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コジキジゲン

何故「ヒッポクラティス」なのか?

2022-04-27 07:28:06 | 古事記字源

 コジキのキリちゃん、砂漠で蜃気楼を追う・・・再三考・・・

2022/427・水曜日・・・追加添加・・・文・・・プラトン古事記をカタる

「絵」に関しては「渡辺崋(華)山」が「ギリシア哲学者(医者)」の「ヒッポクラティス」の「肖像」を「模写」している。彼の画題は花や、鶏、寺小屋の写生等、多岐にわたっている。だが、何故「ヒッポクラティス」なのか?彼の格言は「医学」を追求するモノとしての

 「人生は短し、芸術は長し」

 であった。ここでは医者で、彼の記録した「青草人」を対象にした「後輩医学生」育成の「医学書」の中での格言であるから「芸術」とは「医療技術」のコトである。みずから(自・己)医療用器具の「鉗子(カンシ)・鋏(剪み・ハサミ)」や、「ピンセット・セッシ」を造ったに違いない。それに、「包帯巻き」の技術も・・・だが、彼は絵や、彫刻、建築、音楽、詩文、文学、演劇、武術もコナス人物だった、のかも・・・古代ギリシャの人間だったから・・・その才能はマルチであった、カモ・・・
 「現存・古事記」はトテモ、とてもの「乱学者」の「仕業の産物」であるとしか思えないと妄想をタケル・・・七百壱拾弐年の代物ではナイ・・・なッ?

 そして、オイチョカブの「花札」である。ナゼカ、箱の絵には「天狗」の絵もあるが、「ナポレオン・ボナパルト」が描かれているモノもある。何時の時代からなのか?・・・そして、「アメ」の「小野道風」の絵の示唆である。チャンスがあったら絵柄の構成をよく見て欲しい。

 「一大」発見!!?

 ☆(星)♂♀(金星火星水星)♪・×;;*( 音符点懸雨粒)○⊥(日杭)С(月) 

 ∽※∽(相似方位) ■※■(大海八方大地) ▲#▼Д▲(三角井戸逆参角台3角)

  地図・緯度・地理史


 古事記に展開されている「場所」は何処であったのか? 

 下の地図を診れば中国大陸「会稽山」の近くに「東台」の地名がある。

  会稽山・東台
   

 会稽山-中華人民共和国-浙江省紹興市南部に位置する山
 行政区画名. 
 会稽郡-紹興市一帯に設置された郡(前233年~758年)
 会稽県-紹興市の旧称。→商港・小経・正慶
  ↓                ↓
  ↓  日本の元号の一つ。持明院統(後の北朝)方にて使用 された。
  ↓  元徳の後、元弘の前。
  ↓  1332年から1333年5月25日までの期間を指す。
  ↓       壱千参百参拾参→肇(始初)の選る纂は模擬、模倣の算を拾う纂
  ↓       13=一三=いざ(伊邪)→伊邪那岐・伊邪那美の33=参拾参
  ↓  三=さ・ざ・さぶ↓  ↓                  ↓
  ↓   さむ・そ・そう↓  ↓                  ↓
  ↓          ↓ イザ                ↓
  ↓         十三   ↓                  ↓
            とさ ↓                  ↓
  ↓         十六(いざ)夜          ミソあまりミツ
  ↓
 旧名を壱参参参→位置(位地)は三山の算のネン→3×3=12→壱拾弐年(念・撚)
  ↓      ↓                     ↓
  ↓    参=參           壱が重る地(路・似・爾・邇・璽・蒔)
  ↓    參=ムムム∧(人・イ・合)彡
  ↓         ↓     ↓
  ↓    仝(ドウ・ズ・ヅ)=∧+工=同=々
  ↓ 三ム(シ)=三の「よこしま」

     ↓        ∧=人・イ・合(会・山)・彡(サン)=刷毛跡=長い毛
  ↓    5月25日→ゴガツ・ニジュウ・ゴ・ニチ→語合似重語似知(比)
  ↓
 茅山、→茅沼は「孝徳天皇(軽皇子)」の父親は「茅渟王」
 別名を→捌=「8・八」の名→英語では「エイト(ッ)=eight」
  ↓                  ↓
  ↓                 「H」の横倒し「工=え・エ」
  ↓         アルファベットの8番目→H(エイッチ)→工(たくみ)
  ↓                       重(絵)一致  多句見
  ↓     H鋼(エッチコウ)・H=水素・英土 工=コウ→乞・請
  ↓
 畝山と称す。→「畝傍山」は奈良、三山の一←耳成山・天香久山
  ↓「傍(そば・ボウ)」とは漢字合体造りの「右側の字」→「畝」の右字は「久」
  ↓                                 ↓
  ↓      畝(うね・せ・ボウ・モ・ホ)=亠(音の略字)
  ↓                                                            田(た・デン)
  ↓                                                            久(ひさしい・キュウ)
  ↓      畝=地積の単位「歩(6尺4方)の百倍」・30歩(約1アール)
  ↓ 中国周王朝の一尺は「約22.5センチメートルが歩」。百歩が「畝」
  ↓           訳弐拾弐点五先知目重取るが符
  ↓
 夏朝→なつあさ→名通字→カチョウ→花鳥・可聴・華頂・科長←奈津字
  ↓  夏=一+ノ+目+夂(チ・スイ・すいにょう)→壱(始)の女は水女
  禹(ウ)の時代に→ウ→烏・鵜・卯・兎・宇・迂・有・得・菟・羽・雨・胡・右・得
  ↓      鴉・雅・鸕・東・亀・佐・回・無・損・於・毛・音・人・左・点
  ↓ 禹=乃(すなわち=砂、沙の輪の地)+中(央)+冂(まき構)+ム(よこしま)
 会稽山の名称が使用され、
 禹が死去した地でもあり、現在も禹を祭った「禹(ウ)王廟」が位置する。
 地名の由来は禹が死去する際、諸侯が一堂に会しその業績を計ったことから
 「会稽(会計)」と称された。

      計算を合わせる←滑稽・酷刑・国系・国景・告鶏・語句形
  ↓        ↓
  ↓        計=言を拾う       刻計→時計→字形
  ↓        会=八+亠(音略・鍋蓋)+ム→八+二(次・爾・邇)+ム
  ↓        計=言+十(拾)
  ↓         ∥同義異字
  ↓        稽=禾+尤+旨(七日)→能義の異なる旨さ(小刀・とうす)
  ↓          禾(のぎ)のモットモな旨さ・退きの夕の比の日
  ↓             ↓
  ↓            乃木希典の甚だしい七日→二〇三高地
  ↓                ↓            ↓
  ↓            妻の名は「御七=静子」 念 残の高知
  ↓          明治30年(1897年)11月7日、乃木は台湾総督を辞職
  ↓           ↓          ↓
  ↓           ↓       壱(イチ)を拾(ひろう)
  ↓           ↓       壱(イチ)通記(つき)
  ↓           ↓       漆(うるし)の爾(ジ)を知(しる)
  ↓          明治37年(1904年)6月6日、乃木は「塩大澳」に上陸した。
  ↓          このとき乃木は、大将に昇進し、同月12日には正三位に叙。
  ↓          第3軍は、6月26日から進軍を開始し、 
  ↓          8月7日に第1回目の、10月26日に第2回目の、
  ↓          11月26日に第3回目の総攻撃。
  ↓          また、白襷(たすき)隊ともいわれる決死隊による突撃
  ↓
 五鎮名山の中の南鎮→五鎮名の纂→鎮星(金眞日生)→土星→鎮(魂)星
  ↓       何時陳(列)名参(考)→五瀬命→神武(磐余)の兄
  ↓          ↓                ↓  
  ↓          ↓  古事記・中巻日下の楯津(蓼津・隼都)で戦死
  ↓           真木和泉・来島又兵衛←日下玄瑞←蓼=丱+参=たで
  ↓          ↓
  ↓      マキ=「巻・真紀・磨記」・イヅミ=泉・出水・伊豆見・緯度視
  ↓          ↓    
  ↓      医学所・好生館で学←名は通武・義助・号は江月斎
  ↓      汚なきヤツ→黒→九=玖(王+久=王宮・長)=黒曜石=石器→節季
  ↓   記他(北=玄武=黒色・虚宿)名記夜通→ヨゴレるヤツ=輿呉列留埜通
  ↓
 北鎮-幽州・医巫閭山(遼寧省・北寧市)→医者・巫覡(フゲキ・かんなぎ)
 東鎮-青州・沂山(山東省)

