別 称:比佐殿屋敷
所在地:甲賀市水口町北内貴字大谷・水口字下真海 map:http://yahoo.jp/IgNUVy
現 状:山林
遺 構:曲輪(二郭三曲輪)・ニ重土塁・障子堀・竪堀・土橋
区 分:平山城 (山頂)
築城者:美濃部茂忠
築城期:織豊期 永禄年間(1558-70)
標 高:230m 比高差50m
目 標:みなくち子どもの森(一番奥)
駐車場・・・(要注意:閉門16:30)
訪城日:2018.2.10
お城の概要
甲賀には珍しい障子掘・二重土塁に囲まれた
北内貴城は北内貴の東端、野洲川左岸に広がる山塊内に所在する。
野洲川(東側)は、切岸状で土塁はない。西側の池(灌漑池)を前掘に、築城され比高差少ないためか土塁の外側を堀込んで障子掘に、その外側は掻揚土塁として防御力を図る巧みな築城技術的な城!
現在西麓の谷部はみなくち総合公園(みなくち子どもの森)、公園を見下ろす格好で南北に延びる尾根頂部(230m)を一杯に築かれている。
曲輪Ⅰが主郭と見られ、甲賀には珍しい障子掘・二重土塁に囲まれた方形区画で、急崖の北東辺以外は平地城館のような横堀が掘られている。南東辺に平虎口が開口し、土橋状の通路で曲輪Ⅱに至る。
曲輪主郭と副廓の間は主郭側高く5mを図る。長い土塁と障子掘である。
南端は尾根筋を遮断する堀切に土橋が架かっていて、曲輪Ⅲ側には櫓台のような高まりが更に防御性を高めている。
曲輪Ⅱは北東辺以外を甲賀には珍しい障子掘・二重土塁に囲まれた方形区画土塁で囲み、北隅付近に虎口が開口している。虎口の外側は、城道に付属する土塁が設けられる厳重さから、これが大手だと思われる。大手を下った先には幾つかの削平が確認できる。
北内貴城は、他の甲賀の城のように集落背後とは離れた立地と、特徴的な縄張、特定の土豪(美濃部氏)の城と伝わる。
お城の歴史
北内貴城は、永禄年間(1558-70)に美濃部茂忠が築いた。
茂忠の子美濃部治茂は、蒲生氏の女である比佐女を室に迎えたが、この比佐女がここに住したため「比佐殿屋敷」の別名が伝わる。
https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/1041628562666385
https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/1041632192666022
https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/1041633565999218
作図:長谷川博美氏
参考資料:『甲賀市史 甲賀の城』・城歩会資料・
本日の訪問ありがとうございす!!