廃棄場の受付で訪問記録を記帳の上、駐車をお願いする。無名の砦跡で情報入手は無理。
お城のデータ
所在地:彦根市中山町 map:http://yahoo.jp/LHuz-r
区 分:山城
遺 構:堀切、土橋、竪堀、土塁
築城期:
築城者:
城 主:
城 域:150m×100m
廃 城:兵糧攻めに合い戦国時代に打ち滅ぼされて、城主初め討死した。
標高:340m 比高差200m
目 標:中山廃棄場
訪城日:2014.5.9
受付のすぐ北手に職員が作ったという山へ向かう階段が設けられていて、そこから登城するが、これは中途半端にすぐ途絶え、関西電力の鉄塔のためであろうわずかなけもの道を登る。道は最初は南から向かっていたが、そのうち西側へ迂回しだし、特に鉄塔付近はあまりの急勾配で何度もすべり落ちそうになる。そしてようやく現れたのは北側の大堀切から伸びる竪堀だった。
関電鉄塔管理用階段があった!
ヤナガ谷砦(遠景)にも、関電鉄塔管理用階段があった!
東側は自然の谷西側は大堀切を見ながら旧坂を尾根へ
尾根に至る
尾根道を南西へ出丸の様である
北の主郭へ
鉄塔手前を東へ直登した(道なし、危険)
キドラ谷砦とヤナガ谷砦の位置関係
キドラ谷砦:::滋賀県中世城郭分布調査より)
お城の概要
キドラ谷砦は中山道の番場宿から鳥居本へ抜ける間道を眼下に押さえる通称 城山(標高340m)の山頂付近に築かれている。
キドラ谷に建てられた中山投棄所の北側、関西電力の高圧線鉄塔の保全用につくられた道から山中に入る。尾根に出ると尾根道がある。この尾根道を20分ほど登るとキドラ谷砦の直下に至る。
山頂の主曲輪を中心に南北に曲輪を連ね、西側のキドラ谷側には犬走りとともに階段状に6~7段の曲輪を配している。東側斜面は急斜面のためか曲輪がない。
山形、および曲輪配置から、大手は南側若しくは西側(キドラ谷側)と考えられる。搦手の北側は規模の大きな堀切を入れて、尾根を断ち切り土橋を入れている。
キドラ砦の北方には菖蒲嶽砦、地頭山城、および太尾山城などが位置するが、見通すことはできない。一方、南側には佐和山が真正面に見える。
キドラ谷砦周辺には、菖蒲嶽砦、地頭山城、太尾山城などの山城が点在するがキドラ谷砦の遺構は、それら山城とは一線を画する規模と普請がなされている。
このキドラ谷砦の位置づけを考えるに、番場~鳥居本間の間道を押さえるだけであれば、比高200mを越える高所に城砦を築く必要はなく、高所に築かれているがゆえに南方約2kmの佐和山城との関係を強く意識させる。
佐和山との間には摺峠針からの山並みが続いており、キドラ谷砦は佐和山城を攻めるためではなく、佐和山城の支城として築かれた可能性が高い。
また、キドラ谷を挟んで対峙するような位置に築かれているヤナガ谷砦との関連も考えられる。
歴 史
地元自治連合会発刊の「ふるさと鳥居本」には、「キドラ谷に城があり、難攻不落の名城であったが、兵糧攻めに合い戦国時代に打ち滅ぼされて、城主初め討死した」と伝えられており、そのためか8月16日に山の頂上に上るとお姫様が現れる…という言い伝えがある。
これは、谷を挟んで南側のヤナガ谷砦との間に、戦いがあったと考えられるが、ヤナガ谷の城主「草山内膳」の名が伝わるのに対して、キドラ谷の城主の名は不明である。
その戦いでキドラ谷砦側は、東西に長い単調な縄張のヤナガ谷砦側に敗れてしまったのだが、キドラ谷砦は要害すぎず逃げ道まで奪われたのでは。
荒神山城・佐和山城・彦根城の一望菖蒲嶽城も一望
大堀切
キドラ遺跡・・・・廃棄場は平成8年に施工されたまだ新しいもので、もともとこの土地がキドラ谷と呼ばれる田園であったようである。施工時の発掘調査で、谷からは奈良時代の遺跡が発掘され、場内にもその案内板が建っているが、砦跡とは関わりがない。
キドラ谷砦(遠景・・・最高部)駐車場完備
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、近江の城郭
本日も訪問、ありがとうございました!!!感謝!!