉輪王
     と
     坂 合  黒 彦  皇子
    (さかあいのくろひこのみこ)
     を屋敷にかくまい
     雄略天皇に
     屋敷を包囲され
     娘の韓媛(からひめ)
     と
     葛城の屯倉(みやけ)
     七ヶ所を差出し
     許しを乞うたが
     焼き殺された
    『日本書紀』
     ↓↑
     坂合黒彦皇子は
     逃げこむ前に討たれ
     差出した屯倉も五ヶ所
     焼殺されたのではなく
     眉輪王を殺し
     自害した
    『古事記』
     安康天皇三年(456年)
ーーーーー
 ・・・???・・・
月間の日干支サイクル
http://meisiki.bake-neko.net/keisanBXG4.html

年月日時×大運干支命式表の組織化
http://meisiki.bake-neko.net/meisikau/meiww35a1.html

http://meisiki.bake-neko.net/meisikau/meiww35a2.html

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天文訓・・・「紫薇宮は太一の常居・北辰(北極)」・・・アメのイチ

2020-11-14 23:54:35 | 古事記字源
 臺乙・泰一・太一・太乙真人(眞人)・「真人・眞人」
 天文訓・・・「紫薇宮は太一の常居・北辰(北極)」・・・
 ↓↑
 アメ・アマ=米國文の君
 ↓↑
 「太白」・・・「金星・宵の明星=長庚」・・・
 フトッチョの白(いわく)の人・・・
         金武誉志・良い之名生定=譯語拿・科の得・・・?

 ↓↑
 太伯(タイハク)
    太った人は白い・・・?
    戴白=頭が白髪の老人
    碓礴⇔磅礴=ボウハク=旁礴・旁魄
    混じり合って一つになること
    何事も両極が磅礴して流転
    広がり満ちること・満ちふさがること
    般礴=ハンパク
    両足を前に投げ出して座る
    碓穿⇔碓=いしうす・穀物を挽いて粉にする道具
       穿=穴+牙=セン
       うが つ ・ほじ る・ほじくる・ はく・はつる
       つらぬく・・・小碓命、熊襲タケルの尻を突く
       石碓・木臼・碾臼
       ウスを搗く・・・杵=きね=木根・稀音・記音
       餅搗き・粟搗き⇔阿波突き⇔
 虞仲(グチュウ)
    怖れ=恐れ=畏れ
      =虞(おそれ)=虍+呉=大海人皇子=天武天皇
              虎 呉=くれ
      仲=イ+中・・・中大兄皇子=天智天皇=葛城皇子
              中臣鎌足=中臣鎌子=藤原鎌足
 ↓↑

 中国周王朝
 古公
 亶父の子で兄弟
 后稷が始祖
  ・・・稷=禾+田+儿+夂
     稷 (アワ)
     稷 (ウルシキビ)=粳の黍
     稷 (キビ・キミ)・稷 (ショク)
      =黍=粟の別称・・・高粱(コウリャン)?
       穀神の稷=周王朝の祖先
            社稷が国家自体をも意味
 杜          杜
 「神奈備(かむなび・かんなび)」
 という神が鎮座する森
 神代・上代(かみしろ)
 「屋敷林」などの「人工林」「二次林」
 杜(やまなし)
 杜絶(ふさがる・トゼツ・途絶)
 杜撰(ズサン・いいかげん)
 山野に自生する落葉果樹
 西周代
 鎬京の東に存在した国名=伯爵国
 杜 杜
   社(やしろ)=集会所・役所⇔神社
   鎮守の杜(もり)
   杜の鍛冶屋・道具の生産場所?
   ビーナス(金星)の夫は
   ヘイパイストス(鍛冶屋)
   杜=木+土

    =きび・イネ(稲)科の一年草=黍⇔粟⇔米
     黍の原産地
     五穀の一・黍稷(ショショク)・類 黍(ショ)
     五穀の神・それをまつるやしろ・社稷
     たおさ(田長)・農業を監督する役人
     后稷(コウショク)・社稷(シャショク)
     黍稷(ショショク)
 姓 周宗家と同じ姫(キ)
 紀元前12世紀・紀元前11世紀頃の人物
 季歴の兄・・・「李=木+子」の「暦=厤+日」
 文王の伯父・・・文=亠(音略)+乂
 ↓↑
 太伯は長男
 呉(句呉)の祖
 泰伯
 日本の皇統は太伯の末裔・・・との説・・・荒唐無稽?
 「自謂太伯之後(自ら太伯の後と謂う)」
 林羅山・・・囃子(早矢止)羅簒(残)?
 神武天皇、太伯末裔説
 呉王「夫差」の後・・・越王「勾践」=「臥薪嘗胆」
            越前・越中・越後
            ・・・米どころ=米国=亜米利加
 ↓↑          ↓↑
 遼隧の戦い=魏vs燕
    ・・・倭は燕に属す?
    『山海経』第十二「海内北経」
    「蓋國 在 鉅燕南
           倭北
           倭屬燕」
    「鉅」=金+巨
     鉅(いず)くんぞ
     鉅(おお)い
     鉅(おお)きい
     鉅(なん)ぞ
   「鉅鹿(キョロク)=秦代
     河北省平郷県に置かれた
     郡、県の名
 ↓↑  ↓↑
     紀元前207年
     鉅鹿の戦い
    「陳勝・呉広の乱」
     直後
     項羽の「楚軍」
     と
     章邯の「秦軍」
     との間で
     鉅鹿(河北省邢台市平郷県)
     で行われた戦い

     鉅鹿県
     河北省
     邢台市
     に位置する県
     秦代~南北朝時代
     同名の巨鹿県が設置されたが
     別県
     ↓↑
     曹州教案(そうしゅうきょうあん)
     1897年
     11月1日
     山東省曹州で発生した
     教案(反キリスト教事件)
     鉅野教案・鉅野事件とも
     山東省
     曹州府
     鉅野県
     張家荘のカトリック教会が
     大刀会数人の略奪に遭い
     教会内にいた
     フランツィスクス・ニース
    (Franciscus Nies、能方済)
     リヒャルト・ヘンレ
    (Richard Henle、韓理加略)
     の2人のドイツ人神父が殺害された
     事件の直前に
     曹州府
     寿張県(陽穀県寿張鎮)
     の教会の襲撃事件発生
     11月6日
     ドイツ帝国は
     山東省に出兵
     膠州湾を占領
     外交折衝が行われたが
     交渉中に
     山東巡撫
     李秉衡
     が解任
     1898年
     清朝は過失を認め
     ドイツに22万両の賠償金
     済寧など3ヶ所に教会を建設
    「独清条約」が結ばれ
     ドイツは99年間
     膠州湾を租借
     鉄道建設権
     鉱山の採掘権を得た
 ↓↑  ↓↑
     「鉅燕」の南
     「蓋國」・・・朝鮮半島
     「倭國」の北
     ↓↑
     蓋国は鉅燕の南・・・蓋(天蓋・鍋蓋)
     蓋=ふた=亠(鍋蓋・音の略字)
     倭の北にあり
     倭は「燕」に属す・・・?
        燕=「公孫」氏・・・公孫淵
           天孫=天津族
           隋の煬帝の宮城内の
           天津川・天津橋

