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コジキジゲン

接禁⇔胎(受精・妊娠・胎児)→養→長生→沐浴(出産時の産湯)

2021-05-05 16:31:02 | 古事記字源

 コロナ感染予防=御手洗・マスク・嗽・接禁・・・接触禁止
 コロナに手をコマネク・・・何もできかねて傍観・・・?
 盥=たらい
   湯水を入れて
   顔や手足を洗う
   丸くて平たい容器
   洗面器より大きいく
   洗濯や行水などに用いる

 ↓↑
 たらい(盥・タライ・Washbasin・Washtub)
 平たい桶の一種
 丸い形で比較的浅い
 洗濯機が無かった時代
 主に洗濯の用途道具
 嫁入り道具の一
 「手洗い」が詰まって
 「たらい」となった・・・?
 「ておけ=手槽・手桶」で
 「あしおけ=足槽・足桶」
 「洗濯槽・洗濯槽」・・・
 多分
 「盥=たらい=タライ=槃」
 の用途の最重要性は
 妊婦が出産した
 「嬰児の産湯・湯浴び・湯沐」
 だろう・・・
 「ておけ=手槽・手桶」は
 「盥(たらい)」の語源ではないだろう・・・
 「タライ≠手洗い」でなければ
 「たらい=」である・・・「あしらい」?
 「盥の漢字形象と音韻」から
 「盥=𦥑(E+ヨ)+水+皿」=槃=般+木
              平らな鉢
              たらい・たのしむ・めぐる
              般・般若
              搬・運搬・搬出・搬入
              盤・水盤・石盤・銅盤
              磐・磐余・常磐
              涅槃(ネハン)・考槃(コウハン)
   =E+水+ヨ+皿
   =E+ヨ=両手を水で洗って皿に落とす(貯める)
        両手で水を掬い皿に落とす(貯める)
    𦥑(E+ヨ)=臼の底が抜けた漢字
          ⇔円筒状のモノ=菅・管=くだ状のモノ
  ・・・字形に「足・脚・肢」を示唆するのは
        昆虫類の「肢⇔E+ヨ」・・・?
 「足」は「ソク=たる・たりる」である・・・
            たらり=膤り
               「膤割(ゆきわり)」
                熊本県水俣市の地名
 ・・・平らな「たる=樽・多留・罇・弛」⇔たらい?
 湯沐(トウモク・ゆあみ)
 古代、皇太子、中宮に対する
 「資養」のために諸国におかれた
 令制で
 臣下に対する
 「名代・子代(なしろ・こしろ)」
 等の延長制度
 ↓↑
 湯沐邑(トウモクユウ・ゆのむら)
 古代中国
 飛鳥時代~平安時代の日本で
 「一部の皇族に与えられた領地」
 国と時代により実態が大きく異なる
 『礼記』 王制篇
 「方伯が・・・方伯(landgrave)=封建諸侯の称号の一
 天子に朝するときには
 みな天子の県内に・・・県内=行政督察区
 「湯沐の邑」を持つ」・・・
 どちらも
 「斎戒沐浴」を名目とする
 遠くから来る
 諸侯と従者、使者の滞在に
 必要なモノを報償として与えた
 「領地=邑=村」と
 そこの「領地民の使役・労役」・・・
 ↓↑
 湯沐(トウモク)=湯を浴びて、髪を洗うこと
          ゆあみ
 「湯沐の風姿婀娜たるを窺い」
 〈東海散士・佳人之奇遇〉
  by goo国語辞書
  ↓↑
 七世紀中葉
 「名代・子代」
 が廃止されるにしたがって設定された・・・
 「名代・子代」の代替延長が「湯沐」・・・?

