中ノ谷(馬かけ場)遺構の縄張図=『近江の山城 ベスト50を歩く』(2015.1.18のレジュメより)
田屋城縄張り図=『近江の山城 ベスト50を歩く』・・・中ノ谷城(馬かけの縄張図)(2015.1.18のレジュメより)
お城のデータ
http://yahoo.jp/7lm22w 高島市(旧:高島郡)マキノ町辻 map:
現 状:山林(山頂)
区 分:陣城砦
築城期:織豊期
修築者:丹羽長秀
遺 構:山麓屋形・曲郭・土塁・堀切・虎口
標 高:240m 下城口~比高差:100m
目標地:極楽寺・大虎神社
駐車場:極楽寺・大虎神社付近に駐車
訪城日:2016.5.28
滋賀県中世城郭分布調査8(高島の城)より
お城の概要
浅井亮政の娘婿田屋氏の「馬かけ場」と伝えられる遺構は、森西集落より北西の山尾根上にあるが、田屋城より集落に近い場所に位置し、『滋賀県中世城郭分布調査1(1983.3)の地図番号50マキノ町』には、位置も森西集落の隣の辻集落の山中の「馬かけ場」で、名称も田屋城を田尾城と誤記。
「馬かけ場」の北端にあたるが、そこから北側が急斜面で、馬かけ場と呼称する尾根そのものが独立丘・独立山地である。周壕で形成された変形の円状の小台地が二ヶ所、ほぼ方形の小台地が一ヶ所との周辺に平削が認められる。・・・既存の古墳を利用した城郭砦と考えられる。
「馬かけ場と伝えられる平坦地」の部分は、呼称のように山上での平凡な平坦地である。・・・が、堀切・そして土塁には見事な横矢折れも見られ、虎口・長方形を意図した土塁囲みの郭での東側面の出来ばえ等からは、既に築城に際して石垣・石積みを体験していたか?・・・偲ばせるものがある。
お城の歴史
天正11年賤ヶ岳の合戦時の陣城砦の構築を想起させ、又彷彿させられる。賤ヶ岳の合戦時に羽柴秀吉方の丹羽長秀が田屋城を修復して入城の口伝が残るが、それが此処か・・・を思わせる。
しかし、その構築の意図も周壕を持つ円形台地(古墳)に、大いに制約された。或いは大いに利用したか・・・?
田屋氏の馬かけ場は、田屋城の別廓でなく、「馬かけ場を利用した城郭砦]であろう。
田屋城 近江国(マキノ)より続き・・・
「馬かけ場」へ林道を東へ下り・・・堀底道を馬かけ城へ
林道から「馬かけ場遺構」へ
すぐ堀切(不明瞭だが)
東側土塁
廓
辻集落へ下城したが、
下山・・・山麓屋形遺構か?
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査1・8(高島の城)、『近江の山城ベスト50を歩く』、
本日の訪問ありがとうございす!!