 ↓↑        ↓↑   ↓↑
 238年8月・・・・6月、卑弥呼、魏に使者派遣
          6月、邪馬台国の女王、魏に使者派遣
          ↓↑・・・倭の使者は「何處」にいた?
          8月、遼隧の戦い・・・?
          ↓↑
          12月、明帝から
           「親魏倭王」の金印・紫綬と銅鏡」
            などを下賜(魏志倭人伝)
          6月、卑弥呼は「燕」を裏切った・・・?
          6月、卑弥呼は「魏」に恭順した・・・?
          6月、卑弥呼は「呉」を裏切った・・・?
          6月、卑弥呼は「高句麗」を裏切った・・・?
 ↓↑
 虞仲は次男
 仲雍・呉仲
 ↓↑
 末子は季歴
 歴の子は
 昌(文王)
 文王
 父は季歴
 母は太任・・・大任
 弟に
 虢仲
 虢叔
 祖父は古公亶父
 伯父は太伯と虞仲
 ↓↑
 子は武王
 武王の 后妃
 太姒  帝乙の妹・・・太姒(女以)
 ↓↑
 瓠=夸+瓜
   大+亏+瓜
   大+一+丂+瓜
   カク
   コ
   ひさご(瓢)・・・向後・久語
   ふくべ(瓢)・・・服部・福部・福邉
   ひょうたん・・・・瓢箪
  「瓠落(カクラク)」=丸く中が空虚なさま


 ・・・豊臣秀吉・・・千成瓢箪・・・成金・・・?
    出自・・・半島渡来人・・・記之下・・・
 ↓↑
 秦=三+人+禾
   一+人+禾
    シン
    はた
    戦國時代の七雄の一
    秦國・・・
    ↓↑
    新羅=斯盧=辰韓・・・「秦韓」?
    真番=シン パン
    辰韓=シン カン
    秦韓=シン カン
      =秦の始皇帝時代
       秦人奴隷が
       朝鮮(百済)東部に
       逃亡移民・・・
      「新羅=斯盧=辰韓」≠「秦韓」?
      「秦韓」=亡命「秦國人」
    ↓↑
    辰韓十二カ國・・・弓月國=融通國
             百二十県の民?
    ↓↑
    已柢國(邦)(己柢國)
    不斯國(邦)
    勤耆國(邦)
    弁辰彌離彌凍國(邦)
    弁辰楽奴國(邦)
    冉奚國(邦)
    軍彌國(邦)
    如湛國(邦)
    戸路國(邦)
    州鮮國(邦)(馬延國)
    斯盧國(邦)=新羅=辰韓・・・「秦韓」?
    優由國(邦)
    ・・・辰韓人(秦韓人)は
      「國」のことを「邦」と呼称
       辰韓人(秦韓人)は秦語を使用
    ↓↑
   「其名
    國 為邦・・・「國」を「邦」と爲す
    弓 為弧
    賊 為寇
    行酒為行觴
    相呼為徒
    有似秦語
    故或名
    之 為秦韓」
    ↓↑
    邦→國・・・劉「邦」の
           「邦」を避け「國」替えた
    始皇帝     の「 秦」以前は「邦」
    劉邦=沛公=高祖の「前漢」以後は「國」
    と記録・・・
    ↓↑
    劉邦
    廟号 太 祖(タイソ)
    諡号 高皇帝(コウコウテイ)
    通号 高 祖(コウソ)     
    ↓↑
    倭王「珍」が
    元嘉十五年(438年)
   「使持節都督倭
    百済
    新羅
    任那
    秦韓
    慕韓
    六國諸軍事
    安東大将軍
    倭國王」
    を自称・・・
    倭王
   「斉・興・武」の記録も
    同上「秦韓」の記録
    ↓↑
    万葉集=新羅奇(しらき)
    出雲風土記=志羅紀(しらき)
    はた・姓氏の一種
    秦氏⇔服部・・・機織部の職名
       服部(はっとり)=呉服
    弓月君の民
    養蚕や織絹に従事
    その絹織物は
    柔らかく
   「肌」のように暖かいことから
   「波多」の姓を賜る・・・?
    肌=はだ=波田・・・秦(はた)?
    ↓↑
    仁徳天皇の時代
    波多姓を賜った
    子孫は氏姓に
    登呂志公
    秦酒公
    を賜り
    雄略天皇の御代
   「禹都萬佐(うつまさ・太秦)
    を賜った
    ↓↑
   秦河勝・・・雄略天皇時代・・・
   ↓↑
   景行天皇
   倭 建
   仲哀天皇
   神功皇后
   応神天皇
   仁徳天皇
   ↓↑
   応神天皇十四年~十六年
   ↓↑
   仲哀天皇八年
   始皇帝の
   三世孫・・・・・・・三世孫?
   孝武王
   の子の
   功満王・・・・・・十二世孫?
   が
   来朝
   さらに
   功満王の子の
   融通王・・・・・・十三世孫?
   弓月君と民が
   百済を経て渡来・・・
   ↓↑
   応神天皇十四年
   弓月君は
   弓月國
   百二十県の民とともに
   帰化を上奏
   ↓↑
   新羅の妨害を受け
   葛城襲津彦を派遣
   その庇護下で
   弓月君の民は
   加羅に逗留
   三年経過
   ↓↑
   応神天皇十六年八月
   平群木菟 宿禰
   的戸田  宿禰
   が新羅牽制のため
   加羅に派遣され
   弓月君の民が渡来実現
   ↓↑
   弓月國=中央アジアの國
   弓月君=融通王・・・融通(ユウズウ)?
  (ゆづきのきみ・ユツキ・ユンヅ)
   ↓↑
   秦氏(秦酒公)
  「禹豆満佐=うずまさ」
   ↓↑
   秦 河勝・・・推古・聖徳太子時代
   姓 造
   秦 丹照
   or
   秦 國勝
   の子との・・・系図
   古墳時代~飛鳥時代
   冠位 大仁・小徳
      大華上
      19階の上から7番目
      小紫の下、大花下の上
   主君 用明天皇→崇峻天皇→推古天皇
  ↓↑
  大秦町(たいしんちょう)
  秦梨町(はだなしちょう)
  太 秦 青木 ケ原 町
 (うずまさあおきがはらちょう)
  太 秦 青 木元 町
 (うずまさあおきもとちょう)
  太 秦 荒 木町
 (うずまさあらきちょう)
 ↓↑
 太=大+丶
   タ
   タイ
   ダイ
   ふとい
   ふとる
   はなはだ
   非常に・ひどく
   年長者や身分の高い人に対する敬称
   ふとい・ふとっている・肥えている
   ふとい・ふてぶてしい・ずぶとい・大胆
   ふとる・肥える
   ↓↑
 太(ふと) い
 太(ふと) る
 太(はなは)だ


