お城のデータ
所在地:滋賀県東近江市蒲生大森町 map:http://yahoo.jp/AjIxms
別 名:大森氏居館
区 分:平城・居館
立 地:平地
現 状:寺地・境内地
築城期:室町期
築城者:大森数馬
遺 構:消失
目標地:蒲生大森町集会場・願王寺
駐車場:蒲生大森町集会場・願王寺
訪城日:2017.3.17
お城の概要
『蒲生町史(平成7年)』の742頁には
大森氏
現在、蒲生大森町集落の願王寺の場所を「数馬屋敷」と呼んでおり、大森数馬の館であろう。
現在はは土塁や堀は残っていないが1980年頃には、本堂の裏には土塁に一部思われる堤があった(白井政行氏談)。
願王寺の住職に話では、「もともと寺の周りは全部川であったともいい、堀の名残ともみられる。(安田義幸氏談)。
日野川西岸の小字岩吹には、「数馬」と呼ばれる所があり、そこが大森氏関係の場所と判断され、墓があったといわれる。
お城の歴史
『蒲生町史(平成7年)』の710頁には
大森の地名は旧八日市大森町にもあるが、諸書に登場する大森氏は蒲生町の大森の出身と考えられてる。
安井氏と同様、永禄十一年の日野城籠城に人数に「家の子郎等」の一人として見えているのが初見。
『近江蒲生郡史』巻八の「古蹟名勝志」の項では、大森数馬なる人物について、もともと佐々木六角の家臣であり、同氏滅亡の後蒲生家に仕えたとある。
天正10年本能寺の変後の日野城籠城にも、葛巻隼人らとともに、大森左京進のなが見える。
さらに、蒲生氏が会津に移ってからの分限帳にも、大森左京(六百石)。大森彦四郎(三百石)など見える
六角氏・蒲生氏の家臣であった大森氏の館跡であった。
参考資料:滋賀県城郭分布調査4(旧蒲生・神崎郡の城)、蒲生町史、近江蒲生郡志・遺跡ウォーカー
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