ーーーーー
 湯沐邑
 周の制度
 『春秋公羊伝・(隠公三年三月条)』
 「邴(ヘイ)は
  鄭の湯沐邑」
 「天子が泰山を祭るとき
  諸侯もみな泰山の下に従う
  そのとき諸侯はみな
  湯沐のために邑を持つ」
 『礼記・王制篇』
 「方伯が天子に朝するときには
  みな天子の県内に
  湯沐の邑を持つ」
 どちらも
 「斎戒沐浴を名目」とするが
 遠くから来る
 諸侯と従者、使者の滞在に必要なものを
 現地で満たすために与えられた・・・
 ↓↑
 戦国時代と漢代の
 湯沐邑
 湯沐邑は
 君主が臣下に与える領地を意味するものになった
 魏無忌(信陵君)が
 趙の王から
 鄗(コウ)を湯沐邑として与えられた
 『史記(信陵君伝)』
 ↓↑
 前漢の高祖
 劉邦は
 「朕は
  沛公からはじめて暴虐を誅し
  ついに天下を得た」
 として
 挙兵の地である
 「沛」を自分の「湯沐邑」
 にして
 「沛」の税や労役負担を軽減した
 生地である
 「豊」も同様にした
 皇帝の「湯沐邑」はこの一例のみで
 その後は
 皇族が「湯沐邑」を与えられた。
 ↓↑
 前・後の漢代
 湯沐邑を与えられたのは
 皇太子
 皇后、皇太后
 廃王、廃王女
 公主
 王女
 皇后の生母
 太子の湯沐は
 『後漢書(班彪伝)』・・・班彪=チーター
 に、旧制で10県とある
 『漢旧儀』に
 皇后・太子は各40県を食み、「湯沐邑」とある
 漢代の皇族男子は通常
 諸侯・王や列侯になって
 与えられた領地を統治したが
 それ以外の皇族には
 「湯沐邑」が与えられた
 「湯沐邑の主」は統治権を持たず
         税収を手に入れるだけだった
 「湯沐邑」を与えられるのが
 皇族女子
 廃王
 に偏るのはこのため・・・
 ↓↑
 by  出典
    フリー百科事典
   『ウィキペディア(Wikipedia)』
ーー↓↑ーー
 「湯沐邑」
 平安時代の
 『新撰姓氏録』
 「諸国に
  多治部を定めて
  皇子の湯沐邑にした」
 この皇子は後の
 「反正天皇」にあたり
 「多治部」・・・オホのオサの部?
         太  安万(萬・曼・蔓)侶?
 を宰領した者が
 「丹比連」
 を名乗ったのが
 「丹比氏」のはじまり・・・単字・鍛治?
   ・・・タンを比べ得字・・・丹後・丹前・丹波
         但馬・萱場(かやば・タンバ・ケンバ)?
 「湯沐の邑」=湯を浴(沐浴・あ)びる=斎戒沐浴
        皇子の養育を賄う養育地・養育人の封地
        湯舟=たらい=盥
        ↓↑
        産湯(うぶゆ)の湯舟(ゆぶね)
      十二運の「沐浴」は「出産時の産湯(うぶゆ)」
      胎→養→長生→「沐浴」→冠帯→建禄(臨官)→帝旺→
       →衰→病→死→墓→絶→
      胎(受精・妊娠・胎児)→養→長生→沐浴(出産時の産湯)
 「名代・子代」=なしろ・こしろ
  ↓↑      ↓↑
         皇子・皇女の「養育料を賄う領地」
         皇子・皇女の「養育人・領民(部民)」
  ↓↑      ↓↑
         部民=各地域の農民集団
            地方の国造(くにのみやつこ)の配下の民
         名代=国造の一族から
            舎人(とねり)
            采女(うねめ)
            などを
            天皇・后妃の近侍者として奉納
  ↓↑      ↓↑
 を平安時代の制度に呼び替えたもの・・・
 ↓↑
 『日本書紀・巻二十八・壬申紀』
 天武天皇元年(672年)
 「湯沐令」への言及が2箇所
 「湯沐」への言及が1箇所
 「湯沐」や「湯沐令」は
 「湯沐邑」から派生した語・・・
 中国
 「唐王朝」に「湯沐邑」はなかった・・・
 日本の「湯沐邑」は
 「漢代の制度」の踏襲・・・
 ↓↑
 壬申の乱(天武天皇元年六月二十四日~七月二十三日
     (ユリウス暦672年7月24日~8月21日)
      壬生(みぶ)
      水辺、水生(みぶ)の意で泉や低湿地を意味
      後に「 壬生」の字を当てた地名・一族や集団
      皇子の世話や養育を行う
     「子代」である
     「乳部(壬生部、みぶべ)」からの転化を含む
 大海人皇子は
 自ら行動を起こす2日前
 6月22日
 に使者を出し
 「安八磨郡(安八郡)」
 の
 「湯沐令(ゆのうながし)」
 の
 「多品治」に兵を挙げ
 「不破道」を塞ぐよう命じた
 25日までに
 美濃の兵3000が
 「大海人皇子」のために
 「不破道」を塞いだ
 この兵
 「湯沐邑の兵力」
 「美濃国全体の兵力」
 とする説・・・
 「安八磨郡の湯沐邑」
 が真っ先に
 軍事行動を起こした
 24日
 大海人皇子は
 伊勢に向かう途中で
 「菟田郡家」のそばで
 「湯沐の米」
 を運ぶ伊勢国の駄50匹に会った
 25日
 伊勢の
 「鈴鹿郡家」で
 国司守の
 「三宅石床」
   介の
 「三輪子首」
 「湯沐令」の
 「田中 足麻呂
  高田 新家」
 が出迎えた
 ↓↑
 「湯沐邑」は
 「安八磨」郡の一部ではなく
 郡全体にあたる・・・
 その郡の範囲は後の
 「池田」郡を含み、さらに広かった・・・
 「田中足麻呂」
 は
 「多品治」
 と同じく
 安八磨郡の「湯沐邑の令」
 伊勢国の「別の湯沐邑」
 の説・・・
 ↓↑
 律令制の「湯沐邑」は収入源でしかないが
 「湯沐邑」と
 「皇子」との関係・・・出生地だろう・・・?
 ↓↑
 律令制の湯沐邑
 東宮(皇太子)
 と
 中宮(皇后)
 のために「湯沐邑」が置かれた
 「壬申の乱」のように
 「東宮が湯沐邑を経済的基盤として
  国家に対抗することを防ぐため
  大宝令、養老令制定時には
