山上『城山城址』碑
西山城(城山城) 西山
お城のデータ
別 称:城山城、源氏山遺構
所在地:米原市(旧:坂田郡山東町)西山 map:http://yahoo.jp/4ZDciX
区 分:平山城
標 高:221m 比高差:70m
現 状:山林・宅地・山頂(城山城)
築城期:室町期
築城者:大原氏
遺 構:土塁・廓、城址碑 、堀(現用水路)
目標地:源氏山・長恩寺・八幡神社、西山会館
駐車場:西山会館の駐車場に
訪城日:2015.10.12
米原市(旧山東町)西山八幡神社。
小さな神社ですが石段の両脇に杉の大木が17本並んで、樹齢400年超、幹回り5m超。豊臣秀吉が長浜城主の頃から武神であったこの八幡神社を崇敬していて、後大阪城に移り安産祈願して居たところ無事秀頼が誕生したお礼にと薩摩より杉の苗木を取り寄せて植えたと伝えられています。
八幡神社より登山道が整備
頂部の『城山城址』・・公園化され『城石碑』のみ・・・物見櫓址か、
10m×10m平削地に「源氏山ふれあいの里」の吾妻家が立つ。
山頂(城山城址)からは北国脇往還道・東山道共に江濃境目を見張ることが出来る。
お城の概要
西山集落は、城山城(西山城)の城下町か、
源氏山の山麓にある八幡神社に秀吉が植えさせたという杉並木は見事である。
西山城は別称源氏山と呼ばれ、佐々木信綱により息子重綱に分与された大原荘の最南端に位置する。
山頂(城山城址)からは北国脇往還道・東山道共に江濃境目を見張ることが出来、南東中腹には20m×10mの舌状郭(源氏山公園)が付加されている。舌状郭の南面には竪堀状の遺構が見られる。
登山道の整備工事を行っている最中で、山肌の殆どが切削・加工工事されてしまい往時の遺構は殆ど残っていない。
宇多源氏の一派近江源氏佐々木氏流。源氏山と呼ばれる由来は、佐々木源氏(佐々木信綱により息子重綱大原)
集落内は、
堀
歴 史
大原氏は、宇多源氏の一派近江源氏佐々木氏流。
佐々木信綱の庶長子大原重綱を祖とする。近江国坂田郡大原庄より発祥。
鎌倉時代には佐々木宗家を継承した弟の佐々木(六角)泰綱と領地争いをした記録が残る。
佐々木氏の長男系という血筋の良さから格式は高く、室町時代には足利将軍の奉公衆になっている。
戦国時代の大原政重を最後に血統が絶え、同じ佐々木一族の近江守護六角氏から迎えた養子高保が将軍足利義晴・義輝父子に仕えた。さらに六角氏から養子が入った賢永(高賢)が慶長6年(1601年)に死ぬと大原氏は断絶した。
西山会館の駐車場に
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
本日も訪問、ありがとうございました!!感謝!!