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城郭探訪

yamaziro

木村城 近江国(野洲)

2013年12月15日 | 平城

 

所在地:野洲市北村 マップ:http://yahoo.jp/1JK5zM

別 名:北村城

初城主:木村重興

区 分 :平城

遺 構 :堀、土塁、門

訪城日:2013.12.14

駐 車:八幡神社の参道に!

北村城の表門

門前の堀

門前の堀

お城の概要

北村城は野洲市北村地区の住宅地が切れ、農耕地が広がる境目に位置しており、現在でも末裔当主、木村氏夫婦がお住まいである。

 屋敷は鬱蒼とした林が目印となって、遠目からでも通常の住居とは違うことがわかる。

 外堀は埋められて消失しているが、内堀は現存しており館の四方を固めている。また、屋敷内には土塁が良好な状態で残されている。

 木村宅の表門は造られて約450年経過するが、当時のままの状態で残されている。

500年近く経過した今なお、代々の屋敷が継承されており、脈々たる近江源氏の歴史を実感した。


 邸内の稲荷社付近から邸内奥の竹藪の中には見事に土塁が残り、また周囲には堀も残っていた。 木村邸の長屋門は、築450年の建物とか。

 当主に拠れば、昔は城の廻りには家臣の屋敷が建ち、更にその外側には堀が廻らされていた。

北村城の築城年代は定かではないが、六角氏の家臣木村氏代々の居城。六角氏滅亡後この地に居を構えた。


 滋賀県内で、北村城のように現在も住居として中世城館が残っているのは、小山館(木之本町)、井上館(竜王町)、桜生城(野洲市小篠原)などがあるが、いつまでも現状のまま残してほしいものである。

歴 史

 戦国時代の野洲は、永原氏と木村氏が勢力を誇っていた。

佐々木盛綱の三男 木村三郎俊綱を初代とする木村氏十三代 重興でる。

伊予守重春までは、蒲生郡豊浦(安土)に居館を構えていたが、重興の代になり豊浦から、江部庄北村に居館を移した。

重興は、甲賀・中山左衛門佐の娘を母として生まれ、佐々木義賢(丞禎)の重臣平居定武・三雲成持・三上恒安や楢崎・池田・新村氏らと交流が深く、嫡子 木村筑後守重在は佐々木義治に仕え、義治と浅井氏の和睦に労をとった。また息女カメは永原重隆の妻で、その子は外祖父と同名の永原越前守重興である。木村重興の二男重久・四男成清は六角義治に従い、九里(蒲生)。野洲川表で戦死。

三男影秀は鉄曳と号し、浄土・日蓮両宗の法論が安土行われた時の判者、南禅寺の長老鉄曳影秀である。

木村氏の所領は湖西志賀郡、湖北米原・磯・湖東・湖南の各地に散在していた。

参考資料:野洲町史

本日も訪問、ありがとうございました。


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