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コジキジゲン

「絵文字」の 「神聖文字=ヒエログリフ (hieroglyph)」・・・埃及(チリ及ぶ)

2023-02-04 19:41:21 | 古事記字源

 漢字魂魄の示現
 ↓↑
 S球の表面積(Surface=サーフェス)
 π(パイ・pie)=円周率(= 3.14…)・・・杯=高坏・祝杯・酒盃
 r 球の半径(radius=ラディウス)

 ↓↑
 ・・・遠洋西欧渡海の「暇つぶし」にダレかが
 持参の「古事記写本」に筆で注釈を入れていた・・・?
 ・・・エジプト(埃及)の
    カイロ(廻呂・解賂)に到着・・・
    ピラミッド(金字塔)と
    スフィンクス(獅身人面像・獅身女面像)
    を観た・・・もちろん
   「絵文字」の
  「神聖文字
   =ヒエログリフ (hieroglyph)」
    ↓↑
    簸得慮具理附(譜)
     考慮句理符(譜)
     考=土+ノ+丂(一+㇉・巧・工)
           丂=一+ㄅ=一+勹=丆+𠃌
                   𠃌=刃
    簸=「竹+其+皮」=ヒ
       長けの記の
      「化(加)和=カワ=鈹=金皮」
       鈹=金+皮=ヒ
         かわ
         医術用の大きな針
         武器・両刃の大きな剣・槍
         化学元素のベリリウム
         かわ=硫化鉱を製錬する際に
         発生する中間生成物=マット
    簸=箕(み)で
      穀物などをあおって
      籾殻(もみがら)や
      塵(ごみ・坱=ちり
          ・埃及=坱(ちり)及ぶ=Egypt
      などを除くこと
   ・・・箕が作る秋の坪?
          安芸・亜紀・蕪木・阿木
          坪=つぼ=土+平
           =壺=壷=壼
            坩=壜=瓶=びん=紊
           =つぼ=腧=経穴=経絡
  ↓↑
  臺(つぼ?)=吉+冖+至(一+ム+土)
  臺=娞=奈=ダイ=台(簡体字, 新字体)=䑓(俗字)
             奈良=ダイラ・なら
              邪馬臺(台)国
                壹=壱⇔臺(台)与
   =㙜・ 㙵・ 㣍・ 坮・ 𡋛
    𡌫(古字)=𡌬(同字)=吉+冖+土=臺⇔壺
    𡎲・𡐉・𡒢・𡔼・𦤼
  ↓↑
  兪=ユ=俞・・・福沢諭(言+俞)吉・・・愉快
    巜=カイ・カン・ケ・・・巛=川=セン=壱千=壹千
    二途の川?       三途の川?
  瑜=たま=王+兪
      =球・玉・瑞
    「古事記-真福寺本」
     賢瑜が応安四年(1371年)に上・中巻を書写し終え
     信瑜が応安五年(1372年)に下巻の不足を補い校合
  ↓↑
   ・・・婾(ぬすむ)
      牏(便所・便器・下着・襦袢)
      褕(ユ・ヨウ・美服)
      褕翟(ユテキ)=雉(きじ)の羽飾りや模様がある衣服
      襜褕(センユ)=丈の短い単衣(ひとえ)
      癒(ゐやす=愈)・逾(こえる)・喻(さとす)
  ↓↑
  䗂蝓(コユ)=デンデンムシ=かたつむり=蝸牛・🐌
  蛞蝓(なめくじ・カツユ・カチユ)
  蛞蝓に塩
   ↓↑
   箕=竹+其
   簑=竹+衰
     竹+亠+口+一 +𧘇(衣)
    =蓑=簑=簔=竹+亠+Ⅱ+一+𧘇(衣)
     異体字「𡔤 簔 衰 莎 𦸏 簑」
・・・簔・蓑=箕の
       みの=美濃
       美濃国
      『先代旧事本紀』
      三野前国
      三野後国
      額田国
      の三国
      『古事記』
      本巣国
      牟義都国
      加えた五ヵ国
      国には国造が設置
      美濃県、鴨県、刀支県
      三県に県主が設置
      後
      国々と県を統合し
      美濃国が7世紀に成立
      岐阜県の南部地域(美濃地方)
      長野県の南西部地域の一部の木曽郡(木蘇国)
      にほぼ相当
      南隣の尾張国との境は木曽川