      沂(キ・ギ・ギン・ゲ・ゴン・畔・辺・淵・縁・隈=垠)→熊
  ↓     ↓                          ↓
  ↓    沂=氵(水)+斤→「沂水」は河で、汶水(河)と合流  くま=曲がる
 西鎮-雍州・呉山(陝西省・隴県)→呉→ゴ・くれ→暮れ・黄昏→繰れ
 中鎮-冀州・霍山(山西省・霍州)→霍→ジャク→弱・若・字訳→すずめ=珠洲目
 南鎮-揚州・会稽山(浙江省・紹興)→紹介・昭光・小経
  ↓  ↓
  ↓ 正慶
  ↓  ↓
  ↓ 正慶(しょうきょう、しょうけい)年号は、→正教・承継・象形・小計・小景
  ↓     1332年~1333年5月25日まで→壱千参百参拾参・壱参参参
  ↓                語画通・二重(念)語
  ↓     持明院統(北朝)で使用された。→字名音統一
  ↓     1331年9月1日(元徳三年八月九日)、
  ↓     鎌倉幕府は
  ↓     後醍醐天皇→語体語・語対語
  ↓     (大覚寺統・南朝)の→難聴な大學の字の統一
  ↓     「元徳から元弘」の改元を認めず、→言解く・原稿・言行
  ↓     執権
  ↓     ↓
  ↓     北条守時は光厳天皇→修辞・巧言
  ↓     (持明院統・北朝)を即位させ→字妙音の統一
  ↓     1332年5月23日
  ↓     (元徳四年・元弘二年四月二十八日)に→言解く思念・言行字念
  ↓                        詞画通・二重葉値比
  ↓     光厳天皇は「正慶」に
  ↓     代始改元した。→台詞改言・太子戒厳・大師開眼・題詞解言
  ↓     1333年5月25日→壱千参百参拾参「撚」語付記弐拾五似知
  ↓     (正慶二年/元弘三年七月七日)→言行残念タナバタ→多名葉多
  ↓     後醍醐天皇が還幸し、光厳天皇は退位、鎌倉幕府は滅亡。
  ↓     「正慶」の元号は廃され、
  ↓     翌年
  ↓ 1334年3月5日(元弘四年一月弐拾九日)に→イザ(伊邪)ミヨ、纂の語
  ↓     「建武」と改元。→建武の中興→倭建・天武・文武・若建・則天武后
  ↓     後醍醐天皇は、光厳天皇の即位と、
  ↓     「正慶」の元号の無効宣言。 
  ↓
 春秋時代には越の国都として発展していた。→シュンジュウ=主無自由
 呉と越がこの地域において対立していた。→呉(くれ・ゴ)=繰れ語・
 越王 勾践は→クセン=句選(撰)       越(こえる・エツ)=声留・曰閲 
 呉王 夫差に敗れて会稽山に逃げ込み、→フサ→譜差
 夫差の下僕になるという屈辱的な条件によって和睦し、
  ↓         クツジョク→句通序句→古事記序文
  ↓     クツジョク→沓(くつ・トウ・ドウ)字輿(与)句→沓合・沓潮・沓至
 助命された(『史記』の越王勾践世家)→ジョメイ=女名・女姪・序名
  ↓                  鋤名・除名・舒明→舒明天皇
 後に勾践は夫差を討って呉を滅ぼす。→苦戦・負さ・互→互換→語幹・後漢・五巻
  ↓ 勾=勹+ム・践=足+戔→素戔嗚=素盞嗚=素戔呼(素戔烏・素戔雄)
  ↓                                 ↓
  ↓           須佐之男→彡頁イ(人)左之田力→ソセン(祖先)は烏
  ↓            ↓                      烏丸
  ↓            ↓                   烏桓(烏丸)
  ↓            ↓         前漢から南北朝時代の北方遊牧民
  ↓  須佐之男の妣(はは・ヒ・女比)の國は
  ↓  「根の堅州國」→中国・契丹(キャセイ)=Cathay→カタイ→堅塩姫→蘇我
  ↓  契丹(きったん、キタン、キタイ・Cathay・Khitan・Khitai

  ↓  ピンイン: Qìdān)は、
  ↓  4世紀から14 世紀にかけて、満州から中央アジアの地域に存在した
  ↓  半農半牧の民族。
  ↓  10世紀初頭に 現在の中国の北部に帝国を建国し、国号を遼と号した。
  ↓   ↓
  ↓羈縻政策(キビセイサク)とは→吉備→備前・備中・備後→黍→吉備真備→阿倍正弘
  ↓   ↓
  ↓中国の唐王朝によっておこなわれた周辺の異民族に対してとった統御政策の呼称
  ↓古くは漢の時代にもみられるが、唐の時代に最も巧みに利用された。
  ↓周辺の異民族・諸国家に対し政治的・軍事的・文化的に従属関係を作りあげたが
  ↓  これらの具体化が領域化(内地化)・覊縻・冊封などであった
  ↓  領域化は支配地に内地と同じ州県を設置し、唐朝から官僚を送り込んで
  ↓  そこの住民を唐の国法下に置いて直接支配することであり,
  ↓  冊封は周辺民族・国家の首長に

  ↓  唐の官爵を与え唐王朝の支配秩序に組み込むことである。 
  ↓  天下りシステム日本!!
  ↓
 この話から、敗戦の恥辱や他人から受けた辱めを
 「会稽の恥」という故事成語が生まれた。 
 前210年 始皇帝による会稽巡幸が行われた。
 前漢 漢初、会稽郡は呉郡と称された。
 前202年 劉邦は韓信を楚王に封じ、秦代の
 会稽郡、
 東海郡 
 泗水郡 
 薛郡 陳郡 楚国 を設置した。
 129年(永建4年)、会稽郡北部の
 13県に呉郡を設置→13=「壱拾(足)参・壱参・十三」に懸ける
 192年(初平3年)には
 新安県→新案
 長山県 を、 →訳語(おさ)の纂(サン)を懸ける
 195年 興平2年)には
 呉寧県を、 
 196年 建安 元年)には →懸案(ケンアン)
 松陽県 
 建安県 
 漢興県 
 南平県を、 
 200年(建安4年)には
 豊安県を、 →豊国の安倍→大分豊後の阿毎王朝→三浦按針の漂着
 205年(建安10年)には 建平県を、 
 218年(建安23年)には 遂昌県及び 定陽県を新設
 袁術の部将の→袁世凱
 孫策が揚州に侵攻すると、
 会稽太守であった
 王朗はその攻撃に耐えられずに降伏、
 以降は
 孫策が会稽太守を自称した。
 孫策は後に袁術から自立し後漢朝に帰服を申し出たが、 
 中原の戦乱に苦しむ後漢朝の支配は揚州方面にまでは及ばず、
 孫策の死後は弟の孫権に会稽太守の地位が継承された。
 孫権は
 208年、
 曹操(魏の武帝)を →草々・怱々・草創・早々・葬送・錚々
               草壁→日下の部→久坂玄瑞
 赤壁の戦いで破り→関日置(セキヘキ)→赤璧(あかだま)姫
 呉の創始者(大帝)となる。 
 隋唐589年(開皇9年)、
 旧会稽郡は呉州に改編、山陰、上虞、始寧、永興4県を統合し
 会稽県、
 余姚、?、?3県を統合し 句章県が設置された。→ 余は女の兆
 605年 ( 大業初年)に呉州は 越州と改称、→越前・越中・越後
 607年(大業3年)には会稽郡と改められ、
 会稽、句章、諸曁、?4県を管轄した。 →曁→既に旦(朝陽・旭日)
 唐朝 が成立すると 621年(武徳四年)、
 会稽郡が廃止となり
 越州を再設置、
 会稽、諸曁、山陰3県を管轄した。 
 742年( 天宝元年)、越州は会稽郡と改称、7県を管轄した。
 758年 乾元元年)に再び越州と改編し会稽郡の行政区画は消滅

 東台(東臺=Dōngtá・ドンタイ)市(トウタイ-シ)は
 中国江蘇省
 塩城(鹽城=Yánchéng・イェンチェン)市に
  ↓
 中心座標
  ↓
 北緯33度23分秒   東経120度7分秒
  ↓  ↓             ↓  
  1)ホクイ参拾参ド弐拾参フン 2)トウケイ壱百弐拾ド七フン
  ↓  ↓             ↓
  ↓1)補句意纂拾う算渡(図)二重山分(雰=雨分)→阿蘇山の外輪内輪
  ↓2)闘鶏壱百(珀=王白)二重都史地府務→「闘鶏」は阿毎王朝の壱与
  ↓   ↓  
  ↓  隋書俀(イ+妥)人伝→随処(随所)にイを妥-協、合-掌
  ↓  開皇二十年、→開港念(20の漢数字)撚(捻)
  ↓  倭王姓阿毎、→阿毎は「阿部・阿倍」
  ↓  字多利思比孤、→字(あざな)は「多の利を思い比べる弧(天体12区分)」
  ↓  ↓                   太の歳を想い比較する円弧
  ↓  號阿輩雞彌、→「奚+隹+弓+爾」→爪幺一人隹弓爾→奚(ケイ)+隹(スイ)
  ↓  ↓        ↓                               ↓
  ↓  ↓       ケイスイキュウジ       ↓
  ↓  ↓     系垂旧事(旧字・給仕・給餌)   ↓
  ↓  ↓                      ↓
  ↓  ↓  號=号+虎・阿=阜+可・輩=非+車    ↓
  ↓  ↓              ↓      ↓
  ↓  ↓      輩=ならぶ・列・車の列     ↓
  ↓  ↓         奈良武   ↓                   ↓
  ↓  ↓                       同輩の年齢順序↓
  ↓  ↓                    ↓
  ↓  ↓  津女は幼い壱の人、隹=旧(舊)鳥、球の地(児・字)←球磨(くま)
  ↓  ↓               ↓
  ↓  ↓ ミミズク(木菟、木兎、鵩、鶹、鵂、角鴟、鴟鵂、耳木菟、耳木兎)は
  ↓  ↓ フクロウ科のうち 羽角(ウカク、いわゆる「耳=ジ」)がある種の総称
  ↓  ↓ 古名はツク。ズクとも。フクロウには 含めることと含めないこととがある 
  ↓  ↓     羽角とは、哺乳類の耳(耳介)のように突出した羽毛 である
  ↓  ↓     梟(ふくろう・みみずく=木菟=owl・アウル)の意味  
  ↓  遣使詣闕。
  ↓  上令所司訪其風俗。
  ↓  使者言倭王
  ↓  以天為兄、→夜空の天体観測
  ↓  以日為弟、→昼間の太陽観測
  ↓  天未明時出聽政、
  ↓  跏趺坐、→足+加+足+夫→あぐら(胡座)=結跏趺坐
  ↓  ↓                     ↓  
  ↓  日出便停理務、     胡=「西洋・中東」の座→星座
  ↓  云委我弟。
  ↓  高祖曰→高祖→高御産巣日・高木神
  ↓  「此太無義理」→太(おほの)→太安萬侶→はなはだ無義理
  ↓  於是訓令改之。        葉名頗(皮頁・よこしま)拿
  ↓    ↓  
  ↓  壱(イチ=はじめ・元・始(女+台)・位置・位地)は百(モモ=ももそ媛)
  ↓
 位置する県級市。
 塩城市は江蘇省東北部の海岸部に位置し、
 黄海、海岸沿いには広い
 砂浜や
 干潟が広がり、
 野鳥や魚介類の重要な生育地。→夜鳥(梟・ふくろう)・家鳥(鶏・にわとり)
  ↓  魚貝類→魚(まな・ギョ)と貝(かい・ハイ・バイ)の類
  ↓   真名に介在、介入・介錯(カイシャク)
  ↓    ↓          ↓
  ↓   真名仮名=漢字     解釈
  ↓               ↓
  ↓   介鳥=雉(きじ)→生地・記事・木地
  ↓
 北は連雲港市、→連雲→連なるアメの云々→八雲
 西は淮安市、揚州市、→揚(あげる・ヨウ)=「扌(手)+易」の州(くに)
 南は泰州市、南通市に隣接。→何通の詞
  ↓
 塩(鹽・盬・鹵)城は後漢末期の
 「献帝時代」に→献=南の犬の帝→卑弥弓呼
 「建安の七子の一」の文人
 「陳琳」、南北朝時代の名医である
 「徐道度」、清代の治水家
 「憑道立」、その他明代・清代には詩人の
 「呉嘉紀」や
 「孫玉樹」、書法家の
 「宋曹」、書家の
 「萬嵐」、講談師の
 「評書」の創始者
 「柳敬亭」が輩出した場所である。
  ↓             
 塩城付近は
 周以前は淮夷の住む地域の土地であり、
 周代には
 青州に、
 春秋時代には
 呉、
 戦国時代は
 楚に属していた。
 秦代には郡県制導入の結果、東海郡となった。前漢の初期に「射陽侯・劉纏」が封じられ、漢の武帝四年(紀元前119年)に「塩涜(瀆=氵+賣)県」が置かれた。
 これが塩城に県が置かれた最初である。三国時代は魏の一部となり県制度は廃止。西晋が県制を復活。東晋の「義熙七年(411年)」に「塩城県」と改められたのが「塩城の名の始まり」。南北朝では「塩城郡」であった。
 隋王朝初期には「塩城県」となったが、隋末期に「韋徹」が塩城に本拠を置き王を称し、「新安県」と「安楽県」に分割した。唐王朝に「塩城県」が「復活」し、宋代には楚州に、元代には「淮安路」に、明代には「淮安府」に属した。清王朝初期に江南省の一部となった。「康熙六年(1667年)」に江蘇省の一部となった。
 中華民国初期、江蘇省第十行政督察区の一部。1946年「葉挺市」と改名。後に元の塩城県に戻された。塩城県以外の県は、清の「雍正九年」に「阜寧県」が、「乾隆三十三年」に「東台県」が、日中戦争時に「台北県」・「塩東県」・「阜東県」・「建陽県」が建てられている。1966年、新たに「響水県」が誕生した。
 1983年に塩城県が廃止され、新たに塩城市となり、その下に城区・郊区と響水県・浜海県・阜寧県・射陽県・建湖県・大豊県・東台県の七県が置かれた。
 1987年には前後して「東台県」と「大豊県」が市となり、
 1996年には郊区が廃止され「塩都県」となった。
 2004年には城区が「亭湖区」に、「塩都県」が「塩都区」に改められた。 

