奈良大好き☆お勉強日記

奈良大学文学部文化財歴史学科(通信教育部)卒&奈良まほろばソムリエ検定のソムリエを取得したヒトの色々な勉強の日記です♪

飛鳥周遊ウォーク

2009年05月17日 | 奈良大学お勉強日記
あけて、飛鳥周遊ウォーク当日の17日。
何故かとっても早く目が覚めてしまい…というか、早起きして本番の前にちと別件へ。

それというのは、前回『卒業旅行』の時に訪ねた高取で、町一番の見どころの
旧家老屋敷長屋門ってのを見てくるのをコロッと忘れていたので、
その忘れ物を今頃とりに行こうかってことで。
八木に泊まったので、そこから橿原神宮前&壺阪山はすぐ(?)です。

二ヶ月ぶりに訪問した早朝の高取は、人通りも少なく、いつもの感じ。
とりあえずガシガシ歩いて15分で目的地に到着。
パシャパシャ写真とって「下山」してきたら、通りに出ていた住人の方に、
「山から下りてきはったん?」と声をかけられちゃいました。
「え?まさか~屋敷を見に来ただけですよ~。山はこの前登りました!」
しかし、そのときの時刻8時半ですよ。
山から下りてくるのはともかくとして、山には登らねばならんわけで。
下山するのにも二時間かかるってのに、私はいつ、山に登ったんでしょうか?
やっぱ、街歩きの格好で山から下りてきた集団があるってのが、
フモトの町では語り継がれているんでしょうか(謎)

とりあえず心残りだったことが一つ完了してホッと一息。
隣りの飛鳥駅へと向かい、無事なぎさんと合流できました。

「晴れたねえ」
「降水確率午後から90%なんだけどねえ」
昨日の時点では絶対に次の日は朝から雨だと思っていたのに、
朝目が覚めた時点では、結構天気よかったもんな~。
さすが、わたしは晴れ女、と思ったけど。
この天気、いつまで持ってくれるやら。

集合時間になって、まずは水野センセと上野センセのご挨拶。
「天気予報では雨でしたけど、私の念力で晴れさせてます。
わたしの分は午前で終わりですから、午後からは上野センセの責任です」
沸き起こる拍手と、笑い声。
こりゃ一本とられたって感じの上野センセ。
いー感じの始まりです。

それではゆるゆると出発です。
飛鳥駅からまずは猿石、てか吉備姫王墓へ。

猿石のレプリカはあちこちで見てますが、本家は久しぶりに見ました。
いやいや、本家のうちの一体を、例の高取の山中で見たっけ。
この猿石と呼ばれる変な石は5体セットで掘り起こされたもので、
そのうちの一つがえっさこっさあんな辺鄙な場所まで持ってこられたらしい。
まったく、命令する方は云うだけだからいいけど、持ってこさせられた人は
いい迷惑だよと、「殿!ご乱心!!」ばなしの再燃です。

「まあ、”こんなトコ露出させてる”像なわけですから、宮内庁としても、
そんなもんが天皇陵にあるとけしからん!ってことで、
ここへちゃーっと集められてきたんでしょうが、こんなもの押し付けられた吉備姫も
そんなもん見たくないわ!あっち向いて!っていうでしょうなあ」
あーはははは。
現代人からしたら確かに「卑猥」とか「猥褻物陳列罪」とか「不敬罪」(?)なんだろうけど。
この像が作られた時代には、そんなこと、ぜーんぜん構ってなかったと思われる。
現代人の感覚で、ものを見ちゃいかんってことですね。

そして今回も忘れちゃいけない『水野先生のカミサン自慢』
欽明天皇誕生の秘話(?)の中で、「応神天皇5世の孫である継体天皇は
武烈天皇の妹の”たしらか”、手の白い、美しい、いい香りのする、
私の妻のような人を皇后に迎えて…」と”舌好調”でございました。