      霊亀元年(715年)七月
      席田君邇近(むしろだのきみにこん)
      と
      新羅人74家のひとびとを
      美濃の国に移住させ
      席田郡がつくられた(『続日本紀』)
      大宝二年(702年)
      美濃国加茂郡半布(はにゅう)里(富加町羽生)
      戸籍に古い渡来系氏族の
      秦人・秦人部の姓をもつ人々が多くみられる
     (『日本書紀』斉明天皇六年十月条)
 ↓↑
 箕作 秋坪(みつくり しゅうへい)
  作=イ+乍・・・工作・作文・耕作・作業・作為・作意
         人のアッチコッチの試行錯誤の作り物?
  乍=サ
  たちまち
  ながら
  急に・さっと・ふと
  重ねて用いて
  「~したり~したり」
  「~したかと思うと~する」
  の意
  ~ながら
  「~ではあるが・~にもかかわらず・~しつつ」
  然し乍ら(しかしながら)
  憚り乍ら(はばかりながら)
  恐れ乍ら(おそれながら)・・・ながら=長柄・名柄
  畏れ乍ら(おそれながら)・・・ながら=長良・名柄
  恐れ乍ら(おそれながら)・・・ながら=長等・名柄
  恐れ多いことですが・恐縮ですが
  陰乍ら(かげながら)=相手の見えないところで
            行う様子・密かに
  乍雨(サウ)=にわか(俄か)に雨が降ってくる
  乍可(サカ)=あるいは・むしろ…するべし
  乍巻(サカン)=たちまちおさまる
  余所乍ら(よそながら)=かげながら・それとなく
             直接関係せず離れたところで
             作=イ+乍
             秋=禾+火
             坪=土+平
  簸=箕(み)で
    穀物などをあおって
    籾殻(もみがら)や
    塵(ごみ・坱=ちり・埃及)
    などを除く
 ↓↑ ↓↑
 簸=箕(み)で・・・箕作秋坪?
 ↓↑
 箕作 秋坪(みつくり しゅうへい)
 文政八年十二月八日
 (1826年1月15日)
 ~
 明治十九年(1886年12月3日)
    大運1878年12月(52歳)癸未傷官
 乙酉(庚 辛)正財・比肩帝旺⇔ 丙戌偏官
  ┣三合辛局=劫財帝旺
 己丑(癸辛己)印綬・傷官 墓⇔ 己亥印綬
 庚申(戊壬庚)  ・食神建禄⇔ 丁酉正官
 丁丑(癸辛己)正官・傷官 墓⇔ 辛丑劫財
  子丑空亡
  ↓↑ 
  文久元年十二月二十二日(出航)
 (1862年1月21日)
 大運1858年12月(32歳)       
 乙酉(庚 辛)正財
  ┣自刑
 辛酉(庚 辛)劫財・劫財・・・自刑
  ┣三合辛局=劫財
 辛丑(癸辛己)劫財・印綬
 乙亥(戊甲壬)正財・食神・・・害
 丁丑(癸辛己)正官・印綬
  ↓↑ 
 洋学者(蘭学者)・教育者・啓蒙思想家
 諱  矩
 通称 文蔵
 号  宜信斎
  ↓↑ 
 備中国(岡山県)の
 儒者
 菊池陶愛(菊池應輔亮和の婿養子である医者の
     菊池好直正因の養子である菊池慎の子
     名は文理
     通称は士郎)
 の
 次男
 美作国津山藩士の
 箕作阮甫
 次いで
 緒方洪庵の適塾にて蘭学を学び、それぞれの弟子となった
 嘉永三年(1850年)
 阮甫の二女
 「つね」と結婚して婿養子となり
 長男・奎吾(夭折)
 次男・数学者の大麓(秋坪の実家・菊池家の養嗣子)
 三男・動物学者の箕作佳吉
 四男・歴史学者の箕作元八
 ↓↑
 幕府天文方で翻訳に従事
 安政六年(1859年)
 幕府蕃書調所(東京大学前身)の教授手伝
 文久元年(1861年)
 文久遣欧使節に
 福澤諭吉
 寺島宗則
 福地源一郎
 らと随行しヨーロッパを視察
 ↓↑
 慶応二年(1866年)
 樺太国境交渉の使節としてロシアへ派遣
 ↓↑
 明治維新後
 攘夷論者が率いる明治新政府に仕えるのを好まず
 三叉学舎を開設
 福沢諭吉の慶應義塾と並び称される洋学塾の双璧
 東郷平八郎
 原敬
 平沼騏一郎
 大槻文彦
 などがここで学んだ
 専修学校(専修大学の前身)の開設で
 法律経済科を設置し
 創立者
 相馬永胤らに教授を任せる
 明治十二年(1879年)
 教育博物館(国立科学博物館の前身)館長
 従五位
 明治十八年(1885年)
 東京図書館(帝国図書館及び国立国会図書館の前身)
 館長
 東京師範学校摂理
 ↓↑
 明治六年(1874年)
 森有礼
 らと
 明六社を創立
 社長に就任
 ↓↑
 明治十二年(1879年)
 福澤諭吉
 西周
 加藤弘之
 らとともに
 東京学士会院の創設に参画
 創立会員7名の一人
 古賀侗庵に学び漢学の大家
 教育者として
 教育能力を欠く家庭の父母
 特に女子への教育の重要性を説いた
 ↓↑
 妻・「つね」の死後
 その妹で
 箕作省吾の未亡人であった
 「しん(ちま、阮甫の三女)」と再婚
 「しん」との間に
 長女・直子(人類学者の坪井正五郎に嫁ぐ)
 ↓↑
 明治十九年(1886年)
 肺炎で死去
 ↓↑
 家族
 前妻・つね - 箕作阮甫の娘
 後妻・しん - つねの妹。箕作省吾の元妻
 長男・箕作奎吾
 慶応二(1866)年
 15歳で幕府留学生として
 弟の
 大六
 らとともにイギリスへ留学
 明治四年大川にて溺死
 二男・箕作大六(菊地大麓)
 12歳で兄同様イギリス留学
 東京帝国大学総長
 三男・箕作佳吉
 四男・箕作元八
 娘・直子 - 坪井正五郎の妻
 甥
 箕作麟祥、箕作秋吉
 呉文聰、呉秀三
ーー↓↑ーー
 ・・・「夏目漱石 は
    『 虞美人草 』の中で
    「獅身女」という漢字に
    「スフーヒンクス」という 熟字訓 を当てた」・・・
 オベリスク・・・
 「名称は後世のギリシャ人が
  obeliskos(串)
  と呼んだのが起源で
  当時のエジプトでは
  「テケン(保護・防御)」
  と呼ばれていた」
 オベリスク(方尖塔・仏: obelisque・英: obelisk )
 ↓↑
 ベンベン
 古代エジプトの
 ヘリオポリス
 (古代エジプト名「オン」
  現在のカイロ周辺の街)
 にある丘
 ↓↑
 「ベン」は
 「何回も生む・生まれる」
 という意味
 「ベンベン」は・・・「弁弁=分別」 or 「娩娩=分娩」?
 「何回も何回も」
 つまり「永遠」を意味
 ↓↑
 ベンベン
 古代代エジプト
 ヘリオポリス創世神話
 原初の水「ヌン」から最初に顔を出し
 神が最初に降り立った
 原初の丘=大地の基=世界の始原の地
 ↓↑
 ラーはべンヌの姿をとり
 原初の丘「ベンベン」の上にとまった
 エジプト第12王朝
 アメンエムハト3世
 ピラミッドの
 キャップストーン
 ↓↑
 太陽光線
 原初の丘
 「ベンベン」を模した四角錐の石造記念物
 べンベン石の表面は鍍金され
 太陽の光に照らされると
 それ自身が光を発するかのように輝いた
 ベンベン石はピラミッドやオベリスクの原型
 ベンベン石は「ピラミッド」や「オベリスク」の頂上に設置
 ピラミッドの頂上を飾るキャップストーンは
 「ベンベネト」と呼ばれていた
 ↓↑
 異説
 「巨大ピラミッドの建設を止めたファラオ達が
  ピラミッドの代わりとして
  太陽神殿に置くようになったもの」・・・
 ↓↑
 オベリスク=正四角錐(Square pyramid)
       底面が四角形の錐体
       四角形は多角形なので
       四角錐=角錐
       長方錐=底面が長方形のある四角錐
       方錐=底面が正方形の四角錐
       正四角錐=直錐
       頭頂点から底面への垂線が底面の重心を通る
       方錐
      「ピラミッド型」
       斜錐の存在を考慮せず
       方錐と正四角錐を同義と説明することがある
       斜方錐=斜錐である方錐
       側面が正三角形である正四角錐