 ・・・「塩」である・・・「エンジョウシ」の周辺、一円の「地名」とそこに登城した歴代の「人物名」と「履歴」である・・・「懸けられている」のである・・・
 「カケ」である。算数の掛け算ではない。
 「文字同音のカケ産・化卦算」である。そして

 、「炎上死」したのは「垂仁天皇の妃、佐本媛=沙和遅媛」
           ↓
    かけ・カケ→懸け・賭け・欠け・駆け・架け・翔け
    書け・描け・画け掻け・駈け・加計・斯け

 で、「か・カ」と「け・ケ」の「音声文字」のスベテである。そして、「稲城で炎上死」したのは「品牟都和氣(気)命=本牟智和氣(気)命」の母で、「垂仁天皇の后=きさき=妃、佐波遅比賣=沙本毘賣」であった。いずれもこの母子の「二つの名前」が「異字の漢字」で記されている。カケられている「キイポイント」は「本=書籍」である。「蘇我馬子・蝦夷・入鹿」の「島大臣の館」が「乙巳(いつし・いつみ・おつみ)の変(645=陸肆伍=六百四拾五年)」で「炎上」し、「天皇記・国記(旧事=舊事本紀・帝紀?)」が燃えた(?)記事は曖昧である。翌6(六・陸)月13(壱拾参)日、蝦夷は舘に火を放ち「天皇記」、「国記」、その他の珍宝を焼いて自殺。「船史恵尺」が「国記」を火中から拾い出して中大兄皇子へ献上。「船史恵尺」とは名前からして「航海日誌の恵みの尺度」である「海図・地図」である。江戸時代では「シーボルト事件」である。そもそも「大化=たいか=大火→他意化・鯛化・対価→太化」の「改新」である。
 「天皇記(てんのうき、すめらみことのふみ)」は、620年(推古天皇28年)に「聖徳太子」と「蘇我馬子」が編纂したとされる歴史書である。
 「日本書紀・推古弐拾八(28)年の是歳条」←「28」とは「稗田阿礼の年齢」であり、「宿曜経の二十八宿の星座数」であった。「20の数字」には「念」の漢字が「宋王朝」から使われだしたらしい。「8」は「ハ(言葉)」であり、「捌(ベツ・仕分ける・分別・区別)」の漢字があてられる、である。
     ↓
 「皇太子・嶋大臣共に議はかりて、天皇記(すめらみことのふみ)及び国記(くにつふみ)、臣連伴造国造百八十部併せて公民等の本記を録す。

 ・・・古代国家、奈良時代から戦国時代、そして江戸時代末期まで、多くの歴史上の「楼閣、砦、城、館、寺、宿場、町並み」が戦(いくさ)で「炎上」した。

 「蘇我氏の館(645年)」、
 「白村江での軍船(663年)」、
 「不破の道(関)にある家(壬申の乱・天武元年(627・六百弐拾七年)六月弐拾四日(七月弐拾七日)」、
 「七」は「漆(うるし)」で、「氵(シ・水・サンズイ)+黍(きび)」ある。「きび」とは「吉備」であった。
 「不破の道(関)の美濃国の多品治(おほの・ほんじ)の蜂起、占拠は天武側への加担であった」、
 「東大寺大仏殿(平重衡が南都を攻め、この兵火(治承四年・1180・12月弐拾八日)、東大寺も大仏殿、伽藍の大半を焼失」、
 「三好松永の乱(永禄十年・1567・十月十日)で東大寺の大伽藍を再び炎上灰燼」、
 「御所は・ 1159(平治元)年12月9日から、江戸時代、宝永大火(1708年月8日、天明大火年月日
 火事での蔵書書物は甚大である・・・「本・書籍・記録の火災での焼失」である・・・
 「・・・寺院(ジイン)・京都(キョウト・京師)、町並・石山本願寺・本能寺・安土城・大阪城・江戸城・江戸町並・吉原の廓(郭・くるわ)・会津若松城・榎本武楊の軍艦・蝦夷函館・五稜郭」等が炎上した。・・・「京都」は「京師(ケイシ)」ともきろくされ、同字異音漢字の「京師(キョウシ)」は戦前の教師の育成学校、「京都師範学校」の略である。今現代の「教育大学」である。ナニを教えてきたんだか・・・?
 ・・・漢字の「本」と言う文字が記録されているのは「石山本願寺・本能寺・榎本武楊」である・・・「本」である。そして「多品治(おほの・ほんじ=本字)」の「品治」で、「多(おほの)」は「太(おほの)安萬侶」の「おほの」である。
 ・・・アマ・リ・ニモ、フ・ザケ・テ・イ・ル・・・が、これが「二本文化」と、云うものである。
 算数の掛け算の「カケル記号」が「×」であるならば、文字は片仮名の「メ」であり、類似するのは「〆」である。「×」は拒否、否定、不可の「ぺけ・ダメ・バツ」であり、「十」をナナメにした文字で、ローマ数字の「10」である。「10」そのものは「アラビア(亜剌比亜)数字」で、「十」とは「足(たり)」であった。象徴的なのは「十字架」で、金星記号の「♀=○+十」で、「エジプト(埃及)王の杖」の「アンク」であった。更には甲骨文字は「七(一+L)」と「十」が曖昧である・・・「L」とは「乙(オツ・ツ・イチ・きのと・おつ・おと)の略字」で、しかも英語の「エル(L)」であった。「エル(L)」とはアルファベットの「12字」で、数字の「50=五拾」である。英和辞典では象徴的な「L」とは「高架鉄道(elevated railroad)」で、「家の翼、袖(そで)」とある。「La(ラ)」は音階の「ドレミファソラシド」の「弟6音」である。「ロクオン」とは「録音」で、音の記録である・・・現在コンピュータで使用されているのは「ログオン(logon)」、「ログイン(login)」である。「log」「とは「丸太・航海日誌・測程儀」である。「logarithm」とは「対数」である。すべて「logic」で、「Logos」である。
 なんで、カミの言葉が「丸太」なんだか、「イエス(神の子→父と子と聖霊の三位一体の二位)」は大工の息子だった、らしいが「太安萬侶(丸・円・○)」、丸太の安売りは「火事の前」が相場であるな。
 丸太商人は
   ↓
 「紀伊国屋文左衛門(キのクニヤ ブンザエモン)である。
 寛文9年・1669年?~享保19年4月24日・1734年5月26日」は江戸元禄期の商人。
 元姓は「五十嵐」氏。
 名は「文吉」。
 俳号は「千山」。
 略して「紀文」、
 「紀文大尽」。
  ↓
 紀州湯浅(和歌山県有田郡湯浅町) 出身。文左衛門が「二十」代の頃、紀州「みかん(橘)」や「塩鮭」で富を築いた。元禄年間には江戸「八丁堀」へ住み、江戸幕府の側用人「柳沢吉保」や勘定奉行の「荻原重秀」、老中の「阿部正武」らに賄賂を贈り接近。上野寛永寺「根本」中堂造営で巨利を得て幕府御用達の「材木商人」となるも、深川「木場」を「火災」で焼失、材木屋は廃業。 また、幕府から十文銭の鋳造を請け負って造った十文銭は質が悪く、五代将軍綱吉の死と同時にこの十文銭は1年で通用停止。晩年は 浅草寺内から「深川八幡」に移り、「宝井其角」らの文化人と交友。「千山」の俳号を名乗った。享保19年(1734年)に死去したとされる。「享年66才」。 紀伊國屋は2代目文左衛門が継いだが、衰退。八丁堀に広大な邸を構え、吉原での豪遊の逸話がある。 