どんどん空模様は悪くなる一方ですが、テンションは反比例して高くなりつつあるワレワレ。
次なる目的地は、見瀬丸山古墳です。
見えてきたときは、土まんじゅうのてっぺんに竹やぶボウボウって感じの丘なのですが、
それが古墳ともなれば、みんなして登る登る(笑)
しかも、急坂なところから登りつくもんだから、結構大変。
これが雨の中だったら、絶対に無理だった登頂だからして、
晴れててくれてよかったわ。

そこんとこは、「なんとかと霞は高いところが好き」ってやつなのか、
「何故登るのかと問われれば、そこに(登っても良い)古墳があるから」なのか、
結構年配の人まで蟻の大行進のようにゾロゾロと登っていくではありませんか。
私も、とりあえず登ろうかって思っていたら、一番高い場所まで、ゾクゾクと登る人たち。
えええ~い、ここまで来て登らないわけにはいかんか、ってことで覚悟を決めて、
みなさんの後に続いて一番上の部分まで行ってきましたわよ。
(金網に登りつきながら、とか、金網を握り締めて滑り降り、とかだったし)

当初円墳とされてきたこの古墳も、航空機から眺めて写真を撮ってみたところ、
「おおお、これは前方後円墳じゃね?」ってことで認識が変わったんだとか。
やっぱり高いところに登って、下界を見下ろすってのは大事なことなんだ。
あながちみなさまの「高いところに登りたい」欲求は間違ってないってことだ。

当初は天武・持統陵と思われていたけど、某お寺さんの記録にあったものと測量値が合わず、
「しもた~!間違ってた~!別の古墳が天武・持統陵やー」と臨機応変に対応した宮内庁。
そして、誰のかわからんくなったこの古墳は寮母さん高知、もとい、陵墓参考地に。
しかし、大きいってのは判るけど、これが大和最大の前方後円墳ってのは正直
実感できないのだけど…。

その後、再びテクテク歩いて植山古墳わきをすりぬけて通り抜け。
そういえばこの古墳、推古天皇と竹田皇子の合葬墓じゃないかといわれて、
現地説明会にも来たっけな。その時は、禿山の茶色い土一色でカサカサしていた思い出しかないのだけど、
今みたら、芝生も青々して、途中に公園があったりして、ずいぶんと様相が変わりました。

そのわきの道ってのが、新興住宅地街で。
もしかして、この宅地を作っていて、偶然発見したとか?
飛鳥めぐりをするようになってから十数年たつけど、こうして道も
新しい道が出来たり、新しい家がたったりして、様相がどんどん変わっている所もあります。
(そういう所は主に『橿原市』なんだけど)

ゆるい坂道を登ると、いきなり出現する階段!
段差ありまっせ~上り坂でっせ~ってのが視覚的にも判って、かなり息があがります。
新興住宅地にはありがちな光景です。

お昼のオツトメの鐘や太鼓の音が聞こえてきたと思ったら、天理教の大教会。
その裏手にあったのが菖蒲池古墳でした。
ここに来るのは実は初めて。
なにやら、またしても竹やぶの中の古墳ですが、コンクリートで保護された中には、
家形石棺がふたつ前後に置かれているんだとか。
というのも暗くて、手前の蓋は見えるけど、奥にあるのはなかなか見えません。
「ここまで電気きてんやから、中も電気つけたらええのになあ」と水野先生。
確かに。ここで、懐中電灯を取り出したらツウっぽかったか?
(次行く人は、懐中電灯持参でお願いします)

さて次はどこ?と思ったら、少し下った場所に村の施設があり、
ここでお昼ご飯になるんだとか。
「?」と中へ入ると、そこは、巨大な屋根つきゲートボール場なのでした。
びびびび、びっくりだ。
ゲートボールってこんなに広いところでやるもんでしたっけ?
「ここ、走れますなあ~競争しましょか」と上機嫌の水野センセ。
「いやいや、センセには負けますわ」
いや、本当に負けると思うから、やらんけど。

一辺50mはある屋内ゲートボール場の周囲四方をぐるっとベンチが囲んでいて、
そこにある程度の人は座れるって感じ。今回は参加者が少なかったので、
まあそんな感じだったのでしょう。上野センセや学生さんたちは、中央部に
車座になって腰掛けたりして、とりあえずはみんなで昼食を頂きました。