 ↓↑
 ヘリオポリス
 ラー神殿
 ベンベン石は最も神聖なものとされ
 神殿の中央もしくは正面に安置
 原初の丘「ベンベン」は
 「昇る朝日が最初に照らす場所にある」
 と考えられていたため
 ベンベン石の安置場所も
 神殿のそのような場所が選ばれた・・・
 ヘリオポリス
 ベンベンの丘は
 再生と復活をつかさどる精霊が宿る聖なる場所
 ベンベン石にも
 再生と復活をつかさどる
 精霊が宿るとされ
 後に
 太陽神アトゥム
 ラーやアメンと同一視された
 ↓↑
 ヒエログリフ(英: Hieroglyph、聖刻文字、神聖文字)
 ヒエラティック
 デモティックと並んで
 古代エジプトで使われた3種のエジプト文字のうちの1つ
 紀元後4世紀頃までは
 読み手がいた・・・
 19世紀
 フランスの
 シャンポリオンのロゼッタ・ストーン解読以降
 読むことが可能になった
 ↓↑
 古代エジプトの象形文字、その書体を指す
 広義には
 アナトリア・ヒエログリフ
 (英語: Anatolian hieroglyphs
     ヒエログリフ・ルウィ語(英語版)の象形文字)
 クレタ・ヒエログリフ
 (英語: Cretan hieroglyphs、Eteocypriot language
     の象形文字)
 マヤ・ヒエログリフ
 (英語: Mayan hieroglyphs、マヤ語の象形文字)
 ミクマク・ヒエログリフ
 (英語: Mi'kmaq hieroglyphs、ミクマク語の象形文字)
 など、他の象形文字に対しても用いられる
 ↓↑
 ギリシア語の
 ερογλυφικά
 (古代ギリシア語ラテン翻字
  hieroglyphika, ヒエログリュフィカ)
 に由来
 ερός(hieros, ヒエロス。「聖なる」)
 +
 γλύφω(glyphō, グリフォ=「彫る」)
 を意味
 古代エジプト遺跡で
 主に碑銘に用いられていた
ー↓↑ーーー
 コジキのヒメに「イチのヨ」
 カンジてアのカイのジュウタンにノリ
 ソラをカケメグル
 「コジキ・ジゲン」ものがたり
 ↓↑
 文久元年十二月二十二日、(1862年1月21日)
 英国海軍の蒸気フリゲート、オーディン号(HMS Odin)で
 欧州に向かって
 品川港を出発
 長崎
 英領香港
 英領シンガポール
 英領セイロン
 英領イエメン
 エジプト・スエズ上陸
 鉄道で
 カイロ
 アレクサンドリア
 船で地中海を渡り
 英領マルタ
 マルセイユに入った(4月3日)
 パリに到着(4月7日)
 フランスと交渉、失敗
 カレーから英仏海峡を横断
 文久二年四月二日
 (1862年4月30日)
 イギリス
 ロンドン到着
 オールコックの協力を得て
 五月九日(6月6日)
 兵庫、新潟、江戸、大坂の
 開港・開市を5年延期し
 1868年1月1日
 ロンドン覚書調印
 オランダ(6月13日)
 プロイセン・ベルリン(7月18日)
 他国とも同様の覚書を締結
 ロシア・サンクトペテルブルクに入る(8月8日)
 樺太国境画定に関する交渉は失敗
 ↓↑
 復路
 カウナス、プロイセン王国
 フランス帝国(パリ覚書締結)
 ポルトガル(10月9日)
 帰路は英領ジブラルタルを経由
 往路とほぼ同じ行路をたどり
 文久二年十二月十一日
 (1863年1月30日)
 帰国
 ↓↑
 ロンドン万国博覧会中
 ロンドン滞在
 ロンドン万博の
 日本コーナー
 オールコックが収集した品が展示
 ↓↑
 欧州滞在中の一行の姿は
 「ナダール」
 によって写真に収められている
 ↓↑
 使節一行
 正使・竹内下野守(56歳)
 副使・松平石見守(33歳)
 目付・京極能登守(39歳)
 組頭・柴田貞太郎(46歳)
 勘定・日高圭三郎(33歳) - 26歳? 日高胖の父
 勘定格徒目付・福田作太郎(36歳) 高島茂徳の兄
 目見持格調役並・水品楽太郎(32歳) 水品梅処
 同・岡崎藤左衛門(27歳)
 医師・高島祐啓(31歳)
 雇医・川崎道民(31歳)
 普請役・益頭駿次郎(36歳)
 定役元締助・上田友助(45歳)
  上田敏の母方祖父
 定役・森鉢太郎(29歳)
 定役通弁御用・福地源一郎(22歳)
 定役並通弁御用・立広作(22歳) 立作太郎の叔父
 同・太田源三郎
 同心・斉藤大之進(39歳)
  前年東禅寺事件の警護により
  英政府より褒賞された
 小人目付・高松彦三郎(44歳)
 同・山田八郎(41歳)
 翻訳方御雇
 松木弘安(35歳)
 同
 箕作秋坪(36歳)・・・箕の作の秋の坪・・・?
 同
 福澤諭吉(29歳)
 そのほか
 三使節の家来が2名ずつと
 柴田の従者1名
 竹内下野守家来
 長尾条介
 同
 高間応輔
 松平石見守家来
 野沢伊久太
 同
 市川渡(市川清流)
 京極能登守家来
 黒沢新左衛門
 同
 岩崎豊太夫
 柴田貞太郎従者
 永持五郎次
 賄方並小使雇人として7人いたが
 各藩の藩士も含まれていた
 ↓↑
 佐賀藩士の石黒寛次
 杵築藩士の佐藤恒蔵(39歳[5])
 加賀藩士の佐野鼎
 長州藩士の杉徳輔(杉孫七郎)
 阿波藩士の原覚蔵
 伊勢屋八兵衛手代の十兵衛
 ↓↑
 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
  (2022/12/01 23:56 UTC 版)
ーーーーー
 ・・・???・・・
  ↓↑   ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)