プラトン古事記をカタる

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死ぬほど・・・アイ(Ī)して

2022-04-26 14:57:49 | 古事記字源
























Annie Lennox - A Whiter Shade of Pale (Remastered)






  ↓↑
 Mireille Mathieu
 Comme d'habitude (My Way)・・・「いつも」が「私の道」って・・・?
https://www.youtube.com/watch?v=1JzAVBkqSbw
 イツモのように

"MY WAY" by Amira & Friends ("A MINHA VIDA")
https://www.youtube.com/watch?v=wfqx0k4Kez0

 Mireille Mathieu
 Caruso(カルーソ)
https://www.youtube.com/watch?v=Rgr3Oz4znuk

 Lara Fabian - Caruso (subtitulado (traduccion no oficial)
https://www.youtube.com/watch?v=2swyMf-R0sc

 Julio Iglesias - Caruso(カルーソ)
https://www.youtube.com/watch?v=X9LcB8o17so

 Pavarotti - Caruso (english subtitles)
https://www.youtube.com/watch?v=iDEdZfnULIg
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「ツル(吉兆)とカメ(吉兆)がすべった(鶴と亀と滑った・太凶)」

2022-04-22 20:22:20 | 古事記字源

 イツモのように・・・伊豆姆・・・出雲のように?


 イツクタバルンダか・・・
 1952年10月7日
 2013年4月(60歳)
 丙 辰 比肩
 2022年
 壬 寅 偏官
 ↓↑
 壬 辰(乙・癸・戊)
 己 酉(庚・ ・辛)
 丙 戌(辛・丁・戊)午未=空亡
 戊 子(壬・ ・癸)
 ↓↑
 壬 寅(己・丙・甲)偏官
 乙 巳(戊・庚・丙)印綬
 壬 戌(辛・丁・戊)偏官
 庚 子(壬・ ・癸)偏財
 ↓↑
 戦争で儲けるヤツラ・・・
 戦争を煽るヤツラ・・・・
 ↓↑
 儲けるヤツラと煽るヤツラの蔓と咬め・・・が辷(すべ)った・・・
 辷=辶+一
   国字
   すべる・すべらし
   glide, skate, slip
   fail in exams=fail an examination.
   贓物寄蔵犯〔第三類 犯罪行為〕
   情を知りて贓物を隠匿してやるものを云ふ
   情を知って贓物を隠匿してやるもの
   「牙保」のこと・・・
   弁護士
   女子の陰部が無毛のもの・・・?
   ↓↑ 
   窃盗教唆者の
   贓物牙保罪
 ↓↑
 国際 牙保(ガホ)国家・・・ロシア・アメリカ・・・?
 国家組織人なのか、法人組織人なのか、個々人なのか
 私人なのか・・・・
 資本家なのか・・・
 ↓↑
 売買の取次をし
 その中間に立って
 利をかせぐこと
 仲買(なかがい)・がほう
 ↓↑
 牙保罪
 盗品であることを知りながら
 その処分の斡旋あっせんをする罪
 牙保(がほ)=売買の仲介・仲買
        盗品の売買
        質入れなどの処分周旋
 窃盗、詐欺などの
 犯罪行為によって
 不法に手に入れた他人の財物
 ↓↑
 贓物ノ
 運搬
 寄蔵
 故買
 又ハ牙保ヲ為シタル者ハ
 盗品その他財産に対する罪によって
 得た物を
 運搬し、保管し
 有償もしくは無償で取得し
 又は
 その処分の周旋をしたもの
  ↓↑

 「釣瓶落とし」・・・「跳ね釣瓶=撥ね釣瓶」
 「水汲み井戸」の道具
 吊  桶・槽  縄       滑車
  釣   瓶   綱       躁
 「ツルとカメと すべった(鶴と亀と滑った)」
              鶴と亀が統べた
 「朝 顔 に 釣 瓶取られて 貰 い水
  あさがおに、つるべとられて、もらいみず
              (加賀千代女)」
 アサガオ(朝顔・牽牛花・蕣・Morning glory)
 ヒルガオ科サツマイモ属の一年性植物

   ↓↑
 イツモのように・・・
  ↓↑
 「シカバネの山」に悍ましくホホえむヤツらのヨドンだ碧眼・・・
 ・・・腐汚沈・・・煤澱・・・
  ↓↑
 伊豆母・・・も=摸・模・喪・姥・媽・茂・慕・漏
   姥=女+老
   媽=女+馬
   姆=女+母
    ・・・姆(うば)=女+母
       ボ
       モ
       うば・・・乳母
       母親に代わって子供に乳を飲ませ
       養い育てる女
       母親の代わりに
       子どもの世話をする女性
       乳母=傅(めのと)
       乳母(おんば・ちうば・ちおも・にゅうぼ・まま・めのと)
       若い女性に婦人としての
       道徳を教える年配の女性
       あによめ
       夫の兄の妻を呼ぶことば
 出雲(いつも)のように・・・アルジと息子の溺死・・・
 伊豆母のように・・・北条政子の・・・執念・・・?

 ↓↑
 何時ものように
 As ever the truth lies somewhere in the middle.
 as always
 as ever
 as is one's custom
 as is one's wont
 as normal
 as per usual
 as usual
 in a familiar manner [way]
 in a normal manner [way, fashion]
 like always
 like every day
 like usual
  ↓↑
 「d’habitude」
 「comme d’habitude 」・・・
 いつもの「日常性」を・・・
 奪い、奪った、奪いつづけているヤツラ・・・?
  ↓↑
 Mireille Mathieu
 Comme d'habitude (My Way)・・・「いつも」が「私の道」って・・・?
https://www.youtube.com/watch?v=1JzAVBkqSbw
 イツモのように

"MY WAY" by Amira & Friends ("A MINHA VIDA")
https://www.youtube.com/watch?v=wfqx0k4Kez0

 Mireille Mathieu
 Caruso(カルーソ)
https://www.youtube.com/watch?v=Rgr3Oz4znuk

 Lara Fabian - Caruso (subtitulado (traduccion no oficial)
https://www.youtube.com/watch?v=2swyMf-R0sc

 Julio Iglesias - Caruso(カルーソ)
https://www.youtube.com/watch?v=X9LcB8o17so

 Pavarotti - Caruso (english subtitles)
https://www.youtube.com/watch?v=iDEdZfnULIg

 「Caruso(カルーゾ)」・・・?
 イタリアのナポリ出身
 オペラ史上の
 テノール歌手の一人
 「エンリコ・カルーゾ
  Enrico Caruso (1873~1921)」

 カルうそ・・・借る嘘・・・輕そう・かるそう・・・って、ナニ?

 「地中海の青緑色」・・・?
 Guardo negli occhi la ragazza
 彼は若い女の目を見た
 quegli occhi verdi come il mare
 海のような緑の目を

 poi all’improvviso usci una lacrima
 すると突然に一粒の涙が流れ
 e lui credette di affogare
 彼は泣きぬれていたことを覚えた
  ↓↑
 意味が解らないけれど・・・
 耳に聴こえる唄声はナンかオモイ・・・叫びのようだ・・・
 中年男の若い女との情事・・・人生の嘆き・・・?
  ↓↑
 おかる・・・かんペイ・・・?
 お軽 ・勘平
 おかる・かんぺい
 歌舞伎,浄瑠璃
 「仮名手本忠臣蔵」の登場人物
  塩冶(えんや)家の家臣
 早野勘平
 主君刃傷(にんじょう)の日
     ・・・なんで、「にんじょう」なんだか?
             人 情・・・尋常(ジンジョウ)
             晨 朝(ジン ジョウ)
             六時の一・卯 (う) の刻・午前6時ごろ
 恋仲の腰元
 「お軽」と逢(あ)い引き・・・軽=珂瑠・・・文武天皇?
 舞踊
 『道行旅路の
  花聟(はなむこ)』・・・なんで聟(むこ・婿)なんだか?
 通称「落人(おちうど)」
 をはじめ多くの
 「書替狂言」・・・・「書替」、「今日言」・・・?
 に登場・・・
 「古事記」、「日本書紀」などの「書き替え」・・・
ーーーーー
  ・・・???・・・
 六国史(りっこくし)
 日本書紀・続日本紀
 日本後紀・続日本後紀
 日本文徳天皇実録
 日本三代実録
 の総称
 続日本紀
 和銅七年(714)二月戊戌
   「詔
    二従六位上
    紀 朝臣 清人
    正八位下
    三宅 臣 藤麻呂一
    令レ撰二国史一」
ーーーーー
  ・・・???・・・
   ↓↑   ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
  +
 (表紙・画像・音楽)」の
  移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2022/4
 ↓↑
 干支歴
http://meisiki.bake-neko.net/keisanBXG4.html
 ↓↑
 追加添文
 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
https://haa98940.wixsite.com/mysite/single-post/2006%E5%B9%B4%EF%BC%91%EF%BC%91%E6%9C%88%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%8E%E9%A0%83%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB

 

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「紫薇垣(しびえん)のバラ」は盗めない・・・紫薇=百日紅=猿滑

2022-04-19 15:51:22 | 古事記字源

 「ヌスムという根源」⇔「盗=次+皿=冫+勹+人+皿」
 ↓↑
 プーチン・ロスケ
 「烏克蘭=宇克蘭」の住民から略奪・強奪・殺傷・・・
 プーチン・ロスケ
 1952年10月7日・・・?
       大運2013年3月(60歳)丙辰比肩
 壬┏辰(乙癸戊)偏官・食神冠帯⇔ 壬寅偏官
 己┗酉(庚 辛)傷官・正財 死⇔ 甲辰偏印
 丙┗戌(辛丁戊)  ・食神 墓⇔ 壬寅偏官
 戊 子(壬 癸)食神・正官 胎⇔
   午未空亡