食事の後は、水野センセと、上野センセに、先日作成した卒論集への
サインをおねだりして。やっぽー♪
「学長、水野名誉教授、そして上野センセともらったら、奈良大ビッグスリー揃い踏みですよ」
と軽くよいしょしながらサインをいただいて(笑)
やった~。これで重いおもいをして卒論集を担いできた甲斐があったもんです。
ねこさんや、りぃさんにも「学友四天王」として、四隅にサインもらって(意味不明)
とりあえず、第二の目的も達成です。

そうそう、忘れてならないのが、第一の目的。
水野センセの講演ね。
ちゅうことで、食後は水野センセのミニ講演会です。

仁徳天皇が自分の留守にヨソの女を招き入れたことに激怒した磐姫が、
木津川をさかのぼってったことを称して、
「磐姫が川をさかのぼってきて同志社大学に入学してしまった」
とか。
聖徳太子が長いこと摂政のままでいて、とうとう亡くなってしまったのは
「そりゃ、殺生なことや」
とか。
そんなことばかりが頭に残っているアタクシ。
ダメですかダメですね。
いやいや、そういうことを味わうのも、また水野節の醍醐味かと(言い訳)

そして、短いながらも水野センセの講演が終わって、上野センセにバトンタッチ。
「やれやれ、なんとか晴れててくれましたわ」
とばかりに水野センセはそこでお帰りになりました。

で。
上野センセにバトンが回って、とうとうとお話になられて、しばしのち。
「ががががががー」
という音とともに、センセの声が聞こえにくくなりました。
最初は、工事車両かと思いましたが。いえいえ、雨です、雨音です。
そのうち、横殴りの雨になり、一部の方々は傘をさしたり、カッパを着たりする始末。

恐るべし、水野マジック。
確かに水野センセの担当するパートでは雨が降ってませんでしたわ。
それが、上野センセに代わったとたん、降ってくるなんて。
上野センセも腕をあげましたなあ(笑)
てか、さっき食後の運動と見せかけて、大地に平伏すポーズをとっていたのは、
もしや雨乞いの五体投地のお姿だったのだろうか。

なんてアホみたいなこと思いながら、上野センセの万葉賛歌に聞き入ります。
お題は「采女の 袖吹き返す 明日香風 京を遠み いたづらに吹く」
これはわたしたちの卒論集の中の、扉の前に入れた歌でありました。

この歌は、明日香から離れてしまったことへの心理的痛みを歌ってる。
物理的、時間的、心理的に、明日香から離れてしまったことのむなしさ。
しかし、離れてしまったとはいえ、明日香宮から、藤原宮への遷都です。
いっちゃなんですが、現代人からすれば、目と鼻の先です。
昔の人だって、歩いても20分、一時間以内で移動できる距離。

しかしながら、明日香という特別な場所を離れて、
藤原宮にきてしまった、その心理的痛みが一番強烈にその歌を作らせた原動力ではないかと。
ああ、判るなあ。

私も、生駒から大阪に転居した時、同じ生駒山という山が見えるところに住んでいたけど、
山のあっち(都)と、山のこっち(鄙)では、全然テンションが違ったもんな。
自分の希望で、「絶対に生駒が見える場所!」って決めた転居先でしたが、
見れば見るほど帰りたくなって、同じ山が反対側から見える場所に「帰りたい」と願ったものでした。

それこそ、電車に乗れば15分もあればいける場所にも関わらず、
昔の人の移動に比べたら、実に楽に行けるにも関わらず、
場所も見えているにもかかわらず、それでもなお
「自分がいる場所」が「そこではない」という事実はいかんともしがたいもので。
わかるぅ~としきりとうなづくワタクシ。

とりあえず、上野センセのお話もこの場で終了ということで。
この後は、
1)飛鳥資料館へ行く
2)甘樫丘へ行く
3)このまま帰る
の選択肢が。

「飛鳥資料館へ確認したところ、現在待ち時間は無しとのことです」
なんですと~?!
去年三時間待って、三分見学だった、アレが待ち時間無しですって?
こりゃ行かねば損(?)でしょうってことで、ワレワレは飛鳥資料館へ行くことに。