 太(うず)=太秦(うずまさ)
 『日本書紀』
 推古十一年(603年)十一月条・・・十一・拾壱
 聖徳太子
 から
 秦河勝
 が仏像を賜り
 蜂岡寺(はちおかでら・広隆寺)を建立
 『上宮聖徳太子伝補闕記』
 『聖徳太子伝暦』
 秦河勝
 が
 聖徳太子に仕えて活躍した
 ↓↑
 太秦(うずまさ)
 地名由来
 雄略天皇の御世
 渡来系の豪族
 秦氏(秦酒公)が
 絹を
 「うず高く積んだ」ことから
 「禹豆満佐=うずまさ」
 の号を与えられ
 これに
 「太秦」
 の漢字表記を当てた・・・???
 「大秦(だいしん)」
 中国史書記載
 ローマ帝国・東ローマ帝国
 ↓↑
 范曄
 司馬彪
 後漢書卷八十八
 西域傳 第七十八
 安息
 「和帝 永元九年
  都護
  班超
  遣
  甘英
  使
  大秦
  抵條支
  臨 大海 欲度
  而 安息西界 船人
  謂 英 曰
  海水廣大
  往來者 逢 善風 三月乃得度
  若
  遇□風
  亦 有二歲者
  故 入海 人皆 繼三歲糧
  海中 善使人思土戀慕 數有死亡者」
 「安息=アルサケス朝パルティア
     始祖アルシャク
       Aršak(アルサケス1世)の音写
  ↓↑ 
 「後漢書」
 「和帝の・・・・・和=倭+綴・諦
  永元九年(97年)
  西域
  都護の
  班超・・・磐調・・・磐余=神武
  が
  甘英・・・・・甘(あまい=阿毎王朝
           うまい
           旨い・美味い・巧い)
         英(はなぶさ・・・英国
           はなびら・・・英吉利
           はなしべ・・・噺部
           花弁・瓣)
  を使者として
  大秦・・・太秦(うずまさ)・・・秦國
  に派遣」
 ↓↑
 范曄
 司馬彪
 後漢書 卷八十八
 西域傳 第七十八 大秦国
 「至
  桓帝・・・桓武
  延熹九年
  大秦王
  安敦
  遣使
  自
  日南・・・日本の南・・・?
       九州
       琉球・沖縄
       琉=王+㐬=琉璃(ガラス)
         王+亠+ム+川
         王+云+川
         王+亠+厶+川
         㐬=育・・・子の逆字+肉
        「頭を下にした胎児
         流れる水=羊水」の象形
         出産時
         羊水が流れ出る意
       球=王+求・・・王を求める・継体
  ↓↑                
  徼外・・・国境・もとめる・徼幸
          さえぎる
       辺外の徼塞(キョウサイ)
       国境の砦(とりで)・要塞・城塞
       南を徼
       北を塞
  獻
  象牙﹑犀角﹑玳瑁
  始乃一通焉」
  ↓↑
 「安敦=ローマ皇帝
    マルクス・アウレリウス・アントニヌス
   (在位161年~180年)
    or
    その先代皇帝
    アントニヌス・ピウス
   (在位138年~161年)」
  の「アントニヌス」の音写
  ↓↑
 「桓帝の延憙九年(166年)
  大秦国王の
  安敦(アントン)が遣わした使者が
  日南郡(越南北部)に訪れ
  象牙・犀角・玳瑁を献上
  初めて
  大秦と漢は
  交流」
 ↓↑
 太郎・太刀・太鼓・地団太・図太い
 太乙・太平・太成・太晟・太清
 太生・太誠・太聖・太子・太師・太志
 ↓↑
 㑀=㐲・傣
   㐲=海島
 ↓↑
 伏(ふす)
 ↓↑
 汰(おご)る
 汰(にご)る
 汰(よな)げる
 淘汰
 音沙汰
 無沙汰
 胡乱の沙汰(ウロンのサタ)
 疑わしい噂(うわさ)のこと
 「胡乱」=疑わしい
 「沙汰」=評判
 沙汰の限り
 是非や善悪を
 議論する必要もないほどに悪いこと
 論外
 「沙汰」=物事の是非や善悪を議論すること
 ↓↑
 假=仮=亻+厂+又
   カ・ケ
   かり
   假=亻厂又反=仮
   他から(他のものを)一時的に借りる
   他に一時的に貸す
   同「叚」
   実際とは違うが
   一時的に他のものを用いる
   足りないところに
   他のものを借りて当てる
   他のもので間に合わせる・補う
   取り敢えず~する・一時的に~する
   実際はどうか分からないが
   もしも~であるならば
   もしも~とするならば
   暇(いとま)
   仕事などの合間の
   何もすることがない時間
   同「暇(ひま)」
 ↓↑
 呉
 遼東に
 周賀を送り込もうと謀るも
 魏の
 田豫に敗れる
 ↓↑
 遼東公孫氏
 公孫淵は
 孫権に使節を送り
 呉に恭順のふりをしながら
 呉の使者を襲撃
 その首を魏に送り
 曹叡より
 楽浪公と
 専断権を勝ち得た
 ↓↑
 孫権は
 公孫淵討伐軍を
 派遣しようとするが
 薛綜が
 公孫淵の
 支配地を
 得ても利益が無い
 海洋遠征は危険
 脚気で兵を失う
 と上訴
 断念(『三国志』薛綜伝)
 ↓↑
 公孫淵
 233年12月
 呉の使者を斬って魏への忠誠を表そうとした
 呉の使者60人ほどが
 高句麗に逃れ
 呉王の詔勅を
 東川王に伝えた
 詔勅に
 高句麗に対して
 遼東の領有を認めることが記録
 高句麗は呉と同盟
 東川王は
 236年7月
 呉の使者を斬り
 首を魏に送り
 魏の改元を祝う使者を派遣(237年)
 魏の
 司馬懿が
 公孫淵を討つ際に兵を派遣(238年)
 公孫氏の滅んだ後
 242年
 遼東の西安平県を襲撃し
 魏と対立
 244年8月
 毌丘倹に攻め入られ
 国都の丸都城を陥落させられた
 東川王は
 南沃沮まで逃れたが
 王を支えたのは
 王直属の東部の
 密友・紐由
 下部の
 劉屋句
 ↓↑
 紐由は偽りの投降の後
 魏の将軍を刺殺して相死にし
 魏軍は退却
 東川王は国都に戻った
 論功行賞では専ら直属の
 密友・劉屋句らが恩賞を受け
 部族制国家に依拠した王権から
 貴族制性格となった
 国都
 丸都城が荒廃
 245年
 平壌城を築いて遷都
 平壌(平壌直轄市)には
 魏の
 楽浪郡があるため
 丸都城の別名
 集安地方の域名とする説
 ↓↑
 245年
 3月
 日本海地方の人が
 美女を献じ
 後宮にいれ
 10月
 新羅の北辺を侵攻
 248年2月
 新羅と和を結んだ
 248年9月
 死去
 柴原に埋葬
 東川王と諡
 ↓↑
 237年      丁巳
 神功皇后    三十七年
 皇紀       0897年
 中国
 魏      青龍 五年
        景初 元年
 燕 公孫淵:  紹漢 元年
 蜀      建興十五年
 呉      嘉禾 六年
 朝鮮
 高句麗    東川王十一年
        第11代の王
        姓  高
        諱  憂位居
        幼名 郊彘
        別名 東壌王
 ↓↑
 新羅     助賁王 八年