 1952年10月6日・・・?
       2013年7月(60歳)丙辰傷官
 壬┏辰(乙癸戊)印綬・食神冠帯⇔ 壬寅印綬
 己┣酉(庚 辛)偏財・偏官 絶⇔ 甲辰劫財
 乙┗酉(庚 辛)  ・偏官 絶⇔ 壬寅印綬
 丙 子(壬 癸)傷官・印綬 病⇔
   午未空亡
  ↓↑
 2022年 干支39 壬寅(己・丙・甲)年
 0004月 干支41 甲辰(乙・癸・戊)月
 0019日 干支39 壬寅(己・丙・甲)日

  ↓↑
 赤いバラを盗むヤツラは
 白いバラも
 黄色いバラも
 盗んで
 故郷の家族に贈る・・・貧しい家族への贈り物・・・
 百万本のバラは買えないから・・・
 戦利品は鹵獲品・・・
 マーラが与えた人生 (百万本のバラの前身の曲)
https://www.youtube.com/watch?v=CTzlsEKRowY
 「ヌスムという根源」⇔「盗=次+皿
              =冫+欠+皿
              =冫+勹+人+皿」・・・
             サラの上で氷(冫)に包まれたヒト・・・?
                    二スイ
 旧字・・・「盜=氵+欠+皿」=サラの上の水(氵)に包まれたヒト・・・?
                    サンズイ
                ・・・「纂は隋」書・・・?
 ↓↑
 次=冫+欠
   冫+㇒(丿・ノ)+乛(⺂)+人
   ジ
   シ
   つぎ
   つぐ
   ついず
   やどる
   二番目
   つづく・あとにつづく
   ついで=順序
   ついず=順序をつける・順序立てて並べる
   回数や度数などを数えることば
   やどる=軍隊がある土地にとどまる・宿営する
   やどる=宿泊する・宿泊場所
  ↓↑
   𠂉・冖・人(ノ+乀)・𠆢・入
 ↓↑
 次(つぎ)
 次(つ)ぐ
 次(つい)ず
 次(やど)る
 ↓↑
 相次ぐ
 一次=物事の最初・第一回
 勝手次第
 月次(げつじ)=一月毎・毎月
 高次=「程度・資質・能力・水準」が高い
 五十三次=「東海道五十三次」
 ↓↑
 耆老久次(キロウキュウジ)
  年老いるまで昇進せずに、同じ官職でいること
  「耆老」=年をとること
  「久次」=無昇進
 造次顛沛(ゾウジテンパイ)
  忙しくて慌ただしい時・瞬時、束の間
  「造次」=慌ただしい時・とっさの場合
  「顛沛」=つまずいて転ぶこと
 ↓↑
 鱗次櫛比(リンジシッピ)
  きっちりと整って並ぶこと・整列
  魚の鱗や、髪をとかす櫛の歯のように
  整然と並んでいる様子
 ↓↑
 阿弥陀の光も銭次第
 蹴る馬も乗り手次第
 娑婆で見た弥次郎
 地獄の沙汰も金次第
 次郎にも太郎にも足りぬ=中途半端で使いみちがない
 成るも成らぬも金次第

 ↓↑
 盗(ぬす)む
 盗(と)る
 ↓↑
 居直り強盗
    怪盗
    群盗
    強盗
    酒盗(シュトウ)
      魚の内臓の塩辛
      鰹の内臓を使った塩辛
    窃盗
 ↓↑
 悪木盗泉(アクボクトウセン)
  困窮しても道理を外れた行いはしないこと
  悪事に近づかないこと
 「盗泉」=孔子が名前を嫌い
      喉が渇いていても
      水を飲まなかった泉・・・盗んだ泉?
 ↓↑
 掩耳盗鐘(エンジトウショウ)
  自己欺瞞しながら悪事を働くこと
  隠蔽の悪事がいつのまにか知れ渡ること
 「耳を掩いて鐘を盗む」
 ↓↑
 誨淫誨盗(カイインカイトウ)
  人を悪事に誘い入れること
  「誨」=教えること
  「淫」=みだら
   誨盗誨淫
 ↓↑
 開門揖盗(カイモンユウトウ)
  自分自身の原因で災いを招き入れること
 「揖盗」=泥棒を会釈して招き入れること
      自宅の門を自ら開けて
      会釈して泥棒を招き入れる
 「門を開いて盗に揖す」・・・

 ↓↑
 揖=扌+咠
   扌+口+耳
   シュウ
   ユウ
   あつまる
   ゆずる
   礼の作法・会釈・両手を胸の前で重ね合わせる
   ゆずる・辞退する
   あつまる・あつめる
   咠
   シュウ
   ユウ
   ささやく(囁く)・耳もとでささやく
   葺=艹+咠
     艹+口+耳
     シュウ
     つくろう
     ふく
     つくろう・ととのえる・修理する・なおす
     ふく=かやなどで屋根をおおう
     おおう・かさねる・かさなる
     ↓↑
     鸕鶿草葺不合尊
    (うがやふきあわせずのみこと
     うがやふきあえずのみこと)
     地神五代の5代目
     日向三代の3代目
    「神武天皇=彦火火出見尊」の父
     鸕鷀草葺不合尊
 ↓↑   ↓↑
     彦火火出見尊=火折尊=山幸彦
     (ひこほほでみのみこと)
     と
     豊玉姫の子
     ↓↑
     天 津日高 日子 波限 建
    (あまつひこ ひこ なぎさたけ
          鵜葺草 葺不合
                うがや ふきあえず
                命
                みこと)
     ↓↑
     彦  波瀲 武  鸕鷀草 葺 不合 尊
     (ひこなぎさ たけ うがや ふき あえずのみこと)
  ↓↑
  楫
  楫取+美和子(かとり+みわこ)=杉+文=久坂 文
  と
  楫取+素 彦(かとり+もとひこ)=小田村 伊之助
  の次男・・・
  ↓↑
 1896年(明治二十九年)の元日(1月1日)
 「芝山巌事件」で殺害された
 「楫取道明(山口県・38歳
       初代 群馬県令   楫取素彦
          と前妻の
          吉田松陰の妹 寿
          の次男)」
  台湾統治での教育殉死者の
 「六氏先生」の一人
  ↓↑
  楫取 道明(かとり みちあき)
  安政五月二十七日
  1858年7月7日
  ~
  明治二十九年
  1896年1月1日
      大運1888年10月(30歳) 壬戌傷官
 戊┏午(丙 丁)印綬・偏官 病⇔乙未偏財
 戊┏午(丙 丁)印綬・偏官 病⇔戊子印綬
 辛┏丑(癸辛己)  ・偏印 養⇔癸丑食神
 戊┗子(壬 癸)印綬・食神長生⇔壬子傷官
   辰巳空亡
 ↓↑ ↓↑

 欺世盗名(ギセイトウメイ)
  世間を偽って名声を得ること
  「世を欺き名を盗む」
 ↓↑
 寇(あだ)に兵(ヘイ)を藉(か)し
 盗(トウ)に糧(かて)を齎(もたら)す
   敵に利益を与えるような行動
   自らの損失となるような行動
   「寇」=敵・・・元寇・倭寇・・・寇(コウ)=宀+元+攴
   「兵」=武器・・・兵庫
   「藉」=艹+耤
       艹+耒+昔
       艹+丿+未+龷+日
       艹+一+未+龷+日
       艹+丿+一+木+卄+日
       艹+丿+一+木+丨+日
       シャ
       セキ
       かこつける
       かす
       かりる
       しく
       ふむ
       よる
       しく・敷き物・むしろ・敷き物にする
       かりる
       たよりにする・たのみにする・拠る
       かす・与える
       かこつける
       たとい・かりに・もし
       いたわる・ゆるす・なぐさめる
       ふみにじる。ふむ・乱れる