  +

 (表紙・画像・音楽)」の  移転先・・・
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
 ↓↑
 干支歴
 ↓↑
 追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
 ↓↑
 メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/user/merikiri/videos
 ↓↑
 モモちゃん

 ↓↑
 モウ君の総合目次 (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090606133825/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/kkmokuji.htm
 ↓↑
 コジキ姫赤い絨毯に乗る(m) (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090609174025/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/hime/hime77.htm
 ↓↑
 古事記と虎関師錬 (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090606191156/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/fanin/pura2/kokan/kokansiren.htm

コメント
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「鑰・鉤・鈎・鍵」+等+留+語・・・?

2023-02-02 09:05:56 | 古事記字源

 万延元年遣米使節・・・萬の延長の頑撚・・・?
 キイラルゴ=keyーlargo
      =長い鑰(かぎ)
    ・・・長の鑰(かぎ)


 ↓↑
 「鑰・鉤・鈎・鍵」+等+留+語・・・?
 ・・・

 頑(かたく)な=頑固・・・頑丈=元錠・丸錠
              頑張る=ガンバる
 頑=元+頁(page)
      元のページ・二の人の頁(おほがい=大我意)
   一+兀+頁+牛
    兀=コツ
      ゴツ
      たかい・高くて上が平らなさま
      草木がないさま・はげ
      動かないさま
      一心に物事にうちこむさま
      あしきる=足斬りの刑罰
 頑=二+儿+頁+牛
   一+一+儿+頁+牛
   ガン
   かたくな
   融通がきかない
   にぶい・おろか・道理にくらい
   じょうぶ・しっかりしている
   もてあそぶ=玩・翫
  ↓↑
  頑強=意思が強く、簡単に屈することがない様子
  頑愚(ガング)=頑固で愚か
  頑健=体ががっしりとしていて健康な様子
  頑固=考えを曲げず、意地を張り通すこと
  頑丈・岩乗・岩畳(ガンジョウ)
 ↓↑
 哀感頑艶(あいかんがんえん)
  歌声が物悲しく、どんな人もその歌声に心を奪われる
  すぐれた文芸作品の美しさや悲しさが人を感動させる
  「頑」=愚かな人
  「艶」=頭が切れる人
  「頑艶を哀感せしむ・哀しみ頑艶を感ぜしむ」
 頑固一徹
 頑石点頭(ガンセキテントウ)
  説得力や影響力が大きいこと
   「頑石」=ただの石
   「点頭」=うなずくこと
  石ですらうなずくほどに影響力が大
  僧の道生が石を集めて説法する
  その説法を石はうなずいた
 頑鈍無恥(ガンドンムチ)
  信念がなく、恥知らず
  漢の陳平が、劉邦は傲慢で無礼だが
  報酬を惜しまないため
  強欲で恥知らずな兵士が集まるとの故事
 頑迷固陋(ガンメイコロウ)
  頑固で視野が狭く、正しい判断ができないこと
  「固陋」=古いものに固執すること
       「頑迷」は「頑冥」とも
       「固陋頑迷(固陋頑冥)」
 頑冥不霊(ガンメイフレイ)
  道理がわからず、頑固で思考が鈍い人
   「不霊」=頭の働きが鈍いこと
   「不霊頑冥」
 ↓↑
 㹕=頑+牛
   元+頁+牛
   一+兀+頁+牛
   一+儿+頁+牛
   カン
   劣る
 ↓↑
 碩・硯・磌・碵