 百済     古尓王 四年
 ↓↑
 孫権は
 高句麗と通じ
 遼東へ親征を行おうとした
 魏は
 毌丘倹を派遣
 毌丘倹が
 鮮卑の軍を動かし
 遼東に駐屯させ
 孫権は親征を断念
 魏は
 公孫淵に対し上洛を命じたが
 公孫淵はこれを拒否
 挙兵して遼隧で
 毌丘倹を撃退
 公孫淵は燕王を称し
 年号を紹漢と定め
 独立を宣言
 周辺部族を掌握して
 玉璽を与え
 魏との国境をめぐり抗戦継続
 ↓↑
 238年干支 戊午
 倭
 神功皇后  三十八年
 皇紀    898  年
 中国
 魏     景初二年
 燕 公孫淵 紹漢二年
 蜀(蜀漢) 延熙元年
 呉     嘉禾七年・赤烏元年
 ↓↑
 八月
 遼東の燕國
 公孫淵(燕王)が
 魏に謀反し
 司馬懿
 の追討軍に敗れ滅亡
 公孫氏の遼東支配が終わる
 ↓↑
 曹叡は
 司馬懿に
 公孫淵
 征伐を命じた
 ↓↑
 公孫淵は
 卑衍
 楊祚
 らを
 遼隧
 に派遣
 司馬懿が遼東に到着
 卑衍が攻撃したが
 司馬懿は
 胡遵らを派遣し
 卑衍を破った
 ↓↑
 公孫淵は
 遼隧に数十里の塹壕を掘り
 司馬懿の軍を迎え撃った
 公孫淵の防衛陣が堅固と見て
 司馬懿は東南に退却したとみせかけ
 国都の襄平に侵攻
 公孫淵は遼隧の軍を撤退させ
 都の守備に当たらせたが
 敗退を繰り返し
 司馬懿に襄平を包囲された
 ↓↑
 長雨、兵糧不足で
 公孫淵は人質を出して
 和睦を画策するが
 司馬懿は許さず
 公孫淵を捕え、処刑
 公孫淵の子
 公孫脩、一族も討たれ
 公孫氏は滅亡
 ↓↑
 司馬懿は
 当地の15歳以上の男子を皆殺しにした
 ↓↑
 公孫淵は
 呉の孫権に
 謝罪とともに援軍を求める使いを派遣
 ↓↑
 239年
 孫権は
 羊衜・鄭冑・孫怡
 を派遣
 曹叡が死去
 羊衜らが
 遼東の牧羊城(旅順口)で
 魏の
 張持
 高慮
 らを破って
 男女を捕虜として帰国
 ↓↑
 魏
 遼東半島を勢力下に置き
 高句麗とも国境を巡って衝突
 ↓↑
 魏は
 毌丘倹を派遣
 高句麗を侵攻
 ↓↑
 「遼隧の戦い」
 司馬氏は魏の軍権を掌握し
 曹爽と政争
 ↓↑
 呉の年号
 「赤烏元年」
 紀年銘の
 画文帯神獣鏡が
 山梨県
 西八代郡
 市川三郷町
 の
 鳥居原
 狐塚
 古墳
 から出土
ーーーーー
 ・・・???・・・

 「プラトン古事記をカタル」
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog-1

 「月間の日干支サイクル」
http://meisiki.bake-neko.net/keisanBXG4.html

 「年月日時×大運干支命式表の組織化」
http://meisiki.bake-neko.net/meisikau/meiww35a2.html


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仕事・行為の結果・報い・収穫・報酬・・・前払い・・・

2020-11-12 16:27:51 | 古事記字源
 バロット ハーベスティング=Ballot Harvest・・・?
 アメ(こめ・ビ)の連邦(合衆国・合州國)・・・「合従連衡」國(邦)・・・
 六合=陸合
 圀=囗+八+方(亠勹)
 の「法」・・・???・・・
 英語・米語・日本語・・・カンジ音痴・・・