  中宮のみ2000戸の
  中宮湯沐が置かれ
  東宮には湯沐邑の代替として
  毎年
  東宮雑用料
  絁300疋
  綿500屯
  糸500絇
  調布1000端
  鍬1000口
  鉄500廷
  が支給(禄令封戸条)
 ↓↑
  光仁天皇の時代
  山部親王(桓武天皇)
  のために特に
  東宮 湯沐1000戸
  が与えられ
  延喜式の段階で
  東宮 湯沐として
  中宮と同様の2000戸が支給
 (『延喜式』春宮坊、なお東宮雑用料も併給)
  令制では別に
  封戸があり
  他の皇族と臣下に与えられた
  封戸と湯沐は
  呼び方の違いであり、実質は同じ・・・?
ーー↓↑ーー
 「足利(あしかが)=今川」家・・・足の利
  たりり・ソクリ  足利尊氏(あしかが たかうじ)
  たルり             
 「た」+「ら・り・る・れ・ろ」+「り」
  ↓↑
  カガと=踵=カカと
  足の裏の最も後(背中側)の部分
  きびす
  下腿の骨と関節によって繋がっている
 「踵骨(ショウコツ)」
 「ヤコブ(かがと)」
  ↓↑
 「足利」=葦や葦が生い茂っている土地
      足利氏は河内源氏が祖
      平安時代
      源義家の三男の
      義国が
      下野国
      足利郡
      足利荘(栃木県足利市)に領地を持ち
     「足利」を名乗った
      藤原姓の「足利」氏の末裔・・・
     「アシ」は中国東北部(満州)方面の言葉・金属
     「カガ」は「利息の利」のこと・・・
      ・・・金の利子・・・?
        ・・・利=禾+刂(刃)
             ノ+十+八+刂
            =穂先の尖った(禾)刃(やいば)
             剣=つるぎ・ケン
         金の効果・効き目・効力・効能
          戦功・・・戦争の戦果、褒賞・報償
          甲斐?・・・遣った見返り・・・?
     「かが」+「ま・み・む・め・も」
      甲賀・鑑・鏡・香我美・加賀美・僂・各務
 ↓↑
 たらい・・・「多良・多羅・太良・鱈・楤・膤・桵」+イ
 盥=⺽+水+皿=泴
   カン
   すすぐ(漱・濯・雪・洗)
   そそぐ(注・灌・潅)
   たらい
   あらう・手を洗う
   手を洗うのに用いる器
   ↓↑
   盥ぐ(すすぐ)
   盥ぐ(そそぐ)
   盥(たらい)
   洗面器より大型のもの
 ↓↑
 盥(たらい)
 洗濯、行水などに用いる
 「円筒形」の平たい容器
 「手洗い(てあらい)」
 ↓↑
 「たらい回し」
 「傘回し・皿回し」と同じ曲芸の一
 曲芸師があおむけに寝て
 「足(たり・たれ・たる・あし・ソク)」・・・足=王
 で
 「盥(たらい・カン)」
 を回す
 「曲芸」・・・よこしま(キョク)な「芸・藝」
 ↓↑
 盥=⺽+水+皿=泴
   𦥑=キョク
     両手を
    「こまねく」こと
     ・・・廾=廿足(にじゅうあし・卄)
          キョウ
          こまぬき
          両手で
          モノを持ちあげたり
          持ったり
          抱きかかえたり
          拱(こまぬく・こまねく)
          腕組みをしたり
          両手の動作
         「高麗ねく」・・・
          手出しをせずに傍観する
         「ドウショウモない」
         「如何ともしがたい」
         「手立てがない」
         「方法がない」
         「是非もない」・・・?
          ↓↑
         「こま=駒・独楽・狛・巨摩」
         「こま~くま」
         「くま―ねく」
             ・・・音口・根句・寝句
         「句真似口・熊の襲の音求」?
          ・・・「子を招く
              オイデ、おいで」?
     異体字
    「臼・匊・舉・裒・⺽・挙」
 ↓↑
 「盥(たらい)」
 平たい桶の一種
 「たらひ」=「た(手)」+「あらひ(洗ひ)」.
ーー↓↑ーーー
 ・・・???・・・桶狭間(おけはざま)・・・
 「桶狭間(おけはざま)」神明社の鎮座する谷地
 『天保十二年丑年五月
  知多郡
  桶廻間村
  圖面』では
 「神明宮」を中心に
  南北の本田
  神明廻間池(二ツ池)
  市右衛門池(位置)
 それら後背地の御林山付近に相当・・・
 「豊明市内には
  大狭間
  小廻間
  の地名が多い
  狭間(廻間)」
 「桶(おけ)は奧(おく)の転」・・・?
  やっぱ、「桶の形象」・・・谷底の「洞・窪み」
  それとも「尾家・尾下・織家・呉家・槽」の当て字・・・?
 「泉に浮かぶ桶が廻る様子=おけはざま」の地名
  ↓↑
 「洞迫間(くけばさま・ほけばさま)」
 と呼ばれていたのが変化
 江戸期
 「桶狭間・桶廻間・桶迫間」等の表記
 明治時代以降
 「桶狭間」に統一
ーーーーー
 ・・・???・・・
   ↓↑
  「古事記字源のページの表紙・音楽・動画」
https://haa98940.wixsite.com/mysite
  ↓↑  ↓↑
 「古事記字源のページ・2016/12~」
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
  ↓↑  ↓↑
 本日の「干支歴」
http://meisiki.bake-neko.net/
  ↓↑  ↓↑
 旧「HP」の移転先
http://meisiki.bake-neko.net/kkmokuji.htm