 ↓↑ ↓↑
 耤・籍・䎰・䣢
 ↓↑
 藉(かこつ)ける
 藉(か)す
 藉(か)りる
 藉(し)く
 藉(ふ)む
 藉(よ)る
 ↓↑
 藉口=無理な理由付けで言い訳をすること
 慰藉=慰謝
 慰謝料・慰藉料
 狼藉
 ↓↑
 悪声狼藉
  悪名が広がりすぎて
  どうにもならないことを状況
 ↓↑
 温言慰藉
 家内狼藉
  家の中が乱れていて無秩序なこと
 ↓↑
 声名狼藉
  評判を落とし元に戻すことができないこと
 ↓↑
 枕経藉書(チンケイシャショ)
  読書に夢中沈溺になること
  枕として経書
  敷物として書物
 「経を枕にし書を藉く」
 ↓↑
 杯盤狼藉(はいばんろうぜき)
  酒宴が終わった後の酷く散らかっている様子
  「狼藉」=狼が寝るために敷いた草
 ↓↑
 狐虎の威を藉る
   「齎」=齊+貝
       亠+刀+丫+𠂎+丿+一+丨+貝
            氏⇔㇒+㇙+㇝-一
       人のもとへ持って来る・持って行く
       情報などを聞いてきて告げ知らせる
       ある事態をひき起こす
   敵に武器を貸し与えたり
   盗賊に食糧を与えたりすること
  ↓↑ ↓↑
  齎=齊+貝
    亠+刀+丫+ノ+ㇾ+丿+一+丨+貝
         ↓↑
         ノ+⊥
         𠂎
     ノ+㇙
         卬・迎・抑・昂
         𧘇=㇒+㇙+ト
         氏⇔㇒+㇙+㇝-一
   爪=𠂆+丨+乀
           𠂆=エイ=ノ+丿=𠂆 
         瓜=𠂆+ム+乀
 ↓↑
 瓜田(カデン)=瓜畑(うりばたけ)
 胡瓜(きゅうり・きうり)
 初夏に黄色い花が咲く
 果実は細長く棘がある
 未熟な果実を食用する
 ↓↑
 白瓜(しろうり)
 夏に薄緑色で円柱形の実を付ける
 西瓜(すいか)
 果実は大きな球形
 淡い緑色に濃い緑色の縦縞
 果肉は紅く、水分が多く甘い
 冬瓜(トウガン・とうが)
 掌状に裂けた互生の葉を持つ
 夏、黄色い花を開き
 大きな球形や楕円形の緑白色の果実を結ぶ
 苦瓜(にがうり)=ゴーヤー・つるれいし
 夏から秋にかけて黄色の五花弁を開く
 果実は長楕円でこぶ(瘤)状の突起を持つ
 苦味がある
 ↓↑
 以杞包瓜(イキホウカ)
  高位の人物が持つ徳が、大衆を包み込むこと
  高位の人物が謙遜した態度で賢者を求めること
  「杞」=行李柳
  「瓜」=普通の人々・庶民
  行李柳で作った葛籠に
  壊れやすい瓜を入れる
  「杞を以て瓜を包む」
 ↓↑
 瓜葛之親(カカツのシン)
  親類、縁者
  瓜や葛の蔓が絡み合うことの比喩
 ↓↑
 瓜田李下(カデンリカ)
  疑われるようなことはしない
  瓜の畑で屈んで靴を履きなおそうとしたり
  李の木の下で手を上げて冠を直そうすると
  瓜李を盗むと疑われる
 ↓↑
 瓜剖豆分(カボウトウブン)
  一つの国が小さく分裂
  瓜や豆を割るように小さくわかれる
 ↓↑
 滾瓜爛熟(コンカランジュク)
  確実に習得していることのたとえ
  暗記し覚え、声に出してとなえること
  「滾瓜」=丸く大きくなった瓜
 ↓↑
 投瓜得瓊(トウカトクケイ)
  男女が愛情の誓いの品を互いに贈ること
  少しの贈りもので
  多くの贈りものを受け取ること
  女性が木瓜などの木の実を投げて求愛し
  男性は応じるときに宝玉を贈った
  「瓊」=宝玉・・・瓊瓊杵尊=邇邇芸命
  「瓜を投じて瓊を得」
 ↓↑
 一瓜実に二丸顔(いちうりざねににまるがお)
  女性の顔立ちで
  一番良いのはやや細長く白い瓜実顔
  二番目は愛嬌のある丸顔
  その後に
  三平顔に
  四長顔
  五まで下がった馬面顔
 ↓↑
 瓜に爪あり爪に爪なし
 (うりにつめありつめにつめなし)
 ↓↑
 瓜の皮は大名に剝かせよ
 柿の皮は乞食に剝かせよ
  (瓜の皮は厚くむき
   柿の皮は薄くむいたほうがおいしい)
 ↓↑
 瓜の蔓に茄子は生らぬ
 (うりのつるになすびはならぬ)
  平凡な親からは
  非凡な子どもは生まれない
 ↓↑
 瓜二つ(うりふたつ)
 ↓↑
 瓜田に履を納れず
 李下に冠を正さず
 ↓↑
 孤=孑+瓜=孤独・・・蠱毒・蟲毒
 弧=弓+瓜=円弧
 坬=土+瓜=土手・堤
 瓝=瓜+勺=小瓜
 苽=艹+瓜=まこも
 呱=口+瓜=赤子の泣き声
 狐=犭+瓜=キツネ
 泒=氵+瓜=河川名・・・派=氵+𠂢
            つかわす・さしむける
            派遣   派兵
            𠂢・𣲖・覛・眽・𥿯

 ↓↑
 家に鼠、国に盗人
   どんな所にも悪いことをする者がいる
 ↓↑
 稲荷の前の昼盗人(ひるぬすびと)
   稲荷神社の前で、昼間に物を盗むふとどき者
 ↓↑
 渇(カッ)しても盗泉の水を飲まず
  「盗泉」=中国山東省にある泉の名
       孔子が「盗泉」の名を嫌って
       泉の水を飲まなかった
 裃(かみしも)を着た盗人
   役人でありながら私腹を肥やす者
 国に盗人、家に鼠
   物事には、その内部に害をなすものがある
 ↓↑ ↓↑
 生きている個々人の
 「社会生活」・・・?の、根源・・・
 個々人間の
 「ヌスム」か
 「ヌスマない」かの「諸関係」・・・
 「諸関係」は
 「協働体」の
 「イチ場」」できまる・・・
 他人の「イノチ」を勝ってに「ヌスムな」・・・
 ↓↑
ーーーーー
 ・・・???・・・
  ↓↑   ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
  +
 (表紙・画像・音楽)」の
  移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2022/4
 ↓↑
 干支歴
http://meisiki.bake-neko.net/keisanBXG4.html
 ↓↑
 追加添文
 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
https://haa98940.wixsite.com/mysite/single-post/2006%E5%B9%B4%EF%BC%91%EF%BC%91%E6%9C%88%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%8E%E9%A0%83%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB

 

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「白村江」の地名が変遷・・・「カイセン」されたって・・・?

2022-04-15 21:41:43 | 古事記字源

2022/4/13・水曜日・・・追加添加・・・文・・・
 くたばれ、腐汚塵・・・
 虐殺された者に「蘇(甦・よもがえ)り」は無い・・・
 くたばれ、プーチン・・・くたばれ、ロスケ・・・
  ↓↑
 2022/4/15・金曜日・・・追加添加・・・文・・・
 ロシア国営タス通信は14日
 ・・・海戦もなく・・・
 ロシア黒海艦隊の旗艦「ミサイル巡洋艦」
 「モスクワ」が爆発沈没・・・
 ・・・
 13日
 ウクライナ南部・軍事司令部報道官
 「黒海で
  対艦ミサイル『ネプチューン』が
  ロシア海軍の
  巡洋艦『モスクワ』に当たり
  ダメージを与えた
  嵐と砲弾の爆発により
  巡洋艦は転覆し
  沈没し始めた」・・・
  ↓↑
 「法文化」され「六法全書」に「記録」されたからといって
 「市民社会」で
 「詐偽・強奪・殺傷」がなくなると思うなョなッ・・・
 「国際国家間」で
 「国際条約」がなされ国内で「批准」されたからといって
 「侵略・略奪・殺傷」がなくなると思うなョなッ・・・
 「軍事同盟」
 「不可侵条約」
 「平和条約」
 「禁止」の
 「約束事」の「原点」は
 「マモラなくなる」
 「マモレなくなる」
 というコトだ
 ましてや
 「人間の道徳観、倫理観」・・・