 ↓↑
 Ballot Harvest・・・
     harvest of
 仕事・行為の結果・報い・収穫・報酬
 ↓↑
 「veto(拒否権)」
 「拒否権」
 「right of veto」
 「veto right」
 「veto」
 ↓↑
 Harvest(ハーヴェスト、ハーベスト)
 「収穫」
 ↓↑
 ハーベスト=harvest
 収穫・収穫期・収穫物・収穫高・回収
 結果
 (動)収穫する・得る
 ↓↑
 バロート
 ↓↑
 ballot haavestin
 ↓↑
 ballot harvesting
 ↓↑
 ballot=無記名投票用紙・無記名投票
 ↓↑
 バロット ハーベスティング
 ↓↑
 harvesting=harryの現在分詞形・・・?
 ハーベスティング
 ↓↑
 ballot
 投票用紙(ballot paper)
 候補者名一覧
 票決する案件などが印刷され
 チェックをつける
 昔 用いた白と黒の
 投票用 小球
 投票(すること)
 無記名投票=cast a ballot
 ↓↑
 投票用紙(ballot paper)
 ↓↑
 Ballot collecting is
  the gathering and submitting
  of completed absentee
  or mail-in voter ballots
  by third-party individuals,
  volunteers or workers,
  rather than submission
  by the voters themselves
  directly to ballot collection sites.
  It occurs in some areas of the U.S.
  where voting by mail is common,
  but
  some other states have laws restricting it.
 Proponents of ballot collection promote it
  as enfranchising those
  who live in remote areas
  or
  lack ready access to transportation,
  are incapacitated
  or
  in hospital
  or jail.
 Critics of ballot collection
  highlight the possibility
  of increasing the potential
  for vote misappropriation or fraud.
 These critics sometimes use the term
  ballot harvesting
  to refer to the practice.
 ↓↑
 投票用紙の収集とは
 投票者自身が
 投票用紙収集サイトに
 直接提出するのではなく
 第三者の個人
 ボランティア
 または
 労働者が
 完了した不在者投票
 または
 郵送投票用紙を
 収集して提出すること
 郵送による投票が
 一般的である
 米国の一部の地域で発生しますが
 他の一部の州では
 それを制限する法律があります
 投票用紙収集の支持者は
 遠隔地に住んでいる人
 または
 交通機関への
 アクセスが容易でない人
 無能力である人
 病院または刑務所にいる人に
 投票権を与えることを
 宣伝しています
 投票収集の批評家は
 投票の不正流用
 または
 詐欺の可能性を高める
 可能性を強調しています
 これらの批評家は
 時々この用語を使用
 バロット ハーベスティング
 ↓↑
 米国
 2020年7月の時点
 ↓↑
 26の州が
 指定されたエージェントが
 別の有権者のために
 投票用紙を収集して
 提出することを許可している
 通常、そのようなエージェントは
 家族または同じ世帯の人
 ↓↑
 13州は
 法律の問題として
 投票用紙の収集を
 有効または禁止していない
 それを許可するものの中で
 ↓↑
 12州は
 エージェントが収集できる投票数に
 制限がある
 ↓↑
 アリゾナ州
 家族と介護者を除いて
 2016年にこの慣行を禁止
 2020年
 第9巡回区裁判所は
 法律が投票権法に違反していると認定
 ↓↑
 カリフォルニア州
 2018年の中間選挙の前に
 家族以外の人が
 投票用紙を集めて提出できるように
 規則を変更
 ↓↑
 コロラド州
 適切に指定された役人ではないコレクターに
 10票の制限を課している
 ↓↑
 2019年
 ジョージア州
 HB 316を可決
 選挙人、
 親戚(配偶者、子供、親、祖父母、孫、
    兄弟、姉妹、叔母、叔父、
    姪、甥、義理の親)
 以外の人物を禁止する
 または
 同じ世帯に住む個人が
 投票用紙を返却しないようにする
 障害のある選挙人
 病院に閉じ込められている選挙人
 および
 投獄または拘留されている選挙人については
 例外が列挙
 ↓↑
 モンタナ
 2018年
 有権者は投票者1人あたり6票の制限を承認
 ↓↑
 ノースカロライナ州
 保護者または近親者以外が
 有権者の投票を処理するための
 投票の収集は合法ではない
 ↓↑
 テキサス
 他人に代わって
 投票を集めることは
 テキサス州では違法
 州法は
 不在者投票を
 有権者(自身)が
 提出しなければならないと
 義務付けている
 ↓↑
 2013年
 州法案が可決
 選挙で
 郵送投票を集めることに対して
 報酬を授受することは
 軽罪となった
 ・・・原文は「得一揆経出蛙」・・・誤記・・・
 by「ウイッキぺデア」と検索ページからでした・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・
 「プラトン古事記をカタル」
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog-1

 「月間の日干支サイクル」
http://meisiki.bake-neko.net/keisanBXG4.html

 「年月日時×大運干支命式表の組織化」
http://meisiki.bake-neko.net/meisikau/meiww35a2.html



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「デフォルメ発信 or 発信遺棄」⇔「受信享受・判断」・「無知⇔不可判断」・・・

2020-11-11 17:47:28 | 古事記字源
 塩漬け・・・高橋景保・・・シーボルト事件・・・風聞・・・風視
 ↓↑
 朝から銀世界、牡丹雪・・・ススキの近辺、感染者最多・・・
 タヌキも迷惑・・・
 「武漢ウイルスのワクチン」・・・?・・・倭(和)句陳・・・
 プレスリリース(英語: press release
         仏蘭西語: communique de presse)
 報道機関に向けた、情報の提供・告知・発表
 「news release ニュースリ リース・報道発表」・・・
 「情報提供」⇔「享受」
       ⇔「検討」
       ⇔「選擇」⇔「操作」
       ⇔「デフォルメ発信 or 発信遺棄」・・・?
        (仏: deformer、動詞)
         デフォルマシオン
        (仏: deformation、名詞)
       ⇔「受信享受・判断」・「無知⇔不可判断」・・・