 ↓↑
 1860年
 万延元年遣米使節
 江戸幕府
 日米修好通商条約の批准書交換のために
 派遣した77名から成る使節団
 1854年
 開国後、最初の公式訪問団
 津太夫一行以来
 日本人として2度目の世界一周
 ↓↑
 1858年
 文久元年(1862年)
 文久遣欧使節
 (第1回遣欧使節、開市開港延期交渉使節)
 江戸幕府が
 オランダ、フランス、イギリス、プロイセン、ポルトガル
 との修好通商条約で交わされた
 新潟、兵庫、両都(江戸、大坂)の
 開港開市延期交渉
 ロシアとの
 樺太国境画定交渉のため
 ヨーロッパに派遣した最初の使節団
 正使
 竹内保徳(下野守)
 副使
 松平康直(石見守、後の松平康英)
 目付
 京極高朗(能登守)
 その他
 柴田剛中(組頭)
 福地源一郎
 福沢諭吉
 松木弘安(寺島宗則)
 箕作秋坪
 総勢36名
 通訳(蘭語、英語)の
 森山栄之助
 渕辺徳蔵
 が加わり38名
 ↓↑
 竹内 保徳(たけのうち やすのり)
 文化四年(1807年)
 ~
 慶応三年二月一日(1867年3月6日)
 江戸幕末期の幕臣
 官位 下野守
 幼名 清太郎
 父  200俵の旗本・竹内富蔵
 ↓↑
 嘉永五年(1852年)
 勘定吟味役・海防掛
 嘉永六年(1853年)
 黒船来航後
 台場普請掛
 大砲鋳立掛
 大船製造掛・米使応接掛
 を兼任
 ↓↑
 安政元年(1854年)
 箱館奉行就任
 幕府の命令に逆らって
 アイヌに髪の毛を切ることを免除
 漁を発展させ
 アイヌの尊敬の対象となった
 在任中にニシンが豊漁で
 ニシン(鰊・鯡・)奉行と
 あだ名された
 文久元年(1861年)
 勘定奉行兼外国奉行
 12月
 遣欧使節(文久遣欧使節)正使
 30余名を伴い横浜から出港し
 イギリスへ向かうい
 ロンドンで
 第二回ロンドン万博に出席
 攘夷運動で
 江戸・大坂の開市
 新潟・兵庫の開港延期の目的で
 欧州各国を訪問
 五カ年延期に成功
 文久二年(1862年)五月
 イギリスとの間にロンドン覚書協定
 プロシア、ロシア、フランス、ポルトガル
 との間に同じ協定を結んだ
 文久二年(1862年)
 フランス船で帰国
 翌年勘定奉行辞任
 元治元年(1864年)
 五月
 大坂町奉行に推薦されたが着任せず退隠
 八月
 閑職の
 西ノ丸留守居
 慶応元年(1865年)十二月
 横浜製鉄御用引受取扱
 慶応三年(1867年)
 死去
 ↓↑
 松平 康英(やすひで)
 江戸幕府外国奉行
 神奈川奉行
 大目付
 勘定奉行
 南町奉行
 を歴任した後
 本家の大名家を相続
 奏者番兼寺社奉行
 老中
 陸奥国
 棚倉藩の第4代藩主
 武蔵国
 川越藩主
 松井松平家12代
 川越において
 城下宮下町に
 藩校
 「長善館」・・・largo+good
 開校
 本家相続後に康英と改名
 明治維新後に
 松井 康英
 と改名した
 ↓↑
 旗本5000石
 寄合の
 松平軍次郎康済の長男
 江戸
 木挽町にて誕生
 安政六年(1859年)十二月十五日
 外国奉行
 従五位下
 石見守に叙任
 神奈川奉行兼任
 ↓↑
 万延元年(1860年)九月十五日
 外国奉行罷免
 神奈川奉行専任
 文久元年(1861年)四月十二日
 再び外国奉行兼任
 8月21日
 江戸・大坂・兵庫・新潟の開市の延期と
 ロシアとの千島・樺太国境画定交渉のために
 欧州派遣を命じられ(文久遣欧使節)
 十二月二十二日
 交渉使節団副使
 として欧州各国へ向けて出発
 文久二年(1861年)十二月十一日
 帰国
 二十八日
 外国奉行専任
 翌日
 300石を加増
 ↓↑
 棚倉藩主相続と老中就任
 文久三年(1863年)七月二十日
 但馬国
 出石藩主
 仙石家のお家騒動(仙石騒動)に連座
 陸奥国
 石川郡内に移されていた知行所5000石のうち2500石を
 播磨国
 佐用郡の旧領の一部と替地され
 知行所として
 陸奥国内2500石
 播磨国内2500石
 を持つ
 八月十四日
 勘定奉行に任命され
 元治元年(1864年)六月二十四日
