
新守山川左岸の欲賀大橋から犬飼橋辺り
土塁・堀(現在は用水路)
欲賀集落の中の堀跡(現在は用水路)
所在地:守山市欲賀町 マップ:http://yahoo.jp/89fQF8
区 分:平城
築城者: 本間氏
築城期:文和二年~三年(1353~4)
遺 構 : 土塁跡、堀跡
訪城日:2013.1.9
滋賀県教育委員会の資料によると、新守山川左岸の欲賀大橋から犬飼橋辺りであろうと思われる。
ただ1ヶ所だけ、それらしき竹藪があり、その竹藪の中には2mほどの土塁を認めるのだが・・・・。
お城の歴史
本間氏の居城と伝わる。『守山市史本間文書』によれば、文和二年ないし三年(1353~4)に杉江の本間又四郎が足利義詮より欲賀郷の一部を与えられたとされる。応永四年(1397)には、本間詮季が足利義満より欲賀郷の半分を与えられたとされる。城が本間氏の居城とすると、この頃の築城と考えられる。
『本間氏系図』によれば、応安元年(1368)に本間資冬が欲賀郷公文所職に就き、応永12年(1405)には資富が欲賀郷下司職にあったとされる。欲賀城畑城南東の欲賀城主寺田氏も、永和三年(1377)に欲賀の公文所職に就いているが、両者の関係については不明である。
応仁元年(1467)ないし文明元年(1469)に、本間重利が欲賀城を再興したとある。資富について、領所欲賀山賀杉江とあることから、一時本間氏が居所を山賀ないし杉江に移していたとも考えられるが、詳細は不明である。本間氏のその後についても詳らかでない。
参考資料・滋賀県の城
本日も訪問、ありがとうございました。