 ↓↑
 ・・・潮流・汐流・・・潮汐・朝夕・・・海流・・・
 黒潮はからく(辛く)=塩分の高い・・・「加羅・韓・唐・漢」句
 親潮はあまい(甘い)=塩分の低い・・・「阿毎・天・海女・海人」意
 海流の甘辛の塩濃度加減は
 潮流発生海域の雨量と
 海域に流れ込む河川の水量による
 ↓↑
 太平洋側の親潮(千島海流)=寒流
      黒潮(日本海流)=暖流
 ↓↑
 日本海側の暖流=対馬海流
      寒流=リマン海流
 ↓↑
 親潮は黒潮に比べ栄養分が豊富=親潮
 栄養塩の濃度は
 黒潮の5倍~10倍(数十倍~数百倍)
 黒潮は栄養分が少なく
 透明度高く「青黒く見える」=黒潮
 ↓↑
 うまい(旨い・甘い・美味い)ものも塩(しお・鹽・史生)
        阿毎        志緒・詩緒・史緒
 まずい(拙い・辛い・不味い)ものも塩(シヲ・鹽・史緒)
        唐意        エン=縁・園・圓・¥
ー↓↑ー
 英勝院(エイショウ イン)・・・英唱音
                 詠唱韻
 天正五年十一月九日
 1578年12月7日
 ~
 寛永十九年八月二十三日
 1642年9月17日
        大運1642年7月(63歳)丙辰比肩
          1652年7月(73歳)乙卯印綬
 ┏戊┏寅(戊丙甲)食神・比肩長生⇔壬午偏官
 ┗癸┗亥(戊甲壬)正官・偏印 絶⇔己酉傷官
  丙 辰(乙癸戊)  ・正官冠帯⇔辛酉正財
  甲 午(丙 丁)偏印・比肩帝旺⇔甲午偏印
    子丑空亡
 ↓↑
 幼名 「おはち(八)」・・・葉知?
 家康の内命で
    「おかち(勝 or 梶)」・・・梶=拾八尾(張)?
     と改めた
 徳川家康の側室・愛妾
 ↓↑
 父は
 里見氏の・・・南總里見八犬傳?・・・上総国=かずさのくに
                   かづさ=千葉県中部
                   数差・和佐・下図作?
        文化十一年(1814年)
        刊行開始
        28年後
        天保十三年(1842年)
        完結
        全98巻・106冊
        曲亭馬琴(滝沢馬琴)著作
 旧臣
 太田道灌・・・太田牛一
        信長・秀吉・秀次・秀頼
        家康
        の軍記・伝記を著述
        「信長公記」
        (信長記・安土記・安土日記)
        大田田根子・・・崇神天皇
        本牟都和気・本牟智和気・・・垂仁天皇=活目
        品津別・誉津別
        誉田別・応神天皇・・・・神功皇后=気長足姫
                    大帯比売・息長帯姫
                    帯=たらし・おび・タィ
 の曾孫
 太田康資・・・説?
 江戸城代
 遠山直景(遠山政景の子)・・・説?
 常陸国の戦国大名
 豊臣秀吉により支配地を失い
 結城氏の元に身をよせていた
 江戸重通の娘が
 太田康資の養女になった説?
 ↓↑
 兄 太田重正
   遠山氏の系図に含まれ
   父の死後
   母方(遠山氏)で
   兄妹のようにして育てられた・・・
 ↓↑
 慶長十二年(1607年)一月
 三十歳で
 家康最後の子
 五女
 「市姫」
 を出産
 市姫は
 仙台藩主
 伊達政宗の嫡男
 虎菊丸(伊達忠宗)
 と婚約したが
 四歳で夭折
 ↓↑
 後
 蔭山殿(万・萬)の産んだ
 鶴千代(徳川頼房・水戸藩・徳川家初代藩主)
 越前藩主
 結城秀康の次男
 虎松(松平忠昌・越後高田藩・福井藩相続)
 外孫であった
 振姫(姫路藩主池田輝政の娘)
 らの養母となった
 「振姫」は・・・振動・胆振・仮名振り・振袖
 後
 伊達忠宗に嫁いだ
 ↓↑
 水戸徳川家
 頼房の
 長男
 頼重(高松松平家・讃岐高松藩主)
 三男
 長丸(水戸藩主・光圀)・・・水戸黄門・梅里・大日本史
               佐々十竹・彰考館
               蝦夷(石狩)探検・快風丸造船
               子龍・観之(字)
               日新斎・山人・率然子・西山
               神号 高譲味道根之命
               那須古墳の発掘
               朱舜水(明国人)
               隠元(明国人)
 は京都の
 慈済院
 へ入っていた
 ↓↑
 英勝院は
 将軍
 徳川秀忠に対して
 頼重の帰府を願い
 寛永九年(1632年)十一月
 江戸の水戸藩邸への帰府が実現
 寛永十一年(1634年)
 五月九日
 水戸徳川家の世子となった
 幼い光圀を伴い
 新将軍・家光に謁見
 六月
 太田道灌の旧領
 屋敷のあった
 相模国
 鎌倉扇谷(神奈川県鎌倉市)
 の地を
 徳川家光より賜り
 菩提所として
 英勝寺
 を建立して住持
 「英勝院=梶」は
 関ヶ原の戦い
 大坂の陣
 にも男装して騎馬にて同行した
ーーーーー
 ・・・???・・・太=一+人+丶=犬・・・点(丶)の位置が異なる
          大=一+人=亠+𠆢・・・亠≠人≠𠆢の字形が異なる
 太 田  道灌=おほた ドウカ
 太 田  牛一=おほた ギュウイチ・ゴイチ・うしかず
 大 田  田根子
 意富多  多泥古
 大    直禰子
 太 安  万侶=タイアン まろ(靖麿・康麿・保麿)
 大 田=ダイデン
 多 田=ただ
ーーーーー
 疫病神の鎮魂者・・・


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「必要の前に法律なし」・・・煤傳・集金併・・・

2020-11-10 23:51:24 | 古事記字源
 カンジ、それジタイ・・・本質、本意・・・翻意である?
 「黄金律」・・・キリちゃん、ナニ、ソレ・・・タレの耶麻のクン?
 「二律背反」・・・
 「雷同一律・付和雷同」・・・アメの土砂降り
 「必要の前に法律なし」・・・煤傳・集金併
 「律儀は阿呆の唐名」・・・・歌留多・骨牌
 ・・・なァるほど、ワぁる土・・・
  ↓↑
 「憲法」
 「律令」
  法体系=律は刑法
      令は政治・経済などの
        行政法・訴訟法・民事法
  ↓↑
 「律」
  律=彳+聿
    彳+肀+二
    彳+肀+一+一
    リツ・ リチ・のり・ のっとる
    きまり・おきて・さだめ・いましめ
   「律令・規律・戒律・軍律」
    ・・・戦友・・・
ー↓↑ーーーー
 島津亜矢さん 「戦友」・・・絶唱!!・・・
 ・・・「お梶」はボクのオバァちゃんの名前でもあったが・・・
     うまい(旨い・美味い)ものも塩
     まずい(拙い・不味い)ものも塩
     美味い不味いは塩加減
     バランス次第・・・と、家康にコタエタ
     知恵と機転の女性・・・
     ↓↑
     英勝院(エイショウイン)
     天正五年十一月九日
     1578年12月7日
     ~
     寛永十九年八月二十三日
     1642年9月17日
        大運1642年7月(63歳)丙辰比肩
          1652年7月(73歳)乙卯印綬
 ┏戊┏寅(己丙甲)食神・比肩長生⇔壬午偏官
 ┗癸┗亥(戊甲壬)正官・偏印 絶⇔己酉傷官
  丙 辰(乙癸戊)  ・正官冠帯⇔辛酉正財
  甲 午(丙 丁)偏印・比肩帝旺⇔甲午偏印
    子丑空亡
 ↓↑ 
 幼名 「おはち(八)」
 家康の内命で
    「おかち(勝or梶)」と改めた
 徳川家康の側室
 ↓↑
 戰友
 此處(ここ)は
 御國(おくに)を何百里
 離れて遠き滿洲の
 赤い夕陽に照らされて
 友は野末(のずえ)の
 石の下

 思へば悲し昨日まで
 眞つ先 驅(か)けて突進し
 敵を散々懲(こらし)たる
 勇士は此處(ここ)に眠れるか

 嗚呼(ああ)戰(たたかい)の最中に
 鄰(となり)に居(お)りし
 我が友の
 俄(にわかに)はたと倒れしを
 我は思はず驅(か)け寄って

 軍律 嚴し(きびし)き中なれど
 是(これ)が
 見捨てゝ置かれうか
 「確(しっか)りせよ」と抱き起し
 假繃帶(かりほうたい)も
 彈丸(たま)の中

 折(おり)から起る
 吶喊(とっかん)に
 友は漸(ようよう)
 顏(かお)上げて
 「御國(おく)の爲(ため)だ
 構はずに
 後(おく)れて吳(く)れな」
 と目に淚

 後(あと)に心は殘(のこ)れども
 殘(のこ)しちやならぬ
 此(こ)の體(からだ)
 「それぢや行くよ」と別れたが
 永(なが)の別れとなつたのか

 戰(たたかい)濟(す)んで
 日が暮れて
 探しに戾る心では
 どうか生きて居て吳れよ
 物等(ものなど)言へと
 願(ねご)ふたに

 空(むな)しく
 冷えて魂(たましい)は
 故鄕(おくに)へ歸(かえ)つたポケットに
 時計許(ばか)りがコチコチと
 動いて居(い)るも
 情無(なさけな)や

 思へば去年(きょねん)船出して
 御國(おくに)が見えず
 爲(な)つた時(とき)
 玄界灘(げんかいなだ)で手を握り
 名(な)を
 名乘(なの)ったが
 始(はじ)めにて