歩いている間は、小雨になりました。
しかし、さっきの大雨は一体なんだったんでしょう。
笑える展開に雨もまた楽しからずやって感じ。

道中の途中で、甘樫丘にのぼりついてゆかれる方もいらっしゃいました。
晴れていれば眺めもいいのでしょうが、雨にけぶる明日香ってのもまたいいものか?
ワレワレはひたすら飛鳥資料館を目指してテクテクと。

そして、資料館への上り坂を登り切った時に見えてきたものは…。
『キトラ古墳壁画 観覧までの待ち時間 0分』の看板。

え”~?!マジぃ?!
ありえない展開に、ホントびっくりしました。
おお、こんなチャンスは滅多にないってことで思わず写真を撮りました。
そして、同行したみなさんと上野センセで「とりあえずこれで終了」宣言。

「こんな雨の中を、最後まで歩いてきていただいた熱心な、
あるいは、ヒマな方々に感謝です」といわれましたが(笑)
いえいえ先生、「熱心」かつ「ヒマ」な人々です>ワレワレ。
A or Bではなく、A and B。
そういう人もありですのよ。

いつもだったら、ここで、「学生達にも感謝です」と奈良大の学生のみなさんにも
感謝の拍手を送る場面なのですが、それも今回は無く。
ねぎらいの拍手も送ってあげられず、お別れとなったのは残念でした。
ありがとう>奈良大生のみなさん。
後半は雨も降って、カッパ姿で走り回っての交通整理してくれたけど、
雨にぬれて風邪なんてひいてなければいいけど。
(このために休みになったら、5回までは出席扱いにしてください>上野センセ)

それでは本日最後の行事、キトラ古墳の壁画見学です。
さっそく入館して、展示室前で5分ほど整列しただけで、壁画の本物とご対面となりました。
今回の展示は、青龍と白虎。
白虎はともかく、青龍はドロをかぶってしまっているために、
舌が朱で見えて、その上下に上あごと、手(指)が見えるかなって程度。
それでも、おお本物だ~白虎の腹って精密に書いてあるな~などと感動。

前回は疲れ果てた後にご対面だったのですが、
今回はまだ疲れる前で、ちょっと余力がありました。見学後は、
受付で配っていたクイズなんかをやって投函するとマウスパッドが当たるってんで、
それをソファーに座って延々解いてみたりして。
楽しんで飛鳥資料館を後にしました。

全行程を歩きとおせなかったのは残念でしたが、
今年も水野・上野両センセと一緒に明日香が歩けて楽しかったです。

帰りの電車の中では雨もあがったようで、
自転車で地元の駅まで来ていたなぎさんはオオヨロコビ。

私は西大寺でフラフラとならファミリーを堪能した後、
外へ出たらまた雨が降り出してました。
うむむ。もう帰るだけだからいいけどね。

夕食は「蔵」で名物・きも焼きとチューハイ一杯でレロレロになり、
京都から夜行高速バスで帰宅の途につきました。



しかし、喜んでばかりもいられなかったのだな>人がいない状況。
私が帰宅する頃には、新型インフルエンザの関西での発症例がどんどん増えている状況で、
人出が少なかったのはそういう理由もあったわけで。
しばらく自主的に自宅謹慎(?)にしてましたが、わたし個人はなんともないようです。
奈良もしばらくは観光客が少ない状況が続きそう…。

来年は、晴れて、熱くて、どんどん歩く、そんな飛鳥周遊ウォークになりますように。
また楽しみにしてます。

※今もらった資料を見返してみたら
今回の旅のタイトルは『甘樫丘から望む大和三山』だった。
んじゃ、ぜんぜん目的は果たされてないのかもしれないけど。
ま、いいさ。自分的には満足な内容だったし。

飛鳥保存財団の皆さん、雨の前例も出来たことですし、
来年もよろしゅうお願いしたします。
楽しみにしています。
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