お城のデータ
所在地:湖南市平松小字里屋敷 (旧甲賀郡甲西町平松小字里屋敷) map:http://yahoo.jp/LXqvH6
現 状: 宅地
遺 構::曲輪跡・移築門http://yahoo.jp/pMxOxJ
区 分:平城
築城期:室町期
築城者:宮嶋掃部介
城 主: 宮嶋掃部介
目標地:平松公民館
駐車場:平松公民館無料駐車場
訪城日:2014.9.13
旧宮嶋家の移築門(国道1号線沿い「料亭スエヒロ」に)が完存しているhttp://yahoo.jp/pMxOxJ
お城の概要
『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「甲賀郡甲西町平松」、創建者は「宮嶋氏」、区分は「平城」。
城の歴史は「宮嶋城は、甲西町大字平松小字里屋敷にあり、現在、遺構らしきものはない。
しかし、旧宮家嶋の門が完存(移築)している。
歴 史
宮嶋氏は、大伴姓で、九代大伴善平は平松太郎と号し、甲賀太郎と称した。大原氏、上野氏など三河から甲賀に移住した富永一党はこの大伴姓宮嶋氏をたより、甲賀へ移った。
宮嶋氏は、頼男、善頼、善平、武清と代々続き、寛正-応仁年間(一四六〇-六九)、中務尉、兵庫允は、大慈院領の下司となる。
甲賀武士らとともに行動し、甲賀五十三家に数えられ、甲賀二十一家にも数えられたこともある。
『佐々木南北諸士帳』に、宮島 住 箕作随兵 宮島掃部介 の名が見える。
伊賀上野城主藤堂高虎も宮嶋氏の出身である。
また、明治維新では甲賀勤皇隊の隊長となり征討大将軍小松宮嘉彰親王から、参軍を許され、百余名をつれ、東総督有栖川宮親王に属し、奥羽に進軍した。甲賀隊は、当時新式といわれたフランス陸軍式の調練を受けた洋装の軍隊であった。」とあります。
なお、甲賀郡甲西町平松は現在湖南市平松になっています。
比定地周辺
参考資料:日本城郭体系11、佐々木南北諸士帳、滋賀県中世城郭分布調査
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