 

コメント
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樅ノ木・・・小説のタイトルに「キの名」が多い・・・?

2021-05-03 17:54:24 | 古事記字源

 「平八郎」の名前を有する多くのヒトビト・・・人人=从=従う・・・
 ↓↑
 「山本周五郎」氏のモノガタリの「カンジ」を耳で聴く・・・
 ↓↑
 養父睨み・・・藪にらみ・・・八夫睨み・屋部睨み・矢生睨み
 「山本周五郎」氏のモノガタリのっカンジを耳で聴く・・・
 ↓↑
 養父睨み・・・藪にらみ・・・八夫睨み・屋部睨み・矢生睨み
 ・・・実父が早世したので
 「養父」は母の姉の夫が「義父」のような存在だった・・・
 実父を知らないから
 世間一般では父親が「実子のライバル」だとは考えもしなかった・・・
 オヤジの存在は家族に優しく、威厳と畏敬のイメージだったのだが・・・
 友人が「イツかオヤジを見返してやる」と言っていた意味が理解できなかった・・・
 それに、「憎しみと嫌悪の対象」だなんって・・・これも理解不能・・・
 「父親の子供に対する希み」は未来的な己自身の分身の成長で
 「子供に対する養育上の躾(しつ)けの厳しさ」の「軽重」は
 「親」となった個々人、様々だろう・・・
 それに対する「子供の感情・理性」も個々人、様々で
 子供たちが兄弟姉妹で家族を構成すれば
 親の対応は
 男女の性別、年齢の上下、資質の長短、健康上の強弱で
 「気持ちの平等・公平」はあれ
 現実的な生活では
 子供達、個々人に対する対応は
 「公平」ではないのは当たり前である・・・
 しかも、家族を維持する、その時々の状況での
 「親の立場」でも
 「子供・個々の子供」に対する対応も変わってくる・・・
 それにしても昔は「養子縁組」が多かったようだ・・・
 ↓↑
 先週
https://www.youtube.com/watch?v=5EzmvF29ToQ
 で
 「榎物語 山本周五郎 読み手 アリア」
 を聴いた・・・「榎(えのき)=木+夏=朴樹」は国字・・・
        「Chinese Hackberry(ハクベリィ)」
                   葉句部理意?
         ニレ(楡)科エノキ(榎木)属の広葉樹
         似例    會埜記
 ↓↑
 学生時代、アルバイト先の休憩時間に夢中になって
 「山本周五郎」の小説を読んでいる友人がいた・・・
 多分、「樅ノ木は残った」・・・「Momi fir」・・・
 ボクは黒沢明の映画とか、タブンTVで「平幹二朗」だったか・・・
 「伊達騒動」の「悪人」
 「原田甲斐(原田宗輔)」の
 イメチェンの
 「人間化」ドラマだったか・・・?
ーーーーー
 「樅の木」のカンジだが、イト、アヤシク、想える・・・
 「述部諏 葉似蛙」経由の「伊都」に渡航した
 「支倉常長」の
 「伊達藩」には「隠れキリシタン」が大勢いた・・・
 「伊達藩」の「蝦夷地入植者」は多かった
 ボクの
 「お祖父さん」は
 「伊達仙台藩白石」の蝦夷地入植者で「日下」
 「お祖母さん」の実家は「本多」で・・・
 「会津福島藩」・・・朗読、朗読屋アリアさん聴いたよ
          「榎物語」・・・
          「違う平八郎」も・・・
 「陸奥国南部(岩代国信夫郡)」
 福島県福島市にあった藩で
 居城は「福島城」
 藩主は「本多家」
 ↓↑ 
 樅=木+従
   き したがう
   記 したがう=従う=随う=遵う=順う
   紀 舌 我迂
   キキ シ たがう
   訊聴 施 多臥有
   毀棄 詞 違う

   ↓↑
  「日本に自生する
  モミ属の木
  最も葉が大きくて硬い
  若枝には軟毛が生える
  葉は細くて固い針状
  先端は二叉して鋭く尖る
  老木では先の丸まった葉をつける
  球果は10~15cm
  はじめ緑色
  10月頃に成熟し
  灰褐色になり
  鱗片が脱落し
  そのままの姿で
  落下することはない
  栗鼠(リス)などが
  種子を好んで食べ
  樹下に
  青い鱗片が集まって落ちている

 ↓↑
 クリスマスツリー(Christmas tree)
 クリスマスに飾り付けられた木
 「知恵の樹」・・・「林檎の木」の代用
 別名
 「聖樹(セイ)」
 冬に
 「葉」が落ちる
 「リンゴの木」・・・「林檎の木」の代用

           「リンゴ追分」って?
           「ヘビ(蛇・巳・蝮・snake)」?
 の代用に
 常緑樹の
 「樅(木+従・モミ)の木」
        粟・蟐・籾・紅
模見・相模・相神
 が
 「禁断の木の実」
 を飾るために使用

ーーーーー
 小説のタイトルに「木の名」が多い・・・
 「サブ」ですか・・・・1968年ですか・・・「substitute」の略?
 TV中継での舞台では「星 由里子」だったか・・・
 さぶ  中村吉右衛門 (2代目)
 栄二  市川染五郎 (6代目)
 おすえ 星由里子
 ・・・その「ヒト」を疑えない、疑いたくない・・・
 「違う、絶対、違う、あのヒトじゃぁない・・・」
 この「気持ち」・・・狼狽えるなッてか・・・でも・・・
 「セイクリッド(sacred)」ですか・・・あまいぜ、ソレ違うサッ・・・
 ↓↑
 「山本周五郎」氏の「小説」は
 読者に
 最初は
 理不尽でも
 「事件、状況の常識性、尋常性」・・・
 「いい人間」も、「わるい人間」も
 物語の時代はそれが当然かも、って・・・
 でも。官僚、役人、小役人の
 「サムライ」が・・・
 「サラリーマン」に置き換わって・・・
 最後に
 「違うんだョ、ッ、ソレはッ」
 「ナニ、ソレ・・・」
 「タノムから勧善懲悪で噺しを決着させろッての」
 「善悪⇔悪善・・・
  状況と登場人物の心理のドンでん返し」・・・
 ボクは何時も
 「時代は変われ、プチブル根性の出世主義、拝金主義」
 「そんなこと、当たり前だが、今は違うんじゃないのか」・・・
 「今は違うッて?・・・武士は喰わねど高楊枝・・・」
 じゃぁナイ・・・衣食住、少なくてもサンドのメシは・・・
 「ああ、ヨカッタ、無事だった、活きている、ヨカッタ」・・・
 の感想で終わる・・・
 でも、意外と「時代の理不尽」と思っていることが
 「関西電力の収賄」
 「北海道の博奕場誘致」
 「北海道、広島、長野の選挙」・・・
 「自民党」の収賄事件・・・
 「法律違反」であるコトは
 「百も千も万」も承知であるけれど・・・
 今現在も
 「政治屋の賄賂、報酬は当然だから・・・
  ボクも呉れるなら、秘密なら・・・そうだよね・・・」
 って・・・カネに釣られるのは
 「プチブル根性の人間のサガ」・・・?
 それにしても政府が呉れた
 「10万円」の意味って・・・?
 パソコン代と病院代、クスリ代に遣った・・・
 ↓↑ ↓↑
 で、
 「榎物語 山本周五郎 読み手 アリア」の
 「山津波の時の両親の娘を叫ぶ声」は・・・何時もの納得
 「親はオヤ」で「実父と実母」である・・・
 彼女もその父母の声に
 「実父母が産んでくれた己の存在」に気づいた・・・
 ナニって?・・・「絆=きづな=気綱」・・・
 「絆=糸+半」の漢字は
 生物の
 「雌雄・牝牡・♀♂・男女・父母」の
 「染色体=XX・XY」の象形・・・
 で、
 ナンで「愛」が「イトしい」なのか・・・?
 心理的には「愛×憎」の熟語・・・?
 「愛=㤅=旡+心」=充分に喰わせる・満腹にさせる・飽食⇔厭食
 「愛=㤅=旡+心」≠「love」・・・「love=古英語 lufu=喜ばす」・・・
  愛=爫+冖+心+夂
  まさに
 「あなに、やし、え、をとめを」・・・阿奈似 也詞 會 音目 乎?
 「阿那 邇 夜志(アナニヤシ) 愛(エ)袁登古(ヲトコ) 袁(を)
  阿那 邇 夜志(アナニヤシ) 愛(エ)袁登売(ヲトメ) 袁(を)」
  ↓↑
  如此 之期
  乃詔
  汝者 自右 廻 逢・・・右巻き・気体液体の渦の回転
           液体の渦・地球の南半球では時計まわり
  我者 自左 廻 逢。・・左巻き・気体液体の渦の回転
           液体の渦・地球の北半球では反時計まわり
           ・・・赤道上では垂直に落下・・・   
  約竟 廻時
  伊邪 那美命
  先言
  阿那迩 夜志・・・阿の那の邇 夜のココロザシ?
  愛 袁登古 袁・・音胡 振そで(蘇出)?
  後
  伊邪 那岐命
  言
  阿那迩 夜志
  愛 袁登売 袁
  各言 竟之後
  告其 妹曰
  女人 先言 不良。
  ↓↑
 「愛」は喰わせ、喰った結果の「雌雄の心情」である・・・
  曖=日+愛
  くらい
  ぼんやりくらい
  はっきりしない
  曖昧
  皧=白+愛
  清い・清らか
  白い・白く明るい
 「愛=㤅=旡+心」
    㤅(いと)しい
    㤅(う)い
    㤅(お)しむ
    㤅(かな)しい
    㤅(まな)
    㤅(め)でる
 「愛撫= caress・ fondle (フォンドル)」
 「こする(擦る)
  なでる(撫でる)」
 「rub・scrub・stroke・scratch・scrape」
  love
  lab=ラボラトリー(laboratory)の略
  ↓↑  ↓↑
 「娘」が二度も会っているのに
 初恋の
 「男の顔・仕草」にも気が付かなかった、って?
 「気が付かなっかった娘の自問」・・・
 「豪商の息子と結婚して3人の子供を産んだ」って・・・
 ナンか、納得がいかない、ソレはちがうッ・・・
 ッて、ボクでしたが・・・
 ウソでもイイから
 「初恋の男」であるコトを知っていた、と・・・
 それとも「周五郎の手」か・・・
 娘が「現実を選択」した理由が語られてはない・・・?
 ↓↑ ↓↑
 一般的には「継子(ままこ)」を「虐める」のは
 「継母」、「ママ父」で
 そして
 伯父か、叔父、伯母か叔母が相場だが
 「虐め・苛め」の「質」も様々で、意味も違う・・・
 血縁の一族郎党内の
 「利害関係の質量の軽重」による・・・
 「養父」
 ↓↑ ↓↑
 養父睨み・・・藪にらみ・・・八夫睨み・屋部睨み・矢生睨み?
 ↓↑ ↓↑
 乜=𠃌+乚
   バ・メ
   やぶにらみ=薮睨み
   斜視
   斜視=片方の目は視線が
      正しく目標とする方向に向いているが
      他方の目が内側や外側
           上や下に
      向いている状態のこと
   斜眼者のことをいふ・「たけのこ」
   物を見るのに
   斜に視て
   正視することの出来ないもののこと
  「たけのこ=「他家の子・竹の子・筍」?
 ↓↑ ↓↑
   藪睨み(やぶにらみ)
   物を見るとき
   両眼が同一方向に向かず
   片方の目が違った方向に向くこと
   やぶ
   眇 (すがめ)
   僻目(ひがらめ・僻眼)
   ひんがら目(ひんがらめ)
      僻=イ+辟
    .    ヘキ・ヘイ
        かたよる・ひがむ・ひめがき
        よこしま・僻見・僻説
        かたすみ・かたいなか
        僻村・僻地
        ゆがんだ考え方・曲解
        僻心・僻事・僻目
       「非我」とも書く
        遊里などで、無粋なこと
              やぼな客・侍客
        僻耳(ひがみみ)・僻目(ひがめ)
     いせ=僻
        似て非であること
        まやかし・えせ(似非)・・・伊勢?
     ひが=僻
        人、人の部分の名称や行為、状態などに
        関係のある名詞の上に付けて
        正当でないこと、妥当でないことを表わす
        ひが事・ひが耳・ひが者・ひが覚え
        動 詞「ひがむ」
        形容詞「ひがひがし」
        男色の若衆
     ひがみ=僻
         ひがむこと
         素直に見ないで、疑い曲解すること
         かたよる・偏する
         ひがむ・ひねくれる
 ↓↑   ↓↑
   僻目(ひがらめ・僻眼)
   両眼の瞳の方向が異なる目
   見まちがい・見誤り
   物事をの偏見な判断
 ↓↑   ↓↑
   藪睨み(やぶにらみ)
   ガチャ目
   ロンパリ
   寄り目
 ↓↑ ↓↑
   見方や考え方が見当違いであること
   斜(なな)めに視(み)る
     七  目 示し見 る
   ななめ=邪視=「ヨコシマ」に「ミル」
 ↓↑ ↓↑
   (広東語 疑問詞)の「何」
   乜嘢?
   乜斜着眼睛=横目でじろっと見る
 ↓↑ ↓↑
 セ=せ
 ↓↑ ↓↑
 也=乜+丨
   ヤ+乚
   乜+丨
   ㇆+乚+丨
   乛+乚+丨
   青銅器から水を注ぐ形が似ていた
   池=氵+乜+丨
     氵+ヤ+乚
     氵+ヤ+乚
     氵+㇆+乚+丨
     氵+乛+乚+丨
 呼びかけの意
 乙 乚部に分類
 なり・…である・断定の助字
 …や・…か・…かな・感嘆・疑問・反語の助字
 また・…もまた
 ↓↑  ↓↑
 セ・・・乜・七+亅・乚+㇆
 せ・・・世=七+廿=7+20=27
         720・・・7+2=9・九・玖
       卅
 ↓↑    ↓↑ 
 斜視
 屈折異常(遠視による内斜視)
 視力障害
 眼球異常
 瞳孔異常
 目を動かす筋肉異常
 脳や神経の異常
 ↓↑
 せーセ
 音節のひとつ
 仮名のひとつ
 五十音図において
 第3行第4段
 (さ行え段)に位置
 濁 音(ぜ、ゼ)
 半濁音(せ゚、セ゚)
 を持つ
 ↓↑
 セ・卩・山・夕・千・川・巛・彡
   世・勢・施・丗
   世・瀬・勢・畝
   施・背・灑・畆
   脊・丗・眥・眦
 ↓↑
 「世・丗・㔺・卋・芆・厏
  抧・䂘・施・洅・紁・㧘
  㳗・䑡・㔟・哸・夎・帨
  朘・啫・嗏・欼・琗・㴓
  䂳・勢・塠・毸・祽・㢑」
 ↓↑
 啜・猜・淬・萃・彗・崔・啐
 埣・喙・焠・毳・勢・蛻・畷
 碎・蓑・罪・摧・粹・撮・橇
 戴・簀・竄・瀬・灑
ーーーーー
 ・・・???・・・

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秘密・秘蜜→秘充=ひみつ=日満=斐視通→比観通=不都合な記録

2021-05-01 14:57:12 | 古事記字源

 手紙は「秘密」・・・「変文」だから・・・
           「攵=𠂉+乂」・・・
           「夂=ク+乀」・・・
           「夊=𠂉+乂」
           「攵・夂・夊」≠「心」
 ↓↑

 手紙の内容は「秘密」にしておいてくれ・「変文」だから
 ・・・「恋文」じゃぁないのか?
 ↓↑
 おふくろと一緒に観たのは
 監督
 「稲垣浩」
 「三船敏郎(駒木 兵八郎・平八郎・只八郎)」
 「宝田明(苅部十郎太)」
 「司葉子(千代姫)」
 の
 『或る剣豪の生涯(1959年)』
 だった・・・時代は戦国時代末期・・・

  ↓↑
 「額田六福」が、新国劇の
 「沢田正二郎」のために
 『シラノ・デ・ ベルジュラック』を翻案した
 『白野弁十郎』
 1926年(大正十五年)1月
 「邦楽座」初演
  ↓↑
 「白野弁十郎(しらのべんじゅうろう)」・・・
 時代は幕末・・・
 数学者で詩人、音楽家で剣客の
 「白野弁十郎」は
 文字も読めない黄昏の暗闇で
 何故か
 戦死した友人が
 姫(千種・ロクサーヌ)に宛てた
 「恋文」を一句一字、間違わずに読み上げた・・・
 ↓↑
 『シラノ・ド・ベルジュラック』
 (Cyrano de Bergerac)
 ↓↑
 密(ひそ)かに・・・「艶文」・・・郵便・・・
 「山本周五郎」の
 「艶文」を「ユウチューブ」の朗読で聴いた・・・

ー↓↑ーーー
 前島 密
      大運1915年3月(80歳)丙戌劫財
 甲午(丙 丁)印綬・比肩建禄⇔己未食神
 丁丑(癸辛己)比肩・食神 墓⇔戊辰傷官
 丁卯(甲 乙)  ・偏印 病⇔己酉食神
 丙午(丙 丁)劫財・比肩建禄⇔庚午正財
  戌亥空亡
 ↓↑
 出生地 越後国頸城郡下池部村
 死没地 神奈川県
     三浦郡
     西浦村
     大字
     芦名
 父死亡後
 母方の叔父
 糸魚川藩医
 相沢文仲
 の養子
 ↓↑
 幕臣
 前島家の養子
 ↓↑
 安政五年(1858年)
 航海術を学ぶため函館へ
 「巻 退蔵」と改名・・・?
 安政六年(1859年)
 「武田 斐三郎」の諸術調所入門
 慶応元年(1865年)
 薩摩藩の洋学校(開成所)の蘭学講師
 慶応二年(1866年)
 幕臣
 前島家の養子
 「前島 来輔」と名乗る
 「漢字御廃止之議」
 を将軍
 「徳川慶喜」に提出
 幕臣
 清水与一郎の娘
 「奈何(仲子)」と結婚
 慶応三年(1867年)
 「開成所数学」教授就任
 明治二年(1869年)
 民部省・大蔵省に出仕
 名を「密」に改名・・・密か?
 明治三年(1870年)
 三月
 租税権正
 五月
 駅逓権正 兼任
 太政官に
 「郵便制度創設」を建議
 郵便制度視察
 鉄道建設借款契約
 締結のため渡英
 明治四年(1871年)
 八月
 帰国
 駅逓頭
 郵便制度創設に尽力
 郵便制度の基礎を確立
 明治五年(1872年)
 陸海元会社(日本通運株式会社)
 郵便報知新聞(スポーツ報知)
 の設立及び刊行に関与
 明治六年(1873年)
 「まいにちひらがなしんぶんし」
 創刊
 明治十年(1877年)
 駅逓局長に任命
 第1回内国勧業博覧会審査官長
 明治十一年(1878年)
 元老院議官を兼任
 明治十二年(1879年)
 内務省駅逓総監
 明治十四年(1881年)
 「明治十四年の政変」で辞職
 「大隈重信」
 らとともに
 「立憲改進党」創立
 明治十九年(1886年)
 東京専門学校(早稲田大学)校長
 関西鉄道会社社長
 明治二十一年(1888年)
 十一月
 「逓信次官」
 明治二十四年(1891年)
 三月まで在職
 官営電話交換制度を実施
 明治二十七年(1894年)
 北越鉄道株式会社社長就任
 北越鉄道(直江津~新潟)建設開始
ーーーーー
 明治五年(1872)11月9日、
 太陰暦を廃し、
 太陽暦を採用することの詔書が発せられ、
 太政官布告
 第337号により公布
 1年を365日とし、
 それを
 12ケ月に分け、
 4年毎に
 閏年をおき、
 1日を24時間としたモノで
 旧暦の
 明治五年十二月三日を
 新暦の
 明治六年1月1月とした
ーーーーー
  ↓↑
 「密教=秘密・秘蜜→秘充=ひみつ=日満=斐視通→比観通」
 かも・・・密(ひそか・ミツ)かに・・・
 「前島 密
  天保六年一月七日(1835年2月4日)
   ~
  大正八年(1919年)4月 27日)
  日本の官僚、政治家
  号は「鴻爪(コウソウ)」
  ↓↑
  近代郵便制度の創設者
  1円切手の肖像人物
  郵便や、切手、葉書
  という名称を定めた」
 「1866年(慶応二年)
  「漢字御廃止之議」
  という建議書を
  将軍徳川慶喜に提出
  漢字使用の廃止と云う趣旨内容
  国語「国字問題」について
  言文一致を提言した人物である・・・
  ↓↑
 ・・・秘密仏教は「真言」だが・・・
 確かに「法事=ホウジ=邦字・補得字」で
 聴く者には坊主の
 「読経は馬の耳に念仏」であるナッ・・・
 ↓↑
 折口信夫(おりくち しのぶ)
 1887年(明治二十年)2月11日
  ~
 1953年(昭和二十八年)9月3日 )
 民俗学者、国文学者、国語学者
 号は
 「釈迢空(シャクチョウクウ)」
 詩人・歌人
 ・・・この人物は「柳田国男」の弟子であったらしいが
 彼にとっても「ニホンゴ」は難解であった・・・?
 一旦、形成された「権威」とは怪しいのである・・・
 「一般人」にとってはアリガタイ存在になってしまうのは
 「日常言語の意味付与の権威者」だからであろう・・・
 まさに
 「釈(解釈)」
 「迢(はるか・とおい
    ジョウ・デウ・チョウ・テウ
    遙遠・迢遠・迢遙・迢遞・千里迢迢)」
 「逓=遞・だんだん・しだいにダイ・テイ
    かわる・たがいに
    横へ横 へと次々に伝え送る
    遞信=郵便、電信などを
       順次に送り伝えて、届けること
       逓信・逓送・駅逓・伝逓」
 「空(そら・から・クウ)」
 であるかな・・・
 まったく、曖昧で混乱を「迢遞」である・・・
 「迢=辶+召(刀+口)」
 「遞(辶+厂+虎)」
 の
 「虎=とら=訳等=彪・寅・勾」
 は崖っぷちの
 虎の道(辶=シンニュウ)である・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・