 それより後(のち)は
 一本(いっぽん)の
 煙草(たばこ)も
 二人(ふたり)で分けて喫み(のみ)
 着いた手紙も見せ合(お)ふて
 身の上話(みのうえばなし)繰り返し

 肩を抱いては口癖(くちぐせ)に
 どうせ命(いのち)はないものよ
 死んだら骨(ほね)を賴むぞと
 言い交(か)はしたる
 二人仲(ふたりなか)

 思ひもよらず我(われ)一人
 不思議に命(いのち)永(なが)らへて
 赤い夕陽の滿洲(まんしゅう)に
 友(とも)の塚穴(つかあな)
 掘(ほ)らうとは

 隈無(くまな)く晴れた
 月(つき)今宵(こよい)
 心(こころ)
 染み染み(しみじみ)
 筆(ふで)執(と)って
 友の最期(さいご)を
 細々(こまごま)と
 親御(おやご)へ送る
 此(こ)の手紙

 筆の運びは拙(つたな)いが
 行燈(あんど)の陰で親達の
 讀(よ)まるゝ心(こころ)
 思ひ遣(や)り
 思はず落とす
 一雫(ひとしずく)
 ↓↑  ↓↑
 真下 飛泉 作詞
 三善 和気 作曲

 学校及家庭
 言文一致
 叙事
 唱歌
 第三編
 明治三十八年(1905年)
 by 「ウィキペディア(Wikipedia)」
ー↓↑ーー↓↑ーー
    法則にしたがう
   「律義・自律」
   「律義・律儀(リチギ)」
    学問上などの法則
   「二律背反・因果律」
    音楽の調子「呂(リョ) 」・奇数番目の音階
    律詩=漢詩の一体・八句からなるもの
    韻律(インリツ)・音律(オンリツ)・戒律( カイリツ)
    規律(キリツ)・自律(ジリツ)
    旋律(センリツ)・他律(タリツ)
    調律(チョウリツ)・法律(ホウリツ)
    呂律(ロレツ)
  ↓↑
 「令」
  令=亼+龴
   亽+龴
   人+一+龴
   人+丶+龴
   レイ
   リョウ
   いいつけ
   おさ
   よい
   上の者からの指示・命令
   おさ・長官
   すぐれた
   立派な
   相手の親族を敬っていうことば
   のり・おきて・決まり・法律
   しむ。せしむ
   「令甲乙~」
   「甲をして乙せしむ」
   「甲に乙をさせる」
  ↓↑
 ・・・「法」は「ダレ」のモノか?
 「the law・the modal・the moral・the Mood(文法上のmood)」
 「だれ・たれ」・・・「sagging,roll over,sags,die wear,shear drop」
           「undercut, sauce, hanging」
            滴れ・垂れ・足れ・多礼・他れ・埀・多禮・誰?
 「who」・・・World Health Organization (WHO)・・・?
  ホウ・・・フウ・・・風・風邪・・・?
    ・・・「Who, me?」・・・ふみ(文)・・・ブン?
 「who is who=who's who=who was who」
  who  whose  whom
  which of which
  whose which
  that       that
  what       what
 ↓↑
 法の精神 the spirit of the law
 法を守る observe [obey] the law
 法を破る break the law
 法に照らして according to (the) law
 法に訴えて appeal to the law
 ↓↑
 刑法 the criminal code
 ナポレオン法 the Napoleonic Code
 自然法 natural law
 ↓↑
 文法
 直説法
 仮定法
 命令法
 ↓↑
 「戒律」
 仏教の僧侶の守るべきいましめ
 仏 法=preach Buddha's teachings
 仏 教=佛 教・・・イはヨコシマな
           孝の攵・夂
           十一ノ一の了の𠂉の乂
       攵=𠂉+乂=攴=ト+又
       ホク
       ボク
       うつ・たたく・軽くたたく
         𠂉=髪挿し=カミさし
       夂=ク+乀=夊
         チ
         遅れて行く・ゆっくり行く
         うしろからついて行く
         夂=夊
         ふゆがしら・すいにょう
         なつあし
 ↓↑
 仏蘭西=佛蘭西・・・仏は阿蘭陀(和蘭)の西
 ↓↑
 仏=ィ+ム・・・イ はム=私=己=吾
         人 は邪=ヨコシマ        
         日都は邪=横嶌・横嶋・横島
         火都・肥都・比譯=比訳
         比約
         卑耶(邪)玖・郫屋久
 ↓↑
 佛=亻+弗
   亻+弓+丿+丨
   ム=弗
   弗=$=S+丨=Thaler(ドイツ銀貨幣)
       ヨアヒムスターラー
       (Joachims thaler) の略
     訛って『ダラー』・・・
     西班牙(スペイン)通貨
     「PESO(ペソ)」の
     PとSが重ね書きされ「$」・・・Snakeがpoleに絡み付いている
     UとSで「弗=弓+儿」・・・・・・UでSnakeを串刺し
     dollar=ドル=ム=私・・・