 大目付
 5日後
 二十九日
 江戸南町奉行
 ↓↑
 慶応2年(1866年)4月12日
 海軍事務取扱兼任
 6月19日
 陸奥
 白河藩へ転封予定が
 前白河藩主
 阿部正静の都合で国替が手間取り
 10月27日
 武蔵
 川越藩へ転封
 慶応3年(1867年)5月12日
 会計総裁兼任
 外国・海軍事務取扱は免除
 慶応4年(1868年)2月5日
 老中を罷免
 4月14日
 明治政府より謹慎
 5月13日に謹慎を解かれた
 明治2年(1869年)4月10日
 家督を養子の康載に譲り隠居
 ↓↑
 川崎 道民(かわさき どうみん)
 天保2年(1831年)~明治14年(1881年)
 佐賀藩医
 長崎海軍伝習所に参加
 1860年
 万延元年遣米使節
 1862年
 文久遣欧使節に医師として随行
 ↓↑
 二度の海外経験
 報道・新聞・写真等の技術を学んで
 帰国後
 藩主
 鍋島直大
 を撮影
 明治5年(1872年)
 佐賀で最初の新聞
 『佐賀県新聞』を創刊
 佐賀の「写真技術の元祖」の一人
 ↓↑
 寺島 宗則(てらしま むねのり)
 1832年6月21日(天保3年5月23日)
 ~
 1893年(明治26年)6月6日
 爵位は伯爵
 元は松木 弘安(まつき こうあん)
 通称は寺島
 改姓後に陶蔵
 日本の電気通信の父
 第4代外務卿
 ↓↑
 箕作 秋坪(みつくり しゅうへい)
 文政8年12月8日(1826年1月15日)
 ~
 明治19年(1886年)12月3日
 蘭学者
 教育者、啓蒙思想家
 諱  矩
 通称 文蔵
 号  宜信斎
 ↓↑
 文政8年(1826年)
 備中国(岡山県)の
 儒者
 菊池陶愛
 (菊池應輔亮和の
     婿養子
     である医者
     菊池好直正因の養子
     菊池慎の子
 名  文理
 通称 士郎
 の次男
 ↓↑
 美作国津山藩士の
 箕作阮甫
 次いで
 緒方洪庵の
 適塾にて蘭学を学び
 弟子
 嘉永3年(1850年)
 阮甫の二女・つねと結婚して婿養子
 長男・奎吾(夭折)
 次男・数学者の大麓(秋坪の実家・菊池家の養嗣子)
 三男・動物学者の箕作佳吉
 四男・歴史学者の箕作元八
 ↓↑
 幕府天文方で翻訳に従事
 安政6年(1859年)
 幕府蕃書調所(東京大学)
 教授手伝
 文久元年(1861年)
 福澤諭吉、寺島宗則、福地源一郎
 らと随行しヨーロッパを視察
 慶応2年(1866年)
 樺太国境交渉の使節として
 ロシアへ派遣
 ↓↑
 明治維新後
 三叉学舎を開設
 福沢諭吉の
 慶應義塾と並び称される洋学塾の双璧
 東郷平八郎
 原敬
 平沼騏一郎
 大槻文彦
 などが学んだ
 専修学校(専修大学)の開設において
 法律経済科を設置し
 創立者
 相馬永胤
 らに教授を任せるなどの協力
 明治12年(1879年)
 教育博物館(国立科学博物館)館長
 明治18年(1885年)
 東京図書館(帝国図書館及び国立国会図書館の前身)
 館長
 東京師範学校摂理
 ↓↑
 明治6年(1874年)
 森有礼らと
 明六社
 を創立し社長に就任
 明治12年(1879年)
 福澤諭吉、西周、加藤弘之
 らとともに
 東京学士会院の創設に参画
 創立会員7名の一人
 ↓↑
 古賀侗庵に学んだ漢学の大家
 ↓↑
 妻・つねの死後、その妹で
 箕作省吾の未亡人であった
 しん(ちま、阮甫の三女)と再婚
 しんとの間には
 長女・直子(人類学者の坪井正五郎に嫁ぐ)
 ↓↑
 明治19年(1886年)
 肺炎のため死去
 ↓↑
 福沢 諭吉(ふくざわ ゆきち)
 旧字体
 福󠄁澤 諭󠄀吉
 天保5年12月12日〈1835年1月10日〉
 ~
 明治34年〈1901年〉2月3日
 啓蒙思想家、教育家
 慶應義塾創設者
 諱 範(はん)
 字 子圍(しい)
 揮毫の落款印 「明治卅弐年後之福翁」
 雅号 三十一谷人(さんじゅういっこくじん)
 ↓↑
 カイロ=回路=Cairo=改羅=海楼
 えじぷと=埃及=Egypt・・・
 カイロ=回路=Cairo=絵芦=繪蘆=解賂=廻呂・・・???
 ↓↑