  ↓↑ 
 「よみかえる」モノの・・・カンジ・・・
 663年
 「白村江のカイセン」・・・「侵略」してもヒトのココロとセイチの
              「占領」は維持し難いのは「人間の歴史」
  ↓↑
 「白村江のカイセン」⇔「白馬江(ペンマガン?)のカイセン」
           ⇔「熊津江(ウンジンガ?)
             熊(くま・ユウ・クム)江のカイセン」
           ⇔「群山付近」・・・?
 「白村江」の地名が変遷・・・「カイセン」されたって・・・
 その「根拠」はナニか・・・?
 「白水郎(あま・ハクスイロウ)⇔漁師・海女・海士・海部・阿毎」
                 潜水夫=ダイバー(diver)
                    「臺(台)婆」?
                       台湾の波の女?
  白+α
  ↓↑
 「白崇禧(ハクスウキ・パイ=チョンシー)
  1893~1966
  広西省桂林 (けいりん) の人
  字  健生
  広西派の領袖
  蒋介石と対立し、後に和解
  中華人民共和国成立後
  台湾に渡り
  蒋介石政権に参与」・・・?
  ↓↑
 「白水=中国の地名
     白水県(ハクスイ-ケン)
     南北朝時代
     東魏により設置
     北斉により廃止
     中華人民共和国
     江蘇省
     淮安市
     にかつて存在した県
     盱眙県(クイ-ケン)
・・・盱=目+于
          目+二+亅
          目を見張る
          心配する・なやむ・憂える
         眙=目+台
          目+ム+口
           見すえる・見つめる・直視する
     盱眙(クイ)=江蘇省の県名    
            西部に相当」
     秦王朝時代に設置
     淮安市の南側に位置
     北側は宿遷市
     南側と西側は
     安徽省にそれぞれ接している
    明祖陵と泗州城の所在地 
   「彗星運行図・戦国時代の陳璋圓壺」発見地
     特産
    「盱眙十三香竜蝦(アメリカザリガニ)」
    「中國國際 龍蝦(ザリガニ) 節の開催地」
  ↓↑
 「白水県=陝西省渭南市」
        「宝鶏市
         渭浜区
         金台区
         陳倉区
         鳳翔区
         岐山県
         扶風県
          眉県
         麟遊県
         千陽県
          隴県
          鳳県
         太白県」   
  ↓↑
 「白水郷 =中国各地にある郷」
 「白水村 =熊本県にかつて存在した村」
 「白水 (しろみず・東根市)=山形県東根市の地名
  白+水=泉
  ↓↑
 白水真人(ハクスイシンジン)
  後漢繁栄を予言した語
  中国貨幣の異称
  前漢を倒した
 「王莽」が貨幣に
 「金刀」と印字されているのを見て
 「金+刀=劉」とみて
 劉氏の復興の兆しになるとして
 「貨泉」と改めたが
 「貨泉」も
 「貨=眞(真)人」
 「泉=白水」で
 「白水郷」から
 「劉秀」
 が現われて
 後漢を興す兆しになった
 『後漢書・光武記』
  ↓↑
 烏白馬角(ウハクバカク)
  絶対にあるはずがないこと
  「烏白」=頭の色が白い烏
  「馬角」=角の生えている馬
  そのような動物は存在しない
  ↓↑
 堅白異同=辻褄の合わない論理展開・詭弁
      戦国時代の趙の
     「公孫竜」の詭弁
      白い石は観て
          白いことはわかるが
          堅さは分からない
          触ると堅さは解るが
          色は分からない
          故に
          堅くて白い石は存在しない
    =堅白同異
  ↓↑
 「白洲次郎」
 1902年(明治三十五年)2月17日
 ~
 1985年(昭和六十年)11月28日
      大運1978年1月(75歳)庚戌劫財
 壬寅(己丙甲)傷官・正官 胎⇔ 乙丑偏財
 壬寅(己丙甲)傷官・正官 胎⇔ 丁亥偏官
 辛未(丁乙己)  ・偏財 衰⇔ 辛未比肩
 戊子(壬 癸)印綬・食神長生⇔ 戊子印綬
  戌亥空亡 井宿辛未 井宿辛未
  ↓↑
 「白馬」
 「白山」
 「白頭山」
 「白雲・白波」
 「白道・白銅」
 「白票」
 「白河天皇・後白河天皇」
 「白鳥兵庫」
 「白土三平」
 「白木真理」
  ↓↑
 「新井白石」・・・
  ↓↑
 「白石」=しろいし・しらいし・白石)
 白い石
 伊勢神宮の正殿周辺に敷き詰められる
 白い石(しらいし)
 囲碁で使われている白石(しろいし)
 ↓↑
 自治体・行政区
 宮城県
 白石市(しろいしし)
 ↓↑
 佐賀県杵島郡
 白石町(しろいしちょう)
 ↓↑
 北海道札幌市
 白石区(しろいしく)
 陸奥国仙台藩領
 白石(宮城県白石市)
 出身の武士たちが入植したことにちなむ
 ↓↑
 白石街道 (楽清市)
 中国浙江省温州市楽清市にある街道弁事処
 ↓↑
 白石街道 (煙台市)
 中国山東省煙台市芝罘区にある街道弁事所
 白石鎮=中国各地にある鎮
 白石郷中国各地にある郷
 ↓↑
 白石町 (函館市) =北海道函館市
 白石 (今金町) =北海道瀬棚郡今金町
 白石 (七戸町) =青森県上北郡七戸町の地名
 鵜飼 白石 =岩手県滝沢市
 根 白石 =宮城県仙台市泉区の地名
 白石 (気仙沼市) =宮城県気仙沼市
 白石 (石川町) =福島県石川郡石川町
 里 白石 =福島県石川郡浅川町
 山 白石
 白石 (藤岡市) =群馬県藤岡市
 白石 (東秩父村) =埼玉県秩父郡東秩父村
 白石 (児玉郡美里町) =埼玉県児玉郡美里町の地名・「しろいし」・
 白石町 (銚子市) =千葉県銚子市
 白石町 (川崎市) =神奈川県川崎市川崎区
 白石町 (三浦市) =神奈川県三浦市
 白石 (射水市) =富山県射水市
 小杉 白石
 白石町 (羽咋市) =石川県羽咋市の
 美山町 白石 =京都府南丹市の地名
 都祁 白石町 =奈良県奈良市
 白石畑 =奈良県生駒郡平群町
 白石 (湯梨浜町) =鳥取県東伯郡湯梨浜町
 宍道町 白石 =島根県松江市の地名
 白石 (岡山市) =岡山県岡山市北区
 白石東新町
 白石西新町
 白石 (大竹市) =広島県大竹市
 広 白石 =広島県呉市
 白石 (山口市) =山口県山口市
 白石 (那賀町) =徳島県那賀郡那賀町
 白石 (つるぎ町) =徳島県美馬郡つるぎ町半田の小字
 香北町 白石 =高知県香美市
 白石 (津野町) =高知県高岡郡津野町
        白石甲・白石乙・白石丙
 石手 白石 =愛媛県松山市
 川上町 白石 =愛媛県八幡浜市
 白石郷 =長崎県東彼杵郡川棚町
 白石町 (熊本市) =熊本県熊本市南区
 白石 (芦北町) =熊本県葦北郡芦北町
 白石 (山都町) =熊本県上益城郡山都町
 白石野 =熊本県下益城郡美里町
 白石町 (延岡市) =宮崎県延岡市
 白石島 =岡山県笠岡市の島嶼
  ↓↑
 「白村江(はくすきのえ・ハクソンコウ)
 天智2年8月(663年10月)
 朝鮮半島の「白村江(錦江河口)付近)」での海戦・・・

 ↓↑
 明治時代初期
 日本で
 「長浦江(Basil bay)」と呼ばれ
 明治十一年(1878年)
 日本海軍の
 木造帆船(sloop)軍艦
 「天城」
 が目測により河口付近の略地図を制作した・・・
 ↓↑
 1878年4月19日
 横須賀から横浜に回航
 3月4日
 朝鮮海岸測量が海軍に令達
 4月28日
 朝鮮海岸測量のため横浜港を出港
 5月6日
 兵庫港、門司を経由し
 釜山港に到着
 元山津、津田湾、北青湾に碇泊
 7月5日
 スクリュー(screw・推進機・ねじ=捻子・螺子・捩子・螺旋)
    ・・・水中回転式渦巻推進機・・・?
       水中回転式水搔推進機・・・?
       水中扇水式推進機・・・・・?
       プロペラ型推進装置
       回転羽根式推進装置
       スクリュープロペラ (screw propeller)
        螺旋桨(プロペラ)
      「ねじ式(1968/6/10)」・・・「つげ義春」漫画
 の修理で長崎港に寄港
 8月13日
 長崎出港
 釜山、三島、所安島、馬尓留湾、浅水湾
 を巡り
 10月1日
 長崎に寄港
 10月11日
 長崎出港、門司、兵庫、由良之内、鳥羽に碇泊
 10月28日
 横浜港に帰港
 11月9日(11月6日)
 スクリューを修理で
 横須賀に回航
 12月22日から
 横須賀造船所で修理開始
 ↓↑
 1884年5月15日 ~1885年6月22日
 艦長
 「東郷平八郎」 少佐
  ↓↑

 「白村江のカイセン」のカンジ・カンシ
   ・・・改 選・・・
 ナニを「改撰」するのか?
     疥癬=inching・痒い・癢・掻く
     海鮮=海苔・昆布
     廻船=菱垣廻船・ 樽廻船=西回り航路・東回り航路
        北国廻船・北前船=明治30~40年まで活躍
        御城米積船=千石(せんごく)船
                 撰 語句 附音
     櫂船=カイセン=甲斐戦
        魁 線=さきがけ・北斗七星の柄杓の
            頭部をなす四つの星
           「北斗星・七つの星・七曜星」
           「魁𩲃𩵄䰢魓𩳐魒」=北斗・斗
            その
           「天枢・天璇・天璣・天権」=魁
           「玉衡・開陽・揺光」=標・杓
     解繊=紙や木材
        皮革の組織
        をほぐ(解)して
        繊維を得る作業
     開繊=炭素繊維束を幅広く、薄く均一に広げて
        開繊糸を製造する技術
     開栓=ガス、水道、瓶などの口の栓をひらくこと
     廻旋=くるくる回ること・旋回
        植物の茎が支柱などに巻きつきながら伸びていくこと
     人名
    「介泉(カイセン)」
     介=𠆢+丿+丨
       物の間に挟まる・介意・介在
       間に入ってとりもつ・紹介・仲介・媒介
       世話をする・介護・介錯・介助・介抱
       外側から覆って中身を守るもの
       よろい(鎧・冑・甲冑)
       甲殻の類・介冑・魚介
       固く身を守る・狷介(ケンカイ)
       ひとり=一つ・一介

     泉=白+水
       いずみ・いすみ・セン
       地中から湧き出る水
       泉水・鉱泉・温泉・冷泉・源泉
       井泉(セイセン)・盗泉(トウセン)
       涌泉(ユウセン・ヨウセン)
       湧泉(ユウセン・ヨウセン)
       あの世・めいど(冥土・黄泉・泉下)
       ↓↑
      「和泉(いずみ)の国=泉州」
       和銅年六(713年)
      「諸国郡郷名著好字令」により
       国名を二字(和+泉=いずみ・いづみ)にした
                 いすみ・いつみ  
      「堺   ・和泉」
      「東北仙台・平泉」

 ↓↑     ↓↑
 平泉(ひらいずみ)・・・平(たいら)の泉(いずみ)
 東に北上川
 衣川
 磐井川に挟まれた丘陵地帯
 中尊寺
 金色堂+覆堂(さやどう・おおいどう)
 「黄金の国ジパング」伝説由来
  ↓↑
 毛越寺(もうつうじ)
     ・・・毛=草木の総称
          禾本(カホン)科(稲科)の植物の総称
          毛越=森林地帯の奥
          ・・・毛人(蝦夷)越え・・・樺太?
 開山は円仁

 金鶏山(キンケイザン)
 ・・・「近景・近経・筋系」+「纂」?

 観自在王院・・・観る字の材押韻?