   ↓↑
   ム=弗=私
   私=I=吾=自分=己=よこしま=邪
         自=ミズから
    水・瑞・Ms
           みつ=満・・・蜜・密
              萬・万・曼
              鰻=うなぎ=鰍
                得名義
           密教⇔景教・経協?
 ↓↑
 ム=ㄥ+∖=ハ+_=八+ハ+_
 ↓↑
 ム⇔ ꓲ +ㇷ=ワ・ワの左右反転→上下逆転
 ム⇔ ノ+ㇷ=ㇰ・クの左右反転→上下逆転
 ム⇔ ム-∖ =ㇷ・フの左右反転→上下逆転
 ム⇔マ(/_∖・ㄥ∖・ノ_〵・ノ_〵・ノ㇘)
   の左右反転→上下逆転
 亜剌比亜(アラビア)数字の「7」
 ローマ数字の「Ⅶ=Ⅴ+Ⅱ」・・・ゴ葉二留?
 ↓↑
 么(何)=意思?
      么=me・ma(嘛)
        yāo(幺)
        麽mo;末mo
        接尾辞
        特定の代詞の後に用いる
   ・・・簒=竹+目+大+么
        竹+目+大+丿+厶
        簒奪
        么+α
        仫・庅・麽・嚒・嬷・懡・簒
        嬷嬷=年配の女性・お手伝い
           ばあや・乳母
 ↓↑    ↓↑
   ・・・纂=竹+目+大+糸
        編纂・纂修・雑纂・論纂
      ↓↑
   ・・・篹=竹+目+大+巳
        サン
        セン
        かたみ・竹で編んだ籠
        物を集める・整理する
        編集する
        記述する・書物を著す
        備え物・御馳走
 ↓↑
 麽=麻+么
   广+林+丿+厶
   广+木+丿+厶
   バ
   マ
   モ
   かすか・小さい・細かい
   か・や・疑問をあらわす助字
   接尾語
   疑問詞などの後につけて語調を整える
   異体字「麼・嚒・庅」
 ↓↑
 ム=ㄥ+∖
   シ
   ボウ
   ござる
   わたくし・個人的な=私=己
   なにがし・それがし=某
   ござる
   ~であります
   ~でございます
 ↓↑
 仏掌薯(つくねいも)
 仏子(ぶし)
 お陀仏(おだぶつ)
 ↓↑
 鬼手仏心(きしゅぶっしん)
 外科医は冷静に手術するが
 悪意などなく
 患者を救いたいという
 優しい心によるもの
 無慈悲な行いに見えても
 相手を思いやる
 優しい心によるもの
 「鬼手」=鬼の残酷な手
 「仏心」=仏のように慈悲深い心
 ↓↑
 鬼面仏心(きめんぶっしん)
 恐ろしい顔をしているが
 性格は穏やかなこと
 そのような人
 鬼のような顔と仏の心
 ↓↑
 敬神崇仏(けいしんすうぶつ)
 神も仏も敬い崇めること
 「敬神」=神を敬うこと
 「崇仏」=仏を崇めること
 ↓↑
 見性成仏(けんしょうじょうぶつ)
 自身の持つ
 仏としての性質を見極め
 悟りの境地に至ること
 「見性」=自身の本質を見極めること
 「成仏」=悟りを得て、仏になること
 禅宗の言葉
 全ての人は本質的に
 仏になる資質を持っている
 ↓↑
 悉皆成仏(しっかいじょうぶつ)
 「悉皆」=一つ残らず、全てのもの
      世の生きている全てのものが
      成仏する
 ↓↑
 悉有仏性(しつうぶっしょう)
 すべての人は
 仏になる素質を持っている
 この世に存在するすべてのものは
 仏そのものである
 「悉有」=すべての人(生物)が持っている
      ・・・「遺伝子」・・・
      この世に存在するものすべて
      ・・・の「動的変化」・・・
 「悉く仏性有り」
 「悉有は仏性なり」
 ↓↑
 朝題目に夕念仏(あさだいもくにゆうねんぶつ)
 しっかりとした考えをもたないこと
 朝は日蓮宗の南無妙法蓮華経の題目を唱え
 夕方は浄土宗の南無阿弥陀仏の念仏を唱える
 「朝題目に宵念仏」
 ↓↑
 居仏が立ち仏を使う
 (いぼとけがたちぼとけをつかう)
 座っている者が
 立っている者に用事を頼むたとえ
 「居仏」=座像の仏
 ↓↑
 今際の念仏誰も唱える
 (いまわのねんぶつだれもとなえる)
 不信心な人でも
 死に際には念仏を唱えて
 仏にすがる
 ↓↑
 馬の耳に念仏(うまのみみにねんぶつ)
 人の意見や忠告を
 上の空で聞き流し
 効果のないこと
 ↓↑
 お陀仏になる(おだぶつになる)
 死ぬこと
 物事が途中でだめになること
 阿弥陀仏を唱えて往生するとの意
 ↓↑
 ㄗ・・・ア・・・了・・・
 マ・・・予=マ+了・・・
     矛=マ+⺂(⺂)+ノ+亅
        ほこ=鉾=金+牟
     ・・・矛=牟
          戈・鋒・戟
     予約・予言・・・序文・預金
    「々=ノ+マ+点」=「同」
    「々=ノ+フ+丶」=「⺈+丶」=「勹+丶」
            =「ノ+𠃌+丶」
    「々=𠂉+丄」=「ノ+フ+丶」
     同=冂+一+口=冂+𠮛
            𠫔=𠮛=旨
         旨=シ・むね・うまい
          =𠮛=㫖・𣅌・𠤔
             𤮻・𣅀・𠩊
 ↓↑
 矞=矛+冏
   イツ・イチ
   龴乛亅𠄐予ノ矛冂ノ丿乚儿八口㕣冏=矞
   錐(きり)などの先の尖った刃物で
   穴を開ける
   良いことの前兆とされる三色の雲
 ↓↑
 𨾣=矛+隹
   ブ・ム・ボク・モク
   あひる
   鶩䳱鹜=龴乛亅𠄐予ノ矛ノ隹=𨾣
   アヒル(家鴨・鶩)
   マガモ(真鴨)を家禽化した種
   カモ科マガモ属の鳥
   「舒鳧(ショフ)」
 ↓↑
 矠=矛+昔
   サク・シャク
   やす
   𥎏・𥍡=龴乛亅𠄐予ノ矛艹一龷日昔=矠
   先の尖った矛
   矛で突き刺して取る
 ↓↑
 𥍵=矛+念
   キョウ・キン・ゴン・カン・ケン
   矜矝㥤=龴乛亅𠄐予ノ
       矛人𠆢一亼ラ今心念=𥍵
   矛(両刃の短い剣)などを
   取り付ける柄・刀剣槍
   自らを堅く信じる
   揺るぎない自信を持つ
   自らを誇りに思う
   自負する
   矜持、矜恃(キョウジ)
   自矜(ジキョウ)
   武器などを装着する柄は
   固くしっかりいしていることから
   同情して心を痛める
ーーーーー
 ・・・???・・・「マ」⇔「々=ノ+マ」⇔「刀+丶」・・・
          「了」⇔「ア」⇔「阿」⇔「鴉・雅」・・・
ーーーーー
      大運2014年6月(68歳)辛丑食神~
 丙 戌(辛丁戊)印綬・食神 養⇔庚子傷官
┏甲┏午(丙 丁)正官・印綬建禄⇔己丑比肩
┗己┗未(丁乙己)  ・偏印冠帯⇔甲寅正官
 庚┗午(丙 丁)傷官・印綬建禄⇔庚午傷官
   子丑空亡         危成
   箕宿己未         氏宿甲寅
             2021年1月6日
      ~
      大運2024年6月(78歳)壬寅正財
TーーvsーーV
     大運2018年11月(76歳)己未食神~
 壬 午(丙 丁)正官・食神建禄⇔庚子正財
 辛 亥(戊甲壬)偏財・印綬 胎⇔己丑食神
 丁 丑(癸辛己)  ・偏財 墓⇔甲寅印綬
 丙 午(丙 丁)劫財・食神建禄⇔庚午劫財
  申酉空亡         危成
  胃宿丁丑         氏宿甲寅
ーーーーー
 ・・・???・・・
 「プラトン古事記をカタル」
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog-1

 「月間の日干支サイクル」
http://meisiki.bake-neko.net/keisanBXG4.html

 「年月日時×大運干支命式表の組織化」
http://meisiki.bake-neko.net/meisikau/meiww35a2.html


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