 ↓↑
 鑰=金+龠
   金+亼+𠱠+冂+卄
   金+人+一+𠱠+冂+丨
   ヤク・・・・・・・・譯・訳
   かぎ
   とじる(閉じる)
   とざす・しめる(閉める・締める・〆る)
   戸締りするためのかぎ・錠前
   かなめ・重要なところ・要点
 扃鑰(ケイヤク)門や戸などの鍵を掛けること・戸締まり
 秘鑰(ヒヤク)秘密の鍵・秘密・謎を解き明かす手がかり
 関鑰(カンヤク)・鍵鑰(ケンヤク)・鎖鑰(サヤク)
 鑰(かぎ)・鑰匙(ヤクシ)
 龠(やく)=龠は竹管の笛
 声符
 龠(ヤク)=竹管の笛・その形が似ているので
      関鑰の意に用いる
 〔説文〕十二上にを正字とし
 「關下の牡(ぼ)なり」という
 経籍に籥に作り、のち鑰を用いる
 横木を通し
 地に直下する木を牝牡にたとえ
 錠前は横にさしこむので鑰匙(やくし)という
 鍵鑰(ケンヤク)は
 ものを啓(ひら)く鍵で
 ことの要訣をいう
 ↓↑
 かぎ=鍵錠
 とざし・錠
 掛け金=かけがね
 ↓↑
 〔新字鏡〕
 鑰=開鑰なり・止佐志(とざし)
 〔和名抄〕
 鑰 楊氏語抄に云ふ、鑰匙、門の加(かどのかぎ)
 〔名義抄〕
 鑰 カドノカギ・鑰匙
 ↓↑
 鑰=籥(龠)
   籥は竹笛、関鑰と形が似ており、字が通用
   鑰匣・鑰鉤・鑰匙・鑰牡
   管鑰・関鑰・九鑰・宮鑰・魚鑰・玉鑰
   金鑰・禁鑰・謹鑰・銀鑰・啓鑰・戸鑰
   庫鑰・鎖鑰・重鑰・投鑰・秘鑰・牡鑰
   門鑰・幽鑰・霊鑰
 龠=穴が三つ、あるいは六つあるふえ・・・𠎤
   亼+𠱠+冊
   口口口(穴が3つ)+冊サク(竹を並べて結んだもの)
   口=コウ=ク=くち=𠮚・𠙵
   品=口+吅
     口+口+口
     囗+囗+囗
   ↓↑
   虽=口+虫=スイ・いえども=雖・𨿽・𧈧
   いえど・も、たとえ~であっても、~ではあるけれども
   トカゲ(蜥蜴)に似た大形の動物
   ↓↑
   㕥=口+人=シン
     唸(うな)る
     口をあまり開けず
     低い声をやや長く発する
     㕥呻=申吟
     喚(わめ)く・大声で叫ぶ
   ↓↑
   𠮢=又+口=ユウ・ウ・みぎ=右
     左と対(ツイ)になる片方 {「左右」の筆順}
     南を向いた時の
     西の方向
     東は「左」
     上にある、高い、上位、上位のもの
     下は「左」
     右手のように力が強い者が
     左手のように力が弱い者に
     手を貸し力を貸して助ける
     「佑・祐」
     逆は「左・佐・𥙀」
     正しい、逆は「左」
     保守的な、守旧的な
     ↓↑
     𠮥=ク+口=ショウ・ジョウ=召(め)す
     ↓↑
     㲋=𠮥+比=チャク=𠕗・𠜌
       姿はウサギ(兎、兔)に似て
       脚はシカ(鹿)のようで
       体は青い
       「㚟=𤟭=𣬋」
     ↓↑
     𠮦=ハ+口=ショウ・ジョウ・めす=召
       手を振って呼び寄せるのは「招」
       招(まね)く・自分の方に向かって引き寄せる
     ↓↑
     㗊=品+口=雷
       シュク・キュウ
       大勢の人の
       「わいわい・がやがや」
       とした話し声
       品部(しなべ・ともべ)
       品部=ほんべ=本部?
      「しなしなのとものを」
      「とものみやつこ」
       の和訓を持つ古代日本の
       人的集団・組織
       部民制後の制度
     ↓↑
     吅=口+口=ケン・コン
       口々に言い合う、言い争う=「訟」
       喧(かまびす)しい、がやがやと騒々(ソウゾウ)しい
       わいわいと煩(うるさ)い=「喧」・喧騒
     ↓↑
     品=口+吅=ヒン・ホン・しな=𠯮
       物(もの)・多くの物・様々な物
       もの(人や物)の本質・価値・程度を判断する
       ものの値打ち・価値・程度・等級
     ↓↑
     𠱠=吅+口=レイ・リョウ
       多くの鳥や人の声
     ↓↑
     𡋐=吅+土=サ・ザ
       すわる・います・まします・ます
       いながら・すずろ・そぞろ
       坐㘴𡋑𡉡𡋲𡊎
       座る
       膝を折り
       尻を踵の上に載せて座る(正座)
       椅子などの上に腰を下ろす
       席に着く
       「坐」=座る動作
       「座」=座席・場所・位置
       向かい合って座る
       同じ席に座っていたことで罪に問われる
       座ったままで成すところがないさま
       何することもなく、ただ何となく
     𡋑=吅+土=サ・ザ・すわる=坐㘴𡋐𡉡𡋲𡊎
     ↓↑
     𡘜=吅+大=コク・なく=哭𡘈𠴃𠸅
       嘆き・悲しみなどで声を張り上げて泣く
       声を出さずに
       細く微かな声で泣くのは「泣」
     ↓↑
     𡜓=吅+女3=音(オン、おと)や声(こえ)などを表す
           音写字
 ↓↑
 品=口+吅
   口+口+口
   囗+囗+囗
   ヒン
   ホン
   しな
   しなもの・いろいろな物・物品
   くらい・等級・位階
   人がら・人格・人の性質
   等級をつける・評価する・良し悪しを判断する
   たぐい・種類・また、物事の種類を数えることば