 無量光院
 ・・・・武凌孝允・・・
     木戸孝允・・・唆(そそのか)す?
      凌=冫+夌
        冫+圥+夂
        冫+土++儿+夂
        冫+十+一+儿+夂
        リョウ
        しのぐ・こえる
        押しふせる
        おおいかぶせる
        なびかす・・・靡く
             「邪靡堆」・・・北史(隋書)
             「邪靡堆」・・・隋書
        障害物などを押しわけ
        押しつけるようにして進む
        押しわける・かきわける
        凌雲・凌駕(リョウガ)」
        おかす・あなどる
        こおり=氷・水の固体
        凌辱(リョウジョク)
        凌(しの)ぐ
        凌霄花(のうぜんかずら)
        凌霄葉蓮〉(のうぜんはれん)
        凌雲(リョウウン)
        凌雲の志(リョウウンのこころざし)

      淩=氵+夌
        氵+圥+夂
        氵+土+儿+夂
        リョウ
        馳せる・急いで行く
        乗る
        しのぐ=凌

 達谷窟=「坂上田村麻呂」に遡る「窟毘沙門堂」
 白鳥舘遺跡・・・白鳥庫吉・・・
         大鳥 圭介・・・
 平安時代末期
 「安倍頼時」の八男
 「白鳥八郎則任」
 が居城
 ↓↑
 史料的な地名確認
 『吾妻鏡』の
 文治五年(1189年)・・・文を治る語撚?
 岩手県         文 字 
 南西部(陸奥国磐井郡)
 岩手県
 西
 磐井郡・・・磐井の乱
 平泉町
 ↓↑
 仙台市
 泉区を構成する5行政区の一
 名前は「泉ヶ岳」に由来・・・
     泉岳寺・赤穂浪士の墓?・・・大石蔵之助・四十七士
 ↓↑

 「和泉(いずみ)の国=泉州
 ↓↑
 霊亀二年(716年)三月二十七日
 河内国から
 和泉郡・日根郡を割き
 四月十三日
 河内国
 大鳥郡
 を併せて
 和泉監が建てられた
 元正天皇の
 離宮(珍努宮=茅渟宮=和泉宮)
 が造営され
 「監」という特別な官司の設置
 この時期の木簡に
 「和泉国和泉(郡)」
 と記録
 天平十二年(740年)八月二十日
 「和泉監」廃止され「河内国」
 天平勝宝九歳(757年)五月八日
 再度分離で
 「和泉国」設置
 天長二年(825年)三月三十日
 摂津国から
 東生・西生・百済・住吉
 の4郡を
 「和泉国」に編入しようとしたが
 地元の反対で・・・?
 七月二十一日に取り止め・・・

 ↓↑
 中国
 福建省
 泉州=鯉城・刺桐・温陵
 夏・商代には揚州に属した
 ↓↑
 周代には
 七閩と呼ばれた
 閩(ビン・909年~945年)
 中国五代十国時代
 福建省を中心に存在した国
 十国の一
 福州市=福建省の東・閩江の下流に位置
 閩=門+虫
  「蛇簪」=農婦の簪
   髪をぐるぐる巻いて起こす様
   門に
   黒い蛇がとぐろ(蜷局)を巻いている様
   門=女門=陰門
   虫=蛇=它=男根
 ↓↑

 「白蛇傳」の女神と女精(精霊)
      白娘子=白素貞
         =白珍娘(ハクテイニャン)
         =白蟒蛇(うわばみ)
         =白大蛇
     と
     婢娘
    「青魚の精霊(ニンフ)」
     小青(ショウセイ・シャオチン)
    「青蛇の妖怪」
     白娘子との対決し敗北後
     白娘子に仕える婢女になった
    「許仙」との間に息子の
     夢龍(ムリョウ)がいる
    白娘子と共に
    峨眉山で修行した蛇の精霊
    白娘子が雷峰塔に鎮められた際に逃げ
    峨眉山に帰って三昧真火を修得し
    海法を打ち倒し雷峰塔を破壊し
    白娘子を解放
   「双蛇闘」で
    小青は男性で
    白娘子との対決で敗れた後に
    女の姿に変身した精霊
    小青=青青(セイセイ・チンチン)=奚宣賛(ケイセイサン)

    ↓↑
    ギリシア神話の
    ラミアー=ラミア(Λαμία・Lamiā)・・・類似?
    古代リビュアの女性
    ゼウスと通じ
    ヘーラー
    の復讐で子供を失い
    怒りで
    他人の子を殺す女怪と化した・・・鬼子母神
    ヘーラーに眠りを奪われたが
    ゼウスが
    眼球を取り出す能力を与えた
   「悪さをするとラミアが来るぞ」
    ・・・なまはげ=災い祓いの来訪神
    青年を誘惑して性の虜にした後
    彼を喰らう悪霊
    エンプーサ
    の代名詞・・・
    リビュア神話
    人食いの女蛇の一族=ラミアー類
    アポローンが都市
    アルゴスに差し向けた子供を喰らう怪物も
    ラミアーの別称
    体の一部が蛇・・・
    女媧(じょか)
    伏羲(ふくぎ)

 ↓↑
 春秋時代(前770年~前403年)
 越(前600年-前334年)の領土
 戦国時代(前475年~前221年)
 前306年
 楚が越を滅ぼし
 百越の土地に
 越人が流れ込み
 「閩越(前333年~前110年)」
 成立
 ↓↑
 秦代(前221年~前207年)
 前222年
 「閩中郡」を設置
 260年(永安三年)
 呉が
 東安県(南安市)
 設置
 ↓↑
 西晋(265年~316年)末
 「八王の乱」
 で中原より移民(難民)流入
 中原の先進的な技術や文化を伝播
 ↓↑
 南朝梁
 天監年間(502年~519年)
 「南安郡」の郡治設置
 ↓↑
 南朝陳(557年~589年)
 「閩州」設置
 ↓↑

 589年
 隋が
 「泉州」と改称
 606年
 「閩州」に戻され
 607年
 「建安郡」と改称されて郡制施行
 ↓↑
 唐代(618年~907年)
 州制施行
 700年(久視元年)
 「武栄州」設置
 711年(景雲二年)
 再び
 「泉州」
 と改称・現在まで使用
 ベトナムやインド、アラビア半島
 にまで及ぶ海上交易ルートが確立
 明州や広州と並ぶ貿易港となった
 760年
 「揚州大虐殺」
 878年
 「広州大虐殺」
 で
 西方国際貿易が
 「泉州」
 「福州」
 に集中した

 ↓↑
 909年
 「王審知」が
 「福州」で
 「閩国」建国
 内乱で
 「福州」の治安が悪くなり
 「泉州」に国際貿易が集中
 ↓↑
 1279年
 「崖山の戦い」
 南宋(1127年~1279年)滅亡
 元朝(1271年~1368年)
 に協力したアラブ人
 「蒲寿庚」
 が港湾都市として発展させた
 「陶磁の道(海のシルクロード)」
 の拠点として
 アラブ人やペルシャ人などが居住
 マルコ・ポーロの
 『東方見聞録』に
 「ザイトン」の名称で紹介
 14世紀
 イブン・バットゥータが訪れ
 『三大陸周遊記』に
 「世界最大の港」と記録
 ↓↑
 明代(1368年~1644年)
 海上交易の中心地は
 「長楽」
 「廈門」
 などに移行
 永楽帝の治世頃
 「鄭和」
 が東南アジアの
 呂宋国(フィリピン)
 マジャパヒト王国(インドネシア)
 マラッカ王国(マレーシア)
 との貿易を海賊から保護し
 南洋へ華僑、華人と進出
 「泉州」は
 「琉球」
 からの貿易船指定港で
 商館
 「来遠駅(泉州琉球館)」があったが
 1472年
 「福州」に移転
 ↓↑
 「泉州」現地
 南安、恵安、永春、晋江
 などの
 出身地ごとに同郷コミュニティーを作り
 会館を建て経済的や人的サポート
 ↓↑
 1986年1月
 「泉州」市成立
 ↓↑
 高句麗の
 「淵蓋蘇文=センガイソブン
      =泉蓋蘇文=泉蓋金」
      「泉(いづみ・いつみ)の
        蓋(ふた)を採って
         蘇(よみがらせる)・・・読み変える
          文(ふみ・あや・ブン)」
  ・・・日本書紀の記録
 「伊梨柯須彌(伊梨柯須弥=いりかすみ)」・・・
             「水源の霞み」・・・?
 いりかすみ・いりがずみ
 意理化素観 意理雅図観・・・
     烏克蘭=鴉克蘭=ウクライナ・Ukraine=得黒名
     くろ=皁=白+十=どんぐり・国木
              小役人・召使い・しもべ・馬小屋
              かいばおけ(飼葉桶)=馬槽(うまぶね)
        黑・玆・黭・黔・黮・黯・黰・皁
        黒=里+灬(烈火)・・・里の大火?
          甲+二+灬
          甲+一+一+灬
          キのヱは壹の位置・移置・伊地の烈火?
 墨=すみ・墨汁・墨家
 黛=まゆ・眉墨
 㕓=みせ・商店・店舗
 嚜=だまる・沈黙
 濹=濹水=隅田川・墨東奇談
 爅=火貌・黒煙
 壥=㕓
 䁼=目+墨
 癦=疒+墨・・・黒死病?
 纆=なわ・縄
 䘃=蟹・蟙䘃・蝙蝠
 纒=まつわる・絡まる
 黒毛の動物・・・「熊・月の輪熊」・・・「羆(ひぐま)」
 ・・・アイヌ語「キムンカムイ(山にいる神)=ヒグマ」・・・
  ↓↑
 上泉 信綱(かみいずみ のぶつな)
 永正五年・1508年?
 ~
 天正五年一月十六日・1577年2月3日?
 兵法家
 武家官位名
 「上泉(かみいづみ)伊勢守」
 「大胡(おおご)武蔵守」
 「上泉武蔵守(信綱)」
 上泉氏の本貫地の出身
 出生地は上野国勢多郡桂萱郷上泉村
    (群馬県前橋市上泉町内)
 陰流
 愛洲移香斎(久忠)を師
 移香斎の子
 元香斎小七郎(猿飛陰流)
 を師とする2説
  ↓↑
 武家官位としての
 「和泉守」
 太田牛一
 戦国時代の武将
 「信長公記」の筆者
 ↓↑
 伊勢津藩
 藤堂家
 藤堂高虎(初代藩主)
 ~
 藤堂高猷(第十一代藩主)
 ↓↑
 九鬼隆律
 摂津三田藩第3代藩主
 九鬼隆国
 三田藩第十代藩主
 ↓↑
 榎本武揚
 幕府海軍副総裁
 蝦夷共和国総裁
 明治後
 海軍中将
 駐ロシア公使
 ↓↑


ーーーーー
 ・・・???
  ↓↑   ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
  +
 (表紙・画像・音楽)」の
  移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2022/4
 ↓↑
 干支歴
http://meisiki.bake-neko.net/keisanBXG4.html
 ↓↑
 追加添文
 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
https://haa98940.wixsite.com/mysite/single-post/2006%E5%B9%B4%EF%BC%91%EF%BC%91%E6%9C%88%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%8E%E9%A0%83%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB

 

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