 ↓↑
 大久保 利通(おおくぼ  としみち)
 文政十三年八月十日
 1830年9月26日
 ~
 明治十一年
 1878年5月14日
       大運1874年11月(44歳)庚寅正官
 ┏庚 寅(戊丙甲)正官・劫財帝旺⇔戊寅正財
 ┗乙 酉(庚 辛)比肩・偏官 絶⇔丁巳食神
  乙┏未(丁乙己)  ・偏財 養⇔壬辰印綬
  壬┗午(丙 丁)印綬・偏財長生⇔丙午傷官
    辰巳空亡辰巳
 ↓↑
 幼名 正袈裟
 通称 正助・一蔵
 諱  利済・利通
 雅号 甲東
 ↓↑
 明治四年(1871年)
 大蔵卿に就任
 岩倉使節団の副使
 ↓↑
 明治十一年(1878年)5月14日
 馬車で皇居へ向かう途中
 紀尾井坂付近
 清水谷(東京都千代田区紀尾井町)
 にて6人の不平士族に殺害
 (紀尾井町事件)
 享年49〈数え年〉・満47歳没
 ↓↑
 明治四年(1871年)
 大蔵卿に就任
 岩倉使節団の副使
 ↓↑
 明治十一年(1878年)5月14日
 馬車で皇居へ向かう途中
 紀尾井坂付近
 清水谷(東京都千代田区紀尾井町)
 で6人の不平士族に殺害される
 (紀尾井町事件)
 享年49〈数え年〉・満47歳没
  ↓↑
 「前島密」の「大久保 利通」評
 「よく人にも計り、人の言も容れた人で
  一事を裁断するにも念には念を入れる流儀だったが
  ただ裁決した以上は
  もう何事が起こっても
  気が迷うの、躊躇するのということはなかった」
  ↓↑
 「牧野伸顕」の「大久保 利通」評
 「父はこういう相談には
  頭から反対したり、いけないと言って止めたりはせず
  あまり賛成しない時は
  ただもっとよく考えてみたらよかろう
  と言うのが常であった」
 ↓↑
 秩禄処分(チツロクショブン)
 明治政府
 1876年(明治九年)
 に実施した秩禄給与の全廃政策
 経過措置として公債が支給
 支配層がほぼ無抵抗のまま
 既得権を失った・・・?
ーーーーー
 ・・・???・・・
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