   きまり・制度・基準・法則
   仏典の章・編などの一まとまりのこと
   ほん・昔の律令制で親王に賜った位
     ・品位は一品から四品まで
   品⇔口+吅
     咒・咢・哭・駡
   ↓↑
   騒々しく耳障(みみざわ)りな声
   𠱠ーレイ・リョウ・多くの鳥や人の声
   ↓↑
   龥 龠=ユ=籲𥸤=呼ぶ・呼び掛ける・訴える
    容積の単位
   一龠=一合の二分の一、or 十分の一
   黄鐘の管にクロキビ(秬黍)を入れると
   1200粒で管が満ち
   同じ容量の水を1龠(やく)とし
   龠を1合とし
   10合を1升,10升を1斗,10斗を1斛(こく)
   この五量を一つの器に備えた嘉量が
   後9年
   新の王莽(おうもう)のときに作られた・・・
   「鸙=龠+鳥」・・・ 鸙野=ひばりの
   α+龠
   龠を声符とする漢字
   㒢・瀹・蘥・爚・籥・𧢢・鑰・䠯・䟑・𨷲・龥・鸙
 㒢=イ+龠=人の管と穴
 瀹=氵+龠=㵸=茹(ゆ)でる・煮(に)る・・・氵シ冫ン?
       治水・河川を治める
 蘥=艹+龠=ヤク・そば=蕎麦=𦿈=雀麥・燕麥
 爚=火+龠=ヤク・シャク・光る・輝く・照り輝く
       溶ける・溶かす・散らす
 籥=竹+龠=ヤク・三穴の笛
 𧢢=龠+見=ヨウ=𥌺・𥌉
       きらきらと眩しい・眩しくてよく見えない
 讑=言+龠=ヨウ
 𪛏=龠+音=アン・オン=韽・𩐧
       小さな音や声・微(かす)かな音や声
 龣=龠+彔=カク・ロク・・・彔=录=刻む・刻印・剝
       五音の一=角
       楽器の名
 𪛊=龠+斤=ギン・ゴン
       大きな箎(チ・七孔の竹笛)=䇵
 𪛕=龠+龜=ショウ・ふえ=簫・箫・簘・𪛖
 𪛓=龠+鹿=角(カク)
       五音(ゴイン=宮・商・角・徴・羽)の一=觮
 𪛌=龠+虎=チ・ジ=篪・𥰽・竾・𥬌・筂・䶵・𪛍・𪛔=箎
       七孔の竹製の横笛
   七つの指孔(指で押さえる孔=音孔)
   歌口(うたぐち=息を吹き込む孔=吹き口)
   を合わせ八孔と数える=箎
 鑰=金+龠=ヤク・かぎ・とじる・とざす・しめる
       戸締りする錠前
       かなめ・重要なところ・要点
 䠯=足+龠=ヤク
 䟑=走+龠=ヤク
 𨷲=門+龠=ヤク=𨸎
   閂(かんぬき)
    閉じた門扉が開かないようにするために
    扉の内側に渡す横棒)
    に設けた穴と
    地上部に設けた穴に渡す縦棒
    閂を固定するための縦棒=鑰
    閉じた扉や戸を開けるための道具
    鍵(かぎ)=鑰=籥
 䶳=龠+亢=ヤク=to lookupto adoreto rely upon
 龡=龠+欠=スイ・ふく(吹く)=𪛑・䶴・𪛐
       口をとがらせて息をはく
       楽器をふいて鳴らす=吹奏
       吹奏楽器
       風がふく
 龢=龠+禾=ワ・オ・カ=和=咊=惒
             和氏之璧
       なごむ・やわらぐ
       なごやか・おだやか
       やわらげる・おだやかにする
       あえる・まぜる・調合する
       仲良くする・争わない
       二つ以上の数を足したもの
       車の軾(しきみ)につける鈴
         軾=前部についている横木
       応える・声で反応する
       声を合わせる・合唱・掛け声
       調子を合わせる・唱和・音頭をとる
 禴=示+龠=ヤク
       古代中国で天子が行った祭礼の名
ーーーーー
 ・・・???・・・
  ↓↑   ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)

  +

 (表紙・画像・音楽)」の

  移転先・・・
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
 ↓↑
 干支歴
 ↓↑
 追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
 ↓↑
 メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/user/merikiri/videos
 ↓↑
 モモちゃん

 ↓↑
 モウ君の総合目次 (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090606133825/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/kkmokuji.htm
 ↓↑
 コジキ姫赤い絨毯に乗る(m) (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090609174025/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/hime/hime77.htm
 ↓↑
 古事記と虎関師錬 (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090606191156/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/fanin/pura2/kokan/kokansiren.htm

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