城郭探訪

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「旧秀隣寺庭園」(国指定名勝)

2015年11月14日 | 文化財

利休も礼賛、ヤブツバキ治療 滋賀・高島、樹齢480年

 造園関係者らの研修会も兼ねて始まった国指定名勝「旧秀隣寺庭園」のヤブツバキの治療(滋賀県高島市朽木岩瀬、興聖寺)

 滋賀県高島市朽木岩瀬の興聖寺境内にある室町時代作の「旧秀隣寺庭園」(国指定名勝)で12日、樹齢約480年と伝わるヤブツバキの治療が始まった。かつて庭園を訪れた茶人、千利休がたたえたという逸話が残る名木だが、近年は花も少なく樹勢の衰えが目立っていた。

 滋賀県緑化推進会の「淡海の巨木・名木次世代継承事業」の一環。森林育成のため県民から寄せられた「緑の募金」を活用し2009年度以降、県内28カ所の巨木・名木の治療を行った。今回は地元住民の依頼を受けたもので、初日は造園関係者らの研修会も同時に催した。守山市の樹木医、中西肇さん(68)が数日かけて治療する。

 室町時代には、近江源氏佐々木氏の一派朽木氏の居館があり、1530(享禄3)年に12代将軍足利義晴が京の兵乱を避け3年ほど滞在。流浪の身の将軍を慰めるため、管領細川高国が銀閣寺庭園を基に築庭したとされる。その後秀隣寺となり、江戸中期に朽木氏の菩提寺興聖寺が移転したが、庭園は当初の姿を保っているとみられる。

 ヤブツバキは池の中島や周辺に8本植えられ6本が現存する。細川幽斎の子忠興が千利休を案内し、利休がヤブツバキの花を見て「散り際の良い、一期一会の心を表したもの」とたたえたという。

 治療方針について中西さんは「木の状態や土壌は悪くはないが、枝が折れたまま腐ったりしている部分があるので補修し、活力を付けるため土壌改良を施す」と説明する。

 森泰孝住職(64)は「480年にして治療は初めて。以前は花のじゅうたんができるほど咲いたが、今春はほとんど花が付かなかった。今回の治療で花を取り戻してほしい」と話している。

京都新聞2016.11.13


大城神社・景清道 近江・五箇荘

2013年03月21日 | 文化財

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大城神社

 金堂城は、観音寺山城の艮鬼門に祀られた大城神社境内辺りに築かれていたとされ、神社境内の北側にある土塁状の高まりがその名残と云われているとか。

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境内東側面に沿って、道幅がそれまでの半分以下になった景清道が、北東方向に真っ直ぐ延びています。
我々は近江商人町並への道を進みます。北東方向にしばらく歩くことになります。
まず驚いたのはここの道幅でした。



ブックレットに、この神社は「明治以前は大宮神社・天満宮と称し、菅原道真を祀っていました。観音寺城の鬼門にあたる北東の位置にあることから、観音寺城の守護神として信仰されていました」と、記されています。広々とした境内です。


Img_2735_794x596通りを挟んで、大城神社の南側は日若宮神社です。

これらの神社境内の北西方向に大きな商人屋敷が続いていました。成功した近江商人の後裔が住んでいる感じです。雨振りのせいもあるでしょうが、町並みには静けさが漂っていました。

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これが、今回の探訪の最終目的地、馬場の石塔(五輪塔)です。
大城神社所蔵で、鎌倉時代の優品です。
このあたりは五個荘金堂と称し、現在では重要伝統建造物群保存地区となっています。

「金堂の歴史は古く、その名はかつてこの地に存在したといわれる聖徳太子創建の寺院の金堂が由来とされています。しかし、現在の集落の基礎ができたのは江戸時代に入ってからです。金堂が大和郡山藩の飛び地領となった際に当地を治めるため陣屋が設置されますが、この陣屋を中心に集落は発展していき、明治時代に至って現在の姿が成立しました。」(ブックレット)とのこと。

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五輪塔のあるこの場所が「馬場」と呼ばれる広場のようです。
確認は出来ませんでしたが、水口でみた建物からの連想では、大きな木の左奥にある建物は、五個荘金堂・大城神社の曳山(類型・芸屋台)の山蔵だろうと推測します。水口町立歴史民俗資料館でいただいた「曳山祭と近江の曳山」によれば、昭和40年頃までは曳山巡行に使用されていて、今は巡行せず保管されていると状態と記されています。

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馬場の石塔の少し先を左折し、「ぷらざ三方よし」に向かいます。
この写真に見える道標の方向に右折していくと、地図では金堂のまちなみの中心地になっています。五個荘金堂の近江商人の屋敷(本宅)が軒を連ねているようです。
ここも、機会を改めて拝見に来たいと思います。

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寺々の前の通り沿いに水路が作られています。
浄栄寺と弘誓寺の前の水路にはその両端に柵が設けられ、その間を鯉が沢山放たれていました。
浄栄寺:伝聖徳太子開基。不動院建立(金堂という地名の由来)。
    宝治元年(1247)、浄栄法師が再興。浄土宗寺院。
弘誓寺:愚咄(寺伝では那須与一の孫)が犬上郡石畠に弘誓寺を建立。
    天正9年(1764)に金堂に移される。浄土真宗大谷派の寺院。

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もう一方の水路み設けられた柵近くから弘誓寺の方向を眺めて

    今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました